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This is for you

作者: 東田 悼侃

「君はロボットだ」


 目の前の女性に向かって、青年は言った。


「人間の僕よりも人間らしいロボットだ」


 それは青年の口癖だった。


「僕は人間だ」


 青年が続ける。


「ロボットの君よりもロボットみたいな人間だ」


 それも、青年がよく口にする言葉だった。そんなとき、女性のロボットは決まってこう答えた。


「それでも私はロボットで、貴方は人間です。私は人間にはなれませんし、貴方がロボットになることもありません」


 ロボットが微笑む。青年は微笑まなかった。




 女性のロボットは、科学者だった青年の祖父が遺したものだった。彼女は自立した思考を持っていた。彼女は心を持っていた。喜びを知り、怒りを知り、悲しみを知っていた。彼女は、限りなく人間に近いロボットだった。


 青年は、事故死した彼の両親がこの世に遺したものだった。彼は大きなトラウマを抱えていた。彼は心を失っていた。喜びを失い、怒りを無くし、、悲しみを忘れていた。彼は、まるでロボットのような人間だった。


 青年は毎日、自室でパソコンに向かっていた。それが青年の仕事だった。給料は決して良くはなかったが、感情をなくした青年にできる仕事は他には限られていた。ロボットは青年の身の回りの家事を担っていた。三回の食事の用意や洗濯、掃除などが主な仕事だ。ロボットは、その外観からはほとんど人間と区別がつかなかった。ロボットはよく食料の買い出しに町へ出掛けていたが、その美しい外見と人当たりのよさから、町では人気者だった。反して青年は、周囲からは白い目で見られていた。ロボットの彼女と違い、人付き合いの悪い奴だと思われていた。心をなくした青年は、それに対して何も感じていなかった。彼の事情を知るロボットも、それを気にしないようにしていた。


 かつて、心を失う以前の青年は、活発的なごく普通の青年だった。学生時代は運動部に所属していたし、友人もそれなりに沢山居た。その当時を知るロボットは、青年にそのときのように戻ってほしかった。それは、心をなくした青年への、心を持つロボットの願いだった。


「アキラさん。今度、お出掛けをしませんか?」


 夕食を食べる青年、アキラにロボットがそう尋ねた。


「お出掛け。どこに?」


 アキラは箸の手を止めた。


「色々です。海とか、遊園地とか」


「今の仕事が一区切りしたら行くか」


 アキラが食事を再開する。はい、とロボットは微笑んだ。



 翌週の土曜日から、二人は外泊旅をすることになった。


「まずどこに行くんだ」


 助手席に座り込みながら、運転席に座るロボットにアキラは訊ねた。


「最初はお買い物です。二人の服を買いましょう」


「旅行初日にやることじゃないみたいだけど」


「旅行じゃありません。貴方の感情を取り戻すための旅です」


「わざわざ外泊までして遠出する必要があるのか」


「あるんです。沢山刺激を受ければ、きっと何かしらの変化が起こります」


「まあ、任せるよ」


「任されました」


 ロボットが車を発車させた。三十分かけて、大型のショッピングモールへ到着する。ロボットに先導され、アキラは建物三階の洋服店で服を選んだ。ロボットが適当に服を見繕い、それをアキラが試着する。五回ほど試したところで、これにしましょうとロボットは言った。地味な白のパーカーに紺色のジーンズという、その時代からすれば一昔も二昔も前の服装だった。


「アキラさんが昔、かっこいいと憧れていた服装です」


 ロボットがそう説明する。そうなのか、とアキラは頷いた。今のアキラには、それがかっこいいのかどうかも分からない。


「さあ、アキラさん。今度は貴方が、私の服を選ぶ番ですよ」


 その服を購入してから、ロボットは別の店へ入っていった。やけに足取りの軽い彼女の後ろを歩きながら、アキラは口を開いた。


「なあリリィ。今の僕には、ファッションは理解できないぞ」


 リリィと呼ばれたそのロボットは、足を止めると振り返った。


「そうですね―――。では、アキラさんは待機していてください。ぱぱっと私で選んできてしまいますね」


「そうしてくれ」


 はい、と頷くと、リリィは急ぎ気味に洋服を選びに行った。


 言われた通りにアキラがしばらく待機していると、リリィが袋を手に抱えて戻ってきた。


「お待たせしました」


「買ったのか?」


「はい。一通り」


「それで、これはいつ着るんだ?」


 アキラは自分の持つ袋を掲げて尋ねた。


「今着替えましょう」


 リリィは、天井から吊るされたお手洗いの案内の標識を指さした。


 十分後、二人は着替えを済ませて合流した。先に終えていたアキラのもとにリリィがやって来る。お待たせしましたと言うと、リリィはアキラの目の前で立ち止まった。そのままじっとアキラを見詰める。


「どうした?」


 動かないリリィにアキラが訊ねる?


「―――どうですか?」


 リリィは尋ね返した。アキラは首を捻った。


「何がだ?」


「この服です。似合ってますか?」


 リリィは袖を広げると、着付けた服をアキラに見せた。アキラは首を傾げた後で答えた。


「似合ってる...んじゃないのかな。分からない」


「分かりました。似合ってるってことにしておきましょう。アキラさんは

似合ってますよ、その服」


 そうか、とアキラはその言葉を流した。それからリリィに尋ねる。


「次の予定は?」


「長旅です。遠いところなので、今日は着いたらすぐホテルに泊まります。明日以降は忙しいですよ」


 リリィの言葉にアキラが頷く。二人はそれから車へ戻った。




 翌日、ホテル内での朝食を終えた二人はホテル近郊の水族館へと向かった。遠く離れたアキラの町でも有名な、大きな水族館だった。世界中の魚のおよそ半数が、この水族館では見られた。すべて見終えるには、開館から閉館まで丸一日かけても全く足りなかった。


 お昼時になり、水族館内のレストランで昼食を済ませた二人は、それからもうしばらく水族館を回り、午後の四時頃に水族館を出た。


「疲れませんでしたか?」


 車内に戻った後、リリィがアキラに尋ねた。


「足に疲労は溜まった」


 アキラが答える。


「そうですよね。それじゃあこの後は、ゆっくり映画でも観ましょう」


 どうですか?アキラの顔を覗くリリィ。アキラはそのリリィを一瞥すると、それでいい、と答えた。


「丁度、見たい映画があるんです。それを観ましょう」


 二人は映画館に向かった。


 二人が観たのは、ありふれた恋愛映画だった。ロボットのリリィは、終始胸をときめかせていた。アキラはずっと無表情だった。


「よく分からないな」


 終わった後で、アキラが呟く。リリィは一瞬驚いたような表情をして、それから微笑んだ。


「何が分からないのですか?」


「恋愛感情だよ。僕も昔は持っていたんだろうけど、やっぱり今は分からない」


 「大丈夫ですよ。きっと思い出せます」


 その日の予定は、それが最後だった。




 次の日、二人は朝から遊園地で遊んだ。リリィは一日中、大はしゃぎだった。しかしアキラは、お化け屋敷に行っても絶叫アトラクションに乗っても、やはり反応が薄かった。それでも時折、眉をひそめる素振りを見せるようになっていた。


「どうでしたか?今日は。楽しかったですか?」


 陽が落ち、数多のアトラクションに明かりが灯り始めた頃。二人は観覧車に乗っていた。


「楽しかった―――?どうだろうか」


 リリィの問いに、アキラはやはり首を傾げた。


「今日のことを思い出してみて、何を感じますか?」


「何を―――」


 アキラはしばらく思案した。


「もう一度今日を過ごしたいと思うのは―――どういう感情だ?」


「もう一度来たいと、そう思うのですか?」


 リリィが身を前に屈めて聞き返す。アキラは頷いた。


「それはきっと、楽しかったってことですよ!アキラさん!」


 リリィは唐突に立ち上がると、アキラの手を取った。


「そうなのか?」


「はい!」


 目を輝かせて、リリィはアキラを見詰める。


「アキラさん、それは“楽しい”という感情から来るものです。戻ったんですよ!感情が!」


「いや」


 しかしアキラは、首を横に振った。


「だけど、他の感情はまだ分からない」


「それでも、十分な進歩です!この調子で他の感情も戻ってきますよ!」


「そうだといいがな」


 アキラは観覧車の窓から外を見た。既に頂上は過ぎているようだ。


 ゆっくりと、目下の遊園地の景色が近付いてくる。




「今日は都会に出掛けますよ」


 翌日、車に乗り込んだところでリリィがアキラに言った。


「都会へ?何をするんだ?」


「ブラブラするんです。若い人達はみんな、都会ではブラブラするんですよ」


「そうなのか。最近の若い人のことは分からない」


 大型デパートのアーケードコートを通り掛かった時だった。リリィが急に、一つの筐体の前で立ち止まった。


「どうした、リリィ」


「あの、アキラさん。少し時間いいですか?」


「別にいいけど――」


「ごめんなさい。ちょっと欲しくなっちゃいました」


少しリリィが目の前の筐体の中を指さす。その先には、一抱えほどの大きさの熊のぬいぐるみがあった。


 リリィがコインを投入する。ロボットらしく、彼女は景品との距離を計算しながらアームを動かした。


 アームがぬいぐるみの頭部を掴んだ。


「来ました!」


 リリィは笑顔でアキラに振り返った。しかしアキラは首を横に振る。アームは力負けして、ぬいぐるみから外れた。


「え?酷くないですか?」


 再び振り向くリリィ。


「そういうものなんだよ」


「私には―――無理そうですね。諦めましょう」


 リリィが筐体を離れる。そこへ、アキラが割って入った。


「―――アキラさん?」


「俺がやってみよう」


 驚くリリィを尻目に、アキラがコインを投入する。やはりアームが力負けし、ぬいぐるみは取れなかった。だがアキラは、再びコインを投入した。


「今のでコツは掴めた。あと五回で取れる」


 誰ともなく、アキラが呟く。二回目のそれでは、ぬいぐるみが姿勢を少し傾けた。


 続く三回で、ぬいぐるみはほとんど倒れかけていた。


「いけそう、ですね」


 アキラが五度目のコイン投入をする。アームを慎重に動かし、浮き上がっているぬいぐるみの片足にアームを下ろす。足にアームが引っ掛かり、ぬいぐるみは取り出し口に向けて転倒した。ドン、と音がして、ケースの中からぬいぐるみの姿が消える。アキラは小さく溜め息を吐いた。取り出し口からぬいぐるみを取り出し、リリィに渡す。


「あ、えっと。ありがとうございます。アキラさん」


「いや、いいんだ。俺も取れて満足した」


「満足、しましたか」


 リリィがまじまじとアキラを見る。どうした、とアキラは訊ねた。


「いえ。いい傾向だなぁと思いまして」


 リリィが微笑む。アキラはそれ以上言及しなかった。



 夕刻、リリィは都会の外れの山の中へ車を向かわせた。後部座席には、アキラの取った熊のぬいぐるみが座っている。律儀にシートベルトも着けられていた。


「どうしてシートベルトなんてしたんだ?」


 バックミラーに写るそのぬいぐるみを見ながら、アキラが尋ねた。


「大切なものですから」


 リリィが答える。アキラはしかしそれに首を傾げた。


「大切なもの――か」


 アキラはすぐに無言になった。





 日もすっかり暮れた頃。山の中の開けた土地でリリィは車を止めた。リリィは車を降りるよう、アキラを促した。アキラが車を降りると、懐中電灯を持ったリリィを先頭に、しばらく歩いた。


 山は少し肌寒かった。薄着のアキラの体には堪える。数十メートルも移動したところで、リリィは立ち止まった。


「アキラさん、今何時ですか?」


「今?19時13分だけど」


「丁度ですね。もう少しで見え始めるはずです」


 何が?アキラは聞き返したが、リリィは口を閉ざす。


「それはお楽しみです」


 しばしの静寂が訪れる。不意に、リリィが懐中電灯の明かりを消した。


「リリィ?」


「アキラさん、空を見てください」


 リリィが言う。アキラは空を見上げた。


「おお」


 感嘆の言葉が漏れる。空には、幾つもの流星が流れていた。


「流れ星です。今日は丁度、これが見れる日だったんですよ」


「初めて見たよ。こんなに沢山見れるものなんだな」


「いいえ。今日のは特別多いです」


 リリィのそれにアキラは答えなかった。じっと空を眺める。その横顔を見るとリリィもまた、無言で夜空を仰いだ。


「なぁ、リリィ」


 アキラが口を開く。


「君は、あのぬいぐるみを大切なものだって言ったよね」


「はい」


 リリィが首肯く。


「あれは私の大切なものです」


「僕にも大切なものがある。今思い出した」


「何かを大切にする心を取り戻した、ということですか?」


「君だよ。リリィ」


 アキラは空から視線をはずし、リリィを見た。リリィも振り向く。


「僕の大切なものは君だ」


 はい、とリリィは照れたようにはにかむ。


「私も、アキラさんのことは大切に思っています」


「違う、そうじゃない」


 アキラは首を横に振る。


「そういうことじゃないんだ―――そうじゃないんだよ。何て言うんだっけ、こういうのは―――」


 そう、確か――。アキラは一度、空を見上げた。


「僕は君に、恋をしている」


 リリィは目を見開いて驚いた。それから、震える声で答える。


「でもアキラさん―――私は―――」


「そうだ」


 アキラは頷いて、視線をリリィへ戻す。


「人間の僕は、ロボットの君に恋をしたんだ」


 アキラに見詰められ、リリィは思わず目を逸らした。


「アキラさん...私は人間のような心を持っていますので、今、とても恥ずかしく、とても嬉しいです」


 目を合わせぬまま、リリィが口を開く。


「けれどアキラさん――私はどうしても、ロボットなのです。こればかりはどうしようもなく。ロボットの私と人間の貴方の心が、本当の意味で繋がることはできないのです。恋仲同士で互いを理解し合えないのは悲しいことです。私はきっと、貴方のその心に応えることができません」


「全部を理解する必要はない」


 すぐさまアキラが言い返す。


「君はロボットだ。だから君は、君の身体のことをよく理解できる。でも君は、君自信の心を理解できない。違うかい?例えば君は、君が美しいと思うものが何故美しく、どうしてそれを美しいと感じたのか分からないはずだ。説明することができないはずだ。君が心を持つロボットであるが故に。心を持つが故に、それは理解できない」


 リリィは何も答えない。アキラは続ける。


「僕には多くの感情がない。それ故に、僕は僕自信を理解できないことがある。自分が理解できていないことを、君に理解するよう僕は求めてる訳じゃない。僕が君に恋をしているという、それを君が理解してくれさえいればいいんだ」


「ですが、私はロボットです。貴方の求める全てに、私は応えることが出来ないかもしれません」


 それでいいのなら、とリリィは伏せ目がちにアキラを見る。


「僕は何も求めない」


 アキラが言う。


「隣にさえ居てくれれば、他には何も求めない」


 アキラは再び夜空を仰いだ。流星の数は一向に減らない。





「不思議に思ってたんだ」


 車内に戻ったところで、アキラはそう切り出した。


「どうして、これまで何をしても駄目だったのに、急にこんな簡単に感情が戻り始めたのか」


 アキラは一度リリィを見た。リリィは続きを促す。


「きっと僕は、元から感情を失ってなんかいなかったんだ。心の底に押し込められていただけなんだ。答えは最初から持っていた。解き方を忘れていただけなんだ」


 リリィは無言で頷いた。


「だからきっと、他の感情もじきに思い出せると、そう思うんだ」


「私もそう思います」


 リリィは何度も頷いた。





 車は山を下った。ヘッドライトの灯りを頼りに、蛇行した道を進む。路面左脇の斜面にはガードレールがなかった。一度でもハンドルを切り違えれば、車は簡単にこの斜面を転げ落ちるだろう。リリィの運転にミスはほとんどない。アキラも特に不安視してはいなかった。


 だが、中腹辺りの見通しの悪いカーブに差し掛かった時だった。前方に不意に、二台の車が現れた。路面一杯に並走し、猛スピードで突っ込んでくる。二台はどうやら、この道を誰も走っていないと踏んでレースに興じているようだった。逃げ場はない。リリィは思わず咄嗟に、左側にハンドルを切った。アキラの乗る側のタイヤが、一瞬中に浮く。直後、車は勾配を転げ落ちた。声を上げる間もなく、アキラは頭を打ち付け気絶した。



「アキラさん。アキラさん」


 リリィの呼び掛ける声で、アキラは目を覚ました。ぼやけた視界が徐々にハッキリとしてくる。車体はどうやら横転しているようだった。アキラの左側の窓からは地面が見える。


「アキラさん、大丈夫ですか?」


 再びリリィが呼び掛ける。声はアキラの前方からした。アキラが声の方へ目をやる。正面に転がるリリィと目が合った。


「リリィ―――君こそ、大丈夫なのか?」


 リリィは、車の外へ放り出されていた。


「ええ、まあ。破損部分が多くて動けそうにはありませんが―――内蔵されてる無線システムで、既に救急要請をしました。位置情報も送信済みなので、そのうち助かるかと」


「そうか。僕の方は―――ああ、駄目だ」


 アキラは首を小さく動かし、自信の体を確認した。両足があらぬ方向へ曲がっている。先刻から鈍痛も酷い。外傷は多そうだ。


「アキラさん、大丈夫です。私の分析では、命に別状はなさそうです。安心してください」


「ああ―――でも痛いんだ」


「アキラさん、そういうときは、何か楽しいことを考えるんです」


「楽しい―――こと...」


「そうです。楽しいことです」


「今はこうなっちゃったけれど」


 アキラは言葉を選ぶように言う。


「この旅は―――楽しかったよ」


「私もです」


 リリィが微笑む。


「今回だけじゃありません。アキラさんと過ごす日々は、本当に楽しかったです。アキラさん、ありがとうございました」


「僕は別に、何もしていない」


「それでいいんです。アキラさん、貴方と一緒です。貴方が隣に居るだけで、私は幸せだったんです」


「ああ―――」


 朦朧としだした意識の中で、アキラは答える。


「ごめん、リリィ。またしばらく気絶する」


 言い終えると、アキラは事切れたように動かなくなった。


「本当に―――幸せでした」


 アキラの顔を見詰めながら、リリィが呟く。


「ごめんなさい、アキラさん。私はもう助かりそうにありません」


 リリィは、左手で腹部の辺りを押さえた。そこからしたの脚部が、リリィから無くなっていた。転落の衝撃の中で胴体が分断されたようだ。断面からは液状のものが溢れていた。アキラからは、リリィの体が丁度遮蔽になって見えていなかった。


「これからもっと幸せな時間を築けたかもしれないと思うと....悔しいですね」


 ポロポロと涙がこぼれる。


「まだ貴方が、楽しいという感情を取り戻したばかりなのに―――私はもう、貴方とそれを共有できません」


 リリィは腕だけでアキラのそばまで這い寄った。


「幸せな時間をありがとうございました。アキラさん。どうか、お幸せに」


 割れたフロントガラスの間からアキラに手を伸ばす。その指先が、そっとアキラの頬に触れる。


「ロボットの私が愛した人―――」


 遠くで救急車のサイレンが聞こえた。リリィの伸ばした腕が崩れる。


 感情を持ったロボットの最期だった。





 目を覚ましたアキラの脳裏に真っ先に浮かんだのは、リリィのことだった。アキラは飛び起きた。体に繋がれていた医療器具が倒れる。病室のようだ。音を聴き着けて、看護婦が飛んできた。


「リリィは!?」


 内線で医師を呼ぶ看護婦にアキラが叫ぶ。看護婦はキョトンとした。


「近くに倒れていた女性です!無事なんですか!?」


 リリィが誰のことであるかを理解した看護婦は、悲痛に顔を歪めた。


「落ち着いてください。怪我に響きます。まずは医師から、貴方の身体の状況についての説明を聞いてください」


「僕なんかどうでもいい!リリィです!リリィはどうなってるんですか!?」


 看護婦は困り果てた。そこへ、医師が入室してくる。


「お目覚めですか。どうですか?気分はいかがですか?」


 医師がアキラに訊ねる。アキラは首を振った。


「僕はどうでもいいんだって。リリィは?リリィはどうしてるんですか?」


 医師は看護婦と顔を見合わせた。看護婦は困ったように肩をすくめた。


「―――連れてこさせよう」


 医師が言う。看護婦は頷くと部屋を出ていった。医師がアキラに向き直る。


「アキラさん、一先ず落ち着いてください。いいですか?貴方にとってはとてもショッキングな出来事で、受け入れ難い事実かもしれません。私としては、混乱状態にある貴方に今お見せすることには、正直否定的です。ですが、遅かれ早かれ知らなければならない事実。受け入れる覚悟をしてください」


 廊下の奥から、ガラガラと何かが運ばれてくる音がする。


「いいですか。先ず、貴方の隣で倒れていた女性はロボットです。人間ではありません」


 アキラは頷く。


「そして彼女は、我々が到着したときには既に動いていませんでした。人で言う、死亡した状態にありました」


 アキラは目を見開いた。衝撃のあまり、声も出ない。それとほぼ同時に、部屋にストレッチャーが運び込まれた。上には、シーツに覆われた“何か”が乗っている。


「誠に残念ですが―――回収した御遺体をご覧になられますか?」


 アキラのベッドの横に、ストレッチャーが並べられる。アキラは震える手で、シーツをそっとめくった。


「ッ――――嘘だ...」


 上半身と下半身の分断されたリリィが、そこには乗っていた。瞳孔の開いた目に、病室の天井が映り込む。


「嘘だぁッ!!」


 アキラは嗚咽した。医師達が、目配せをしてそっと部屋を出る。


「嘘だろ!?リリィ!起きろよ!これぐらいの怪我、君ならなんともないだろ!?電池切れか何かだろ!?なあ!!」


 しかし、無機質になったリリィの表情に変化はない。アキラは既に悟っていた。彼女はもう帰ってこないことを。だが―――


「帰ってこいよ...リリィ...」


 だがそれは、今のアキラには到底受け入れられるものではなかった。


「ほら、リリィ。僕、“悲しい”って感情を思い出したよ。ほら、泣いてる。十年ぶりぐらいに、涙が出たよ―――だから―――」


 ―――だから―――


「喜んでくれよ、リリィ。笑ってくれよ。いつもみたいに。これじゃあ―――これじゃあ、ただのロボットみたいじゃあないか」


 アキラはそっとリリィに触れた。それは、アキラの知るリリィだった。人間の皮膚そっくりの、それでいてどこか固さのある質感の肌。


「何でだよ。まだ“楽しい”を思い出したばかりじゃないか。これからもっと楽しい思い出を作るんじゃないのか?早すぎるよ―――」


 それでも、リリィはピクリとも動かなかった。アキラはベッドに突っ伏して泣いた。




「リリィ、君との日々は幸せだったよ。君が隣に居るだけで、僕は幸せだったんだ」


 最後に聞いたリリィの言葉を、アキラは反芻する。


「僕には感情がなかった。でも今思い返せば、毎日僕は幸せだった」


 もっとリリィと感情を、思い出を共有したかった。涙が止まらない。


「本当に―――幸せだった」


 リリィの頬を撫でる。


「幸せな時間をありがとう、リリィ」


 その指が、リリィの目元の涙の痕に触れる。


「人間の僕が愛したロボット―――」


 青年が微笑む。






ロボットは微笑まなかった。

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