情けなくて、臆病で、卑怯なわたし
「え、幽霊? また突然ね……」
緊張気味に訊ねると、ゆかりさんのお母さんはキョトンとして首を傾げました。
ちなみにわたしは、わたしのお母さんを〝ママ〟と呼び、ゆかりさんのお母さんを〝お母さん〟と呼びます。
小さい頃からゆかりさんと一緒に遊んでいたせいか、そんな風に呼ぶ癖がついてしまっています。
ゆかりさんのお母さんは少し考え、ちらりとわたしの顔を覗います。
「んー、まあ、その……。病院に務めていると多いと聞くわね、そういうの。私も……そうね、何度か不思議なモノを見たり聞いたりしたことがあるわ」
「本当ですか?」
「ええ。もしかして学校でこういうのが流行っているの?」
「あ、いえ、そういうわけじゃなくて」
「それじゃあ、もしかして……。あの家で何か見た、とかかしら」
「え……っと」
じっ、と見つめてくる瞳に心を見透かされているような気がして、思わず、
「……いいえ。だって、ゆかりさんはまだ生きて……。ただ眠っているだけで……」
ぼそぼそと、嘘を言ってしまいました。
やっぱり言えるわけがないのです。
毎日娘の病室を訪れ、眠るゆかりさんに聞こえることを祈って声を掛け続けているお母さんに、そんなこと。
ゆかりさんは幽霊となって元気にわたしと遊んでくれていますよ、なんてこと。
口が裂けても言えません。
「別に、ゆかりがどうこうって言いたいわけじゃ……。いいえ、ごまかすのはやめましょう。みぃちゃん」
「はい……」
「あなたがあの家でゆかりを待っているように、ゆかりもきっとあの家であなたと遊びたいのよ。病気が治ったら、元気になったら必ず、っていつも思っていたはずだもの。だからあなたが何かを見たのなら、もしかしたらあの子が何かをしたのかもしれない。私たちには理解できない何かを。けれどね、みぃちゃん」
ゆかりさんのお母さんは、けれどの部分を殊更強く言って、膝をついてわたしと目線を合わせます。
「ゆかりのことだけに囚われ過ぎては駄目よ。あなたにはあなたの人生があるんだから」
「…………」
諭すような口調で励まされて、わたしは返事ができなくなりました。
理解してもらえるはずがないのです。
彼女は大人で、ゆかりさんの母親なのですから。娘さんが幽霊として現れましたよ、なんて与太話は聞きたくないでしょう。
こうなるんだろうな、と分かっていて口に出してしまったのは失敗でした。
結局わたしは、娘のことで手一杯なお母さんに余計な心配りをさせてしまっているのです。
本来はゆかりさんが受け取るべきものを、わたしが勝手にもらってしまっているのです。
わたしは、……なんて卑怯なんでしょうか。
「あの……」
「何かしら?」
「わたしがここに来ると迷惑でしょうか?」
「え?」
「わたし、ゆかりさんのことが心配だからって毎日のようにここにきて……。お母さんに迷惑かけているんじゃないかと……」
いつものことながら、わたしはそこが気になってしまうのです。
仕事中のお母さんに、ゆかりさんの容体を訊ねて、励ましてもらって、気を遣わせて……。
本当にこんなことをしていていいのだろうか、と。そう思わずにはいられません。
「…………」
自分で言いながら、しゅんと気落ちして顔を伏せてしまうと、お母さんはわたしの肩に両手を乗せ、
「そんなことはないわ」
きっぱりと首を横に振ってくれました。
「あなたはゆかりに必要なことをしてくれている。あの子の側にいて、あの子を心から支えてくれている。本当は私がしなければいけないことをあなたはしてくれているのよ、みぃちゃん」
「そう、でしょうか……」
「ええ。そうなのよ」
お母さんはしっかりと頷いてくれます。
わたしを励ましてくれます。病気の娘ではなく、こんなに情けないわたしを。
「さっきのは……そう、あんまり深く考え過ぎないでって、それだけ言いたかったの。だからそんなしょぼくれた顔をして迷惑なんじゃないかって、そんな寂しいことを言わないで。ね?」
無償の優しさに、涙がこみ上げてきそうでした。
どうしてこの優しさが、ゆかりさんではなくわたしに向けられているのか。どうしてわたしは、その優しさに甘えているのか。
そんな風に考え始めると、どうしようもなく情けなくて。
「はい……。ごめんなさい」
返事の声が震えていないことを祈るばかりでした。
お母さんはにっこりと優しく笑って見せます。その顔が不思議とゆかりさんのそれと重なりました。
「私は看護師なのよ、みぃちゃん」
おかしなことを考えていたせいでしょうか、突然の告白に少し反応が遅れてしまいます。
「え、あ、はい」
「あの子の母親でもあるの」
「え? ええ、そうですね」
「だから、駄目だと思った時にはちゃんと言うわ。ゆかりのためにならないと思ったら、私が仕事の迷惑だと感じたら、隠さずきちんとあなたに伝える。約束するわ」
「……。はい」
「だから、あなたは心配しなくていいの。みぃちゃんのような良い子があの子に会いたいと思って会いに来てくれるのなら、母親として素直に嬉しいわ。あの子の身体のことは私がしっかりと気を配っているから。だから、あなたが心を痛めることはないのよ、みぃちゃん」
「……はい」
「そのために私はこの仕事をしているんだから。もっと信じて、頼ってくれないと寂しいじゃない?」
お母さんは、明るい笑顔でそう言い切ります。
本当ならゆかりさんのことでいっぱいいっぱいのはずなのに、わたしのことまで気にかけてくれています。
これ以上、甘えるわけにはいきません。甘えていたくありません。
わたしは抵抗の意志を胸に、強く頷きます。
「はい、わかりました」
この優しい眼差しに応えるために、わたしもまた笑顔で。
上手く笑えていたのかはわかりません。けれど、お母さんは、
「うん。みぃちゃんには笑顔が似合うわね」
そう言って、またわたしを励ましてくれました。
結局、また励まされてしまうのでした。