わるい友人
最近いい人が多くなってきたので、わるい人のことを書きました。
いい人なんじゃないかとも思いますけど。
そうか、やっと分かった、やっと、分かったぞ!あいつがなんで最期にあんなことを言ったのか。なぜあんな風に非難されなければならなかったのか。裏切ったのはあいつではなく私であったということなのか。だが私の何が悪いというのか。どこも悪くはない、そうだ、どこも悪くはない。だが今なら分かる。分かるぞ。こうやって、何を話しても聞き流され本気にはされず、甲高い声で紋きりな誉め言葉ばかりがかえってくるような、この状況になってみれば!あいつはまったく予言者だった。これが生きてきた結末というものか。毎日猿芝居を見せられるために生きてきたとは、あの苦労は、あの努力は、一体何だったというのだ。
老人は古びたノートの断片を手にとり、嘆くだけ嘆いた。己の罪と生命を生み出した全てを呪う言葉を、何度も何度も叫び続けた。施設の関係者はついに痴呆がきたのだとマニュアル通りに対処していく。だが老人はぼけたわけではない。人間にとって、最も重要で、最も深淵な問題と思想を述べているのだ。だがそれを聞く耳は未熟すぎて雑音にしか聞こえず、頭に音が入る前に遮断されてしまう。こうしてまた、人類は自らの課題を解決する糸口を、永遠に失ったのであった。
ノートの断片
おい、これ読んでるそこのお前、ふざけんじゃねえぞ、なんでこんなもん手に取って読んでんだよ。いいかげんにしろやまじこのくそぼけが。なんで今さら、こんなことになってからじゃねえと読まねんだよ、ふざけんなまじこのくそめ。これまでにも何回も何回も書いてきただろうがよ、おい、こら、まじなんなの、ばかにすんのもいい加減にしろやお前。今の今までさんざん無視してきて、なに、こうなったら読むわけ?なんなの、それ、ほんとまじ、なんなの?で、なに、かわいそうだった、とか言うわけ?わたし、なにもしてあげられなかった、とか、ほざきだすわけ。お前のポエムの題材にされるとか、まじ勘弁してくれよな。そもそも何、友人のふりするわけ、今さら。さんざんほったらかしといて、しんどいときも、苦しい時も、お前、何にもしなかったよね。なんだっけ、いい友人を持て、みたいなやつ?ビジネス成功したやつがネットでイキって書いてること頭ん中にコピペしてたの。で、お前の中でそっちじゃないって判定されてるわけでしょ、なのに何、なんで今こんなもん読んでんの、このくそが。おもしろいやつとだけつるんでりゃいいんだろ、クリエイティブな人間とだけ集まってりゃいいんだろ。ほんと、くそだよな。いいか、お前にこっちのこと語る権利なんてないからな。久しぶりに集まったとかって、酒飲んで、あいつがこんなことにとか、口走ってみろ、まじで祟るぞ。二度と口にすんな、こっちのこと。散々、相手にもしてなかったくせに、そうやって、自分いいやつ、みたいに自惚れて酔いしれるとか、反吐が出るわ。もう一回言うけど、お前のポエムに人の不幸を使うんじゃねえよくそが。何がクリエイティブだよ笑わせんな、二度と口に出すな、二度と考えるな、言葉ごと全て忘れ去れ。どうせ今のお前には分かるまい。あんなによくしてやったのに、としか思えないんだろ、どうせ。かっこつけて、そんなもん分かりたくもねえな・・みたいにドラマの主人公気取ってりゃいいよ。ほんと、うんざりだ。でも言っとくがな、お前もいつか気付くことになるぜ、きっとな。年取って、醜くなって、感性は枯れて、理性は錆びついて、生活もままならず、ただうんこ作るだけになった時にな。人間はうんこ食えねえんだよ、なのに食いたいふりなんかしてんじゃねえよ、くそが。ふざけんな、まじで。
老人の最期、体調が悪化して病院へ転送されるとき、処置の邪魔になるからと、肌身離さず持っていたノートの断片は、職員によりその手から離された。せめてもの贖罪と自らの慰めのために、最期の時をともに過ごすという意志は、こうしてその機会を与えられることもなく奪われ、棺に入れられることもなく、ただの廃棄物として処理されたのであった。