色水
図書委員さんは携帯電話を指先で操作して、タイミングを見計らうため、意識を逢引き男女の声に集中させています。
「うう……。どうしてこんなことに……」
小さくぼやいたわたしは、もう観念するしかありません。
なるべく聞こえませんように。早く終わりますように。
そんなことを祈りながら、両手を両耳に持っていきます。
と、その時、
―――ドシン。
塞ぐ直前だった耳に、何か鈍い衝突音が聞こえ、
「おっと!」
「きゃ! 気を付けてよ、もう。乱暴なんだからぁ」
続けて男女二人の声がしました。
どうやら、バランスを崩して周りの本棚にぶつかったようです。
図書室という場所においてどうして本棚にぶつかるほどよろめくようなことになるのか、わたしには分かりません。理解したくありません。
そんな卑屈な気分になっていると、
―――パンッ。
「うわあっ! 冷たっ!」
「やあっ! ちょっと何よ、これ!」
軽い破裂音と、ひそひそではなくなった逢引き男女二人の悲鳴が聞こえてきました。
なにやら不満を口にしながら騒いでいます。
わたしと図書委員さんは、カウンターの内側で顔を見合わせます。
「何かあったんでしょうか?」
「ここからだと分からないわね……」
そして、ほとんど同じタイミングで腰を上げ始め、カウンターの向こうの状況を確認しようとします。
そこへ、
「こらっ、図書室では静かにしなさい!」
第三者の登場です。
ただ、関係者ではあるようでした。
注意の声を上げながら入ってきたのは、図書室司書の先生でした。女性です。
「うわ、やべえっ」
「あ、センセーだー。ちょっと、聞いてくださいよ。なんかすごいことになっちゃってて……」
逢引きをしていた男子生徒と女子生徒の声の後に、
「な……っ」
先生が驚嘆する声が聞こえ、
「なんですか、これは! あなたたち、一体ここで何をしたの!」
それはすぐに怒りの混じったお説教へと変化しました。
堪らず、わたしは立ち上がって、先生たちがいる方へ目を向けます。
「うわ……」
目の前の光景に、私の口からも素直に驚きの声が漏れました。
「なによ、これ……」
隣から図書委員さんの同じ調子の声も聞こえてきます。
わたしたちの視線の先、逢引をしていた男子生徒と女子生徒の立つ場所を中心に、真っ赤なペンキをぶちまけたかのように、床も本棚も、収まっている本も、全てが色水に染まっていました。
ちなみに逢引きの二人は半裸でした。