買い物に行きます。
春の心地よい日差しが注ぐ温かい日、晴れ晴れしく進級した生徒たちへの新学期開始の式典が終わり、生徒たちは各自の教室へと移動した、らしい。
らしいというのは、私は年齢的に2年生からの編入ということで、生徒たちが各クラスに戻ってからそこで紹介するので、式典には参加しなかったからである。
そして今、レベッカの後ろについて、自分のクラスに向かうべく廊下を歩いている。
窓からは桜が咲き誇っているのが見えた。異世界とはいえ人が書いた物語の世界だからか、春の景色に違いはないようだ。
そんな春のうららかな情景は、物語の外(現実)と同様に私の気分を弾ませた。
「メリット、ここの生徒は1年生の時からクラス替えをしません。だから、初めは疎外感もあるかもしれませんが、あなたなら上手く馴染んでいけると思います。あと、あなたが500年前の剣士メリット本人なのは秘密にしてください。誰も本人だとは思わないでしょうが、混乱を招くだけですので」
「分かってるさ。ありがとう、レベッカ」
「ごほん、学園ではシュミット先生と呼んでください」
「え? ああ、すみません」
「気を付けてください。それと――」
レベッカはもじもじとして、何か言いづらそうに口ごもる。
「ああ……先日のあなたの部屋でのことですが……その、ちょっと酔っていまして、お見苦しい姿を見せました。ごめんなさい」
「あはは、いえ、色々とためになる話を聞けて有意義でした。それに」
「それに?」
「猫耳が可愛かったです。個人的にはしまわない方がいいと思いますよ。可愛いですから、あれ」
――ピョコ
レベッカの頭頂部に耳が立ち上がった。
「わ、わわわ、わたしは先に、きき、教室に入りますので、こ、こえを声をかけたら、はいってててきてくだにゃい」
速足で教室に入ってしまった。
この世界のことは良くわからないが、猫耳のことは話にするのは失礼だったのかな。
そう考えていると、教室の中から声が聞こえた。
『おはよう、ベッキーちゃん、あれ? 猫耳たちっぱだよ? 寝ぐせ?』
『イメチェンです!』
『でも、そこ弱点なんでしょ?』
『いいの! 猫耳の時代が来てるの!』
――どうやら失礼ではなかったらしいな。このじごろめ。
『うるさいぞ』
唐突なジンからの野次を受け流していると、「入ってください」とレベッカの声がした。
教室の中に脚を踏み入れると、皆の視線が一斉に私に向く。
こちらからも教室をちらりと見回すと、角や羽、複眼、尻尾、触角と“魔人らしい”様々な特徴が視界に入る。
これだけいると圧巻というか、ぎょっとするな……でも、顔に出さないようにしないと。
「はい、皆さん、静かに。2年生から編入することになりました。メリット・ソル・グレンザール君です。皆さん、同じクラスの仲間として、仲良くしてください」
いったん静かになった教室が再びガヤガヤと騒がしくなる。
「あ~静かに、今は質問は受け付けません。では、グレンザール君は、一番後ろの空いている席、あの席に座ってください」
「はい」
言われた席に座っても皆がチラチラとこちらを見てくる。編入性というのも珍しいだろうが、何よりこの名前だろう。
あちらこちらで、「メリット・ソル・グレンザールって、本名かな……」とかひそひそ聞こえる。しかし、それ以外にも「特別推薦だって」とか「あの灼熱姫を?」とかも聞こえた。
「あ、フレイヤ……」
少し離れている斜め前の席に、昨日決闘したフレイヤが座っていた。こちらに微笑んで、軽く手を振ってくれた。知り合って間もないが、知り合いがいるのは心強い。私も小さく手を振り返した。
「本日は、このホームルームだけで終了いたしますが、まだ揃えていない教科書等は、午後の時間を使ってちゃんと用意しておいてください。授業は明日から始まりますからね。それと、グレンザール君はあとで職員室まできてください。では、ホームルームを終わります」
ガヤガヤと多少雑然しながらもホームルームは終わりを向かえた。しかし、ホームルームは終わりでも、騒がしいのはここからが始まり。レベッカが教室を出ていった途端、待っていましたとばかりに、生徒たちが私の席を取り囲んだ。
「ねえねえ、グレンザール君って、伝説の剣士と同姓同名だけど、本名なの?」
「剣士メリットの子孫とか?」
「特別推薦を1科目で合格したって本当?」
「決闘のことを教えてくれよ」
息をつかせぬほどの質問攻めだ。皆、好奇心に目がギラギラしている。
「えっと……」
「これ、あなた達、そんないっぺんに質問してメリットが困ってますわよ」
「あ、ありがとうフレイヤ」
「い、いえ、あなたのためでしたら、これぐらい」
私が返答に窮していると、フレイヤが助けてくれた。何とも心強い。
「あれ? ラグーンさんって、グレンザール君とはもう名前で呼び合う仲なの?」
「え、ちょ、そそそ、そんな仲がいいなんて、ウフフ、もう何言ってますの? まぁ、確かに、決闘を通して、その絆は深まりましたけど」
「いや、別にそこまでは……ってラグーンさん、床、床がひび割れてるから」
独り言をぶつぶつと呟くフレイヤの尻尾がバシバシと床を叩く。
完全に自分の世界に浸ってる。帰ってきてフレイヤ。
止めるものがいなくなり、また、クラスメイトたちからの質問地獄が始まりかけたところで別の助け舟が。
「メリット、職員室行かなきゃ行けないじゃないかブヒ?」
「あ、ああ、そうだった。みんな、すまない。話はまた後日」
人がいっぱいで誰が言ったか分からなかったが、私はこれ幸いとクラスメイトたちの囲いを抜け出し、教室を後にした。
「はて、職員室はどこだ」
教室を出てきたのはいいが、まだ学校のことは良く分かっていない私は、階段付近まで来てフロアマップと睨めっこする羽目になった。
すると後ろから声がした。
「案内してあげるブヒよ」
振り返ってみると立っていたのは――豚だった。
いや、豚のような顔をした男子学生だ。
「君は……」
「僕は、ランディール・チャールストン。みんなは親しみを込めて、ラードと呼ぶブヒよ」
それは親しみを込めているのか? 普通、ランディとかだろ。
どうやらさっきの助け船は彼が出してくれたようだ。特徴的な語尾ですぐ分かった。
「よろしくラード。私もメリットでいいよ。さっき助けてくれてありがとう。君だろ?」
「ああ、いいってことブヒ。しかし、君は編入3日で、えらく有名人になっているブヒね」
「昨日の決闘のことか?」
「それもそうだけど。編入決定からドラマチックすぎるブヒ。特別推薦を決めて、その数時間後に灼熱姫の着替えを見て、決闘。そして勝っちゃったんだから」
「もうそんなに伝わっているのか!? 一応言っておくが、着替えを見たのは事故だったんだ」
「ブヒヒ、分かってるって……メリットも好きブヒね」
「わかってない」
「はいはい、それはそうと職員室は2階ブヒ、行こう」
階段を下って2階に行き、長い廊下を歩いてゆく。
「教室では囲まれて困っていたけど、みんな昨年から同じ顔触れで、新しく入ったメリットが珍しいんだブヒ。悪く思わないでほしいブヒ」
「ああ、分かっているさ」
「かく言う僕も、君には好奇心が尽きないんだけどね、ブヒヒ。君がどんな人物かってのもそうだけど、それ以上に、何をしてくれるのかがね。なんか君からは、面白いことが起こりそうな匂いがするブヒ」
「そんな匂いするかな」
「ブヒヒ、勘ってやつブヒ。あ、職員室はここだよ」
「助かったよ。ラード」
「あ、そう言えば、メリットはまだ教科書とか授業に必要な道具とか買ってないんじゃないかブヒ? 僕も買いたいものもあるし、良かったらこの後一緒に買いに行かないブヒか?」
「いいのか? それはとても助かる」
「じゃ、決まりブヒね。1階のラウンジで待ってるから、職員室の用事が終わったら来てブヒ」
扉の前でラードと別れて中に入ると、デスクとそこに座る教職員がずらりと並んでいるのが目に飛び込んできた。大きな学園だけあって教師の数も多い。
レベッカはどこだろうかと、見回していると彼女の方から声が掛かった。
「メリッ、グレンザール君! こっちです!」
小さい背丈をめいっぱい伸ばして、手をぶんぶんと振っている。私は、それに気づいて彼女のもとまで歩いて行った。
「それで先生、何か御用ですか?」
「グレンザール君は、教科書をまだ揃えてないですよね? それでなんですけど――」
そう言って、レベッカは机の引き出しから封筒と書類を取り出した。
「必要な教科書はこのリストに書いてますから、今日、揃えてきてください。お金はそちらの封筒に入ってます。あ、あと書店までの地図はこちらです」
「あの、教科書を買ってくるのはいいんですが、このお金って」
「え? あ、ああ……あなたは推薦合格者なので、奨学金みたいなものです」
「はぁ」
何かレベッカが動揺しているように見えたが、今は彼女の言うことになんとなく納得しておいた。
「本当は、私が案内してあげたかったんですが、仕事がありまして……いや、待てよ、買い物を済ませてから仕事を片付けるという手も……」
「あ、買い物でしたらラード、じゃなくて、チャールストン君が案内してくれるというので、大丈夫です」
「え……あ、そうですか。ま、まぁそれなら、大丈夫ですね……くっ、買い物デートが」
レベッカの、父親譲りの良く聞こえる独り言は聞こえなかったことにして、とても残念そうな彼女に若干心苦しさを感じつつも職員室を後にした。
その後、1階の出入り口まえのラウンジに行くと、約束どおり待ってくれていたラードと合流する。
「お待たせ。ラード」
「うん。では行こうブヒ」
校門を出て坂道を下るとすぐに街に出た。
様々な商店が並び、賑わいを見せている。通行人のだいたいが学生のようだ。
道すがら街について説明してくれたラードによると、ここはエルズガル学園を中心とした学園都市ということらしい。
私のいた世界と違い、ビルのような大型建造物はなく、大体が2階建てぐらいまでの個人商店ばっかりである。しかも、店の外観がレンガや漆喰など古風な感じだ。
『学園は現代的な作りだったが、街は中世のようだな。でも下水とか水道とか、設備は近代かそれ以上とは……この街の人は古い街並み、外観を大切にしているんだな』
――お前さん……お人よしって言われない? ただ、作者の整合性を取る力が……いや、なんでもない。
「そういえば職員室に入ってから、早かったブヒね。何だったブヒ?」
「シュミット先生が、買うべき教科書のリストとお金をくれたんだ」
「ん? リストはともかく、お金って」
「なんでも私が推薦合格者だから、奨学金のようなものだと」
「う~ん、妙ブヒね。普通、奨学金は授業料とかの免除で、教科書は自分で買うものブヒ」
言われてみれば確かにそうだ。
この金を渡した時のレベッカの言動もちょっと引っかかっていた。
私はとりあえず、金が入っている封筒を開けてみる。
「お札が、7枚」
「7万セクト、教科書全部買っても随分余るブヒね」
「あ、なんか紙がメモが入ってる」
「なんて書いてあるブヒ?」
「えっと、『教科書と生活に必要なものも買ってください。あと、お釣りは今日の昼ごはんに使ってください』……」
「思ったんだけど、これって、ベッキーちゃんのポケットマネーじゃないブヒか?」
やはりそうか。
生徒に私財を渡すなど出来ないから、妙に動揺していたのか。私はあの時のレベッカの態度に納得した。
「メリットって貧乏なんだブヒか?」
「ああ、まぁ、そうだな。体の調子が悪くて、ずっと昏睡状態だったからな。財産と呼べるものはないんだ。両親や親類もいないし」
嘘は言っていない……よな。
「そうだったブヒか……」
急にラードが神妙な面持ちになると、同情が籠った目を私に向けた。
そこから彼は少し黙ってしまった。感慨に浸っているようにも見える。
どうしたのかと思い「ラード?」と声を掛けると、彼は「あ、ごめん」と照れ笑いを浮かべて話を続けた。
「そ、そんな悲痛な過去が……随分過酷な人生だったブヒね。それで、最近目を覚まして、類まれな才能をベッキーちゃんに見いだされ、推薦されたってわけブヒね」
ラードは上手く納得してくれたみたいだ。ちょっと良心が痛むが、私が伝説の剣士というのは秘密だからな。今はしょうがない。
「でも、お金返してこないと……」
「何言ってるブヒ。女性に恥をかかせるもんじゃないブヒ。ベッキーちゃんは、自分が推薦して入学させたことで君に負担がかかることがないようにと思って身銭をきったブヒ。思いやりブヒ」
「そうか……」
「まぁ、ぶっちゃけヒモ野郎であるのは確かブヒが」
「おい」
実際、教科書は必須であるがない袖は振れない。私はいつか返済することを心に決めて書店に向かうことにした。
街の外観は中世西洋風だけどインフラは現代風って、最近ではちゃんとどうしてそうなのか説明があるようになりましたね。
みなさん中世ヨーロッパ風の街ってだけの説明あまり好きではなかったのでしょう。
個人的にはインフラに触れるなら「魔法の技術で」ってさらっとしたのでもいいんで、説明が欲しいです。
まぁ、はじめからトイレとか照明とかインフラ関係には一切触れないってのも手ですがね。