猫に提案。
猫を見ていた。
いつも構内になぜかいる猫。棲んでいるのかもしれない。真っ黒でつやつやの毛並み。
日の当たるベンチに陣取って熱エネルギーをまろい体に蓄えていく。だがこれはちょっと蓄えすぎるんじゃないのか、発火はしないにしても。
取りとめのないことを考えていたら、すぐ傍で声がした。
「猫、好き?」
「まあ、それなりに」
「さっきからぼけっと立ち尽くして見てるのがそれなり?」
「結構時間経ってたのか」
話しかけてきたのは友人だった。
もうずっと前から一緒にいたような気がするのに、初めての会話から二年しか経っていない。
彼女とは不思議と馬が合った。
「猫って、本当は全部わかってるんじゃないかなって思うときあるよ。言葉とか、頭のなかとか。見透かしてそこにいるんじゃないのって」
「ああ、確かにな」
不思議な生き物だ、彼女と同じように。
近づいては離れて、そう思うとまた近づいて、つかず離れずそこにいる。
それは人間を観察しているようにも見えて、もしかしたら人間よりずっと賢いんじゃないかと思うのに、ずっと早く老いて死んでいく生き物。
野良猫なんてほんの数年で死ぬとも聞いた。
だとしたら首輪のないこの猫は、あと何年で死んでしまうんだろう。
首輪が埋もれているようには見えない、短く黒い毛。そういえば彼女の髪もこんな真っ黒だ。
「猫に生まれたかったなあ」
ぎょっとした。たぶん硬直した。気づかれていないといい。
猫のそのあまりにも短い生涯について考えていたところだったから、すこしだけ、ほんのすこしだけ目の前の黒猫と彼女が似ているなんて思ったけれどそれだけだから。
「飼い猫でさえ、たった十数年で死ぬのにか」
「……うん、猫に生まれたかった」
こんな彼女は知らない、俺を見ない、猫だけを見て伏し目がちにほほ笑んでいる。
明るくて人当たりがよくて努力家で、一見そうは思えないが実は好き嫌いが激しい、その好きな人間の一人じゃなかったか俺は、ああだから許されているわけかこうしていることを。弱った姿を見ることを。
「猫、可愛いし。知ってる? 今どき外に出す人少ないんだよ、室内で飼うの。懐いてると冬の朝なんか布団にもぐり込んでるんだって。いいよね猫」
「飼いたいのか?」
「うん、三匹くらいと一緒に暮らせたらいいなって思う」
「いいなあそれ」
「うん、……かなったらいいと思うよ」
どこか猫のような彼女。友人。もしかしたら生まれそこなったんだろうかとぼんやり考える。
猫になると信じていた魂が、いまだに人の体になじめないでいるのだとしたら。
そんな非科学的なことをと打ち消しながらも、それは確かなことのように思えた。
それほどに彼女は人でいることが苦しいように見えた。
「何かで、いきなり猫になるとかしたらさ」
視線を感じる。
でも今度は俺が猫を見ている。なんで逃げないんだろうこいつ、結構近いんだけどな。
「俺んとこ来いよ」
返事がない。
視界の端、よく見えないが動いてないから俺を見たままでいるんだろう。
猫の目は開いてるんだかどうなんだか、開いてるんなら何を見てるんだろう。
なあ教えてくれよ猫、お前の視界は今どんな風だ。
「俺も猫飼いたい」
それきり俺は黙った。言葉が浮かばなかった。
猫はぴくりとも動かなかった。
彼女も黙って立っていた。
「三匹くらい?」
しばらくしてぽつんと言ったのが聞こえて、俺はなんにも考えずに答えていた。
「や、四匹くらい」
「……あのさぁ……、」
長い長い沈黙のあとに彼女は言った。
「キャットフードも猫缶も、食べないからね?」
その瞬間、大学生活あと二年残ってるとか『給料三ヶ月分』の給料ってバイト代でいいのかとか親どうすんだろとか、色んなことが駆け巡ったけど同じ勢いでどっかに駆け去ったもんだから、俺はとりあえず彼女を抱きしめておいた。
pro・pose
[動]
(他)
1 提案する
2 企てる
(自)
1 求婚する
2 申し込む,提案する