いっこうスサノオ
目の前に、凛と輝く剣がある。大蛇の胎内に納めたられていたとは思えない、血錆一滴も無い、万全たる鉄剣であった。
初め、素戔嗚には、材が何かも判らなかったが、櫛名田を父母たる足名椎、手名椎の元へ、無事を確かめて貰う為に見せに行った所
「ああ、コリャ鉄よ」
などと、教えてくれたのである。
素戔嗚からすれば、鉄などという金属は知らなかった。己が討伐に使ったのは、十拳剣という銅剣である。というよりも、銅剣以外に使った事は無かった。矛を呈されたとしても、それを女性の武器だと云って、拒んできたのである。
俺は男なのだから、間合いを取るような臆病はしない。
そういう言い方をしたのだ。
理屈を当て嵌めてみるならば、この剣は極めて、素戔嗚の性分には合っていた。
剛く、靱やかで、断つに向き、鋭くもある。いずれにせよ、銅剣など捨てて、こちらに持ち替えてしまえば、もっと強くなるはずなのだ。勿論、武人としても、男としてもである。
しかし
「良いですな、これは鎮護の証です」
などと、櫛名田の母の手名椎から言われた瞬間、風向きが変わった。
(俺は、人の上に立つのか?)
素戔嗚はすぐに、両手を前に出して、ちょっと待ってくれ、と考える時間を求めたのである。
独りにしてくれ。そして、深く考えさせろ。その様に、素戔嗚は告げた。それだけ大事なんだと、あくまで素戔嗚自身はだが、思っていた。
高天原でさんざ暴れまわった後、姉の天照からは絶交され、弟の月読にも、大宜都を殺した罪を擦り付けられたから、素戔嗚から、とことんに嫌っている。
アイツが言ったんだろう、と思った。大宜都は口から女陰から、肛門から、何かを出して食わせようとしたのだ。もともと白光の様に潔癖な月読も、あの女の事は嫌っていた。だからアイツから陰謀して、俺が場を用意して、アイツが斬り殺したのだ。大宜都を。
それなのに、罪は俺にあるんだと、ふざけやがった。
ふざけやがって、何が月の神だ。
目を下に遣った。鉄剣がある。
頭が冷めた素戔嗚は、頭の後ろを掻いて、近くの山肌を見た。今日は雨で、何とか洪水の危険を取り除いたとはいえ、不安になる陽気である。
また、剣をどうするか、考えた。
鎮撫、という言葉が、頗る気になる。乱れを抑えたのなら、鎮めるというし、だからといって、撫とは、人を安んずるという事だろう。
となれば、土地の主になれ、とでも謂っているのではないか。
「おい、おい、おい、おい──」
素戔嗚は焦った。口を覆って、泡を吹きそうな口の端を、拭ったりした。そんなことを堂々行えば、天照に目を付けられないか。
目を付けるんだ、姉ちゃんは。そんな事を、考えた。
つくづく姉ちゃんは、あたら尊厳が強い性格なのである。月読が真っ白になりたいのなら、姉ちゃんは真っ金々になりたいのである。
前だってそうだった。母に会うために、根の国へ行きたいといった。そうしたら姉ちゃんは
「穢らわしい!」
などと言って、俺を流したのだ。まだ十くらいの餓鬼だった俺を、使者をつけて、見知らぬ土地に捨てたのだ。それでもどうにか、山を揺らしながら戻ってくると、姉ちゃんは男の格好をして、弓を持ってきた。足をドンドコ鳴らして威嚇して、そして鬨の声を上げていた。
呆然とした。まだ十四くらいの俺を目の前にして、なんで戦装束を着けて出てきたのか、全く解らなかった。呆然としていると、なんで帰ってきたのかを問われたから
「さすがに寂しくねえか」
などと答えてみたら、姉ちゃんは今度は涙を零しながら
「ごめんね、ごめんね」
なんて言って、俺を牀にまで連れて行って、一晩じゅう愛撫された。
何か狂っている。本能で思ったが、抵抗はできなかった。愛撫の最中に言われたことを聞いていると、ただ至極真っ当な事しか言っていなかったから、それが逆に怖かったのだ。そして夜が明けたときに、妻を五人も、娶らされた。
そこから十八まで、五男三女。多く儲けたものである。妻に美醜の差はあったけれど、みんな頑丈だった。だがその内の一人が
「男なのに、大事にされてるねえ」
などと、ふざけやがった。俺は天照の弟だから、多少以上の嫉妬なんて、そんなものは来るとわかっていた。たとえ妻からでも。しかしその妻、いや女は
「子供くらいコッチが幾らでも生むから、アンタら男は戦場で死ねば良い」
などと、軽んじてきた。
それだけなら耐えた。だが何度も重ねた挙句、しまいに
「男なんぞただの猿だ、肉にもならないなら、それ以下だ」
とまで言われて、ついに堪忍袋の緒が切れた。
田の畔を壊した。男がどれだけ田を耕しているのか、示すために。
御殿に糞を撒いた。いくら女のする巫が神聖であろうと、糞の汚穢にすら勝てぬと示すために。
そして機織りをする宮には、殺した馬の頭を、皮を剝いでから投げ込んだ。女の園など、生易しい。戦では、こういうものが転がり続けるのだと、示すためだった。
しかしここで、宮女が一人、死んでしまったのが運の尽きなのだ。
姉ちゃんは心を病んで、岩戸に閉じ籠った。周りが何とか執り成したが、姉ちゃんはその後で
「素戔嗚など弟では無い! 髠として、手足の指も落としてしまえ!」
などと、劈ける様な声で叫んでいた。
流石にと周りが宥めていた。そんな残酷な事をすると、人が不満を持つ。だから止めておけ。粘り強く、姉ちゃんに言い続けて、何とか怒りを収めさせた。
だがその後で
「託をしたのだから」
などと、周りの奴らが、俺に心付けを要求するようになっていた。確かに、謝礼に贈答しあうことは多い。それでも俺の位階の高さと、天照を宥めたという事件の大きさとで、ガメつくガメつく、もうどうにもならない程に、要求された。
(無理だ)
多分そうだった。これなら刑罰を受けてしまった方が、そこで途切れるのだから、楽かもしれなかった。でもそうならないのなら、逃げるしかなかった。留まっても、どうせ行き詰っていた。
素戔嗚は、また目を下にやった。
鉄の剣が、横たわっていた。つくづく、良い剣なのだ。
再び冷静になった素戔嗚は、手に取って、真面々々と刃の光を眺めた。流石に膏は乗っているのだろう。曇って、鈍い光になっている。
研ぐ必要が、ありそうだった。
そもそも、こんな良い剣を作れるのに、と感じる。
それなのに川を止め、下に氾濫を起こす元凶をも為した。そんな事をしなければ、こんなに悩まなくても良かったのだ。
だいたい何なのか、あの渡来人どもは。山を掘り、金を採り、そして不要になった土やら屑やらは、全部、川に捨てていた。そして川底が上がって、堤のようになって、夏場に破れれば、下に濁流が襲ったのだ。そのせいで足名椎と手名椎の娘ばかり七人、それ以外にも多量に、人が流されたのだ。
足名椎と手名椎という父母の、娘の櫛名田は大層かわいい娘だったから、じゃあそいつを嫁にくれ、などと言ってみたら、それは一石二鳥じゃないかとすら言われ、何も引っ掛かり無く話は進んでいった。
頼まれた俺は、山の中の渡来人の村に、向かった。最初は、話し合うものだと思っていた。俺もその村に行って、何とか言葉の通じる者を見付けて
「ちょっと長と話させてくれ」
などと言ってみたら、仰天した。
「長は、鉄すら鋳れぬ者と話すつもりは無い」
などと、返ってきたのだ。
そこをなんとか、と地に額をつけてまで、這い蹲って頼んで、何とか会えて、じゃあこれからだと思ったら、突然
「イネ、イネ」
などと、連呼された。
「は?」
俺は間抜けな声を出した。そして話を通じさせてくれた者に
「な、何を言ってるんだ?」
と、尋ねてみたら、やけに口を噤んでいたものだから、肩を揺らしに揺らして、嘔吐すらさせそうな程に振って、やっと
「お、長はあなたを、野蛮人だと──」
などという、屈託の無い答えを聞き出した。
「いや、やば──なんだ? 気に食わなかったか? 謝りはするからよ」
「いや、その」
「教えねえなら、この場でブチ殺すぞ!」
俺は恫喝した。本当に殺そうなんて、高天原での失態もあったし、微塵も思っていなかった。ただ真実を聞くために、吃驚させたかったのだ。
本当に、吃驚していた。そして口を滑らせて
「金物を教えてやっている、稲を育てることしか知らない倭人、と──」
とまで、教えてくれた。それでも、今までの事で堪忍、堪忍と思っていたから、何とか吞んで
「でも、下にいる人間がいなくなったら、テメエの作る金物も、使われねえだろ? ただ川に捨ててるモンを、山に捨ててくれ、そう頼んでるだけなんだぞ」
とまで言ってみたが、むしろ大笑いされて
──別に死んでもいいだろ
なんていう、コケにした言い方をされた。
(テメエこの野郎)
そう思った方が良かったのだ。それでも目の前が真っ赤になった訳じゃないから
「ブッ殺してやる。それでも良いのか?」
と、最後に訊いてやった。それでも長は笑って
──優れた器物が無いのに
なんて言ったものだから、それはもう、宣戦布告だろう。
後悔はするなよ、とだけは言っておいた。そして後悔させる隙すら、与えるつもりは無かった。
次は、酒を持って行った。足名椎と手名椎には、何とか懐柔するために、酒が要るんだと言って、無理に数日で、用意してもらった。そして渡来人どもの長には、先日の侘びだと、頭を下げて恭しくした。
舐めてた。俺の事を、ただの馬鹿だと思っていた。俺の剣の事も、舐めていた。
なら良いじゃねえか、と思った。
邏りにも酒を振舞って、俺も飲んで、多少酔いが回るようになってから、いちどに人を斬った。
女子供も居る。ソイツらも、何も言えねえまでにブッ殺してやる。そういう気概で、村を歩き回った。鬼だと言われたが、俺も同じことを思っていた。
先に長を殺す。混乱した、長の周りを殺す。そして一段落したら、長の家族を殺す。この手順でいった。アイツらの持つ剣は硬すぎて、俺の十拳剣は欠けたし、途中で折れたが、別に造作も無かった。
そして最後の最後に、山に巻き付いている大蛇を見つけた。
(ヤッてやろうじゃねえかコノ野郎)
俺はコイツが、全部悪いんだ、と思った。いま思えば八つ当たりだ。それでもぶつける所だけは欲しかった。だから、大蛇も殺した。
山から下りてくると、話を通じさせてくれた者が、俺を待っていた。俺に人鬼と、怯えていた。当たり前の仕草だった。
「わかってんな」
俺がソイツに言うと、ソイツは頷くだけだった。何も解っていないと困るから、俺から懇切丁寧に、鋳造しても良いから川にだけは捨てるな、とゆっくり教えておいた。
そして、村まで帰った。
目の前に有るのは、大蛇の尾っぽを怒りに任せて、ぶった斬った時に出てきた剣だった。それを持って帰って見せたのが次第だった。
そこまで考えて、素戔嗚は剣を、下に置いた。すっかり、冷静になりきっていた。
この剣を得たのは幸だった。だがこの剣を得たのは、禍でもあった。素戔嗚は単純に、歳上だと聞いて驚いた女を娶り、多少は側女も置いて、子供も成して、一つ屋根の下に納まるくらいで、権威を感じずに暮らしたい、それだけであった。それなのに、気まぐれに殺した大蛇の尾から出てきた剣のせいで、何か大仰な地位に、即けられそうなのである。
厄介事は、御免だった。
いっそトンズラを掻こうと思ったが、剣の始末を聞いてから、櫛名田はなんとかしよう、と手名椎からは言われていて、これでは結婚相手を、人質に取られているようなものであった。
髭を落としてしまえば、わからないか。
さっきの討伐で、己を詫びらしく、女っぽくする為に、剃り落としてしまった。
だいいち、顔に入った刺青のせいで、たぶん判別が付くのだ。如何せん、元が高位だったせいで、眉の上に丸い墨を、入れてしまっている。もともと入っていなければ良かったが、入っているものを、無理に削ぐ訳にもいかない。そんな精力も胆力も、今の素戔嗚は持ち合わせていない。
仕方が無く、眠った。また明日に、考えは回すのだ。今まで終ぞやった事の無いような、剣との添い寝を、せねばならなくなった。
鳥の声が聞こえるまで、そうやって眠った。
雨音が消えて、代わりに鳥の声が聞こえてくるようになって、まったく眠れなかった瞼を刮った。
「チキショウ──」
それだけ言って、素戔嗚は体を起こし、足名椎と手名椎の元へと向かった。
笑みを向けられている。多分これは、長になるものだと、思っているのだ。そんなものに、本当に素戔嗚は、興味が無い。
「素戔嗚殿、お加減は」
この口調が、もう阿っている。何故なら、素戔嗚は長だという認識が、染み渡っているからだ。この庵の周りに人が集まっていると、素戔嗚は音で、判っていた。
「あのだな?」
「受けて、くださいますか」
「受けねえ」
「じゃあ、娘は──」
「いやいや、あのな」
素戔嗚は悲しい顔をしながら、足名椎と手名椎の手を、両方取った。
「櫛名田はくれ」
「でも剣が」
「剣は、俺が大事にしとく。それで子々孫々、受け継ぐ」
「はあ」
「子孫が居ねえと、剣は守れねえ。だから、櫛名田は娶りたい」
「とはいえ長が」
「ちゃんと、その事も口伝する。そして、やりてえって奴が出てきた時の為に、この剣は取っとく。な?」
何が何だか解らない。そういう顔を、周りはしていた。
「つまり? 素戔嗚殿?」
「そういうモンの為に、全部やらせる。俺じゃ足りねえから、何とか積んでく」
「何を?」
「なんでもだ」
だからこの鉄剣と、俺の姿形を累世語り継いで、もしも同じ物を持った人間が現れたら、ソイツに付いて行け。そう素戔嗚は、説諭し続けた。
「もし出てきたら、神の使いだと?」
「大袈裟すぎるが、それでも良いから、伝えとけ」
ならば、せっかく強い好男子であるし、次にどうなるかも分からないし、櫛名田を持っていって宜しいと、足名椎と手名椎は快諾した。
なんとか嫁を貰えた素戔嗚は、一頻り、櫛名田との寿ぎを終えてから、明朝、出雲と呼ばれる地へ、出立したのである。
このとき素戔嗚が携えた鉄剣が、後に天叢雲、さらに後代、草薙剣と呼ばれるものであった。




