逢引き男女
何なの、もう……。
嘆きながらも、わたしは指示通り小声で質問を繰り返そうとします。
その時でした。
「―――……もう行った?」
「―――……そうっぽいな」
遠くから声が聞こえてきました。
女の人と男の人の声。恐らくは居残っている生徒でしょう。
遠くといっても声が聞こえるということは、二人とも図書室内に居るということになります。
本を選んでいる時はその存在にまったく気がつきませんでした。
静まり返る図書室の中、ふたりのひそひそ話が本棚の間から聞こえてきます。
「見つかるかと思ったぜ」
「危なかったね。ちょっとドキドキしちゃった」
「ったく、いいところで邪魔しやがって」
「ほんと、空気の読めない奴って大嫌い」
察するに、わざと気配を消してわたしに気づかれないようにしていたようです。
放課後、人気のない室内で二人の男女が人から隠れてすることといったら、それはなんというか、こう……。
いかがわしい気配がします。
「そう。あの二人、よくああして逢引しているの」
一瞬で顔を赤く染めたわたしを見て察したらしく、眼鏡の女子生徒さんがそう教えてくれました。
また二人の声が聞こえてきます。
「あの眼鏡の図書委員も邪魔だよな。いっつもカウンターに居座って、こっちをじーっと見てやがんの」
「ほんと、気色悪い。迷惑だよねー」
話題に上がった当の本人がわたしの目の前で憎々しそうに顔を歪めて、小声で言い返します。
「迷惑で邪魔なのはそっち、って話よね。私の当番の日にあいつらが来るのが嫌で嫌で堪らないわ」
眼鏡の図書委員さんに、わたしは小声で訊ねます。
「どうして注意しに行かないんですか?」
「ちょっと席を外した隙に勝手に入り込んでいたのよ。もし入って来る時に見かけていたら、速攻叩き出してやっていたわ」
「それなら今からでも……」
「始めてしまった以上、もう何を言っても無駄よ。さっきの会話の様子から何となくわかるでしょ?」
「それは、そうかも……」
「あの二人、三年生の間でも素行が悪くて評判なの。二年生の私が文句を言いにいったって、あなたのように素直に従うわけがないし。逆にどんな目に遭わされるか分かったものじゃないわ。あなた、運がいいわね。あいつらと鉢合わせしなくて済んだんだもの」
「…………」
付け加えられた一言に、背筋がゾクッとなります。わたしがあの二人を見つけてしまっていたら、何らかの危害を加えられる可能性があったということでしょうか。
「きっと、あなたが想像している以上の事件に巻き込まれたでしょうね。そういう連中よ。だから極力刺激しない方がいいの」
わたしの無言の思考を読み取って、図書委員さんは答えてくれました。
出会わなくて良かった……。
「しばらくこうして隠れていましょう」
その提案に、わたしはこくこくと頷きを返します。
ひそひそ話をする声はその後もしばらく続き、長らく愚痴を言い合った後、
「んじゃ、邪魔者は消えたことだし」
「うん。仕切り直そっか」
そんな甘い言葉が囁かれました。
続いて、何かこう……、水音というか、咀嚼音というか。そんな音がかすかに耳に入ってきます。
「また始まった……」
図書委員さんは心底気持ち悪そうに瞳を細め、小声で吐き捨てるように言って、
「まさか……」
さすがにわたしも察しました。こんな状況下では勘違いのしようがありませんでした。
「ほ、本気ですか? こんな場所で、学校で、き、キスなんて……!」
「こんな人気のない場所を好んで逢引きするような連中は、そういうことしか考えていないでしょ」
わたしが詰め寄ると、図書委員さんはあっさりと返します。口調がどこまでも刺々しいです。
「そんな……」
「あら、また真っ赤になっちゃって。あなた初心なのね。可愛い」
「そういうことじゃなく……っ」
学校で、とか。そういう非現実的な出来事が起こり得るのは、漫画やアニメの中だけだと思っていました。
まさか実行する人が現実にも存在するだなんて……。
ショックで言葉を失っていると、図書委員さんはこともなげに続けます。
「ちなみに連中は馬鹿だから、最後までするわよ」
わたしはぎょっとします。
「さ、最後って……」
「性行為」
「せっ……!」
ショックのあまり、気持ちが悪くなりました。胸がもやもやして吐きそうでした。
「あ、今度は青くなった。あなた、こういうの駄目なのね。じゃあ覚悟しておいた方がいいわ。聞きたくないものを聞くことになるから」
「わたし、帰ります……っ!」
冗談じゃない、と尻尾を巻いて退散しようとします。が、立ち上がりかけたところで制服の袖を掴まれ、引っ張り戻されました。
小声で叱りつけられます。
「見つかったらどうするのっ」
「だって……」
みっともない話ですが、本気で泣きそうでした。大ピンチです。




