⒊ヒロインの出会いイベントが見れました
そして午前の授業が終わり、昼休みとなった。当然のようにオデットが近づいてきて、昼食を食べようと誘う。
しかし、レティシアは少しだけ申し訳なさそうにしながら言った。
「申し訳ありません、オデット様。本日はこの後、先生にお話がありますの。お待たせするのも悪いですから、先に行っていてくださいませ」
「まあぁ。レティシア様ぁ、寂しいですわぁ。それにレティシア様は優秀なお方ですのに、教師に聞くことがありますのぉ?」
最後、多分に毒を含んだ言葉に感じる。言葉の裏にべったり塗りたくったそれは、とても不愉快だ。
けれどそれに動じるレティシアではない。というより、関わるのが面倒臭い。
「ええ。一方向からの目線では分からないこともありますから。多方向からの考え方も身につけたいのですわ」
「……そうなんですねぇ。それでは仕方ありませんわぁ」
多分、レティシアの言いたいことがわかっていない。
けれどこれ以上踏み込んでは、自分が下になるかもしれないと思ったのだろう。
それ以上追求されることなく、オデットは立ち去った。
それを確認して、レティシアも歩き出す。向かうところはもちろん教師のところではない。
「今日であるかはわかりませんが、あの噴水のある中庭で殿下とヒロインの出会いイベントがありますわ。どうせ一食抜いたところで変わりませんし、ちょっと見張っておきましょう」
表面上は淑女の顔で。しかし内心はイベントを見られるのではという期待に、胸が膨らんでいたのだった。
中庭に着くと、レティシアは木陰に身を隠す。
この姿が他者に見られようものなら、この後の貴族人生が危ないので慎重に気配を消していた。いずれは貴族の地位を捨てるつもりとはいえ、まだ断罪されるわけにはいかない。
中庭に鎮座している噴水のおかげで、小さな物音くらいなら気がつかれることもないだろう。
そうしてしばらく待機していること数十分。
(あ、あれは…………!)
校舎の方から人影。焦茶色の髪は真っ直ぐ胸の辺りまで伸びている。そしてコーラルピンクの瞳。
間違いない。彼女が“イーリスの祝福”のヒロインだ。名前はどうだろう。デフォルトであれば、コレット・フォールだったはず。
レティシアは息を殺して、様子を伺う。
少し落ち込んだ様子の彼女は、俯き加減で歩いている。手元にはハンカチを持っている。
その様子を見て、レティシアは確信した。
「これは、間違いありませんわ。この後、もう少しで殿下との出会いイベントが始まるはずですわ」
ヒロインは、平民の特待生だ。優秀であるが故にやっかみも多い。
この直前に下位貴族に虐められていたはずだ。そのせいで落ち込んで、人気のないところに移動してきたのだ。
その時、おあつらえ向きに旋風が吹く。
「きゃっ」
可愛らしい声を上げて、ヒロインは髪を押さえた。その拍子にハンカチが飛んでいってしまう。
慌てて飛んでいった方向に目を向けるヒロイン。その先には――
「……これは君のだね?」
そう、ジルベールがハンカチをキャッチして立っていた。
レティシアは悲鳴をあげそうになり、口を抑える。
(はああああっ! まさかドンピシャでイベントに遭遇できるなんて‼︎ 最高ですわ!)
「あ、えっと、はい! ありがとうございます!」
ヒロインは慌てて駆け寄り、ハンカチを受け取る。
ジルベールは少し眉を寄せながら、ヒロインに話しかけた。
「……何かあったのかい?」
きっと落ち込んだ様子のヒロインに気がついたのだろう。心配そうな表情だ。
表情に感情を出さないようにしているとはいえ、多少の表情の変化は分かる。無表情ではそれこそ、人形である。
(まああっ。わたくしには見せない表情っ! 素晴らしいですわっ……。本来殿下は思いやりがある方なのですよね。わたくしとはうまくコミュニケーションが取れないだけで。ええ、王族にしては優しすぎますが、それはそれですわ)
「あ、いえ。殿下の手を煩わせるものではありませんので」
平民ということもあり、遠慮している――いや、萎縮しているのだろう。心なしか顔色が悪いように見える。
この学園では挨拶など貴族のマナーは簡略化が許されているとはいえ、平民からすれば雲の上の存在だろう。
しかしジルベールは引かなかった。
「コレット・フォール嬢だね? これでも特待生の顔と名前は記憶しているんだ。将来の優秀な卵が困っていたら、何か力になりたいのだけれど」
(さすが殿下ですわ。わたくしは特待生といえど、全員覚えているわけではありませんもの。いえ、“イーリスの祝福”という世界だからかもしれませんわ)
ついでにジルベールのお陰で、ヒロインはデフォルト名であることが確定した。
知っているイベントが目の前で起きていることに、レティシアの興奮は最高潮だ。
呼吸が荒くなっているのは目を瞑ってほしい。寧ろ声を出していないのを褒めてほしい。誰に言っているのか分からないが。
「そ、そんな……お気持ちはとても嬉しいです。……しかし御言葉ですが、殿下は婚約者様がいらっしゃいますよね。私は平民ではありますが、男女2人きりではあらぬ噂が立つリスクは承知しているつもりです……」
「!」
ジルベールは目を見開く。
その言葉は聞いたレティシアも、つい声を上げそうになった。
(あああああっ! これがヒロイン、コレット・フォールですわ‼︎ 不貞に関することは徹底的に避ける清廉潔白の権化! それも彼女の生い立ちが関係しているのですが……)
思い出してきたら、目の前が滲んできた。コレットもかなりの苦労人なのである。箱推しのレティシアは思い出すだけで涙が滲むくらい感情移入してしまっている。
本当にコレットには幸せになって欲しい。いや、幸せにするためにレティシアは悪役令嬢という役目を果たして見せようと、決意を固めた。
「……いや、私の考えが足らなかったよ。フォール嬢の言う通りだ」
「い、いえ。差し出がましいことを申しました。……では失礼します」
気まずげにしながら、コレットはそそくさと立ち去った。
その背中を見えなくなるまで、ジルベールはその場にいた。
レティシアも、動けば覗き見をしていたことがバレてしまうリスクがあるので動けない。
やがてジルベールはボソリと呟き、その場を立ち去った。
「少し調べてみよう。直接手を差し伸べることは出来なくとも、何かしらできることはあるはずだ」
そうして凛とした姿勢で校舎に戻っていくジルベール。
完全に姿が見えなくなってから、レティシアは止めていた息を吐き出した。
「あああああっ‼︎ 最高‼︎ まさにイベントの通り! ジルベール殿下もここで止まらずにご自身でできることを探すのが良い‼︎ ありがとう‼︎」
誰もいないことを良いことに声まで出してしまう。そして興奮のあまり、令嬢の言葉遣いが飛んでしまっている。
しかし、今なお、心臓が破裂しそうなくらいにドキドキして興奮しているのだ。これでも抑えている方だ。
頬を赤らめ、空のように青い瞳は、今は海のように煌めいている。
「ここから攻略対象達とドンドン出会って、仲を深めていくのよねっ。場所によってはイベントが見られないところもあるけれど、それは仕方ないっ。しかし、偶然を装って見たい……っ! いいえ、そんなストーカーみたいなことは……」
これからのストーリーを思い出し、欲望と理性が闘う。
ちなみにジルベールのルートは、こうだ。
幼少時からの婚約者であるレティシアと、良好な関係を結ぼうとしていたジルベール。
しかし、お互いコミュニケーションがうまく取れない。中々関係が進展しないことに悩んでいた。ジルベールとしては妃教育にも手を抜かず、努力するレティシアに好感を持っていた。将来、国を支えていくためにお互い支え合いたいとまで思っていたのだ。
だからこそこの状態がもどかしく、側近候補達にも相談したりしていたが、それでもお互いどこか線を引いてしまい、ジルベールには段々と諦めが入ってくるようになってしまう。
そんな時に、コレットと出会うのだ。清廉なコレットに惹かれるジルベールだが、コレットは不貞を何よりも嫌っている。
ジルベールも将来国王になるのであれば節度のある行動をしなければと、多少の接触はあれど進展はなかった。
しかしある日、コレットを虐めている主犯格がレティシアでは無いかと噂を聞いてしまう。レティシアにも話を聞こうとするが、すれ違ってしまい中々聞くことが出来ないことに、ジルベールは焦っていた。
そうしているうちに実際に虐めている場面に遭遇してしまう。裏切られたような気持ちになったジルベールが問い詰めると、レティシアは今まで溜め込んできたものを爆発させるようにジルベールを詰ったのだ。
ジルベールがコレットを特別な目で見ていることに、レティシアは気がついていた。レティシアという婚約者には見せないその表情、言葉。そして何より、婚約者であるレティシアに寄り添ってくれた事などない癖に、あっさりコレットに傾くなんて、と。父や兄にすら疎まれているから、ジルベールのために努力してきたのに、見てくれなかったと身を切り裂くように叫ぶその姿、その言葉にジルベールは自責の念に囚われる。
そして虐めのことが王宮に報告されてしまい、レティシアは王命で婚約を白紙にされてしまう。ジルベールは何とかレティシアを救いたかったが、国王はそれを良しとしなかった。
そしてしばらくして新たにコレットがジルベールの婚約者になるのだ。
それを決定的に、レティシアは自棄になり、コレットを殺害しようとする。なんとか計画を阻止したが、ここでレティシアの処遇にジルベールは悩んでしまう。
ジルベールはレティシアがこうなったのは、自分のせいでもあると感じていた。だから本当は修道院に送り、俗世から離れて穏やかに過ごして欲しかった。
しかし、コレットは既にジルベールの婚約者。即ち準王族であり、極刑にするしかなかったのだ。そうしてジルベールルートのレティシアは死刑となったのだ。
閑話休題。
「ううっ……どうしようっ。絡みを見たいよおっ。そうだ、先に彼女を虐めた不届き者に罰を……はっ」
ここでレティシアはあることに気がつく。
今、コレットを虐めているのは、彼女に嫉妬した下位貴族の子女。王族に次ぐ力を持つ公爵家の娘であれば、子女達に制裁を下すのは容易い。
平民と貴族の壁は薄くなっているとはいえ、王政であるが故に権力の差というものはどうしてもあるのだから。
しかし、それではストーリーが進まない。何故なら、攻略対象者がヒロインを虐めから守るのが、大体のルートで掴みのストーリーになっているのだ。
中には出会いイベントで虐められている真っ最中に攻略対象者が乱入するものもある。
虐めがなければ、そもそも一部の攻略対象者と出会わないかもしれない。
「イベントが進まないのは良くないかも……。場合によってはストーリー自体が進まなくなる可能性もゼロではないかもしれない……?」
しかし、それは虐めに目を瞑っていい免罪符とはならない。
どうにかして、コレットが他者から虐められないように仕向けたい。単純に推しが不幸な目に遭うのが許せないのだ。
ならばどうすれば良いか。いっそのこと、1人からの虐めならダメージは最低限にならないだろうかとレティシアは考える。
考えているうちに冷静になってきて、やることは決まった。
「いずれストーリーが進むにつれて、レティシアが虐めの主犯となるのです。多少早いくらいは問題ないでしょう。どうせ、力はあっても気のおける友人など居ないですし、元よりストーリーが終われば亡命を目指す身。ここでの評判がどうなろうと知ったことではありませんわ」
毒を食らわば皿まで。レティシアはいじめっ子になることを決意した。
◇◇◇
あれから数日。レティシアは緻密に計画を立てた。
とはいえ、やることは多くない。
まずはコレットを虐めた貴族子女への制裁。そして代わりにレティシアがコレットを虐めるのだ。
これだけだと、とんだ悪役令嬢だ。いや、目指す位置はそこなのだから合っている、とレティシアは自分を納得させる。
正直、大好きなキャラを虐めるなんて、とんでもない拷問だ。
何が嬉しくて、大好きなキャラを泣かせねばいかんのだ。
「くっ……しっかりなさい、レティシア。最初に決めたのでしょう。ならば最後までその役目を全うしなさい」
怖気付く自分の心を奮い立たせるように、握り拳を作る。
それにこれから悪化していく虐めも、今までの虐めもコレット本人や持ち物に被害が出ていた。
レティシアはそれも防ぎたいのだ。怪我することは勿論、物だって平民であるコレットにとっては何度も買い直すことは難しいだろう。
それを防ぐためにも、レティシアが早めに動けば良いのだ。とはいえ、コレットが心に傷を負うこと必至だろう。
本人や物を傷つけるような虐めをやらないのであれば、言葉で虐めるしかないのだから。
「ああああああ…………っ。わたくしはクズの一歩を踏み出すのですね……。いえ、元から好かれようとは思っておりませんけれども、これはとんでもないストレスですわ。既に胃が痛い気がします……」
加害者になる筈なのに気分は被害者だ。とんだ自分勝手な理由でもあるのが、また頂けない。
「くっ。わたくしはリュシリュー公爵家の娘。そう、公爵も兄もクズなのです。ならばわたくしにもクズの血が流れています。ええ。幸い、罵倒の語彙はアイツらからたっぷり教えられていますわ。わたくしは優秀なのですわ。出来ないなんてことあり得ませんわ」
そうブツブツ言いながら、なんとか荒ぶりそうになる心を鎮める。
ちなみにここはレティシアの自室なので、誰に聞かれる心配もない。
例のごとく、いや、大好きなコレットを虐めると言うストレスで更に眠りが浅くなってしまったので、ほとんど寝られていない。
そろそろ朝食の時間になってしまうので、レティシアは思考を止めてダイニングに向かった。
いつも通りの朝食を終えて、苦痛しかないジュスタンと登校する。
教室に入れば、オデットが猫なで声で絡んでくる。
朝からストレスのオンパレードである。
(本当、ゲームでのレティシアは不憫でしたわ。幼い頃からジルベール殿下の婚約者として厳しい教育に耐え、家族から虐待され、学園では地位に目が眩んだ虫しか寄ってこない……。誰も信用なんて出来ませんわね)
そんな境遇で希望の光があれば、何がなんでも手を伸ばしてしまうのは果たして罪なのか。
結局、イーリスの祝福でのレティシアは報われることなく、短い生涯を終える。例えその後、コレットと攻略対象者がレティシアを思って人生を過ごしても、既にそこにいないレティシアにはそれを知る術はない。
(ああ、わたくしは、せめて好きに生きましょう。いえ、これから好きではないことをするのはさておき、これが落ち着いたら、ゆっくり、自分のためだけに生きましょう)
これからの学園生活に思いを馳せ、ゆっくりと目を閉じた。
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