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2017年/短編まとめ

寝物語:鶯張りの廊下

作者: 文崎 美生

鬼童(キドウ) 真珠(マシロ)は寝付きが悪い。

夜になると目が冴えてしまう。

眠れず暇なものだから、夜毎一人そろりと寝床を抜け出しては、自宅をまるで何処ぞの爺のように徘徊している。


これが夜中手洗いに起き出した家族が悲鳴を上げるくらいならば笑い話だが、本分たるはずの学業に影響が出れば笑いも引っ込む。

近頃では、学校の授業中休み時間問わず、机に突っ伏す姿が見られる。


眠りが短く、休息が足りず華奢な身体は枯れ木そっくりで、ちっとも太らない。

体調も不安定で体力もない。


そんな彼女を心配した友人が数日間泊まり込み、床を並べて眠ったり、安眠に良いとされる温めた牛乳を与えたりもしたが、上手くいかない。

最初こそ大人しく布団に入っていても、友人が一番深く眠り込んでいる時に、そろりと出て行ってしまい、温めた牛乳も手洗いに起きてしまう。


当の本人は、夕食である焼き魚を器用に解体しているが、友人達は気が気でない。

「ああ……」物憂げな吐息で(オオトリ) (リン)は嘆く。

額に程良く焼けた手を置けば、首元にぶら下げられた大きめのヘッドフォンがカチャカチャと音を立てた。


「何をやっても効果がない。何で」


何かと神経質で、備えあれば憂いなしを地で行く鈴である。

ただ、手の掛かる友人の真珠のことになれば、神経質と用意周到を更に上回り、真珠専用真珠を駄目にする人間になり、分かり易く言えば目に入れても痛くない状態だ。


「まあ、オレもここまでいけばどうかと思うけど」


額を押さえたまま、箸を持たない鈴の隣に座っていた羽衣(ハゴロモ) (メイ)も頷く。

但し鳴の手には箸が握られており、お浸しを持ち上げて口の中に放り込む。

お浸しを咀嚼しながら、鼻筋に沿って落ちる眼鏡を押し上げ、未だ魚を解体する真珠を見た。


日本で生まれ日本で育ち、純和風の日本家屋で住んでいるものの、真珠は長い白銀の髪を持っている。

食事中には緩く背中に流すように一つに結えられているが、その髪の色が変わることは勿論当たり前のようになく、それでも瞳は混じりっけのない黒。

色素がどうなっているのか疑問に思う容姿で、白磁の肌、黒い瞳の埋まった涙袋の出来る場所には濃い隈があった。


どうしても目立つそれに目を細め、自身の真向かいに座る真珠の双子の兄である鬼童(キドウ) 玄乃(クロノ)を見る。

黙って鈴と鳴の言葉を聞きながら、食事を摂っていたが、視線を受けて顔を上げた。


「双子だけど数時間数分数秒兄なクロはどう思ってるんだ」

「俺?俺は、まあ、昔からだし」


真珠とは違う、白くも健康的な暖色を含む肌色に、薄茶の髪でその顔付きも似ていない。

どちらも意志の強そうな顔付きだが、真珠の方が儚げで、玄乃の方が利かん気の強そうなものだ。

そしてその顔をキョトンとさせ、隣に座る双子の妹である真珠を見た。


するとその視線を受けて顔を上げた真珠は、黒い瞳を一度二度と瞬き、解体された魚の乗った皿を差し出す。

既に真珠の前には、解体し終えた魚があり、差し出している方の皿は玄乃のものだ。

「ありがと」静かに皿を受け取る玄乃に向けられる、鈴と鳴の目は冷えきっている。


「まあ、俺でも良いなら試しても良いけど」


数時間数分数秒の差とはいえ、妹である真珠の手で解体された魚の身を咀嚼した玄乃が、ああ、と頷いた。


***


風呂から出て来た真珠が板張りの廊下を歩いていると、自室の前に双子の兄である玄乃が立っていた。

和風家屋に相応しく寝間着を着込んでいる真珠に対して、玄乃は黒いTシャツに細いスウェット生地のパンツと全く違う。


しかし、服装は長年同じ家に住んでいるのだから、今更どうこう言うようなことも思うようなこともなく、部屋の前に立っていることの方にどうしたのかしら、と首を傾ける。

そんな真珠に、玄乃は言った。


「今日は俺と寝よう」

「……兄さんと?」


訝しげに真珠の眉が歪められた。


「成程な」


ひょこり、曲がり角から顔を覗かせたのは鳴で、その後ろには相変わらず首元にヘッドフォンをぶら下げた鈴がいる。

突然の二人の登場に、真珠は長い睫毛を揺らしながら、はて、と玄乃を見上げた。


「確かにオレ達よりも効果があるかもしれないな」

「……真珠に変なことしたら殺す」


乾いた拍手をする鳴に対して、鈴の方は目尻を釣り上げて玄乃を見据えている。

律義にも、親指で首を掻き切る仕草も付け、最大限の殺意を込めていた。

それを鼻で一笑した玄乃は、真珠の肩を抱き、半ば無理矢理玄乃の部屋へと連れられて行く。


今日は俺と寝よう、と言ったのは玄乃であり、それにはあくまでも布団を用意したという意味合いはなかった。

真珠とは違い、劇的ビフォーアフターのように自室を洋風に作り替えている玄乃の部屋にはベッドがある。

その脇に来客用の布団を敷くなんてことはなく、真珠はベッドの中へ押し込まれていた。


二人で寝ても余裕のある広さのベッドだが、寝具を変えようともどうにもならないことは、既に経験済みだ。

割と固めの枕に後頭部を沈めながらも、毎夜うろうろと歩き回ることに慣れた今の真珠では、寧ろ今直ぐベッドから転がり出たいとさえ思っていた。


とはいえ、今日は隣に双子の兄である玄乃が眠っている。

鳴や鈴はぐっすりと寝入ってしまうと、真珠がちょっとやそっと動いた程度で起きはしなかった。

が、この実兄はそうはいかないだろう。

ふかふかの布団の中だというのに、居心地の悪さを覚えて真珠は何度目かの寝返りを打った。


「眠れないか」

「!……ん」


突如掛けられた声に肩を跳ねさせた真珠は、隣で眠る玄乃の方を振り向いた。

閉じられていたはずの瞼が持ち上げられており、ブルーグレーの瞳が見えている。

明瞭な声と焦点の合った瞳から、どうやら玄乃もずっと起きていたようだ。


白銀の髪は枕と布団の上に広がっており、それを撫で付けるように玄乃の手が動く。

掛け布団を引き上げられ、もふ、と口元を埋められた真珠。

されるがままの状態で「毎晩毎晩、廊下を彷徨いたところで眠れないだろ」と言われてしまう。


「そうだな……じゃあ、昔みたいに話すか」


うん、頷いたのは玄乃本人だ。

手は相変わらず真珠の長い髪を撫で付けており、真珠は唐突な提案に瞬きの回数を増やす。

一体この夜中に何が始まるのか。


昔の記憶を漁ろうとする真珠だが、その部屋の外では珍しく風が強い夜らしく、ザワザワと木が騒いでいる。

ともすれば、ざわめきに掻き消えそうな小さな声で、玄乃はゆっくりと真珠の耳元へ物語を語り始めた。


***


鶯張り、というものがある。

板張りの廊下を歩くと、廊下がまるで鶯が鳴くように軋んで音を上げるのだ。

悪事を企む不心得者がそろりとやって来ても、直ぐに分かるという仕組みである。


音を上げる仕掛けとしては板張りの中、継ぎの釘に細工をしてあるのだが、何分繊細なもので現在では鶯張りの技術は失伝しているようだ。

大工が人に教えることを厭い、技術は人に揉まれることなく消えてしまったのだろう。


だが、この鳴く廊下は有用だ。

どうにか真似をしようと何人もの大工が工夫を凝らした。


ある城でもかの二条城のような鶯張りが欲しいと大工に言ったそうだ。

けれどそっくりそのまま同じものというのは、やはり難しい。

依頼を受けた大工は似たようなものであれば良いか、と問い、城主は踏んで鳴ればそれで良い、と答えた。


何か入り用のものがあれば何でも用意すると城主が言うと、大工は手伝いをさせたいからと下女を一人貰い受けたらしい。


やがて完成した城の本丸は、それはそれは素晴らしいものだったそうだ。

襖引手には精緻な意匠が彫り込まれ、畳縁には金糸が用いられていた。

特に城主が喜んだのは、そう、鶯張りの廊下だ。

歩く度にキュウキュウキィキィと音が鳴る、望んでいた通りの出来栄えだった。


大工はしかし何分真似事であるから毎日手入れしなければ音がしなくなってしまう、と言う。

城主は勿論毎日来てくれと答えた。


城主は鶯張りを自慢して回り、皆一様に驚き、素晴らしいと声を上げる。

ところがここを通りたくないと言う者が一人。

城主の子供だ。


駄々をこね、乳母に泣き付いて嫌と言う様子に、どうしてだと城主は尋ねる。

子供は廊下が痛い痛いと泣いて可哀想と言った。

城主は一笑に付して、廊下は泣いたりしない、これは鶯張りというものだと子供に言って聞かせる。


けれど子供は頑として言うのだ。

痛い痛いと泣いている、父上もどうぞ聞いて下さい、と。

困ったものだと城主は腰を落として、子供の前に屈む。

そして城主と子供が上に乗って、キュウキュウキィキィいっている廊下へと耳を澄ませた。


「いたい。いたいいたい。――あぁ、もう、ふまないで」


廊下の下には、大工に与えた下女がいたそうだ。

女は縄を手から足から腰から首から、あらゆるところに巻かれていた。

縄は廊下の裏張りに緩みなく括り付けられており、人が上を歩くと縄が引かれ、身を引き裂かれるような痛みに耐え兼ねた女が苦鳴を漏らす。

――それこそが、その城の鶯張りの仕掛けだった。


鶯ではなく、人張り廊下だった、という訳だ。

平時弱って大声を上げる力のない女の声は、小さい子供の背丈までしか届かず、通っていた大工も、女が死なぬように餌を与えに来ていたのだった。


因みに、今でもその廊下では人が歩くと、木の軋む音の合間に、か細い女の助けを求める声が聞こえるそうだ。

特に、背丈の小さな子供が歩くと。


***


「おはよう。クロに、シロ――って何でシロは抱き抱えられてるの」


玄乃の自室から出て来た玄乃と真珠。

廊下で鉢合わせた鳴と鈴だが、純粋な疑問を口にしたのは鳴の方だった。

眼鏡を押し上げながらの問い掛けに、玄乃は横抱きにした真珠の体をよっこいしょと持ち直しながら答える。


「歩きたくないって。それでも、夜も部屋から出なかったし、良いだろ」

「ああ、それは良かったんじゃないか。なあ」


なあ、と鳴が振り返ったのは鈴で、朝だろうと寝起きだろうとヘッドフォンはその首元を陣取っている。

だが、重要なのはヘッドフォンではなく、揺れる茶色の瞳だ。


「真珠がそれで良かったなら、良かった」


まるで娘を嫁にやる母のような言葉だと、玄乃の鳴も思う。

思わず目尻に浮かんだ涙を、女性らしい細く長い指先で拭う鈴。

それを横目に見る鳴が続けるようにして「それなら、暫くクロと寝れば良いな」と言う。


玄乃の首に巻き付いた細腕に力が込められるが、肝心な真珠からの返答はなかった。

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