1話 スイートピーの香りに包まれて
終わりを告げる鐘の音が当たり一面に響き渡る。
師が走るから師走とはよく言ったものだ。
性別が逆ならば妊婦と間違われるとも思えるその肥満しきった体で、足早に立ち去る教師を眺めていると後ろから声をかけられた。
「はよご飯食べるよ」
女性にしてはやや低い声に振り返ると、ピンク色の可愛らしいお弁当箱を掲げた橘日菜乃と、気だるそうに伸びをする新田朱莉がいた。
教室の片隅に机を並べて母が作ってくれたお弁当箱を開ける。
昨日の残り物を摘めたましたと言わんばかりの、存在感を発する豚カツに冷凍のきんぴらごぼう。これまた水洗いしただけのサラダにプチトマト。
毎朝お弁当に摘めるだけでも手間がかかるのにさすがに手作り0だと気が引けたのだろうか、申し訳ない程度に卵焼きが二切れ添えられてる。いつもありがとうと、母に感謝をしながらその存在感を発する豚カツに手をつけた。
「ゆき聞いとうと?」
「ごめんひなのに見とれて聞いてなかったよ」
「ご飯に夢中だっただけやん」
冷えた豚カツを咥えながら目線だけを日菜乃に向ける。
シャギーが入った前髪に若干隠れてるピンクのメタリックフレーム眼鏡の奥に潜む目が「また同じ話をしないといけないじゃんちゃんと聞いててよ」と不満を物語っている。
「ファンタジーワールドの事だよ。」
『The next generation of fantasy world』 通称ファンタジーワールドはKYFF社が開発したVRMMOのことだ。今までは旅行シリーズとタイムワープシリーズの2つのアトラクションがKYFF社が運営するお店や遊園地なので利用することができた。
旅行シリーズとは、現実の国々をVR世界で観光を楽しむことができるアトラクションのことだ。コースによって回る国々は違うものの、ぷち海外旅行が楽しむことができる。
タイムワープシリーズは白亜期から始まり世界四大文明、古代ローマや中世ヨーロッパそれに江戸時代など過去の世界をVRで体験することができる。
両者に共通して言えることは、バイクのフルヘイスヘルメットに近い形をしたVRメットを被りトロッコのようなものに乗って移動するところだろう。
上半身は自由に動かせて、体をねじれば後方も見ることができるし匂いや、顔に当たる風もリアルに感じることができるが実際に歩き回ることはできない。コースによって時間は違うが三十分から二時間くらいでアトラクションは終了だ。
まだ父が居た頃に家族三人で恐竜を見に行ったことがあった。遠くから聴こえる獣の雄叫びに大空高く飛び回る翼竜の群れ、森の中か走ってくる恐竜に途中で怖くなってVRヘルメットを外してわんわん泣いてたけど、今となっては楽しかった思いでだ。
そのKYFF社が万を期して発表したのが剣と魔法のありきたりなファンタジー世界が舞台のMMORPG『The next generation of fantasy world』だ。
今までは歩き回ることはもちろん、壁や恐竜に触れることはできなかった。
だが、ファンタジーワールドでは実際にVR空間を歩き回り物に触れたり壊したりもできる。さらにVR空間で食事を取ると、その味覚がVRヘルメットを通して直接脳内にシグナルを送ることによって伝わるらしい。
昨年の7月に大々的に発表があり、オープンベータテストを終えて来年1月1日。そう、元日の正午から次世代の遊び(ゲーム)が始まる。
月額料金1万円、最初の月のみ無料体験が可能という高校生でもぎりぎり手が出せそうな値段設定。
そして、脳内に直接情報を書き込むことによって体感時間にも変化があるそうだ。オープンベータテストでは体感時間が3倍に設定されていた。つまり、現実時間では1時間しかたっていないにも関わらずゲーム内時間では3時間が経過していることになる。
正式リリースされたら体感時間が6倍になるということもあってか、少しでも休みを長くとりたい社会人や、親の目を離れてぷち旅行をしたい高校生などは無論のこと、VR技術を求めて医療や教育現場から、さらに警察、消防、自衛隊と日本だけでも各業界から注目さている。
ゲームで遊ぶには早い者勝ちの事前予約が必要で、各都道府県に最低でも一店舗はあるKYFF社のアミューズメントパークまでいく必要がある。
ただし、オープニングセレモニーから翌日の正午までは抽選となっていた。都道府県別に抽選で1万名、合計で47万人がオープニングセレモニーに参加することができる。
私の住んでいる県は田舎だったため倍率もそこまで高くなく無事に昨日、当選したとお知らせが届いた。
意識をお弁当から再び日菜乃に向けると今日何度目になるだろうか、ファンタジーワールドに行ったらこれをしたいあれをしたいと話してる。まるでオーケストラの指揮者のように振るう箸は、指揮棒ではなくご飯を食べるために使うものだといい加減教えた方がいいのだろうか。
「それで昨日誰か誘うって言ってたけど、結局誰誘ったのぉ?」
ご飯を朝昼晩の三回食べるよりも一回の食事量を減らして四回以上食べる小分けダイエットにはまっているらしく、日菜乃が同じ話を繰り返してるうちにさっさとご飯を食べ終えた朱莉がオーケストラの演奏に終止符を打った。
「うちらはうちとゆき、あかりの3人じゃん。それで、4組の陣内くんも3人って言いよったけん、一緒に遊ぼうと思っとうと。どう?」
「陣内くんってサッカー部の人だっけ?」
以前、日菜乃と一緒にサッカー部の試合の応援に行った時のことを思い出す。
確か一点決めてた人だったはずだ。足がとても速く、長身の日菜乃の隣に並んでも10センチくらいは高かそうだったから180センチはありそうだ。特に悪いイメージはない。
「そうとよ、ダメなん?」
「いいや、私はいいよあかりは?」
「私も特にこだわりはないかなぁ? 陣内くんなら去年同じクラスだったし顔は分かるよ」
日菜乃は「なら決まりやね」とご飯そっちのけで、陣内くんに連絡を取る。
携帯につけている私とお揃いのクローバーのストラップが左右に揺れて、日菜乃の喜びを物語っているようだ。
失恋した日菜乃を慰めるつもりでプレゼントしたのだが、日菜乃はそのお返しに私にもプレゼントをすると言って共に雑貨屋に向かった。その時はストラップを1つ買うのに三十分以上も悩んでたから、結局お揃いのストラップを日菜乃に買って貰うことにしたのだ。
「ゆきは職業なにやるのぉ?」
クリスマスまでまだ時間があるし、もしかしたら素敵な出会があるかもと気合いを入れてセットしたミディアムボブに、爪先まできちんとおしゃれに手入れされた指先が開かれたパンフレットを指している。
「んー……『魔法使い』にしようと思ってるけど、多すぎるよね」
「多いよねぇ。50種類以上あって、複数の職業をセットするシステムもまだよくわからないもん」
朱莉が可愛らしく頬を膨らませる。
「名前聞いても分からないのもあるよね。『剣士』や『戦士』は分かるけど『火魔法使い』と『火魔導師』何て違いが分からないよ。『ピッチャー』や『キッカー』はまだ百歩譲って理解できるとしてもさ、『ジャンパー』に『スイマー』そして『ランナー』って何よ?」
当選報告と同時に届いたゲーム概要のパンフレットには、軽く目を通しただけだが実に職業が豊富だ。
また今日から大みそかまで計14回、正午に世界観やゲームシステムがホームページ上に公開されるらしい。
無駄に壮大な企画にため息が漏れる。
「はぁ……。私さ登録料がちょっと高いから、ある程度遊んで観光でもしたら辞めるつもりだから……」
「ちょっと待った、そん話聞いとらんよ」
メールそっちのけでものすごい勢いで日菜乃が噛みついてくる。
「どうすっとよ、私の愛の大冒険プランは!あぁーお嬢さん、共に魔王退治にいきまんかー? 共に目指すは未開の地! 金銀財宝を守るドラゴンを退治し、生け贄求め夜な夜なさ迷う悪魔を倒して、前人未到の楽園へ私と共にアバンチュールをいたしませんかー?」
片足を椅子につきオーケストラの次はミュージカルでも始めたのか歌うように語るその口調に思わず笑みがこぼれる。
「それこそ、ふっふ...…知らない……よ。そんな話聞いてないし、そ……それよりアバンチュールって何よ? あんたいつの時代の人間よ」
「ひなちゃんってさぁ。黙って本読んでたら図書委員の雰囲気だしぃ、頭のいい会話ができるなら委員長タイプ何だけどねぇ……。何で喋るとこんなに残念なのかなぁ?」
「喋ると残念美人だよね……」
日菜乃は残念美人に同意をしていると、予鈴が鳴り響く。各々好き勝手にお昼を過ごしたクラスメート達が教室に戻りはじめた。
「それじゃ放課後4組の教室で話し合おうね」
そう言って日菜乃は自分の席に戻っていった。
中学生の頃に好きだった人が短い髪が好きだと分かりばっさり切った髪も、失恋してから三年もたてば子どもの頃から変わらないロングストレートだ。黒く歩くたびに波打つ日菜乃の後ろ髪を見送りながらファンタジーワールドのパンフレットを引き出しになおす。
「み、水田さんもファンタジーワールドやるの?」
「ふぇっ?」
普段全く会話をしない隣の席の男子から急に声をかけられて、驚いて体のどこから出たのだろうか変な声で返事をしてしまった。
「ぼ、僕も当選したからさめちゃくちゃ楽しみにしているんだ。も、もも、もしゲームで一緒になることがあったらよろしくね」
少々吃りながらも挨拶をされる。確か山口三太って名前だったはずだ。
「うん、こちらこそよろしくね」
「水田さんは攻略ブログ読んだ?」
「攻略ブログ?」
「そう。ゲーム公開に合わせて、ベータテストプレイヤーも情報解禁が許されているんだって。それでゲームIDから接続できるマイページにベータの人たちがブログを書いててね。とっても面白いし、ためになる情報も豊富だよ。昨日は徹夜で読み更けて全く寝てないよふふふ…」
山口くんが捲し立てるか如く喋ってくる。好きなことになると饒舌になる一面も持ち合わせているようだ。
「そうだ、私のID書くから待っててね。これがあればゲーム内でも連絡取れるのよね? 4組の陣内くんも来るらしいから皆で遊ぼうよ」
その情報に感謝しつつも変な声を出した罪悪感からだろうか、それとも純粋に新たな友達ができる喜びだろうか、私は昨日送られてきたばかりの真新しいIDカードの番号をノートの切れはしに書き写し渡した。
「え、で、でもそのあの」
「いらないの?」と首を傾げると恐る恐るIDが書かれたメモを手にした。
まだゲームが始まる前のお話です。
序盤はスローテンポで進みますが、完結はさせていますので是非とも最後まで読んで頂けると幸いです。