序編
これはリハビリ代わりに短編のつもりで書いた小説です。
しかし、予定外に中編くらいの長さになってしまったので連日投稿で三話にて完結予定です。
短い間ですがお付き合いいただければ幸いです。
気がつけば、檜山 徹は戦場にいた。
いや、正確には戦場跡にいたというべきであろうか?
とにかくこれは比喩ではない。
徹自身もこれが比喩や例え話であればいいと思うが、これは残念ながら現実の話だ。
周囲に広がるのは正に地獄の光景。
同じ人間同士がそれぞれ手にした武器を用いて互いを傷つけ、殺し合う。
そうした争いの成れの果てがそこにあった。
広大な平原に転がる夥しい数の死体。
漂う鉄臭い血の臭いと、そこら中で上がっている火の手の影響か。肉の焼ける悪臭もする。
どうやら優劣は決した後のようで、勝者側であろう兵士がまだ息のある敵兵を殺して回っている。
それは、軍隊に属していた徹にとっては見慣れた光景で、同時に最も嫌悪する光景であった。
そんな戦争の成れの果ての真っ只中で、徹は呆然と呟く。
「……なんでこんなものをまた見なけきゃいけねぇんだ。
戦争なんてふざけたもんはもうあれを最後に終わったはずだったろうが……」
そう、戦争はもうなくなったはずだった。
少なくとも、彼はそう記憶していた。
世界から戦争が失われた日。
世界の半分の人間が世界から失われた最悪にして最後の戦争の当事者として。
だが、戦争は再び起こっている。
人々は懲りずに殺し合っている。
否定したくとも、目の前の光景がそれを許さない。
その凄惨たる光景は彼の唾棄する戦争が、再び起こってしまったことを意味していた。
だが、彼には一つ大きな疑問があった。
それは、いったいどうして、
「こいつら、こんな前時代的な戦争してやがったんだ?」
それこそが、徹が戦場に散らばる様々な武具の類を見て、純粋に感じた疑問であった。
この戦場後には銃器も無ければ戦車などの大型兵器の残骸も無い。
明らかにこの場で繰り広げられたであろう戦争は、確かに彼が嫌う戦争ではあるものの、その記憶にあるものとは大分趣が異なる。
技術の発展に伴い、戦争は効率化され、こうした近接武器は一部の例外を除き、戦場からは排除された。
徹の知っている戦場では、武器と言える最低ラインは銃だ。
しかし、それすらも彼の知る戦場では遅れている。
なら、主戦力は戦車や戦闘機なのか? と問われればそれも間違っている。確かにそのレベルの戦力なら駒の一つにはなり得るが、主戦力とは言い難い。
ならば、徹の知る最適化された戦争。
苛烈を極め、ついにはお互いを滅ぼしすぎたその戦争において、主戦力とされたものは何なのかと問われれば、それは―――、
「まだ生き残りが居やがったか!? さっさと死にやがれや!!」
「ッ!?」
そこで、突如として戦場に現れた徹を敵として認識した兵士の一人の槍が彼に迫る。
しかし、徹はほとんど武装というものをしていない。
戦争の消えた世界にいたのだから当然と言えば当然だ。
彼が装いは黒を基調とした小奇麗な軍服と、その背に羽織った裏面が赤、外が黒と、比較的一般的な色彩のマントのみ。
持ちうる武装は一切無し。
対して、迫りくる敵は完全武装。
頭から足先まで鉄の甲冑で覆われ、手にする槍もかなりの上物。
もはや結果は日を見るよりも明らか。
数瞬後には槍に串刺しにされた無残な死体が一つ出来上がる。
だがそれは―――彼がただの人間であればだ
(【脳施錠】開放、―――演算開始)
直後、彼の視界が捉える世界は低速化し、脳内には無数の数式が駆け巡る。
時間にすれば一秒にも満たないその一瞬の中で、彼の思考は迫りくる槍の位置座標を正確に割り出した。
(理論位置座標算出、現出補正3・6・2―――≪座標固定≫)
「な、なんだ!?」
甲冑の兵がくぐもった声で動揺を顕にする。
しかし、それも無理は無い。
彼の構えていた槍。
今まさに突き刺さんとしていたそれが突如として構えた場所から動かなくなってしまったのだから。
鍛えている兵士である彼がいくら押そうが引こうが槍はうんともすんとも動かない。
それはまるで槍が空間に固定されているかのようであった。
「なんだ、なんで動かないんだ!? ちくしょう、てめぇ何しやがった!?」
槍兵は動かない槍を前にただただ喚き、動揺するのみ。
しかし、戦場において、その隙は致命的なものだ。
その隙を徹は逃さない。
固定された槍を避けるようにしながら一瞬にして槍兵の懐まで潜り込んだ。
「破ッ!!」
直後、砲声と共に体の捻りを利用した裏拳を槍兵の頭に叩き込む。
ごんッという鈍い金属音と共に着弾したその一撃は兜に守られた槍兵の頭にまで衝撃を届かせるのと同時に、発された爆音は兜内で大反響を起こし、見事に槍兵の意識を刈り取った。
Extra-sensory perception、略してESP。
俗に超能力と呼ばれる力。
それこそが徹の知る戦争における主戦力だ。
時代の経過と共に際限なく発展した科学は、遂に人工的な超能力の開発を可能にした。
今や超能力は創作やオカルト上の話ではない。
適正な薬品と、適正な手順を踏むことで、人工的に開発することができる。
正に科学的に証明できる産物と化したのだ。
徹の力もこの例に漏れない。
彼の力は≪座標固定≫。
その能力は演算により弾きだした座標を元に、対象物を空間に座標固定する能力だ。
無論、この能力の使用には複雑な演算が必須ではあるが、それは最早問題ではない。
というのも、それは彼がここで行われた戦争を前時代的と呼ぶのと関係していたりする。
「ふう……久々だったけどどうやら勘はまだそこまで鈍ってなかったみたいだな。
にしても、これはほんとにどういう状況なんだ?
まさかこいつもあんな攻撃が当たると思ってはいなかったはずだよな?
能力開発があたりまえになった現在じゃ、その副産物として手に入る超人的な演算能力と意図的に没入可能なゾーン状態の影響で、生半可な攻撃は無意味になったのを知らないわけじゃないだろうに」
そう、今や人類の多くは能力開発により、脳を高度化された影響で、スパコン並みの演算能力と一時的に極度の集中状態に入るゾーンを誰でも持っているのがあたりまえだ。
そうした状況ではただの武器では意味をなさない。
拳銃ですら大きな脅威ではないほどだ。
自在に発動できる極度集中状態と、敵に攻撃の着弾地点まで暴き出せる演算能力の前ではそうした攻撃は最早通用しない。
今や通用する攻撃手段と言えば演算能力でも算出しきれない、超能力による攻撃が殆どだ。
そして、だからこそ、この戦場は徹にとって不可解に過ぎた。
(本当になんなんだこの戦場は……なんでこんな古臭い武器使っていやがる?
見たところ、能力の触媒にされたような形跡も無い。
それに今の兵士もそうだ。
普通に槍で俺を攻撃してきた。
つまり、こいつらは本当にこんな骨董品を使って戦っていやがってことだ。
……だが、ふざけてこんなことをしたとも思えない。事実死傷者は大量に出ている。
だとすればだ。もしかして、使わないんじゃなくて……使えないのか……?)
そして徹は核心に至る。
効率的かつ、合理的な方法があるのにも関わらず、わざわざ前時代的な武装で本気の殺し合いをする理由。
それは当事者たちがその武装を持ち得ないからに他ならない。
(そもそも俺の考えてる前提条件に間違いがあったのかもしれない。
俺は今まで超能力が存在する前提で物事を考えてたけど、もしもそれが間違っているとすれば、彼らは能力を使えない人達ってことになる。
だが、先の戦争の際、人類のほぼ全員はある種強制的にどこかの国や派閥の戦力として捉えられ、能力開発されたはずだ。
それが行われていない人々……そんな奴らまだこの世界に居るのか……?)
そこで徹はふと、自分の言葉に引っ掛かりを覚えた。
そう、この世界にはあり得ない。
ならば、他の世界ならどうなのかと。
(いや、まさか……そんなことがあり得るのか……?
でも、そうすると説明がついちまう。
能力を使わないのも。
能力者を理解していないのも。
そして、銃すらも使わずにこんな前時代的な戦闘を行っていたのも。
全部説明がついちまう)
それはありえないはずの考え、言ってしまえば夢物語のようなものだ。
だが、もしも、もしも本当にそんな事が自分の身に起こっているのだとすれば、自分はこれからどうすればいいのだろうか?
……すぐに答えは出なかった。
徹は答えの出ない問いを振り切るように頭を振ると、顔を上げる。
「とにかく、今は圧倒的に情報が足りない。
何とかしてここの情報を集めるしか……ちッ!」
「ハハハ、生き残りは死にやがれぇぇえ―――ッ!!」
徹が一先ずの方針を決定付けたその時。
続く思考を邪魔するかのように背後から武装した兵士が遅いかかって来た。
彼が手に持つ武器は剣。
西洋風の両刃剣だ。
刀のように鋭く切るのではなく、力任せにぶった切ることをメインとした刀剣の類。
必然、兵士は渾身の力を以て剣を振るってくる。
正直、徹にとっては絶好のかもだ。
徹は即座に身を反転させ、兵士を視界に捉えると、演算を開始する。
(理論位置座標算出、現出補正5・2・6―――≪座標固定≫)
直後、渾身の力で振るわれた兵士の剣が中空にてぴたりと静止する。
徹は事態に戸惑う兵士の兜と甲冑の間に突き刺すように抜き手を叩き込む。
理解の及ばない事態にただただ動揺していた兵士はあっさりとその場に崩れ落ちた。
(っと、いくら事後とは言え流石に戦場で突っ立てるのはまずかったか。
どうやらこの戦場はできて間もないものみたいだな。
残党狩りが行われてたり、肉の腐る腐臭が強くないのもその証拠だ。
とにかく、ここが俺の知らない世界の可能性がある以上、今は情報を集めるのが先決か。
問題はどうやって情報を集めるのかって話だが……)
「無駄な抵抗をしやがって!!」
「大人しく死にやがれ!!」
今の姿を見られていたのか、今度は前後から二人の兵士が徹の息の根を止めようと襲い掛かってきた。
徹は前後から向かってきた槍兵二人を座標固定を利用して捌きながら、思考を続け、状況の観察に努める。
とはいえ、状況は既に完結している。
戦争が起こり、片方が負けた。その事実は確定的だ。
だが、どうやら場の様子を見るに、それが起きたのはそう前の事ではないらしい。
それ程にこの戦場跡はまだ新しかった。
と、そこで遠くの一団が目に入る。
どうやら数人で何かを囲んでいるようだが、ここからでは判断が難しい。
徹は襲ってきていた二人を座標固定を利用して隙を作り、あっさりと昏倒させると、その集団の元へと向かう。
そして、事態を把握した瞬間、徹の表情が凍った。
集団の構成人数は五人。
彼らは全員槍を手にしており、何かを囲むように円状に立った彼らは、哄笑を上げながらその何かをめった刺しにしていた。
『グフッ ガハッ!! もう……殺して……くれ』
『きゃはははははあははあああ、ゴミが、ゴミくずが!!』
『醜い声を上げやがる!! 死にてぇか、ほら死にてえのかよ!?』
『ざ・ん・ねぇ~~ん!! そう簡単には殺してあげませぇ~ん』
『もっともがけよ。苦しめよ。ほら、もっと俺達を楽しませろよ下等種族!!』
『下等種族の分際で、大国に盾突くからこういう目に合うんだよ!! ひゃはははッ!!』
その何かは……人間だった。
「~~~~~ッッッ!!」
気が付けば、徹の体は動いていた。
冷静に今この瞬間にも囲んだ誰かを痛めつけようとする槍二本を座標固定で空間に縫い止めると、それにより集団が困惑することで生まれた隙を突くことで急接近。
鎧の隙間を縫うように抜き手を放つことで、瞬く間に二人を昏倒させる。
そこで、ようやく事態に気づいた三人が槍をこちらへ向けようとするが、そのうち二本を即座に座標固定。
突きだされた残り一本を軽い体捌きで避けると、一気に懐に入り込み、頭部に裏拳を放つことで、衝撃と反響を利用して昏倒させる。
そうして残った二人も、うんともすんとも動かなくなった自分の武器に動揺している間に、容易くその意識を奪った。
「……くそ、胸糞悪い真似をしやがって」
そこで、徹は槍でいたぶられていた人間に目を向ける。
まだ二十代程の青年のようだが、その全身にはいくつかの穴が開いている。
囲んでいた彼らがやったものに違いない。
しかし、一撃では致命に至ることが無いように計算して致命箇所を外されていた。
それは紛れも無く、青年の命が弄ばれていた証拠だ。
だが、いくら致命箇所を外されているとはいえ、流れ出た血が多すぎる。
……致命傷だ。もはや青年に助かる見込みは無かった。
徹は服が血で汚れることも気にせずに、青年の傍らに膝をつくと、静かに問いかけた。
「なあ、俺の言葉がわかるか、わかるなら答えてほしい。
あんたの名前を教えてくれ」
問いかけると、虚ろに開かれた青年の目が微かな反応を示す。
どうやら徹が何をしたのかは悟っていたらしく、青年は素直に口を開いた。
「グフッ……ノ、ノイン……ノイン・アル、セイフ……です」
「そうか、ノイン。
いいか、落ち着いて聞け、もうあんたは死ぬ。
だから、最後に何か言い残すことがあれば言ってくれ。
俺で良ければその言葉しっかりと胸に刻んでやる」
青年は徹の言葉を聞いて少し、茫然とした後、自身の行く末を悟ったのか、涙を流しながら震える唇で告げた。
「……な、なら……無理な、ことは……わかってる。無茶を、言ってる、のは……わかってる。だが、それでも……告げて、良いの、なら……姫様を……彼女達を助けて……くれない、だろうか」
徹は青年の言葉聞き、僅かに逡巡した後、悲痛な笑みを浮かべて彼に答える。
それは月並みかもしれない。
出来ることではないのかもしれない。
だが、せめて死に逝くその間際くらいは、安心していかせてやろうと、そう思ったのだ。
だから、
「わかった。ノイン・アルセイフ。あんたの願い、この檜山 徹がしかと聞き届けた。
あんたの姫さんは俺がこの手で必ず助けてやる。だからあんたは……安心して逝ってくれ」
きっと青年も本気でそうしてくれるとは思ってはいなかっただろう。
だが、それでも、はっきりと自分の願いに応えてくれた。
それだけでも、青年にとってはそれだけで十分だったのかもしれない。
そうして青年―――ノイン・アルセイフは最後に徹へ『……ありがとう』と声にならない声で囁くと、この世を去った。
「……ふざけんじゃねぇぞ」
徹は居場所のない怒りを吐き出す。
無益な戦いに巻き込まれ、若い者がその命を散らす。
そう、これは徹が最も嫌悪したはずの光景だった。
「……なんで、どうしてまだ若いこんな奴が命を散らさなきゃいけねえんだッ!!
こいつにだって、未来があったはずだ。夢があったはずだ。まだまだやりたいことがいっぱいあったはずだッ!!
なのに……なのにどうしてそれが、こんなごみのように、玩具のように命を弄ばれなきゃいけねぇんだ!?
俺はこんなものを二度と見たくはなかったから、あの日まで戦い続けてきたはずなのに……どうして……どうしてなんだよ……」
血が滲む程唇をかみしめ、爪が食い込む程拳を握りしめ、そして、大粒の涙を流しながら徹は慟哭する。
もはや、彼の慟哭を聞いた残党狩りの兵士が集まってきていることなど関係が無い。
―――――やることは既に決まっていた。
例えそれが叶わないと、そう悟りながら紡がれた願いであったとしても、
その願いを叶えてはいけない通りは存在しない。
そう、これは単なる自己満足だ。
例え願いを果たしたところで、青年が生き返るわけでも、感謝を述べることも無い。
青年が死してしまった以上、最早彼が何をしたところで、それは死に逝く青年に何もすることができなかった自分への慰めに過ぎない。
そんな事は先刻承知。
それでも、自分が動くことで、青年の願いを、青年の思いを誰かにつなげることが出来るのだとしたら。
「それだけでも十分、俺が命を張るだけの価値はあるはずだッ!!」
徹は青年の亡骸の瞼をそっと閉じると、立ち上がり、周囲を確認する。
間違いなく、この戦場下で撤退するとしたら右手に見える森しかない。
姫という単語から察するに、その彼女の地位は低くないはずだ。
であれば、最優先で逃がされているはず。
もしも残党狩りの兵が追って森に入っていたとしても、間に合う可能性はまだある。
そうして徹は自分に集まってくる残党を見据えて叫ぶ。
「時間がねぇ、お前らに構ってる時間はねぇんだ。
そこをどけよ。こいつの、ノインの願いは俺が必ず叶えて見せる!!」
徹は宣言と共に、森へと向かうべく、行く手を阻む敗残兵の集団へとたった一人で向かっていった。
****
戦場となった場所から右方にある森の中。
鬱蒼と生い茂った木々の間を二人の少女が駆け抜けていた。
方や黒髪を肩口で切りそろえたミディアムヘアーの少女。
方や透き通るようなプラチナブロンドの髪を背中まで垂らしたロングヘア―の少女だ。
二人は暗い森の中、大勢の男達にその命を狙われていた。
「キキヒヒひッ!!! いったいどぉ~こに逃げようというのでェすかァ? シンシア・アリアネス姫殿下ぁ~~ッ?」
「くッしつこい奴等ねッ……まさかここまで来ても振り切れないなんて……」
「姫様、このままでは……」
「わかってるわ、クレア。でも、今はとにかく走るの。それしかないわ」
「姫様……」
何かを切り出そうとするクレアの意見を一蹴しながらシンシアはまるで何かからめを逸らすかのように一心に森の中を走り続ける。
シンシアを救うために、既に多くの仲間がその命を投げ出した。
彼女が率いていた部隊も今や生き残っているのは傍らを走るクレアだけ。
アレクもロイもジョアンもエリックも……そしてノインも、みんな自分達を逃がすためにあの場に残ったのだ。
だから、もうこれ以上仲間の、大切な人たちの命を失うわけにはいかかった。
彼らの思いに答えるためにも、二人で生き残らなければいけない。
シンシアはそう強く決意し、森を駆けていた。
しかし、現実は残酷だ。
今も背後からは追っ手の気配がし続けている。
間違いない、帝国の残党狩りの兵たちだ。
彼らはエルフである自分達を異端者だと断罪し、突如として進行してきた。
奴らは、一人残らず自分達を狩りつくすつもりなのだろう。
その証拠に、立った二人の残党のために、数百人以上の追っ手を差し向けてきている。
奴らは全員男だ。男の彼らと女の自分達ではどうしたって身体能力に歴然とした差が出てくる。
―――決断の時は迫っていた。
「頑張ってクレア。妖精国まで戻れればまだどうにかなる。この森さえ抜けられればきっと―――」
励ますようにシンシアはクレアへと語り掛け続ける。
しかし、それはどこか自分にそう言い聞かせているかのような、そんな声だった。
クレアはそのことに悲痛な表情を浮かべると、その淡い幻想を砕く現実を告げた。
「……姫様、やはり無理です。このままでは二人とも捕まって奴らの慰み者になるだけです。
ノインさん達は女性である私も姫様の護衛として逃がしてくれました。
でも、護衛を任された以上、これが私の役目です。ここは私が足止めをするのでどうかお先に―――」
「ふざけないでクレアッ!! 何を言っているのッ!! だめよ、許さないわ。必ず生きて祖国に戻るのよ、私たち二人で!! 二人でよッ!!」
「我がままをおっしゃらないで下さい姫様。もしもそれであなたがここで死んでしまっては意味がありません。どうかあなただけでも先に……」
「我がままなんかじゃないわ!!
もう私はこれ以上大切な人を失いたくないのよ!!
もしもどうしてもあなたがここで死ぬというのなら、私もここで一緒に死ぬわ」
「姫様、ふざけたことを言わないでくださいッ!! ここであなたが死んでしまったのでは、私に貴方を託してあの場に残った皆に私は顔向けできません!! あなたは何としても、何を犠牲にしたとしても、生き残らなければいけないのです!!」
「それは……でも、それでも、嫌よ。嫌なのよ、クレア。みんな私を置いて逝ってしまった。あなたまで逝ってしまったら、私は……」
「姫様……申し訳ございません。辛い思いをさせてしまって……ですが、それでもあなたには生きてもらわなければならないのです。私たちが戦うためには、どうしてもあなたの存在が必要なのですよ。ご理解下さい……」
「~~~~~ッ う、うぅ……」
気が付けばシンシアの瞳から涙が零れていた。
そう、分かっていた。分かっていたのだ。
クレアの言っていることは酷く正しい。
シンシアにもそんなことは理解できている。
だが、理性で理解できることと感情で理解できる事は全く別の話だ。
このままでは二人とも逃げ切れない。
可能性を少しでも残すためには、どちらかが犠牲になる必要がある。
しかし、シンシアは国の姫、指揮を側の人間だ。
ならば、外れくじを引くのは護衛であるクレア以外にあり得ない。
だが、だからと言って彼女の命を簡単に切り捨てられるわけがない。
ましてや彼女は女性だ。捕まったが最後、ただ殺されるだけでは終わらない。
きっと奴らの玩具にされ、死ぬまでその体を弄ばれることになる。
幼い頃から自分と共にあった彼女を、そう簡単にそんな地獄へと突き落とす決断をすることなど、シンシアにはどうしてもできなかったのだ。
「姫様、私は……」
「よぉ~~~やく、追い付きましたよぉぉぉ~~。シンシア・アリアネス姫殿下ぁぁあああ~~?」
「くッもう追いつかれたの!?」
「姫様、お逃げください。ここは私がッ!!」
そう力強く告げてクレアは自分の背にシンシアを隠すように前へと腰に携えた一対の双剣を抜いて踏み出す。
敵の数は数十以上。
戦力差は圧倒的だ。
クレアがどう足掻いたとしても勝ち目など存在しない。
それでも既に彼女の覚悟は決まっていた。
例えここで倒れ、無残な結末を迎えることになるとしても、シンシアだけは絶対に守り通して見せるのだと。
しかし、残党狩りを率いる、金色の鎧に身を包んだ男、パレオ・コンツェッティはその覚悟をあざ笑うかのようにその健気な献身を前に愉悦に顔を歪めながら告げる。
「ああ、あああ、素晴らしい! 素晴らしいですよぉぉおおお!!
その主への献身的な姿勢、絶対的な忠義! 全てが愛おしいいいいいッ!!
ああ、アナタは良い、とても良いッ!!」
息を荒らげ、激しく興奮するパレオ。
その姿はクレアとシンシアに凄まじい嫌悪感を覚え、無意識に少しでも距離を取ろうと後ずさる。
だが、パレオの視線が二人のエルフとしての特徴である長い耳にいった途端、その表情は一転した。
「そう、アナタたちは素晴らしい。見れば見る程興奮させられるっ!!」
パレオの言葉が止まる。
直後、彼の顔から表情が消えた。
「―――その邪魔な長い耳さえ存在しなければ」
「「―――ッッ!?」」
一転して憎悪に一色に染められるパレオの表情。
その顔は憎しみに醜く歪んでいた。
「だめです。その耳はだめなのです。主の与えた絶対的な容姿。そこからどうしようもなく歪んでしまったその耳は存在してはならない。だから駆逐しなければ。駆逐しなければ。駆逐しなければ。駆逐しなければ。駆逐しなければ。駆逐しなければ。駆逐しなければ。駆逐しなければ。く・ち・く・し・な・け・れ・ばならないッ!!
ああ、なんと惨いッ!! なんと残酷ッ!! どうしてアナタ達はそんな醜い耳を持っているのでしょうかッ!?
その耳を持つ限り、私はアナタ達を駆逐しなければなりませんッ!!
しかし、安心してください。
要はその耳さえなければいいのです。
今すぐにその両耳を切り落として、ワタシの従順な僕として、主の信徒として調教してあげましょう。矯正してあげましょう。心を入れ替えさせてあげましょう。
だから、アナタ方は安心してその身柄を私に差し出しなさい、それこそがアナタ方の幸せに繋がるのだから、さぁご決断なさい、シンシア・アリアネス姫殿下とその護衛の者よッ!!」
両手を広げ、まるで二人を受け入れるかのように息を荒らげて待つパレオ。
その顔は断られるという可能性を微塵も考慮していないようで、それが二人の嫌悪感をいっそう際立たせる。
それは妄信だ。盲目だ。狂気だ。
間違いない。奴は、パレオは狂っている。
奴の元に行ってしまったが最後、そこで今の自分達の人生は終わりを告げる。
そうした確信があった。
例え、その後も生き続けることができたとしても、それはもはやここに居る自分とは異なる誰かになってしまうのだろう。
それはきっと……死よりも辛く、苦しく、恐ろしいことだ。
だから、
「姫様ッ!! 行ってくださいッ!! 私が時間を稼ぎますッ!! おそらく……そう長くはもちません。だから少しでも遠くへッ!! 後ろは振り返らずに、ただ走ってくださいッ!! あなたが生き続ける限り、私たちの希望は潰えないのだからッ!!」
「でも、でもクレア……それではあなたが……嫌よ。そんなのは嫌よ。私にはそんなこと、」
「―――行きなさいって言ってるでしょッ!! 最後くらいちゃんと私の言うこと聞きなさいよシンシアッ!!」
「―――ッ クレア……」
「……時間が無いわ、ほら行って、早くッ!!」
「………ごめん……ッ」
最後まで名残惜しそうに、クレアへと視線を向けていたシンシアだったが、やがて全てを振り切るように背を向けると、そのまま森の奥へと走り去っていった。
その瞳には確かに、大粒の涙が浮かんでいた。
「……じゃあね。幸せになるのよ、シンシア」
かくして地獄に残るは黒髪の少女ただ一人。
彼女もまた思いを振り切るように、憎きパレオを視界に収め、絶望的な状況にたった一人で牙をむく。
双剣を構えるその姿には、確かな意思が宿っていた。
「ああ、なんと、随分と勝手なことを言うものですッ!!
そう簡単に逃がしはしませんよ、シンシア・アリアネス姫殿下ぁぁぁあああああッ!!
信徒たちよ、行きなさい。あの素体を一刻も早く捉えるのです!!」
パレオが指示を下すと同時、彼の背後に控えていた軽装の男達の内、数十人が一斉に森の奥へと逃げたシンシアを捉えるべく駆け出す。
しかし、
「祖は万能なる雷。その雷撃を以て矛と為し、その雷禍を以て盾と為すもの。
さらば、我が対価と引き換えにこの肉体に祖の力の一端を分け与えよ―――≪ライジング≫」
直後、暗く閉ざされた森に雷光が迸ったかと思うと、今まさにシンシアを追い詰めんとしていた数十人の男達は流血し、地に伏せっていた。
それは正に一瞬の出来事だ。
流れるような詠唱が唱えられたその直後、全身に雷電を纏ったクレアが数十人の男達をその両手に携えた双剣で切り裂いたのである。
そこにはもうか弱い少女の姿は存在しない。
圧倒的な兵力を前に、毅然と佇むその姿は紛れも無く一人の猛将の姿に他ならなかった。
「これはなんと……」
「さっきの言葉、こちらからも返させてもらいます。
―――そう簡単にここを通すとでもお思いですか?」
「……なぁ~るほど。この素晴らしい剣技と美しい雷系統魔法、アナタが……アナタこそがッあの紫電の妖精、クレア・レーベルでぇ~~したかぁぁッ!!
なるほど、これは、これは何という行幸ッ!! まさかシンシア・アリアネス姫殿下以外にこれ程の素体に出会えようとは、思いもしませんでぇ~~したッ!!
おお、おお神よッ!! これが、これこそがアナタ様の思し召されし御啓示なのでございましょうかッ!?
ああ、素晴らしい、素晴らしい、素晴らしいッ!!
なんという慈悲の心でございましょうか!!」
叫び、いっそう興奮を高めていくパレオの姿を冷徹に見据える。
見れば見る程不快になる。なにしろその行動全てが理解できない。
その源泉がどこにあるのか、まったく見えてはこないのだ。
奴の口から出てくる言葉はおそらくその本質ではない。
だからこそ、理解ができないのだ。
理解できないというのはもっとも恐ろしい。
それは不透明な恐怖、言葉で表現できない戦慄をクレアに与える。
されど、目を背けるわけにはいかない。
クレアは今一度、自身の決意を再確認すべく、腰を落とし、臨戦態勢で構えると、全身から紫電迸らせながら冷徹に決意を告げる。
揺らぐことの無いように、彼女の、シンシアの姿を思い浮かべながら、自分の覚悟を確かめるように。
自分は守り抜くのだと、そう自らを奮い立たせるように、言い聞かせるように、覚悟を口にしてみせた。
「かかってきなさい変態。例えここで朽ち果てようとも、あの子が逃げる時間だけは稼ぎきって見せます」
「ああ、ああああああああああああッ!!
素晴らしいッ!! やはり素晴らしい。アナタは素晴らしい素体ですッ!!
その忠誠心、さぞや素晴らしき信徒に生まれ変わることでしょう!!
さぁ、悔い改めなさい。自らのその醜き象徴を切り落として、神に許しを請うのです!!」
「ご遠慮させていただきます。あいにく―――神は信じない性質ですので」
勝っても負けても待つのは絶望。
彼女の、クレア・レーベルの孤独な反逆の火蓋が今、切られた。
******
(クレア、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……)
一人になったシンシアは暗い森の中を孤独に駆け続ける。
クレアは強い。それは紛れも無い事実。
だが、いくら何でも多勢に無勢、兵力の差が圧倒的すぎる。
いくら雷系統の魔法と、卓越した剣技を振るう彼女と言えど、数の暴力には敵わない。
彼女が組み伏せられるのも時間の問題だろう。
だが、それでも彼女はきっと時間を稼ぐ、稼ぎ切る。
自らの運命を対価に、あの場できっと耐え続ける。
このまま走り抜ければ自分の命が助かる可能性も低くは無かった。
だが、
(本当に……これでよかったの……?
大切な臣下を切り捨てて、必要な犠牲だと割り切って、そうして背を向けて自分だけ逃げることが本当に正しい選択だったの……?)
気が付けば、自分は一人になっていた。
多くの人に守られて、その度に誰かが犠牲になって、そうした屍の山の上に、今自分は立っている。
果たして、こんなものが本当に、自分の望んだ姫としての在り方だったのかと。
シンシアは自分に問いかける。
(姫としての決意を固めたあの日、私は誓ったはずだった。
もう目を背けるのはやめようと。
そういうものだと、どうすることもできないと諦めて、蔓延る問題から背を向ける。
そんな行いはもうやめるのだと。
そう誓ったはずではなかったの……?)
そう、誓ったのだ。
あの日、自分が姫としての、いづれは妖精国を率いる者としての運命を決定づけられたあの日から。
問題から目を背けるのはもう止めるのだと。
逃げてきた問題に対峙して、救われぬものに救いの手を差し伸べる。
そんな指導者になるのだと。
そう誓ったはずだったのだ。
(なら、これはなに? この様はいったいなんなのッ!?
仲間を犠牲にし、その命を諦めて、自分だけが助かるために走る続ける。
こんなものが私の目指した指導者の姿だというのッ!?)
それは違う。と彼女は思った。
そんなはずがない。これで良い訳がないッ!!
こんなものは目指したものとは真逆のものだ。
自分がこうは成りたくないと、もっとも唾棄してきた生き方のはずだ。
……なら、正さなくては。
既に多くの者を失ってしまった。
でも、それでも……まだ取り戻せるものがあるのならばッ!!
ブレーキをかける。
逃げるのは止めだ。
自分にはまだ、取り戻さなければならないものがある。
だから―――
「絶対に、取り戻して見せるんだからッ!!」
彼女は来た道を引き帰す。
まるで失ってしまった何かを少しでも取り戻さんとするかのように。
一心不乱にただ、真っすぐ、来た道をそのまま駆け抜けていく……。