37.結局自己満足に過ぎない
レティシアのようやく上向いたと思われた人生は、再び下降しようとしている。
レティシア自身のせいではない。望んでもいない、外的要因で。
少しでも部屋から出れば誰かが見張っているのか、バンジャマンやジュスタンが近づこうとする。
レティシアはそれをいち早く察知し、隠れたりしてやり過ごしているのだが、煩わしいったらありゃしない。
少しでも公爵達と接触する機会を減らそうと、ここ数日、専ら自室で過ごしている。
ルネに頼んで書庫から本を取ってきてもらったり、クロードと連絡を取り合ったりとやることはあるので、気が滅入ることは少なかった。
クロードに相談された国は、やはり物価高の影響でロチルド商会との取引に影を落としていた。
向こうはロチルド商会との取引を中止にしたかったらしい。そこまで向こうの中で、大きな比率を占めていないからと。ただその考え方は上層部だけで、担当者は取引を続ける必要性を感じていたらしい。しかし上からの圧力で上手く動けず、煮え切らない態度になっていたという訳だ。
どこの世界でも、上層部と現場では意見が食い違ってしまうらしい。
レティシアから情報を得たクロードは、自分の方でも情報収集をして撤退することを決めたようだ。
相手の担当者に、困ったことがあればいつでもおいでと伝えた上で。
一時的な物価高だけなら、ロチルド商会は恐らく撤退しなかっただろう。レティシアに相談したのだから。問題は上層部の考え方だ。
ロチルド商会を見下し、自分達の方が上だと勘違いしているのが問題だった。
事実では真逆なのに、それを理解していなかった。ロチルド商会が撤退して困るのはあちららしい。
向こうの担当者もそれを上層部に再三伝えたが、取り合ってくれなかったそうだ。
最初の頃はこんなじゃなかったのになぁと、ぼやいているクロードは顔が見えないけれど容易に想像できてしまい、レティシアは思わず笑ってしまった。
(それにしても、やはりクロードさんは優秀だわ。わたくしの情報を鵜呑みにせず、自分でも調べてから行動に移すのだもの)
そんな風に考えていると、なんだか部屋の外が騒がしいことに気がついた。
レティシアの中で急速に嫌な予感が広がっていく。こういう予感は最近、外さないのがより嬉しくない。
トントンといつもよりは優しいノックだ。それでも、ルネやジョゼフに比べたら荒々しいが。
「お嬢様、失礼します」
だから入室の許可を与えていないのに、入ってくるな。レティシアの中で、こいつらは相変わらずだと評価を下す。
「何でしょうか? わたくし、入室の許可を与えていないのですが」
「旦那様の命令です。部屋の移動をお願いします」
「はい?」
レティシアの嫌味を無視して、意味がわからないことを言われる。
一番に入ってきたのはメイドだったが、よく見れば後ろには男性の使用人が多く控えている。
(いや、それよりも部屋の移動? なぜに?)
「どこに移動するのですか? わたくしは何も聞いておりませんが」
「私達の部屋の近くだ」
その言葉と共に、レティシアが今一番聞きたくない声が聞こえた。
使用人が道を空けて、やってきたのはバンジャマンとジュスタン。
後ろには呆れた様子のジョゼフの姿も見えた。疲れた表情をしているので、止めようしたけれど止まらなかったのだろう。
「どういうことでしょうか。幼少の頃からここがわたくしの部屋でしたが、なぜ今更部屋の移動を?」
「……そろそろその部屋も狭くなっただろう。丁度いいから移動したほうが良いと判断した」
レティシアの強調した言葉に、バンジャマンは気圧されながらも答える。
取ってつけたような言い訳に、レティシアは呆れるしかない。この部屋に入ったことも今が初めての癖に、どうしてその様な判断が出来るのだろう。
「まあ、どこをみて、この部屋が手狭に見えるのでしょうか? 必要最低限のものしかありませんわ。客室より物が少ないこの部屋に、何が置かれて見えるのでしょうか?」
「それは……」
レティシアの言葉に、バンジャマンは案の定何も答えられない。この部屋は、ジルベールをおもてなしした部屋より物は少ない。あの客室を使うことなんて殆どないのに。
いや、それよりもレティシアの意思をまるっと無視して……この場合聞いてすらいないのが1番問題だ。
「それに部屋の持ち主であるわたくしに、何もお話がないのですが? ここには雨漏りもありませんし、風で軋むこともありません。移動する必要性を感じませんわ」
「……だが、ここは日当たりが悪いだろう? だから」
黙っていたジュスタンが、いつもより小さな声でレティシアに言った。
その言葉に、レティシアは怒りを覚える。表情は変えないまま、声のトーンが下がる。
ジョゼフからの話が確かならば、公爵達はレティシアとの関係改善を望んでいる筈。なのに、これで関係改善出来ると思っているのが、そもそもレティシアを見下している事に気がついてすらいない。
「まあ。おかしなことを仰いますのね。物心ついた時から、わたくしの部屋はここなのですが。日当たりが悪く、場所も他のところへ行くのに時間がかかる。手入れも行き届いていない。広い公爵家ですもの。清潔に保つにしても優先順位はありますものね。そこは致し方ありませんわ。働く皆様がそこまで優秀ではないのでしょう。出来ないのは仕方ありませんわ。けれどここに決めたのはあなた方でしょう? なぜ今更変える必要が?」
「っ」
レティシアの言葉に、周りにいた使用人たちは一様に顔を赤く染めた。
だが、職務怠慢を指摘して逆ギレされても、そちらの落ち度を余計に際立たせるだけだ。
それが、本当はレティシアに対する嫌がらせだとしても、雇用主から与えられた仕事を満足に出来ないのであれば何かしら対処が必要なのにやらなかった。
これを職務怠慢と言わず、何といえよう。
そして指摘されて怒りを覚えているのであれば、使用人達はバンジャマンの通達に少なからず反感を持っているだろう。レティシアに対して、敬意を持って接したくないのだろう。
馬鹿馬鹿しい。レティシアは一言も頼んでいないのに。
反対に、バンジャマンとジュスタンは顔色が良くない。自分達の今までの行動を後悔しているのかもしれないが、レティシアにとって知ったことではない。
この間からこのような表情しか見ていないが、鬱陶しいだけなので今すぐやめてほしい。まるで悲劇の主人公とでも言いたいのだろうか。
「ああ! この間殿下がいらっしゃった時に、わたくしの部屋ではなく客室に案内いたしましたものね! 殿下はわたくしの自室だと思っていたのに、公爵に騙されていたことになりますわ! それを隠蔽するためにわたくしの部屋を移動することにしたのでしょうか?」
「違う! 私は――」
言い訳なんて、聞く価値がない。今まで散々レティシアを蔑ろにして来たのに、自分達の後悔を無くすために協力してくれといっている様な物だ。
どこまでいっても、自分達のことしか考えていない彼らに期待することなど、絶対にしない。
「どのような理由であろうと、わたくしは移動しませんわ。何せ、ここですら外が騒がしいんですもの。公爵達の近くなんて、もっと騒がしくなるではありませんか。わたくしの所には、だあれも来ないのに」
その一言に、バンジャマン達の顔がもっと悪くなる。ジュスタンなんて、体を震わせている。
情けない姿だが、レティシアの怒りは増幅するばかりだ。なぜこの程度で絶望感を漂わせているのか。自分の今までの仕打ちを考えれば、こんなもの前菜にすらなりはしない。
「それに公爵達もお嫌でしょう? だって、お母様を死に追いやった張本人が近くにいるなんて、ご自分の寿命が吸い取られてしまうかもしれませんよ?」
「っ! そんなわけが無い! 私は家族としてお前を――」
「寝言は寝てから言ってくださる? リュシリュー公爵様」
声を荒らげたバンジャマンに対して、レティシアの氷のように冷たい言葉が刺さる。
それは大きな声ではないのに、バンジャマンを黙らせた。侮蔑の言葉に怒りを覚える余裕もない。
「家族? 誰と? 誰が? 公爵様、あなたはご自身の発言を覚えていて? “お前に父など言われたくない――ジルベール殿下の婚約者でなければ、さっさと除籍してやったものを”と言っていたほどの者が、家族なわけないですよね? まさかこの国の宰相を務める方が、ご自身の発言を覚えていないなんてこと、ありませんわよね? そんなチンケな脳みそでは無いですわよね?」
「あ、あれは、私も頭に血が上っていたんだ。本心では――」
「ああ、そうだ。公子も仰っていましたね? “挨拶は、家族がするものだ。お前はただ血が繋がっているだけで、家族じゃないんだ”。……リュシリュー公爵家の人間2人がこう仰っているのに、家族? ご冗談を」
「あ……それは」
過去の自分達の発言が、ブーメランとなって向かっていく。傷ついた表情を見ても、レティシアの怒りが収まるはずもない。むしろこの程度では足りない。
「あなた方が先に仰ったのでしょう。ええ、弁えていますわ。わたくしはリュシリュー公爵家が王家の外戚となるための道具でしょう? 精々苗床の役目しか果たせない欠陥品ですから」
あからさまなレティシアの発言に、バンジャマンの顔が朱に染まる。
(ほら、都合悪くなると逆上する。それで関係改善したいなんて、笑わせる)
「そんなこと言っていない!」
「公子が言っておられましたわよ? その時公爵は否定されなかったではありませんか」
「ぐっ」
流石に自分達が放ってきた言葉自体は忘れていないようだ。ただそれを何とか覆そうとしている。
アホらしい。それにレティシアが喜ぶとでも思ったのだろうか。歩み寄りなんて、1番して欲しくない。このまま落ちるところまで落ちて、全てに絶望していればいい。
「ご安心ください。殿下には何もいうつもりもありませんわ。公爵達は、どうぞこれまで通りでいてくださいな。今更無理して殿下に良い顔せずとも大丈夫ですわ。殿下も気がついておられませんし」
「これまで通りって……レティシア、俺は――」
ジュスタンまで何か言い始めるが もう何も聞きたくない。なぜコイツらにレティシアが振り回されなければならないのだ。
自分勝手にも程があるだろう。
「お話は以上ですわ。どうぞお引き取りを。わたくしは部屋の移動の必要性を感じません。それに、優秀ではない方々の手を煩わせてしまうのも悪いですわ。過労になったら大変ですもの」
「「……」」
レティシアの取りつく島のない態度に、バンジャマン達は憔悴した様子で出ていく。
使用人達も、今までにないレティシアの振る舞いに恐怖を感じたのだろう。そそくさと2人について行った。
ジョゼフだけが気遣わしげに、レティシアと目を合わせ、“あとで”と口パクで言った。
軽く頷き、皆が出て行ったところで荒々しく扉を閉める。
急に体が鉛を背負ったように重くなり、レティシアはベッドへダイブした。
「何なの……疲れたわ。もう嫌」
そう言って目を閉じると、目尻から一筋、雫が流れた。
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