分厚い雑誌
翌日、目が覚めると朱里が隣で眠っていた。好きな人が隣で安心して眠る姿を毎日見れると思うと、僕は幸せだろうなと思った。僕は、朱里と同棲することを決め、このマンションへと転がりこむことにした。
一緒に住むためのあれやこれやを二人で揃えていく。僕の生活用品ですら、朱里にお世話になったものがある。終始、朱里に引っ張られて二人の生活を始める準備をしていく。情けないと思う反面、張り切ってくれている姿が、『僕との生活』を楽しみにしてくれているようで嬉しくてたまらない。
1ヶ月後のアパートの更新時期に引き払い、同時に朱里のマンションに移った。余っている部屋に僕の荷物を押し込める。幸い、荷物は少ないので、引っ越し業者に頼むほどではなく、リサイクルショップに引き渡したものの方が多い。
生活のほとんどの時間をリビングと朱里の寝室で過ごすため、一応、持ってきたベッドも使うこと無く、今のところ埃をかぶっている。用意してもらった部屋で唯一クローゼットだけは使わせてもらっている。服以外は、全て処分してもよかったのかもしれない。
「裕の荷物、少ないね?」
「……ほとんど持ち物ってないから。前の引っ越しで、学生のころのものは、実家へ送ってるから」
ガランとしている部屋を見て驚いているが、朱里も荷物は少ない。必要最低限のものしか置いていない中で、僕の私物があることに沸々と喜びを感じた。
◆
あれから、1年近く朱里と同棲をしている。毎朝、朱里の寝顔を見て起きることが日課であり、その後は、二人分の朝食を作る。僕は、そんなささいな時間にとてもに幸せを感じていた。
朱里とずっと、一緒にいられる未来を夢見てもいいだろうか? この頃、ずっと考えている。
「朱里、ご飯できたよ?」
「おふぁ……」
ゆさゆさと揺すると、よく寝ていた朱里は寝ぼけ眼のまま首に腕を回して、ほっぺにちゅっとキスをしてくる。朱里にとっての日課であるようで、それがない日はたぶん疲れているのか、怒っているかのどちらかであることを僕は知っている。
「ほら、早く起きて!」
「裕は、いつも早いね?」
「そんなことないよ? 朱里は少し仕事を詰めすぎているよ?」
「……わかってるけど、もう少しで大きな案件が終わるから……それさえ終われば、ゆっくりできるよ!」
仕事のことを指摘すると、拗ねる朱里に苦笑いする。朱里の欲しい言葉を言えば、ご機嫌に返事をしてくれる。ダメというより、頑張っての言葉が欲しいことは知っていた。朱里にとって、初めての大きなプロジェクトだからこそ、無理をしてでも成功させたいことも、毎日隣にいるからこそわかっている。
僕ができることは、そんな朱里をほんの少しだけでもサポートすることだ。
「うーん、じゃあ、もう少しだけ頑張って!」
「はぁい、裕」
敬礼の仕草をしながら、のそのそとベッドから起きてくる。昨夜は午前様で遅かったため寝ぼけていたのか、朱里が着ているのはパジャマではなく、今日、僕が着るはずのワイシャツであった。ゆうべ、ソファの上に置いといたはずも、ワンピース型のパジャマと間違えたらしい。
「朱里……それ、僕のワイシャツ」
「えっ!」
僕の指摘に驚いて自分が着ているものを見ると、だぶっとしたワイシャツが肩からずれている。さらに下着が透けて見え、やたら色っぽい。ステキなおみ足まで晒してくれているのだが、視線に気づいたのか、ワイシャツの裾を下に引っ張り始める。
「もう、裕のえっち!」
「いやぁ、不可抗力! 彼シャツと朝っていうのが、また……仕事、休みませんよね?」
「休みません!」
ぷりぷり怒って、朱里はボタンをとめつつリビングへ出ていく。その後ろ姿を追いかけて、僕もリビングへ向かい、朱里の前へ朝食を並べる。
「それ、汚さないでくださいね! 今から着るんで!」
「やだ、違うのにしてよ! 私、一晩これ着て寝てたんだよ?」
「だから、いい気がするんですけどねぇー」
「変態やだ!」
「その変態を好きなのは誰ですか?」
「んぐ……」
言葉に詰まる朱里は、僕を一睨みしてから、一言も話さずもくもくと用意された朝食を食べる。ちゃんと食べているのを確認してから、渋々、違うワイシャツを出して着替える。忍び足で近づいてきたのか、後ろから抱きつかれた。
「なんですか? もう、出ないと時間ないよ!」
「ちょっとだけ、充電……」
腕を回してきて甘えるので、胸の前に朱里の手がある。いつも思っていたが、聞けずにいた朱里の右手薬指の指輪。無意識に僕は、その指輪をそっと撫でた。
「……いつもしてるよね?」
「初任給叩いて買ったの。もうずいぶん長いことしているから、傷だらけなんだけど、とても大事なの!」
朱里の口調から、指環は誰かからもらったものでなく、僕はホッと胸を撫でおろす。朱里の手をギュっと握ると、「そろそろ本当に時間がないよ?」と急かしてやる。
「ホントだ! ごめん、洗い物!」
「はいはい、任せておいて!」
バタバタと寝室へと戻っていき、朱里は出社の準備をしている。僕たちは、同じ部屋から同じ職場へと出勤だが、会社では僕たちが付き合っていて同棲までしていることを秘密にしてあるので、別々に出社することになっている。
「先に出るよ!」
「うん、いってらっしゃい!」
化粧をいそいそとしているところだったが、今度は僕が後ろから抱きついた。「いってきます」と囁き、首筋にキスをする。朱里はくすぐったそうにしながらも、カチカチとアイライナーの先を出していた。
◆
「お先に失礼します!」
隣にいる朱里に声をかけて、僕は有休を使い帰ることにした。マンションを出た後に思いついたため、朱里には知らせておらず、急に帰る僕にかなり驚いていた。
「……お疲れ様、世羅くん。気を付けてね!」
「ありがとうございます、朱里さん」
僕たちは、1年もこんなふうに会社では過ごしているわけだが、職場の誰もが僕の片想いだと思って応援してくれる。今日も杏が僕の帰りに気が付いたようで、視線で誘導された。
「あれ? 世羅くん、もう帰り?」
「はい、杏さんはまだ、3時間ありますね?」
「そうね、今日はちゃんとお迎えに行かないと……」
「娘さん、へそ曲げちゃいます?」
「そうなのよ! 私だけお迎え来てくれない! って……。本当、育児と仕事って難しいわ」
「そうなんですか? 僕からみたら、杏さんってとても素敵なお母さんですよ?」
「それ、本当? 旦那に聞かせたい!」
クスクス笑いながら、同時にため息をしている。杏の旦那は同じ会社の別部屋にいるらしいのだが、多忙だそうだ。杏も通常の仕事に戻ったので、保育園のお迎えに行くのに、毎日帰りがけはバタバタしていた。それでも、娘との時間を大切にしたいと、今では、周りに事情を伝え、お互い気持ちよく仕事ができるようみなが歩み寄っている。
「今からちょっと出るけど、途中まで一緒に行く?」
「はい、じゃあ……」
実は、杏が朱里に叱られて以来、僕との関係はよくなった。杏の方から、日常の話をするようになったくらいだ。もっぱら、杏の子どもの話ではあるが、娘だということで可愛いだろうなと想像しながらいつも聞いている。もちろん、朱里と僕の子どもを想定しながら、話は聞いてしまっていた。
気は早いけど……いつかは、そうなれたらいいなと思っている。
「ねぇ、世羅くんはさ、朱里さんのこと、まだ好きなの?」
「何でです?」
「いや、朱里さんが、彼氏欲しいと言わなくなって久しいから、出来たのかと思って。そうすると……」
「僕、振られる前提ですか……?」
「そうね、朱里さんって、理想が高そうだし、でも、今仕事ばかりしてて、恋愛どころじゃないわよね?」
返事には苦笑いをしてやり過ごした。杏にも僕たちのことを言っていない朱里の徹底ぶりに感服する。それなのに、杏は僕の心配をしてくれて申し訳なく思うけど、朱里の相手は僕で一緒に住んでるんだから、夜遅くまで仕事してたとしても、殆どの時間を共有している。『わざわざ彼氏に会うための時間を確保する』が、朱里には必要ない。
「これから何処かに行くの?」
「うーん、今から本屋に向かおうと……」
「そうなんだ? 何買うの?」
「マンガですね! そうだ、杏さんって……」
「何?」
「いえ、何でもありません」
あることを聞こうと口を開きかけたが、辞めた。「気になるけど……」と言いながら、一緒に会社のロビーを横切り、そこで杏とは別れた。僕はそのまま駅に向かい、そこから4つ先の駅で電車から降りる。
普段使う駅にも本屋はあるが、今日、僕が求めるマンガではなく『分厚い本』は、近くの本屋でも売ってはいるが、買いに行くにはちょっと勇気のいるもので、誰にも見られたくなかった。
本屋に入り、いつもは買わない大き目の男性誌を手に取る。
ファッション雑誌なんて、何年振りに手に取るだろうか。
その後向かったのは、女性誌の真ん中あたりだ。右を見て左を見て誰もいないことを確認してサッと手に取る。その雑誌の重厚感ときたら、掴んだ瞬間、思ったより重くて手がもげるんじゃないかと思った程だ。ファッション誌を上に置き、分厚い雑誌を隠してレジに並ぶ。
レジが若いお姉さんであったため、僕と雑誌を見比べて訳あり顔でレジをしてくれた。
「紙袋にお入れしますね!」
気の利いたお姉さんで助かった。ビニール袋に入れられていたら、恥ずかしさで……。
そんなことを思いながら、重い雑誌を持ってマンションへと帰る。朱里がいない間に、この分厚い雑誌を一通り見ておきたかったのだ。
「いろんなドレスがあるんだな……? どれを着ても、朱里なら似合いそう。へぇーマーメード……Aライン……このお姫様みたいなのは、さすがに朱里の雰囲気とは違うかな? エンパイア……」
僕がひっそりと手に入れたのは、そう……『結婚情報誌』。1年半、一緒に仕事をして、1年近く同棲をして、朱里以外と生涯を共に過ごすことは、考えられない。朱里という女性に僕は惚れ込んでしまった。
満を持して買った分厚い本を丁寧に捲っていく。
プロポーズ特集とかある。何々? ちょっと高級なレストラン……、夜景の綺麗なところ……、あとは、観覧車……、プロポーズって家じゃダメなのかな……?
毎日が忙しい朱里をあちこちにで連れまわすのは、得策と思えない。もう少ししたら時間ができると言っていたので、待っていたらいいのだろうけど……悩み始めると結構グルグルと考えてしまう。朱里が喜ぶプロポーズをしたいけど、どれも柄じゃないなとため息をついた。
次のページを捲ると、『彼女が欲しい結婚指輪』と目に入ってくる。高級ブランドの指輪が多く並んでいて、そのどれもが結構なお値段である。エンゲージリングなのだから、当たり前だが、目が飛び出そうだ。朱里が一緒に住む提案をしてくれたおかげで、家賃は浮いている。ここに載っている中で、真ん中あたりのものであれば買えるのだが……それでも朱里が気に入ったものを贈りたい。
プロポーズするときにエンゲージリングが欲しいから、好みのリサーチが必要なことがわかった。
何度も何度も読み返していたせいか、気付いたら夜になっていた。ガチャっと玄関のドアが開く音がして、朱里が帰ってきたことを知らせてくれる。大慌てで、この分厚い雑誌を隠すところを探していたが、すぐには見つからず、昨日着ていたパーカーの下に隠すことにした。まるでエロ本を母親から隠す気分だ。
「ただいま!」
「……おかえり、今日は早かったんだね?」
「うん、裕が早く帰ったから、体調でも悪いのかと思って、早く切り上げてきたの!」
「そうだったんだ。ごめん、体調が悪いとかじゃないから、大丈夫だよ! ただの有休消化」
「そうだったんだ。まぁ、いいわ! たまには、早く帰ってきてゆっくりしたかったし」
そういって寝室に向かい着替えに行く朱里。僕も着替えていなかったことを思い出し、部屋へ向かって着替えてくる。夕飯の用意もしていなかったことを思い出し、その準備もすることにした。
「私も手伝う?」
「いいよ、そっちで座ってて」
朱里をリビングへと追いやると、夕飯の準備をする。ニコニコとしながら、こちらを見ている朱里の熱視線に、隠し事がある僕はドキドキとしてしまった。ソファに体を預け、伸びている朱里の前に準備が整った夕飯を並べていく。
「ねぇ、裕」
「何?」
「今度のお休み、外にデートに行こっか? 私、百貨店とか回りたいな!」
「百貨店?」
「そう、そろそろ化粧品のストックも欲しいし、新しい宝飾品とか出てくる時期だから見たいなって思って!」
「いいですよ! 行きましょう!」
久しぶりの外でのデートは楽しみだが、『百貨店へ行くこと』それと宝飾品を見ると朱里は言っているので、朱里の好みがわかると僕はほくそ笑む。
このとき、あの分厚い雑誌を見つけた朱里の優しさだと、僕は全く気づかずに喜んでいたのであった。
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