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勇者の戦いは、続く!

作者: ギニョるぴあす

 森の奥深くにある湖で、一人の若者が釣りをしていた。

 

 みすぼらしい格好をした若者だった。服は汚れ、ところどころが擦り切れている。髪は汚らしく伸び、服と同じようにあちこちに泥がこびりついていた。顔の下部に生えた髭も、整えられた気配は全くなく、ただただ無造作に伸びきっているだけのように見えた。がりがりにやせ細った身体は筋のようで、しかし眼光だけは妙に鋭い。

 

 みすぼらしい若者は、釣りをしていた。釣り道具も粗末なものだ。そのあたりに生えていた木の枝を折ったものを竿とし、自分の来ていた服をほどいたものを釣り糸としていた。

 

 魚が釣れる気配は全く無かった。粗末な道具が原因なのか、あるいは若者の技倆に問題があるかはわからない。とにかく、魚が釣れる気配は無かった。


「あのー、勇者さまですか? って、違うわけないか。勇者さま、こんにちは」


 背後から、若者に話しかける、若い女の声がした。本当に突然のことだ。足音はおろか、気配すら全く感じられなかった。そのことに若者は驚いたようだった。声の主はまるで、突然にその空間に沸いて出たのでは無いかとさえ思えたのかもしれない。

 

 勇者と呼ばれた若者は一瞬振り向きかけ、それから思い直したかのように、何事も無かったかのように、釣りを続けようとした。その動作に、声の主はおかしそうに笑う。

 

「勇者さま、安心してくださいよ。私、魔女です。だから勇者さまを取り巻いている、女神さまの祝福の効果も、私には及びません。へっちゃらなのです」


 その言葉をきいて、はじめて若者――勇者は後ろを振り向いた。そして、声の主を確認する。魔女と名乗った女はニヤニヤとしながら勇者を眺めている。


 若いといよりは幼いといった形容の方が似合うかもしれない、だが随分と顔立ちの整った少女だった。

 

 勇者は少女に言う。


「ずいぶんとまあ、背の低い魔女だな」

「うわ、気にしてるのに。なんでそういう風に身体的特徴をあげつらうかなぁ。なんでそんな、心ない言葉を、乙女を傷つける酷いことを言えるかなぁ」


 魔女を名乗る少女は不満そうに言うと、二歩ほど勇者に近づいた。


「せっかく、私来たのに。勇者さまのために、来たのに。酷いなぁ。傷つくなぁ」


 さらに二歩ほど近づいた。そこで、勇者は少女を制止する。


「これ以上近づくな。ロリ魔女よ」

「ロリとか言うな」


 五メートルほどの距離をあけて、二人は対峙した。


「それで、何の用だ魔女。言っておくが、俺は今、会話に餓えているから下手なことを言い出そうものなら三時間はしゃべり続けるぞ」

「そんな情けない宣告はやめてください、泣けてきます……まあ、そんなかわいそうな勇者さまだからこそ、同情して私が来たんですけれど」

「かわいそう? 同情? この俺にか? 馬鹿にするのも大概にしろ」


 勇者はそう言って、胸を張った。


「確かに、今日はまだ野草しか食べていないが、毎日が必ずしもそうだという訳でもない。二日に一回、どんなに運が悪いときでも四日に一回は、ちゃんとタンパク質を口にすることが出来る、健康かつ文化的な生活を送っているんだぞ」

「あの、本当に悲しくなるから、少し黙っててくれませんか」


 勇者は、少女の言葉を無視し、誇らしげにこう付け加えた。


「ちなみに、昨日はカナブンを、なんと三匹も捕まえた。これであと一週間は安泰だ」

「もういいから黙れ」


 ポケットからカナブンの死骸を取り出そうとした勇者を、少女は顔を両手で覆いながらそう制した。

 

「……とにかく、勇者さまは不幸です。不幸なんです。産まれたとき、ちょっと高名な占星術師のおばーさんに“この子供は将来、世界を救う勇者になる”とか頭のおかしい予言をされちゃったりしたところから、ケチがつきはじめたんです。つまり、勇者さまの人生は最初っから不幸だったんです」


 不幸、不幸と連呼されて気を悪くしたのか、あるいは現実に立ちふさがる問題を思い出したのか、勇者はくるりと踵を返し、再び湖の方を向いた。

 

「……そろそろ、釣りに戻っていいか? 今日はなんとしても魚を釣るんだ。半月振りになんとか、節足動物以外の動物性タンパクを摂取したいんだよ」


「ご自由にどうぞ。私も自由にさせてもらいますから。……で、ご存知の通りの魔王の復活があったわけじゃないですか。世界を闇で覆おうとする、強大な魔王、怖い魔王。……でも、大丈夫! 私達には希望があるのです! この国には、世界を救うと予言された勇者さまがいるのですから!」


 盛り上がる少女の声を尻目に、勇者は再び岸辺に座り込み、湖に向けて釣り竿を投げた。仕掛けが湖に落ちる、ぽちゃんという音は背後の声にかき消された。


「……そして、とうとう、勇者さまは十六歳の誕生日を迎えます! 魔王討伐へと旅立つ日が来たのでした! 王国中は総出で、勇者の出立を見送ります。勇者はまずは王都にある女神の神殿での祝福を受けるのです。女神の忠実なる僕である、司祭長は勇者にこう言います。『おー、汝、勇者よ。汝は魔王を倒すために自らの持つ全てを投げ打つ覚悟はあるか?』勇者は、すごくいい顔で頷きます。『もちろんですとも、司祭様! 我が身の何を犠牲としても、必ずや魔王を討つことを、ここに誓います』『ふむ、そうか、ならば汝に女神の祝福を授けよう! この祝福は、戦いに赴く者への祝福であると同時に、平和に生きる者にとっては呪いでもある。だが、問題は無い!汝が魔王を倒したとき、この祝福の制約は解かれるのだからな!』」


 勇者の背後で、あまり似ていない声音を駆使して、少女は“勇者の話”を続けている。勇者はそれを気にしない素振りで、微動だにともせずにゆらゆらと揺れる竿の穂先を見つめている。

 

「こうして勇者には女神の祝福が付与されました。その祝福は、勇者さまには偉大なる戦いの力と、代償をもたらすものでした。つまり、『自分で魔王を倒すまでの間、あらゆる人間とコミュニケーションをとってはならない』という代償です。この制約を違えた場合、勇者も、そのコミュニケーションをとった人物も、石になってしまうという恐ろしい呪いなのです。力には代価が必要、とは女神様もなかなかシビアな性格をしてらっしゃいますよね、本当」


 勇者は何も言わない。動かない。釣り竿と同様に、固まっている。


「そして、勇者さまが出立した、たった二日後、魔王は倒され、世界は救われたのでした! やりました! 世界に平和がおとずれたのです!」


 少女はそう言って、万歳をした。そして、万歳をしたポーズのまま、言葉を続ける。

 

「……問題は、魔王を倒したのが勇者さまでは無いことでした。そうです。勇者でも何でもない、単なる村の少年Aでしかない筈の若者が、魔王を倒してしまったのです!」


 勇者は何も言わない。少女は言い続ける。


「かくして、単なる少年Aは、この国を救った英雄となりました! 王都へと凱旋した少年Aは民衆から熱狂的に歓迎され、王様からは報奨として立派なお屋敷と将軍の地位を授けられました。今や、少年Aは英雄です。その一方で、とんでもなく割りをくったのはもちろん、勇者さまです。彼が魔王の城に乗り込んでみたものは、既に倒されていた魔王の死体だったのですから。これでは勇者さまは王都には戻れません。なぜならば、女神の祝福、もうこの時点では既に呪いとしかいいようがないですが――は、まだまだ現役ですから、勇者さまは他の人とコミュニケーションをとるわけにはいかないのです。かといっ

て、呪いを解くことも出来ない。何故ならば勇者さまと女神様の間で交わされた契約を終わらせる唯一の方法は、『勇者が魔王を倒すこと』なのですから。


 魔王が既に倒されている以上、勇者にはどうしようもありません。かくして、少年Aが都で豪奢なお屋敷で、たくさんの人々に傅かれながら美味しい料理に舌鼓をうつ一方で、勇者さまはただ一人で孤独に、誰にも会うことの無いように深い森の中に身を隠すはめになりました。そして、勇者さまは『昨日はカナブンを食べれて幸せだったなぁ。動物性タンパクはやっぱ腹に力が入っていいなぁ』などと独り言を呟いたりなんかもして」

 

「やめろ」


 そこではじめて、勇者は少女を制しようとした。その声は多少ひび割れている。

 

「……さらに言うと、今、王都の大臣達は英雄となった少年Aと、王女様の婚姻を成立させようと画策しています。」


 だが、魔女を名乗る少女は、勇者の制止に従おうとはしなかった。


「もちろん、王女様はこのお話に乗り気ではありません。王女様は、幼なじみとして育った、予言の勇者さまに淡い恋心を抱いているためです。ですが、いかに彼女の意に沿わぬ婚姻だとしても、それをいつまでも拒み続けることは出来ないのです。彼女は一国の王女であり、民衆の期待に応える義務があるからです。もう一年以上会っていない、生きているのか、死んでいるのかさえもわからない。とても淋しい想いをしている王女様が、民衆の期待や圧力に屈せず、少年Aとの婚約を拒み続けられるでしょうか。少年Aは優しく、賢く、ついでにいえば美形です。このままではいずれ、あの王女様、笑顔がチャーミング

で、若干貧乳気味の王女様も諦め、少年Aとの結婚を承諾するでしょう。そして、二年もすればきっと王宮には新たな王子が産まれて……」


「頼む。もうやめてくれ」


 少女に背を向けたままの勇者の声は、間違いようもなく涙声だった。それを聞いて、いやいや、と少女は笑う。

 

「勇者さまともあろうお方がそう簡単に泣かないでください。だから、大丈夫ですって。そのために、私がここに来たんです」

「どういうことだ」


 鼻をすすりながら勇者が問うと、少女は可愛らしく笑った。


「勇者さまが女神さまにかけられた呪い……ああ、呪いって言っちゃいましたけど、実際そんなところですよね。何の使いどころもなかった力の代わりに、勇者さまは全てを無くしてしまうところだったんですから。……ちょっと話がずれました。で、その呪いを解くには魔王を倒さなくちゃいけない。ならば簡単なことじゃないですか。魔王を再度復活させればいいんです。そして、今度こそ勇者さまが魔王を倒せばいいんですよ。めでたし、めでたしです」


 勇者はもう一度、少女の方を振り向いた。少女は、身長に似合わぬ妖艶な笑みを浮かべている。


「……お前には、そんなことが出来るのか?」


 ひび割れた声で、勇者は少女に問いかけた。少女は答えない。だが、その顔には自信にあふれた表情を浮かべている。


「魔王を、復活させる。そうすれば……」

「勇者さまの呪いは解けます。さらに、復活した魔王を倒した勇者として、少年Aと並ぶことも出来るでしょう。そうなれば、王女様の想いにこたえることだって出来ますよ。あの貧乳は勇者さまのものです。やったじゃないですか」


 少女はそう歌うように希望を謳い、勇者に向けて手を向けた。勇者も、まるで救いをもとめるかのように、差し伸べられた手に自分の腕を伸ばす。




 これで勇者は落ちた。魔女を名乗った少女は、そうほくそ笑んだ。


 実は、少女は魔女ではない。少女は魔女ではなく、より、邪悪な存在である。人はそれを大魔王と呼ぶ。

 大魔王は、魔王を創り出す存在である。大魔王は、人の心から魔物を作りだす。弱い魂からは、弱い魔物が。強い魂から強い魔物、それこそ魔王と呼ばれるような存在を作りだす。勇者とまで呼ばれる彼の心から産まれる魔物が、はたしてどれほど強大な力を秘めているかは、大魔王にすらわからない。


 人の心には、嫉妬や後悔が渦巻くときがある。そしてそういう時にはどんな人間も心が弱くなる。それを大魔王は知っていた。人間である以上、そういう感情からは誰も逃れられない。


 だから、大魔王は慢心していた。自分にすがるように伸ばされた勇者の手が白く鋭く輝きだしたことに対する反応が一瞬、遅れた。


 勇者の手から放たれた白色の閃光は、一瞬にして大魔王の身体を灼いた。勇者が呪いとまで称されたその代償の代わりに得た神聖なる魔力は、油断した大魔王を消滅させるに充分な魔力を宿していた。


「魔王を、復活させる。そうすれば、みんながまた困るだろ。そんなこと出来るわけないだろ。勇者なめんな」


 少女が消滅した空間に向けて、勇者はそう呟いた。もう、その言葉を聞く者はいない。いつも通りの、放浪をはじめてからずっと習慣付いてしまった、単なる独り言と変わらない。

 

「まったく、余計なことに時間を浪費させやがって。日が暮れてからじゃ魚は釣れないっていうのに」


 そこまで言って、勇者は頭を振った。いやいや、と言い直す。


「違った。諦めないのが勇者だ。勇者とは俺のことだ。だから俺は諦めないぞ、うん」


 勇者は湖に向かい、再度釣り竿を振った。仕掛けが湖に落ちる水音は、今度は誰の声によってもかき消されない。あたりに響いた。


 勇者の心とは“諦めないこと”である。勇者と呼ばれる彼はそう信じている。だから彼は諦めない。勝利を信じている。今日の夕食にはタンパク質を、それも昆虫のものではない、美味しい魚肉を食べることが出来ると信じている。その信じる心こそが、勇者であることの証明であると信じている。


 勇者と魚の、息の詰まるような神経戦は、その日の日没まで続いた。

呪いが解けたことに勇者が気付くのは、二週間以上たってからのことでした。


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