あだ名呼び
翌日、部室の扉を開けると今日もSM女王になった朝凪がいた。
「なんだ白夜か」
朝凪は残念そうに呟く。
教室ではまったく絡みがないのに僕たちはここでは普通に喋るし、普通に名前で呼ばれるし、普通に同じ空間にいる。この部室の中だけはリア充とオタ充の境界は存在しない。
「ん~ん~」
朝凪は不機嫌そうに唸る。なにかを思い悩んでいるようだ。
「どうしたの?」
「だって誰も来ないじゃない、あんなに頑張ったのに!」
「まだ昨日の今日だし、放課後始まったばかりだし、気長に待ってみようよ」
来るとは思えないけどとりあえず彼女をなだめた。
「なんか生意気ね! 白夜のくせに!」
「そんなつもりで言ったんじゃ……」
「まあーいいわ。あんたみたいな奴があたしみたいな超絶美人イケてる女の子と二人っきりでいれることを光栄に思いなさいよ」
自分が僕を引き込んだくせに。君も君が崇拝するクラマ先生と話せて光栄に思ってよ。
「あんたカメショー以外のラノベも読むの?」
唐突に朝凪が訊いてきた。
「読むけど……」
「そりゃそうよねオタ充だもんね。こんな質問したあたしの配慮が足りなかったわ……で、何読んだことあるの?」
なんか遠まわしにバカにされている気がするな……しかしながら僕はラノベを読破した数なら誰にも負けないと自負している。
作家になってからもいろんな作品を読み漁っているんだけど、デビューしてからはちょっと忙しくてペースは落ちているのが現状だ。
「う~ん、いろいろかな」
朝凪がギロリと睨む。なんか怒りスイッチを押してしまったようだ。でも、いけないこと言ったっけ??
「あ~、もうそんな答えいらないのよ! なんで質問の答えがいろいろなのよ! だから現代っ子はコミュ障が多いだの、草食系が多いとか言われんのよ。また、おんなじ質問繰り返さないといけないじゃない。話がそこから拡がらないじゃない。もっと、はっきりと読んでるラノベのタイトル言いなさいよ!」
「ご、ごめん」
「あたしの友達でもいるのよね。『なんでも』とか『いろいろ』とか『どっちでもいい』とか言って、他人にすぐ委ねる奴。ちゃんと答えが出るように質問してるんだからこっちの意図読み取れっつーの!」
自分のリア充友達を指して思い出し怒りをしている。さらにとばっちりが来る前に答えとこう。
「パ……パラサイトメモリーとか……かな」
朝凪は阿修羅のような怒顔から一転、菩薩のような笑みを浮かべた。
「パラメモね!」
このラノベは若干サイコ系ではあるのだが、独特の世界観で人気を博したラノベだ。簡単なあらすじは主人公で高校生の上代かみしろ棗なつめが人の脳に寄生して記憶を塗りかえる脳魔という敵と戦って塗りかえられた人の記憶を元に戻していくってのが流れのバトルものだ。
脳魔っていっても見ため人間と変わらなくて、かわいかったり、萌えてたりするので二次元好きにはたまらない。敵なのに脳魔のほうが人気があったりする。話も警察とか政府とか絡んできて壮大になり、リアリティもある。そりゃ、国のトップレベルの人が記憶を操作されるっていうのは大変な事態になるからね。数年前のハロウィンなんかその脳魔のコスプレが大ブレイクした。もう、完結してるけど、いまだに根強い人気があるラノベだ。
「なかなかいい線いくわね。あたしも『プリル』好きだったなあ。ストーリーも秀逸だったわよね。まあーカメショーには及ばないけど」
そりゃどうも。プリルっていうのは人気があった妖艶な脳魔のことだ。
「じゃあ……」
そう言って朝凪は重そうなダンボール箱を机に置いた。部室に入ったときから気にはなっていたけど、何が入っているんだろう。
「この辺りは読んだことある?」
ダンボールから取り出したのは様々なラノベだった。
「これとかこれとかこれとか」……すべて読んだことあります。
「あるよ……全部」
「やるわね、さすがオタ充様ね」
あんまり嬉しくないけど、褒め言葉のつもりなんだろうか。朝凪は明るい笑みを浮かべたが僕は苦笑いで取り繕った。
「これラノベを書く資料にしようと思って持ってきたのよ」
そういうことか……いやそうだった。毎回、仮面に捉われて忘れていたが、この部は彼女が作家になるための部だったな。
朝凪が資料にしようとしているものは学園系ラブコメで一世風靡したものばかりだ。だけど、カメショーみたいなもの書きたいって言ってたからもっとバトルファンタジーもののラノベを参考にしたほうがいいと思うけど。
確かにカメショーも学園が舞台ではあるけれど。
「これラブコメだよね。カメショーとはジャンルが違うような……」
「当たり前よ。あたしが一番書きやすいジャンルを選んでるんだから。いきなりカメショーみたいなのを書くなんてハードル高すぎだし、畏れ多いわよ。まずは身近な感じのここからよ」
なるほどリア充にとっては恋愛もののほうが始めやすいわけか。僕にとってはラブコメのほうが遥かに難易度高いけどね。
「ところであんた小説とか書いたことある?」
やばい! どうしよう!? いきなりこんなこと訊かれるなんて考えてなかった。
どう答えるべきか…………。
「なによその顔」
僕は顔をひきつらせていた。
「えっ、いや、ちょっとだけ書いたことある……かな」
「ほんとに!?」
朝凪は目を輝かせる。
「今度見せてよ! ちなみに新人賞とか投稿したことあったりする?」
「し、したことないよ」
朝凪はがっかりした様子で、
「そうなんだ……まあいいわ。また持ってきて」
僕は頷いた。
「朝凪さんは書いたことあるの?」
頭に浮かんだことをぶつけてみる。
今度は朝凪が顔をひきつらせた。
「な、ないわよ」
あれ!? なんか戸惑ってるぞ。
「これから書くのよ」
なんかうそっぽいな。これは書いたことあるな、でもこれ以上追求すると罵声で返される畏れがあるからやめておこう。
「あっ、もうこんな時間。あたし今日バイトあるから帰るわね」
朝凪はそそくさと帰り支度をして部屋の扉に手をかけた。おいおい、そのまま出ていくのか。
「あの朝凪さん」
朝凪は振り返って、
「こないだも言ったけど、部活動中はミトって呼んでくれてかまわないから。そのほうがやりやすいし。で、なによ?」
「仮面……」
僕は彼女の仮面を指差した。
「あっ! わ、忘れてたわけじゃないんだからね」
そう言いながらSM仮面を外した顔は赤面していた。
「じゃあね、白夜」
「バイバイ…………ミ、ミ、ミト」
ミトは僕の最後の言葉を聞く前に逃げるように出ていった。
僕は顔が熱くなっていた。
この学校で初めて同級生をあだ名で呼んだ……部活動限定だけど……。
さあ、帰るか、帰ってミトに見せる原稿を探さないと。
昔、新人賞でボツになったものがいくつかあるし、それでいいだろう。
席を立つとコンコンと扉のほうから音が聞こえた。