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人生なんて、ほんと、つまらないものさ。(私の人生考察瞑想ノートより)

作者: 舜風人

人生なんて、ほんと、つまらないものだ、、、と、


つくづく思う。


人生なるものを直視するならばそこに何が見えてくる?


食って


寝て


いやいやしょうもない仕事で食い扶持稼ぎ


くたびれて


酒飲んで


また寝る。



それだけの繰り返しじゃないか?


そうしてふと、気が付けば


もう中年


そして持病もちの自分が


さらにどんどん老いはてて


ある日ご臨終。


人生って


ほんとつまらないものですよ。





「おいおい、


お前何言ってるんだよ、。


そうじゃない人もいっぱいいるだろ?」





そんな声も聞こえてきそうですよね?


確かに私だって、


社会に尽くして貧しき人、病める人、苦しむ人の、の天使のような人も知ってますよ。


芸術に全身全霊を掛けて燃え尽きた人もいますよね。


疾風のように時代を駆け抜けて、時代を先導して、あっという間に死んでいった偉人もいますよ。


そういう人々はそれは充実した人生だったのでしょう。



でもよく考えてみてください、


ほとんどの人々、


一般大衆


一般庶民にとって


こういうごく一部の偉人の生き方など


ハッキリ言って全くの無関係でしかないのですよ。


これといって才能もなく


これといって頭も良いわけでもなくて


それほどの熱情も皆無。


それがほとんど99パーセントの一般大衆ですよ。


今生きてる人々の99パーセントにとって


人生とは


食って


寝て


いやいや食うために仕事して


酒飲んで


また寝る


それの繰り返しでしかないのが真実ですよ。


まあ


それが


彼らのこの人生での


彼らなりの



神から与えられた?お役目?だった、、と


いうしかないのでしょうね?


こう言い切ってしまうとまさに


身も蓋もありませんが


事実だからしょうがないですよね。


かくいうこの私も

99パーセントの中の一人です。


日々ただ与えられた生命を無為なるままに費消しているのみです。


私だって、若い頃がありましたねえ。


人生という大きな謎を前にして


世界とは?

宇宙とは?

生命とは?

この私の人生とは?


と、


若々しい懊悩に青春をさまよったものでした。


古今東西のあらゆる哲学書


宗教書

神秘書

文学



などを渉猟しつくして私なりに人生探求の心の旅をつづけたものでした。


そうして幾多の探求の旅から得た答えはこうでしたね。


すなわち


「世界に何をどう問うてみても、実は、、答えなるものはない」ということ、


そうして


「人生なるものには、実は、、何の意味(意義)はない」


ということでした。


ある意味この結論は悩める私にとっては衝撃的な答えでしたね。


というか、、


こう言い直しましょうか。


「やっぱりそうだったのか。世界も人生も、意味はなかったんだ」


という安堵感でしたね。


もし世界や人生に、ある特定の意味があったとしたら、私は


それを是が非でも実践しなければならないわけでしょうからね。


そうではない、


世界も


人生も全くの白紙だ。


それは悩める私にとって安堵と解放を与える名答でもあったのでした。


つまり


あなたは


そして


私は、この世界でこの人生で


何をしようと自由なのです。


何もしなくっての自由ですし


芸術三昧で突っ走ってもOKですし


金儲け三昧でもよろしい。


何をしたっていいんだよ。


でも?


それは究極的には、無意味なんだよ。


というある意味



恐ろしい?


世界の人生の


真実の扉でしたね。


そうしたいならなんでもしたらいい。


でもそうしたことの結果というか


意味づけは、あくまでも、無価値でしか無いんだよ。


なぜなら


世界も人生も「価値」(意味)という定規でくくることは不可能だからさ。


ここに純金の塊が50キロあるとしましょうか。


猿が来て純金に座って果物をかじる。

猿にとって純金の塊は、ただの椅子でしかありませんよね。

果物のほうが価値❓はあるでしょう。


純金を価値ありと思うのはただ人間だけです。

今から300万年後、人類が滅亡し去ったあと

人類の消えた地球上で誰が❓純金の塊を価値あり、、というのですか?


誰ももういないのですよ。


このように人間の価値観なんて人間だけのものでしかないです。

究極はすべては無価値でしかないからです。


ただ仮に人間がこれは価値あり、、とご都合で決めただけだということなのです。


宇宙も世界もそんな人間の小さな価値づけからぶっ飛んだ遠い先というか


「無価値」の無限界に展開しているのです。


それが証拠には死人に金貨1000枚ばらまいても

それで死人が喜びますか?

というか、、

死人にとって、金貨などもう何の役に立たない、使えないし

全くの無意味でしかないということですよ。


生きていればこそ金貨1000枚もらえばうれしいし使えますが


死んだら何の関係もありませんよね。


このように人間の作った価値観なんてあくまでも仮のものでしかなくて


すごい限定的な、その場限りのものでしかないということです。


人類が滅亡した後、そこに金貨が大量に散らばっていても


その上を動物や昆虫がただ歩いてゆくだけだろう。


彼らにとって金貨など全くの無価値でしかないから。


金貨が直ちに人間だけの仮の価値でしかないように


人間の人生そのものすら


はっきり言って全くの無価値そのものです。


ゴッホが全霊で絵画に打ち込んだ生涯を送ったとしても、


私が、、そしてあなたが、全く何もせずに無為に一生を終わったとしても、



じゃあ


ゴッホの生涯が有価痴で


私の、、あなたの生涯が無価値だ、


とは言えないのが人生の真実なのです。


なぜなら


人生には価値なんてないからです。

というか人生を価値づけることは不可能だからです。


「人生には人間が考えるような価値も意味も意義もない。人生はただそこにあるだけです」


生まれて生きて老いて病んで死ぬ、


そういう現象が淡々とそこにあるだけです。



そういう現象に対して


こういう生き方は価値がある


こういう生き方は無価値だ


というような人間だけの価値づけは


それこそ

無意味そのものだからです。



どう生きようと

どう死のうと


人生には価値や意味はそもそもない。


タダそのようにその人の人生がそうあったというだけだ。


だから


逆説めくが



どうにでも自由に生きたら良い。


まあ老婆心ながら


一応社会ルールというお約束?がこの世にはあるから


そうそうそのルールには反しない方がよいだろうけどね。


それを踏まえて後はどう生きようと


まあ等価値?ですよ。


いずれすべての人に平等に老いが


死がやってきます。


それまでのつかの間の人生ゲーム?


どう生きようと

所詮は死の前には

すべてが無意味です。


死んでしまったゴッホにとって


今彼の描いた絵画が50億円しようと

もうどうでもいいことですよね。


もう何の関係もありません。


そんな人生もかつてあった。

それが価値があるとか


無価値とか


そんな価値づけしてみても

死者にとって何の意味もない。


そういうことでしょうね。









































































































































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