幽霊って信じますか?
がらり、と後ろ手に引き戸を閉めて、
「ふう……」
知らずの内に、またため息をひとつ。
本当に、楽しい時間というのは早く過ぎ去ってしまうものです。
長い寄り道を終えて、わたしはようやく帰宅の途につきます。
玄関から石塀の間を通って道へ―――は出て行きません。くるりと踵を返し、裏庭へ向かいます。
庭といっても、草が伸び放題で荒れています。家の影に入ってしまうので陽当たりも悪く、じめじめとした場所です。
ここの草刈りをするのがわたしの夏休みの初日の過ごし方となるのですが、今年は早めに手をつけても良いかもしれません。来週の休みとか。
草をかき分け、裏口の戸を開くと、細い道が真っ直ぐに真っ白い建物へと続いています。
道の先の大きな白い建物は病院です。
わたしはそこへ向かって、細道を歩きます。ゆかりさんの家の裏口は、病院の裏口へと繋がっているのです。
そしてこの病院には、
「あら。みぃちゃん。おかえりなさい」
ゆかりさんのお母さんが看護師として働いています。
アルミの扉に鍵を差して開け、受付も通らずに病院内へ入ったわたしを、ちょうどゆかりさんのお母さんが見つけて声を掛けてくれました。
ゆかりさんに似て、とてもきれいな人です。
逆です、ゆかりさんがこの人に似ているので、つまりゆかりさんはとても美人さんになるということです。
ああ、楽しみ……。
……楽しみにしてもいいのでしょうか。
時間的に患者さんが減るので、夕暮れの終わり時に合わせてここへ来れば、たいていゆかりさんのお母さんはわたしを見つけて声を掛けてくれます。
今日もまた、にこやかに手を振りながらこちらへやってきます。たぶん、待っていてくれたのです。わたしがここへ来るのは日課のようなものだから。
わたしは挨拶を返します。
「こんにちは。いえ、こんばんは?」
「こんばんは、かしら?」
ゆかりさんに似た、にこやかな笑み。
わたしは自分がほんの少し落胆して、またほんの少しほっとしているのを感じました。
「ゆかりさんの様子は、どうでしょうか」
訊ねると、ゆかりさんのお母さんは若干眉尻を下げ、ふっと表情に陰りができます。
「特に変わりなく、よ。元気に……というのも変かしら」
何となしに上の方を見上げます。その視線の先にゆかりさんが眠っているのでしょう。
そう思うに至り、わたしも声の調子がひとつ下がり、
「そう、ですね」
やるせない気持ちを吐き出すように、意味のない同意の言葉を呟きました。
この病院の最上階。
そこにゆかりさんの病室はあり、彼女はそこで深い眠りに就いています。
幾本もの管に繋がれ、秒単位にバイタルをチェックされ、人工呼吸器をつけて眠るゆかりさん。
本来宿るべき魂は、眠りに就いた身体を抜け出し、あの古びた家で気のままにわたしを待っていてくれます。
そう、ゆかりさんは幽霊であっても生霊と呼ばれる類の存在。
生れてから続いた長く苦しい闘病の果てに、ゆかりさんは自由に動かない身体を捨ててしまったのです。
それを知っているのはわたしだけ。彼女を見て触れることができるのも、わたしだけなのです。
「何もないということは、きっと調子が良いってことよ。うん、いい傾向ね」
暗い表情のわたしを気遣い、気丈に振る舞おうとするゆかりさんのお母さん。
時間が合う時は、いつもこうしてゆかりさんの様子を聞かせてもらっています。彼女に何も異常がないことを耳にしてほっとするわたしを、そっと気遣ってくれるのです。
この人には、せめて本当のことを伝えるべきことだと思いました。
娘のことを慮る母親に、本当のことを伝えたい。
ゆかりさんは、薬なんかでは目を覚ますことがないということを。少し離れたあの家で、にっこり微笑んでいることを。
「あの」
「うん? どうかしたの、みぃちゃん?」
「お母さんは幽霊って信じますか?」