贈り物
「あなたに贈り物をします」
長髪でだぶだぶの服を着た男は、ドアを開けるなり言った。
「けっこうです。間に合っています」
ドアを閉めようとしたが、男は僕の腕の下をくぐって部屋にはいってきた。
この病院に、この手の患者がよくいる。
「お望みのものを差し上げますから」
「隣の部屋の人にでもあげてください」
「そういうわけにはいきません。
わたしは妖精です。
妖精を必要とする人間が光って見えるのです。
その人間に贈り物をするのが義務なので、あなたに贈り物をしなくてはならないのです」
言われてドアの横にある鏡をのぞきこんだが、散髪したてのこざっぱりした自分が映るだけで、光っているように見えない。
こうした場合、やはり誰かを呼ぶべきだろう。
数歩さがってベッドサイドから通話機をとった。
「疑っていらっしゃるのですね。でもわたしはこうした事態に慣れていますから。
さぁ、これでいかがですか?」
男がそう言うと、つかんでいた通話機が消えた。
「……通話機をどこにやった?」
「ものを隠すくらい簡単です」
男が軽く手を振ると、通話機の質感と量感が手の中に戻った。
「催眠術か?」
「妖精の力です」
そんなことより通話機が戻ったのだから、人を呼ぼう。
呼び出しのボタンに指を押し当てようとすると、
「まず試しませんか? 何か欲しいモノを言ってください。
それをここに出します。
人を呼ぶのはそれからでもいいでしょう?」
男が提案してきた。
確かに欲しいものを言うだけなら害にはならないだろう。
万が一ということもある。
本当に妖精なら、これはどうだ?
「では、記憶が欲しい。
僕は記憶喪失でこの病院にいるのだ。
記憶がないから自分が何を好んで、何をしたかったかわからない。
だから記憶以外、欲しいものはない」
ほら、無理だろう、じゃあ部屋から出て行ってもらおうか。
僕はドアを指し示す。
「……やはりそうなりますか。
記憶がない方なら記憶が一番欲しいですよね。
でも、記憶は実体がないですからねぇ。
実体のないものは本来対象外なのです。
それを無理にしてしまうから世界のバランスが崩れて……」
無限反復でループがどうの、と聞こえたが最後の方はつぶやきになって聞こえなかった。
「ではこの話は終わりだ。
君もここの入院患者なのだろう? もういいかげん自分の部屋に帰ってくれ」
ドアの方に男を押しやる。
「ちょっと待ってください。
わたしは本当に妖精なのです。
贈り物ができないとなると、存在理由がなくなって消滅してしまいます。
……わかりました。
記憶がなければあなたという存在が完成しないということで、形而上的に記憶があなたの実体であるとします。
少々弊害がありますが、しょうがありません。
あなたに『記憶』を贈りましょう」
「言っていることはわからないが、記憶ならぜひとも欲しいものだ」
では、と男は目を閉じて集中するそぶりを見せた。
一瞬のことだった。
爆発するかのように、頭の中に、次々と『記憶』が展開する。
何千年も前、時と空間の境界から生まれたこと。
この世界と、それとはまったく違う次元とを行き来する妖精としての途方もない記憶だった。
はっとして見ると、長髪の男は、何かを忘れてしまったような戸惑った顔をしていた。
何が起こったのだ?
わたしの混乱する頭の中に、ついさっきの出来事が思い出された。
――妖精は記憶を「戻す」ことはできない。できるのは贈ることだけ。
だから『わたし』の記憶をこの人間に贈ろう。
『わたし』は記憶を失うことになるが消滅するよりはマシだ――
思い出したのはそれだけじゃない。
「妖精から記憶喪失の男に記憶を贈る」という記憶が、状況を変えて次から次へと浮かんできた。
もしかして無限反復、ループというのは……?
ともあれ、楽な服に着替えたい。
それに髪が短すぎておちつかない。
力を使ったばかりだし、次に贈り物をするべき人間が現れるまで間がある筈だ。
何をするにもしばらく休んでからにするとしよう。
その病院の病棟には奇妙な二人の患者がいる。
記憶を失った男と、ルーズな服装を好む自分を妖精だと思いこんだ長髪の男だ。
奇妙なのは、二人の症状と好みが、時々入れ替わることなのだ。
<了>
妖精というワードで可愛らしい小さな女の子しかもミニスカをイメージして、いつかは変身するんなじゃないか、と思いながらこれを読まれた方、ごめんなさい。
あらすじでそんな気の毒なことを回避できるように配慮したつもりです。妖精といえばティンカーベル、さもなくば戦闘妖精雪風、という方も多いのはよく存じておりますとも。わたしは本来後者です。
そんなどうでもいいことはさておいて。
明日もこのおじさん妖精のお話です。連作というわけではないのですが、一応同じ妖精?か、同じ種族と思われます。




