Side 朝見桃子。。。
大阪を離れて随分と経った。住めば都。東京もわりかし慣れたもんや。
人見知りもせえへんし、要領はええ方やから寂しいとか、窮屈とかそないな事思った事はあらへんかった。
せやけど、テレビで大阪出身の芸人を見たり、イントネーションに大阪の名残を見せる人がおると懐かしくは思うたもんや。
時給1800円、交通費は自腹の新しい派遣先に就いた。
派遣やからと一線なんか引かれたなくて、同い年位の女の子には率先して話し掛けた。一年と言う期間だけとは言え、楽しく過ごせるに越した事はないんやから。
仲良うなったんは、川崎さんと小林さん言う子やった。
どうやら『女子』のグループを作るんが好きな子達やった。先ず初めに聞かされたんが、同じ部署の塚田さん言う人が仕事も出来ひん人やのに、仕切りたがる言う悪口やった。
まぁ聞いとって良い気はしいへんけど、適当に合わせたった方がええ思うたから「そうなんや」とだけ答えておいた。
実際、塚田さんはミスが多て、営業さんが困っとんのを何度か見掛けたから陰口叩かれても仕方のない事かもしれん。
それから川崎さん達は、和田主任の話を熱心にし始めた。
「うちの主任、恰好良いよねー」
「だよねー。同じ部署に居るってだけで何か自慢出来る」
確かに、和田主任て人は身長が高く太っとる訳でも細過ぎでもなく、綺麗な顔立ちしとって、仕事を一生懸命する人やった。
仕事を頼まれる時は解り易く指示を出してくれはるし、解らへん所は丁寧に教えてくれる。
そう、主任の最初の印象は、それだけやった。
其れが変わったんは川崎さんらが、主任の”彼女”の話をしてからやった。
派遣されてから10日程経って、川崎さんらと社員食堂を利用してる時、”彼女”を初めて見た。
華のある美人ではない、せやけど整った顔をしとって伸びた背がやけに綺麗な人やった。
顔が小さい、輪郭も線が細い。トレイを持つその指も華奢や。
少し儚げな印象を受けたんやけど、”彼女”がうちらの席から一列挟んだ向こうのテーブルに空席を見つけ座るとうちに対面する形になって、その顔をはっきりと拝んだ時、彼女のイメージは一変した。
『芳野果歩』言う人は、表情をあまり変えたりせず、見せる笑顔も”微笑”言う程度のもんやった。
隣の柴田さんはコロコロと表情を変え、身振り手振りで芳野さんに話を振っとる言うのに、芳野さんはただ頷いてるだけみたいやった。
(何やアレ。感じ悪っ)
時折遠くを見たりして又、薄く笑う。
何を見て笑ったんやろ思うてそっちに視線をやると、男性社員が数人で食事をしているグループが見えた。うちは知らん人達やったから営業部員ではないんやろ。
(友達の話はそこそこで、何で男に笑いかけとんの!)
そんなうちの心情を読み取ったみたいに川崎さんらが言うた。
「あたし、あの人が主任の彼女とか認めたくなーい」
「あたしもーアイツ、何か調子乗ってる。ちょっと綺麗だと思って」
あない性格悪そうなんが和田主任の彼女やなんて、主任の趣味疑うわ。
ほんまの事言うて、芳野さんより彼女の隣に座る可愛らしい秘書の柴田さんて人の方が似合うてる。
そない思うたくせに、うちは主任と一緒に仕事をする機会が日に日に増えて彼に、魅かれていった。
「朝見さん、頼んでおいた見積書の検算終わってますか?」
主任は誰に対しても丁寧語が通常みたいで、派遣のうちにですらそやった。
「もう終わてます。横計で一カ所間違うてるみたいやったんで、エクセル直しときました。ココです、間違うてるとこ」
主任は、指し示した箇所のポストイットを剥がしながら思惑顔でうちに言うた。
「悪いんですけど、間違ったままにしておいて下さい。伊藤君に直させるので」
「え…でも手間やないですか? うちがもう直したのに…」
「誰かにやって貰う事は楽な事ですよ。その手直し無いだけで他の仕事やれますから。でも、此れは彼の責任の元に動いてる案件です」
確かにこの見積もりの提出期限は未だ少し先の話で、うちが直さへんでもええもんやった。
「出過ぎた真似してもうて、すんまへんでした」
そう頭を下げたうちに、
「いえ、何時も細かい所迄チェックしてくれていて助かります」
と主任は言うてくれた。
笑顔もないそない言い方やったけど、彼がうちの事を認めてくれてる事が知れて嬉しかった。
それから自分の事を知って欲しくて、主任への想いを遠慮せえへん様にした。
「ねぇ朝見さんって、主任の事好きなの?」
「…うん好き。彼女がおっても、目で追うてもうし、主任の役に立ちたい思うし、諦めきれへんもん」
川崎さんと小林さんは平静を装っていたけれど、ほんまの所ええ気はしてなかったんやと思う。それでも、うちを派閥から追い出さなかったんは、うちに何らかの利用価値を見出したて所なんやろな。
芳野さんがおっても関係あらへん。うちが和田主任を好きなんやから。
人の気持ちは変わるものや。主任かて今は芳野さんと付き合うてるかもしらんけど、やっぱり嫌やて事にならんとも限らん。
芳野さんかて、そうや。主任みたいなええ男を簡単に振る可能性だって有る。
遠慮はせえへん。そないうちの態度に、彼女は時々眉根を寄せとったけど、うちに反撃したりはしいへんかった。
弱い振りでもしてんのやろか、それとも…自分から主任が離れるなんて微塵も思わへんのやろか。
そない高を括っとったうちは、もう周りがよう見えへん様になってた思う。
これだけ主任の近くに毎日おって、加えて役にも立ててる筈で、せやから主任が幾らかうちを意識し始めたんちゃうやろかて思うとった。
うちの気持ちももう解ってると思う。だから早よ、あんな人と別れて! そない自己中心的な思いも在った。
一課で飲み会をする言う話になって、うちは少しでも主任の傍に居たくて彼の一番近くにおった。
伊藤さんの話が盛り上がって立ち止まったビルのエントランスで、普段こない時間に会う事のない芳野さんと柴田さんが歩いとるのが見えた。
柴田さんの彼氏である神崎さんが彼女達に声を掛けると……。
主任が決してうちに見せる事のない優しい微笑みを浮かべ、芳野さんを見つめとった。ほんで彼女の方も又、うちが見た事のない表情を返す。
うちはその彼女の美しさに、息を呑んだ。
極めつけはお調子者の伊藤さんの言葉やった。
「うわーっっ主任と芳野さんって、めっちゃくちゃ想い合ってるって感じっスねーっ!」
主任はそんな伊藤さんを窘めたりもせえへんで、ただ、ただ、嬉しそうに笑っとった。
芳野さん達がビルを出て行くと、うちらも当初の目的の為に外へと歩き出す。
主任から遅れて歩くうちの横に並んだ神崎さんがぼそりと言うた。
「人を好きになるのは自由だけど…俺はあの二人は別れないと思うよ。賭けても良いな」
アレを見て以来、川崎さんらも主任と芳野さんの事はよう話さへん様になった。うちにも少し余所余所しなった気がする。
うちは一人になりたあて、外にランチに出た。注文した品が来るのを待っとると、うちのテーブルの近くに芳野さんと柴田さんが来とるのが見えて身体を小さくした。
植え込みのせいで、うちが此処に居てる事に二人は気付いてへんようやった。
うちは少しだけ顔を上げ、植え込みを挟んだ隣を見る。芳野さんが、店の中央を見て何時もの様に薄らと笑みを浮かべた。
「あ、ほら又シバの事見てる」
「いっつもそういう事言うよね果歩。違うよ、あたしだけじゃなくて果歩の事も見てるんだよ」
「…シバってそういうの否定しないよね」
「だって本当の事でしょう?」
「…慎ましさも必要じゃない?」
「果歩は慎まし過ぎだからっ。まぁそんなとこが主任は好きなのかもねー」
そんな会話が漏れ聞こえてきて、うちは掌をぎゅっと握り膝に視線を落とした。
「何かさー目に見えてイチャイチャとか無いけど、主任と果歩って良いよねー」
芳野さんは照れてるらしく、何も言葉を返さへんかった。すると柴田さんは小さく笑いながら
「果歩、主任の事凄く好きなんだね」
そう言うた。
「…ん…自分でも信じられない位…」
うちは、彼女達のそない会話を聞いて自分がイメージしとった芳野さんと一致せえへん事に気付いた。
「お似合いだよー」
「…お似合いか…そうだったら嬉しいんだけど…でも、あたしには勿体無い位の人だよ」
彼女が主任の事をめっちゃ大切に想うてる事を知って、自分を恥じた。
自分の方が主任の役に立ててるて。自分の方が傍におるて。
勝手に思って、勝手に押し付けて、其れでうちを好きになって貰おうなんて…。
彼女の言う『慎ましさ』なんて欠片も無い。
うちら外野が知らへんやけで、二人の関係は深い所で繋ごうとるんや……。
「お待たせ致しました」店員がプレートをうちの前にコトリと置く。湯気の立つオムライスは食欲をそそった。
うちはもう一度、彼女達のテーブルを見る。
あれほど冷たそうに見えていた芳野さんの頬は仄かに朱に染まって、めっちゃ蕩けた笑顔を浮かべとった。