30.【幕間】リュシリュー公爵家の歪み④
ジルベール達と別れたジュスタンは、気がついたらリュシリュー公爵家の自室のソファに座っていた。
頭の中は考えが纏まらず、茫然自失といったところ。
(俺は……全てレティシアが悪いと思っていた。……アイツがいるから、俺や父上が苦しい思いをするのだと。なのに、殿下だけでなくドミニクも俺たちが悪いと言うなんて)
ジュスタンにとっても、ドミニクは可愛い弟のような存在だった。
レティシアと遊ぶのを辞めてから、ドミニクを構い倒していたように思う。
そしてドミニクも、ジュスタンを兄のように慕ってくれていた。
それなのに、あんなに蔑んだ目で見られた。当然のように、レティシアの味方をした。
裏切られた気分だった。
(俺は被害者だ。母上をレティシアに奪われたんだ。それに俺の正当の評価を取られたんだぞ……アイツがいなければ、俺はもっと……)
『幼い頃から厳しい教育に耐えてきたレティシア嬢が、努力していない訳ないだろう⁉︎』
『抜かされまいと相手を落とすのではなく、高めあいたいと思ったんだ』
ドミニクの、ジルベールの言葉が蘇る。
自分の信じていた、絶対的なものが壊れていくような感覚。
何をどうしたいのか分からないまま、ジュスタンは立ち上がると、あるところへ向かった。
辿り着いた扉をノックする。
出てきたのは、ジョゼフだった。
ジュスタンは、あまりにも酷い顔をしていたのだろう。少し驚いた顔をしてから、中にいるであろうバンジャマンに声をかけた。
「旦那様、ジュスタン様がいらっしゃいました」
「珍しいな? 入れ」
ジョゼフに促され、ジュスタンは中に入る。
入ってきたジュスタンの唯ならぬ様子に、バンジャマンも驚いたようだった。
仕事の手を止め、ソファに向かい合って座る。
「どうした? 何かあったのか」
「……」
ジュスタンはバンジャマンを見る。
厳しい顔が通常運転であるが、それでも心配するようにジュスタンを見ていた。
(レティシアは……心配されたことはあるのだろうか?)
ふとそんなことを考えた。そう言えば、ジョゼフは時々レティシアを気にかけていたような気がする。
「……父上。母上が流行病に罹ったのは、レティシアのせいなのですよね?」
「……急にどうした」
「……」
無言のジュスタンに、バンジャマンは嫌な予感を感じながら言葉を選んで言った。
「医師によると、産褥期の経過は良好で順調に回復していたらしい。その後も、特に問題はなかったと……ただタイミングが悪かっただけだと」
「そんな……父上……嘘をついていたのですか?」
「嘘などついていない」
「言っていたではないですか‼︎ 昔、レティシアさえいなければ、母上はいなくならなかったと! あれは嘘だったのですか⁉︎」
「な……私はそんなこと……」
「言っておりましたよ。忠告もしました」
興奮するジュスタンと、困惑するバンジャマン。
そんな2人に真実を教えたのは、ジョゼフだった。
「旦那様。奥様を亡くされて数年は、夜寝られないとお酒を召し上がっておられましたね。その時言っておられましたよ。そのお陰で屋敷の空気が悪くなったので、忠告させていただきましたが意にも介しませんでした」
「ほ、本当か?」
「嘘をついてどうするのです」
ジョゼフの言葉に、顔を青くさせるバンジャマン。
その様子にジュスタンの働かない頭ですら、矛盾を感じた。
「じゃあ、何故、父上は……レティシアにあんな態度を……」
「それは……」
「っ答えてください!」
「……っ! ど、どうすれば良いか分からなかったんだ! 使用人や乳母の態度を見て、娘にはああいう態度が良いのかと思ったんだ!」
「……何ですか、それ」
ジュスタンは真っ暗な、底のない穴に落ちていくような感覚に陥った。
ここでまたジョゼフが、真実を伝える。
「逆ですよ、旦那様。何故私が忠告したと思うのですか? 酔った旦那様の言葉は、末端の使用人達すら聞いていたんですよ。その言葉を真に受けた者が、お嬢様に対する態度を変え始めたのです」
「なっ!」
「それで、ジュスタン様、今更どうしてそのようなことを?」
どこか冷たいジョゼフの声。
「……今日、殿下に呼び出されたんです。レティシアのことで、厳しい叱責を浴びました」
「何だと⁉︎」
ジュスタンの言葉に、バンジャマンの顔色が一気に悪くなる。
「このままでは、リュシリュー公爵家は……」
「まさか、陛下の呼び出しを受けていたが……その話か!」
「いつ頃なのですか?」
「3日後だ。くそっ! どうにかせねば……」
バンジャマンのその姿は、レティシアにしたことによる罪悪感と言うより、問題になってしまったことに対する面倒ごとへの文句に見えた。
その姿に、ジュスタンは絶望する。
(ああ、殿下達の言う通りなのか……)
「ジュスタン、お前は暫く大人しくしていろ。私が何とかする。とりあえず今日はこのまま自室にいなさい」
「……はい」
ここまで来て、保身に走ろうとするバンジャマンに、初めて嫌悪感が生まれる。
けれど、その嫌悪感はジュスタン自身にも湧き上がり、そのまま自室へと戻っていった。
「……俺は、間違っていたのか……?」
その言葉ばかりが頭の中で埋め尽くされる。
◇◇◇
3日後。ジュスタンはテスト結果を確認した。
学園生活最後のテストということもあって難易度は高かったが、ジュスタンは無事首席を取ることができた。
今までなら誇らしげな気持ちになるのだが、今は心が晴れない。
(父上は今、陛下と謁見しているはず。……帰ってきたらどうなるのだろう?)
けれど、大丈夫だ。
きっとどうにかなる。ジュスタンはこの時、本気でそう思っていた。
屋敷に帰ると、バンジャマンから直ぐに呼び出しを受ける。
手のひらに汗をかきながら、制服姿のまま執務室へ向かうと、顔色の悪いバンジャマンが待っていた。
その様子だけで、悪い方向に向かっているのだと理解できた。
「父上、陛下は何と?」
「……失望された。王妃もお怒りだった」
「そう、ですか」
「このままレティシアとの関係を改善しないのであれば、レティシアは何処かに養子にすると」
「……!」
つまり、レティシアはジルベールの婚約者のまま、バンジャマン達から遠ざけると。
実質、リュシリュー公爵家を見限ったのと同じだった。
「これから、屋敷の者には対応を変えるよう通達する。それから、食事を一緒にするようにもレティシアに言う」
「……はい」
「何としても、レティシアをリュシリュー公爵家に繋ぎ止めなければ……くそっ何でこんなことに」
そして夕食の時、周知は出来ていないがとりあえずレティシアを食事に呼ぶように、メイドに告げるバンジャマン。
ジュスタンも、食堂でレティシアが来るのを待った。
やって来たレティシアは、無表情で遅れたことを謝罪する。
それに対して、バンジャマンもジュスタンも言葉が見つからず、フォークと皿が微かに当たる音が響くだけだった。
(……? レティシアも話さない。いつも何かしら話していたと思うが)
ジュスタンは違和感を感じたが、それでも何も言うことができなかった。
食事が終わっても、それは続き、レティシアが口を開く。
「今日は何か、お話があるとお聞きしたのですが」
その言葉にすら何も返せないでいると、レティシアは自室に戻ろうとする。
慌ててバンジャマンが、これからここで食事をとるように命令すると、レティシアが断った。
それはジュスタンに、大きな衝撃を与えた。
(レティシアが断った? 以前ならば喜んでいたはずなのに)
「おい、こっちが許してやると言っているんだぞ。喜べ」
混乱しているがゆえに、今までのように尊大な態度で言う。それが悪手だと、気付くことすらできない。
けれどレティシアはそれも断ると、食堂を出て行ってしまう。
バンジャマンも、怒りより衝撃が強いようで動かなかった。
とにかくレティシアを追いかけようと、ジュスタンも食堂を出る。
レティシアに追いついて、呼び止める。
けれどレティシアの表情に喜びはない。
そこでジュスタンは、そう言えばジルベールからレティシアの話を聞いてないのか? と言われたことを思い出した。
しかし、話を聞こうとしてもレティシアは惚けるばかり。次第にジュスタンの中に苛立ちが生じる。
「ああもうっ! 物分かりが悪いな! テスト前の事だ!」
思わず怒鳴るように言えば、こちらを逆撫でするような物言いをするレティシア。
怒りのままに言葉を吐き出せば、レティシアからは氷のような冷たい返事が返って来た。
「わたくしから説明したところで、貴方は信じないでしょう?」
「必要ありません。信じない人に説明しても時間の無駄ですわ」
ここで、ジュスタンは"公子"と呼ばれることに違和感を持った。
まるで一線を引かれているような。
(そんな訳ない。こいつは何だかんだ俺たちに好かれようと必死なはず。……いや、レティシアの表情はこんなだったか?)
以前のレティシアは、ジュスタンを"お兄様"と呼んでいた。少しでもこちらの気を引こうとしている姿を、嘲笑っていたはずなのに。
なんだこの、迷惑だと言わんばかりの表情は。
驚きに固まっていると、レティシアは自室に入り扉を閉められた。
それはまさに世界を隔てる、壁だった。
◇◇◇
レティシアのことばかり気にしている場合ではない。
ジュスタンには卒業式と卒業パーティーの準備が必要だった。
服装やら、答辞の準備やらでとても忙しい。
そんな中でも、レティシアは自室に籠っているようで姿を見かけない。
(くそっ。何なんだ! 俺は……俺は、レティシア……。そうだ、卒業パーティーに誘ってやるか。きっと拗ねているだけだ。そうしたら前みたく喜ぶだろう)
ぐちゃぐちゃな頭の中で、思いついたその案はとても良いものに思った。
(誘うのは……卒業式には顔を見れるだろうから、その時だな。ドレスの準備は無いだろうが、今までのものを使えば良い。そうだ、それが良い)
それが最善だと思っていた。
まさか、ジュスタンの知らないことがまだ起こるなんて、想像もしていなかったのだ。
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