まったくもう……
「まったくもう……」
夕食の後片付けをしながら、わたしはゆかりさんに文句を言います。涙を浮かべるほど笑わなくてもいいのに……。
そんなこんなで、ゆかりさんは絶賛休憩中です。
霊体となったゆかりさんは、とても疲れてしまうとかであまり声を出そうとしません。
真言やお経、呪術など、日本では古くから言葉に霊的な力が宿ると信じられているとか。言霊は森羅万象通ずるとも書かれた文献まであるくらい、声を乗せた言葉には特別な力が宿るのだそうです。
ゆかりさんが思うように言葉を発せないのも、霊体ゆえなのでしょうか。
そういう逸話を基にしたアニメやSF漫画をゆかりさんに見せてもらった影響で、そんな風に考えているのですが、とにかく。
ゆかりさんは以前のように声を出せなくなり、だから普段は筆談や手話やジェスチャーで想いを伝えてくるのですが……。
「笑い過ぎで疲れてしまうだなんて。まったく……」
笑い声を必死で抑えようと頑張って、それでも堪え切れなかった結果です。ゆかりさんは大いに笑顔を振りまいたのち、ぐったりと座り込んで卓袱台にもたれかかってしまいました。
普段は率先してやりたがる家事も、わたし任せにするくらいの疲労困憊具合です。
原因がわたしであることを思うとあまり強く言えませんが、しかし気を付けてもらいたいものです。
「片づけ終わったよ、ゆかりさん。今日はもうお風呂に入ってゆっくり休みなさい。まったくもう」
卓袱台に突っ伏すゆかりさんの正面に腰を下ろして、項垂れる彼女に声をかけます。
ゆかりさんはごそりと緩慢な動きで顔を上げて、ついでにスケッチブックを立てて紙面をわたしに見せてきます。
〝告白とラブレター。みぃちゃんはどちらがより好み?〟
「懲りていないのっ?」
思わず強い調子で言ってしまいましたが、ゆかりさんは楽しそうな微笑みをちらりと覗かせるだけでした。反省の色がまったく見られません。
ゆかりさんはたまに子供っぽい一面があります。今がその時です。とても可愛いです。
しかし、ゆかりさんの身体のことが関わっているとなると、気にせざるを得ません。
わたしは困り顔を作って、一応苦言を呈します。
「……心配しているということを忘れないでね、ゆかりさん。小さなことでもゆかりさんに何かあって欲しくないの」
病気の身の上であった以前は、まだ医学の力で対処できたでしょう。
今のゆかりさんは生霊。良く分からない存在と化した今の彼女に何かあったらと思うと、気が気でないのです。
ただでさえ、彼女の肉体は今も病室で眠りに就いていて、確かにそこで生きていて……。
もし、外に飛び出たゆかりさんの魂に何か不測の事態が起こったら、残された肉体はどうなるのでしょう?
ゆかりさんの命の行方は……。
それを思う時、わたしはいつも胸がきゅうっと痛くなります。
ようやく手にした自由を謳歌する今のゆかりさんに、ベッドに縛り付けられた病弱な肉体に戻って欲しい、だなんて口が裂けても言えません。決して、そんなこと望んでいるわけではありません。
ですがしかし。
今のゆかりさんを認識できるのはわたしひとりきりで……。何かあった時何とかできるのはわたしだけで……。
わたしの采配でゆかりさんがどうにかなってしまうと思うと、不安が込み上げて来て仕方がないのです。
だというのに、それをすべて知っているはずなのに、ゆかりさんは晴れやかな笑みを口元に浮かべて頷くだけ。
なんでこんなに楽しそうなんだろう?
どうしてそんな風に笑っていられるの?
ゆかりさん自身のことなのに……。
そんな質問が口をつつこうとして、
「……はあ」
その全てをため息に変えて吐き出します。
落ち着きましょう。それは言ってはいけないことです。聞いてはいけない質問です。
だってそれは、ゆかりさんの信頼を裏切る言葉だから。
彼女が穏やかな笑みをわたしに向けてくれる限り、わたしに自分の全てを託してくれる限り、わたしは決して弱音を吐いてはいけないのです。
不意に高鳴った心臓を深呼吸でなだめていると、ゆかりさんは慈しむような表情でじっと待っていてくれます。
きっと全てを察した上で、それでも待っていてくれます。
そんな彼女にもうあまり無理をさせたくないので、変に反発せずに大人しく質問に答えることにしました。