「君は可愛げがない」と婚約破棄されましたが、領地の魔導事務を全て担っていたのは私です〜今さら「戻ってくれ」と泣きつかれても、氷の宰相閣下が離してくれません〜
「リアナ・ベルンシュタイン! 君との婚約は、今この瞬間をもって破棄する!」
学園の卒業パーティー。
煌びやかなシャンデリアの下、その叫び声は音楽を止め、静寂を連れてきた。
声の主は、私の婚約者であるカイル・ロックス伯爵令息。
そして彼の左腕にまとわりついているのは、私の義妹のミナだった。
「……カイル様。それは、ロックス伯爵家の総意と受け取ってよろしいのでしょうか」
私は扇で口元を隠し、淡々と問い返す。
周囲からは「ああ、またあの顔だ」「本当に可愛げがない」と囁きが漏れる。
私は、表情筋があまり動かない。
嬉しい時も悲しい時も、どうしても無表情になってしまう。そのせいで「鉄の人形」「冷血令嬢」などと陰口を叩かれてきた。
「ああ、そうだ! 父上も了承済みだ! 君のような、常に仏頂面で、僕を支える気概も愛嬌もない女など願い下げだ!」
カイルが大声で演説を打つ。
支える気概がない、か。
(……この三年間、あなたの領地の帳簿、魔導具の管理、不作時の対策マニュアル作成、すべて私がやってきたのですけれど)
本来、次期伯爵であるカイルがやるべき実務だ。
彼が「頭が痛い」「パーティーの準備がある」と逃げ回るたび、婚約者としての責任感から私が夜なべして処理してきた。
私の署名が入った書類は、山のようにあるはずだ。
「お姉様ぁ。カイル様はもっと、ニコニコしてて可愛い奥様が欲しいんですってぇ。お姉様みたいに、数字とお金の話ばかりする人は嫌なんですって」
ミナが猫なで声で言い、カイルを見上げる。
カイルは鼻の下を伸ばし、ミナの腰を抱き寄せた。
「そうだ! ミナのように純真で、僕を癒やしてくれる存在こそが必要なんだ。リアナ、君には慰謝料も払わない。むしろ、僕の心を傷つけた精神的苦痛を請求したいくらいだ!」
ギャラリーがクスクスと笑う。
哀れなリアナ。地味で愛されない女。
そんな視線が突き刺さる。
けれど。
私の胸の内に湧き上がったのは、悲しみではなかった。
(……終わった。やっと、終わったんだ)
安堵だった。
カイルの尻拭いをする日々。
どれだけ成果を出しても「女がでしゃばるな」と隠され、失敗すれば私のせいにされる理不尽な関係。
家同士の契約だからと耐えてきたが、向こうから切ってくれるなら、これ以上の好条件はない。
「承知いたしました」
私は扇を閉じ、背筋を伸ばした。
カイルとミナが一瞬、呆気にとられる。私が泣いて縋るとでも思っていたのだろうか。
「婚約破棄の件、謹んでお受けいたします。ただ、慰謝料なしという条件については、一つだけ確認させていただきたいことが」
「な、なんだ! 金か!? がめつい女め!」
「いいえ。私がこれまでにロックス領のために代行した業務、その『未払い報酬』についてです」
私は懐から、一冊の手帳を取り出した。
常に持ち歩いている、業務記録だ。
「カイル様の代わりに決裁した書類、二千四百件。構築した魔導水路の設計図、六式。これらに対する正当な対価を頂けるのであれば、慰謝料は結構です」
「は、はあ? 何を言っているんだ? あれは僕がやったことだろう! 君はただ、僕の指示で清書をしただけじゃないか!」
カイルが顔を真っ赤にして叫ぶ。
ああ、本当にこの人は。
自分が何をしていないのかさえ、わかっていないのだ。
「清書、ですか。……わかりました。では、そのように処理いたしましょう」
これ以上、ここで議論しても無駄だ。
私は手帳をしまった。
この瞬間、私の心の中でスイッチが切り替わった。
もう、支えない。
もう、守らない。
「皆様、お騒がせいたしました。私はこれにて失礼いたします」
私は完璧なカーテシーを披露し、踵を返した。
その時。
ざわり。
会場の空気が、一瞬にして凍りついた。
入り口から現れた、一人の男のせいで。
漆黒の髪に、凍てつくような蒼い瞳。
国一番の実力者にして、王太子の右腕。
アレクセイ・ヴォルガード公爵宰相。
彼が、なぜか真っ直ぐに私を見ていた。
その視線が冷たすぎて、私は思わず身震いする。
何か、粗相をしただろうか。
アレクセイ様は私の横を通り過ぎる瞬間、誰にも聞こえないほどの小声で、こう囁いた。
「……やっと、空いたか」
「え?」
振り返る間もなく、彼はカイルたちの元へ歩いていく。
私は胸のざわつきを抑えながら、会場を後にした。
◇
翌日から、私は実家の自室に引きこもった……わけではない。
むしろ、これまでカイルの領地経営に費やしていた時間が丸ごと空いたおかげで、自分磨きと読書に没頭できていた。
肌の調子もいい。目の下のクマも消えた。
一方で、ロックス伯爵家からは悲鳴が聞こえてきていた。
婚約破棄から三日後。
カイルが私の実家に怒鳴り込んできたのだ。
「リアナ! 出てこいリアナ!!」
応接間に通すと、カイルは髪を振り乱し、やつれた顔で立っていた。
隣にはミナもいるが、彼女も不満げな顔をしている。
「……何のご用でしょうか、ロックス伯爵令息」
「白々しいぞ! 領地の魔導水路が止まった! 小麦が枯れそうだ! どうなってるんだ!」
私は紅茶を一口飲み、静かに答える。
「それは、魔力供給のパスコードを変更されたからではないですか? 私が管理していた時は、毎日微調整を行っておりましたが」
「パスコード!? そんなもの、僕は知らん!」
「ええ、でしょうね。全て私が組んでいた術式ですから」
カイルは絶句した。
私が「清書係」だと思い込んでいた彼は、システムの根幹が私にあることを知らなかったのだ。
私が手を引けば、当然、全て停止する。
「な、なら、早く直せ! 今すぐ来て直すんだ!」
「お断りします」
「なんだと!? 僕の命令が聞けないのか!」
「カイル様。私と貴方はもう赤の他人です。業務委託契約も結んでおりません。タダ働きを強要するなら、憲兵を呼びますが」
私が冷たく言い放つと、カイルは激昂して手を振り上げた。
「この、可愛げのない女がぁぁ!!」
その手が私の頬を打つ――直前。
バシィッ!
乾いた音が響き、カイルの手首が空中で掴まれた。
そこには、氷の膜のような冷気が漂っている。
「……私の婚約者に、何をするつもりだ?」
地獄の底から響くような低音。
そこには、いつの間にかアレクセイ公爵が立っていた。
◇
「あ、アレクセイ閣下!?」
カイルが裏返った声を上げて後ずさる。
掴まれた手首は、霜が降りて白くなっていた。
「こ、婚約者……? 誰がです?」
「聞こえなかったか。リアナ嬢のことだ」
アレクセイ様は、腰を抜かしたカイルを一瞥もしないまま、私の前に跪いた。
そして、震える私の手を取り、その甲に口づけを落とす。
「リアナ・ベルンシュタイン嬢。突然ですまない。だが、君がフリーになったと聞いて、居ても立ってもいられなかった」
「え……あ、あの、アレクセイ様?」
いつもの冷徹な仮面はどこへやら。
私を見上げる蒼い瞳は、熱を帯びてとろけるように甘い。
「ずっと見ていた。夜会でも壁の花として立ち尽くしながら、会場の予算計算を暗算していた君を。カイルの不始末を、誰にも言わずに徹夜で処理していた君を」
「……知って、らしたのですか」
「ああ。私は宰相だ。国内の金の流れと魔力の流れは全て把握している。ロックス領の発展が、カイルではなく君の手腕によるものだということも、な」
アレクセイ様が立ち上がり、私の腰を引き寄せる。
あまりの近さに、心臓が早鐘を打つ。
「君の仕事は美しかった。無駄がなく、正確で、そして何より領民への愛があった。……私は、そんな君の『鉄の女』としての仮面の下にある、献身と情熱に惚れていたんだ」
目頭が熱くなる。
誰も見ていないと思っていた。
可愛げがない、暗い、と言われ続けてきた私の仕事を。
「美しい」と言ってくれる人がいたなんて。
「か、閣下! 騙されています! その女は、本当に可愛げがないんです! 男を立てることも知らない、ただの計算機で……」
カイルが必死に叫ぶ。
アレクセイ様は、私を抱き寄せたまま、ゆっくりとカイルの方を向いた。
その表情は、先ほどまでの甘さが嘘のように、絶対零度の冷酷さを湛えていた。
「計算機? ……そうか。ならば貴様は、その計算機一つ使いこなせず、メンテナンスも怠り、挙げ句の果てに捨てた大馬鹿者だな」
「ひっ」
「ロックス伯爵家の横領と、書類改ざんの証拠は全て揃っている。君がリアナ嬢に押し付けていた仕事の数々が、逆に『君が何もしていなかった』という動かぬ証拠になったな」
アレクセイ様が指を鳴らすと、控えていた近衛兵たちが部屋になだれ込んでくる。
「か、カイル様ぁ……?」
ミナが青ざめてカイルにしがみつくが、兵士たちは二人を引き剥がした。
「公文書偽造および横領の容疑で連行する。……連れて行け」
カイルとミナの叫び声が遠ざかっていく。
あっけない幕切れだった。
◇
再び静けさが戻った部屋で、アレクセイ様が私に向き直る。
その顔はまた、甘いものに戻っていた。
「驚かせてすまない。怖かったか?」
「いえ……。ただ、あまりのことに、言葉が」
「カイルたちへの処罰は法に則って厳正に行う。ロックス領は、一時的に国の管理下に置くが……君さえ良ければ、再建のアドバイザーとして力を貸してほしい」
「私で、良いのですか? 私は、可愛げのない女ですが」
私が自虐的に言うと、アレクセイ様は困ったように笑い、私の眼鏡を指先で少し持ち上げた。
「君のどこが? こんなに優秀で、誠実で。……私の前でだけ、こんなに赤くなっている君が、可愛くないはずがないだろう」
「っ……!」
指摘されて初めて、自分の顔が熱を持っていることに気づく。
「リアナ。私の屋敷に来てくれ。君の能力を正当に評価し、誰よりも君を大切にする場所を用意すると約束しよう。……もう、我慢しなくていい」
差し出された大きな手。
そこには、これまで私が欲しくてたまらなかった「肯定」と「信頼」、そして「愛」があった。
私は、震える声で答える。
「……はい。喜んで、お受けいたします」
彼の手を取ると、強く引き寄せられ、温かな腕の中に包まれた。
鉄の女と呼ばれた私の頬を、涙がつたう。
それは冷たい氷を溶かす、春の雫のようだった。
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