覚醒します。
私は、目を覚ます時と同じように、瞼をゆっくりと開けた。
はじめはぼんやりと焦点が定まらなかったが、徐々に視界がはっきりしてゆく。
ここはどこだ……どこかの……森?
私は森の真ん中で突っ立っていた。
木がそこら中に生えていて、茂った枝や葉の隙間から木漏れ日が降り注いでいる。
のどかだなぁ……いやいや、どこなんだって。というか、私は立ったまま寝ていたのか?
まったく状況が掴めない。
ちょっと歩いて辺りを調べてみよう。そう思い、体を動かそうそうとしたところで、悲鳴が聞こえた
「ぎゃあああ!!」
声の方に振り向く暇なく、走ってきた女の子が転がるようにして私の脚にしがみついた。
「た、食べないでぇ!! わたし、美味しくないですから!! 最近、不摂生でコレステロール値とかやばいからっ! 血とかギトギトで、むしろ食べたら毒ですからぁっ!」
この人は何を言っているのだろう……
しかしこの女の子はどうやら、私に対してではなく、私の後ろに隠れながら、何かに命乞いをしているようだ。
まったく、人を盾にするとはけしからん。いったい何がいるというのだろう。
私は今度こそ体を動かして、振り向いてみた。
「グワァァァ!!」
「ぴぎゃぁぁ!!」
振り向いた先で巨大なクマが咆哮し、私の足元で女の子が絶叫した。
やかましい!!
「あ、あ、う、動いた!?」
女の子は尻もちをつき、口をパクパクさせて何か言っている。
そりゃ動きますよ。人間だもの。
でも、なんだか、体が硬いし、重いな。立ったままなんていう無茶な体勢で寝ていたからかな。
私は、固まった体をほぐそうと軽く屈伸をしたり、腕を回したりと、いろいろ動かしてみた。すると、体のいたるところから、薄い石が殻でも破ったかのようにバラバラと剥がれ落ちた。
何だこれ?
よく見ると、私の体のいたるところに、殻のように薄い石がまだ付着している。今まで体全体を石が覆っていたというのだろうか。
訳が分からん。
「グオォォォ!」
そんな石パックをした妙な人間が動き出したので、警戒をしていたクマだったが、脅威ではないと判断したのだろう、唸りをあげて突進してきた。
私は、足元に転がったままの女の子の首根っこを掴むと、すっと横に軽く飛のく。すると突然目標を見失って、クマが後ろにあった大木にぶつかった。
「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!」
飛びのいた先からさらに距離をとって、木の後ろ隠れていったん落ち着く。掴んでいた女性を立たせてやると、頭をペコペコと下げはじめた。
「あ、いえ。それよりも逃げられますかね? あれから」
「しゃ、喋った!?」
そら喋るよ、人間だもの!
「驚いている場合じゃないですよ。それよりも、あのクマです」
木の陰から覗くと、クマは強く頭をぶつけたのか、頭をぶんぶんと振ってもがいている。まだ、こちらを見失ったままのようだ。
「あ、えっと、逃げるのは難しいかもしれません。あのブラックベアは、自分の獲物を取った相手は執念深く追い回すので有名ですから」
「獲物って」
「わたし、あいつに一度リュックを取られちゃって、大事なものが入っていたので、巣穴から取り返したんですよ……あはは」
はい、元凶ですね。何してるんですか、まったく。
内心そう思いつつも、今は彼女を責めてもしょうがない。
「そうですか……どうやら戦うしかないみたいですね。しかし、素手ではクマ相手では厳しいな、剣の一本、いや、硬い木の棒でもあれば――」
そう言ったところで私の目があるものを捉えた。水平よりやや上の方、先ほどクマがぶつかった大木の幹に半ば埋もれるようにして“剣の柄”が見えたのである。
刃の部分は幹の中に殆ど埋もれてしまっている。柄だけが、枝のように真横に生えていた。
なぜあんな場所に剣が……とは思ったが、今はあれしかない。
クマの頭上あたりと少々高い位置にある。しかし、取れないことはないし、何より幹に埋もれた剣をどういうわけだが、私は“抜ける”と確信が持てた。
「ここに隠れていてください」
「え!? あ、ちょっと!」
私はその場に彼女を残して、クマに向かって走り出した。
ぶつかったダメージから回復し、私を捕捉したクマが吠えながら立ち上がる。私を迎え撃つつもりらしい。
間合いに入った途端、丸太のような腕が凄まじいスピードで振り下ろされた。
――ブンッ
軽く横によける。 耳を突き抜ける空気を裂く音。
それを聞きながら地面を蹴って跳躍し、クマの肩に着地すると、さらにそこを蹴って木の幹へと跳んだ。
「よしっ!」
剣の柄に手が届いた。
幹に足をかけ、剣を引き抜こうと全身に力を籠める。
「はああぁぁぁっ!!」
ゆっくり剣が動きだした。
幹に埋もれていた刃が、ズズ、ズズとその姿を徐々に現す。
そして、ついに剣が抜けた。
「グガアァァァっ」
剣が抜けて落下する私の真下には、待ち構えているクマが。しかし、クマは頭上に腕を上手く振れない。私は、落下のままクマの眉間に向かって剣を振りぬいた。
直後、血が吹き上がり、クマが雄たけびをあげてもがく。急所を切られたことで、半狂乱になったクマが四つん這いに戻った。
私は着地と同時に、剣の柄でもって下がったクマの側頭部に一撃を叩き込んだ。
「終わりだ」
クマは脳震盪を起こして、その場に崩れ落ちる。
これで当分は起きないだろう。
何気なく剣を鞘に納める。何故だか下げていた鞘に、剣がぴったりだったのは気になるが、今は木の裏に置いてきた彼女だ。さっきからちらちらと木の陰から半分顔を出して、心配そうにこちらを伺っている。
「もう、出てきて大丈夫ですよ」
「……す、凄い、ブラックベアを剣だけで倒しちゃった」
木の陰から、さっきの女の子がおずおずと出てきた。
おっかなびっくり私の傍まで来ると、動かないクマを見る。
「死んじゃったんですか?」
「いえ、額の傷は派手に血が出てますが浅いですし、気絶しているだけです。」
「ひっ!」
「大丈夫ですよ。半日は起きません。むやみに殺すのは可哀そうですからね」
後ずさりをした彼女だったが、半日は起きないと聞いて胸を撫でおろす。その後、わたしに向かって改めて頭を下げた。
「助けていただいて、ありがとうございます。私は、レベッカ・シュミットと申します。あなた様は、その、もしや……」
レベッカは、こちらを伺うように言葉を選んでいるようだった。
どうしたのかと、彼女の言葉の続きを待っていると思いもよらない言葉が飛び出た。
「あの、伝説の剣士様ではありませんか?」
誰のことだ。伝説の剣士ってなんだ? でも、その響き…………嫌いじゃない。
すると、どこからともなく声が聞こえた
――長き眠りから目覚めし伝説の剣士よ。汝の名を答えよ。
声だけど音じゃない。直接頭の中に響いている感じだ。
まさか、これって!
――汝の名をもって新たな契約を結ばん。汝の名は?
これって、いわゆる意思をもった聖剣ってやつか!? それが私に語り掛けてきているのか!?
昔、本で沢山読んだ展開じゃないか!
――汝の名は?
私も剣士の端くれ、この展開は滾る! なんか、すっごい滾る!!
――おい! 名前はなんだって聞いてるんだよ!
え?
――え? じゃねえよ。浸りすぎだ、バカ。喋ってるの剣じゃねえからな。指輪の方だよ!
言われて右手の人差し指を見ると、金色の指輪がしてあるのに気が付いた。
――思い出したかよ。その指輪つけて、本の世界に入ってきたんだろ? ……おいおい、それすら分かってないわけ?
この指輪は『虚構の指輪』っていってソロモン王様が作られた書物の世界に入り込めるマジックアイテムだ。そんで、あんたはそれを嵌めて、本の中に入ってきたの。
で、あんたの名前は? 主人公の名前が決まらないと話が進まないぜ。
『えっと、メリッサです。メリッサ・ソル・グレンザール』
――なんだよ、女か。この話、男が主人公だからなぁ……うん、よし! あんたの名前は今日から“メリット”だ。
『え!? なんでそうなる!?』
――メリッサなんて女の名前、男の主人公の話なのにしまらねえだろ。
『でも、メリットって……なんか、シャンプーみたいな名前だし……地肌にやさしいだろうけど……』
――いいんんだよ! この手の話の主人公は、名前の後ろに“ト”つけとけば。
キリト、アルト、ハルト、アヤトとまあ、みんなそんな感じだ。
『そんな、指輪殿! もう少しかっこいい名前を』
――指輪殿じゃなくて、俺っちは指輪に宿る精霊、ジンだ。一応、本の中の案内役だ。
さて、メリット。この指輪は、現実世界では経験できないことを物語の中で経験させることで、装着者を早く成長させたり、強くさせたりするためのアイテムだ。
『あ、無視した……』
――つまり学習装置だ。指輪は、物語の内容を読み込んで世界を構築し、そこに装着者が入るんだが、いいか、これが大事だ。本から出るには、本の終わりまで話を進めなければいけない。
進行の都合上、行動を強制させることもあるが、基本的には自分で考えて行動してもらう。だから、実際の物語の結末とは異なることにもなる。しかし、その結末によっては、初めからやり直しになるから、気を付けて行動しろよ。
『やり直し? 合格や不合格があるということか』
――そういうこと。まあ、細かいことはおいおい教えていくから、じゃあ、お話を再開させるぞ!
「伝説の剣士様――メリット・ソル・グレンザール様ですよね?」
我に返ると、止まっていた時間が動き出したかのように、レベッカが私の顔を覗き込んで語り掛けてきた。
メガネの奥の瞳が、心なしかキラキラと期待をもって輝いている。
「えっと、伝説の剣士かはわかりませんが、おっしゃる通り、メリット・ソル・グレンザールです」
与えられた新たな名を名乗った。まだ、しっくりこないが、レベッカが先に私の名前を言ったことを考えるに、先ほどのジンとのやり取りで、この世界での私の役名は決まったようだ。
今後、この名前で呼ばれて気づかずに無視しないよう気をつけねば。
こうして私――メリット・ソル・グレンザールの物語は始まったのである。
お読み頂きありがとうございます。
主人公のメリッサは、拙作の「地獄の皇太子は2度死ぬシリーズ」の登場人物です。
でも、シリーズ読んでなくても問題なくこの作品は読めます。
彼女は、魔法が当たり前にある世界に住んでいますが、そんな世界でも手に負えない古の強力な魔法の道具を回収する組織に属しています。
魔法は使えないけどとても腕の立つ女剣士です。
今回はそんな彼女が、仲間が回収してきた魔法の道具である「指輪」を、そうとも知らずに嵌めてしまって物語の中に入ってしまった、というお話です。