11.悪役令嬢への第一歩ですわ
屋敷に戻ったレティシアは、体の中の全てを出すように深い溜め息を吐いた。
(何故殿下はわたくしに関わろうとするのでしょうか……。前までは必要最低限で、月に一度あるお茶会も会話はほとんどありませんでしたのに……)
そうだ。もう今の時期は修復不可能な程に、2人の関係は冷え切っていた筈なのだ。それはイーリスの祝福関係なく、レティシア自身も感じていた。
拒絶する言葉はスラスラ出てくるものの、気分が良いものではない。
あまり関わらないでほしい。彼らは大好きだが、それはレティシアと関わらないという前提だ。
それは前世で言うならば、推しを愛でているという感覚に近い。レティシアは所謂夢女では無かった。寧ろ自分は壁となり、推し達が幸せになっているのを見ていたいというタイプだった。
そのことも相まって、今の心理状態になっているのかもしれない。
「イーリスの祝福としての物語は、始まっていると考えて良いでしょう。それならば、わたくしが取るべき行動は一つ。コレット様の虐めを本格的にすることですわ。そうすれば殿下達も、自ずと離れていくでしょう。ええ、彼らにするようにコレット様にも冷たくすれば良いのです。出来ているのですから出来ますわ」
その為に下準備をしてきたのだ。そろそろ腰を据えて行動する段階である。
「ええ、わたくしはレティシア・ド・リュシリュー。悪役令嬢であるわたくしならば、こんなこと、造作もないですわ」
それに、とレティシアは続ける。
「丁度よくオデット様もいじめっ子になっていますもの。彼女には悪いですが、わたくしが堕ちる為に利用させていただきましょう」
オデットはそれこそ、昔の悪い貴族らしい考え方の持ち主だ。
平民は汚いもの、貴族は尊ぶもの。自分の私利私欲のためならば、周りがどうなろうと知ったことではない。
そして権力を欲している。本当であれば、自分自身こそが王妃になるに相応しいと思い込んでいるのだ。
正直、この考え方は今のアヴリルプランタン王国では通用しないし、危険だ。
何かあってからでは遅いので、芽は早めに摘んでおくに越したことはない。
そう考えて、レティシアはこれからの計画に抜けがないか、確認するのだった。
◇◇◇
それからレティシアは、オデットに以前よりも一緒にいる時間を取るようにした。
コレットに対する行動はまだ積極的には起こさない。
そもそもイーリスの祝福でも、レティシアが黒幕として扱われるのは割と終盤であるから問題ない。
この間に悪役としての行動を身につけておきたいという、まあ有り体に言えば日和っている状態なのだ。それに退学した令嬢もいるので、コレットへの虐めがないのも様子を見ている要因の一つだった。
ついでにオデットといることで、彼女を参考にしているとも言う。
(まあ丸っ切り参考にはしませんが、嫌味な言い方は参考になりますわね。話し方や、声のトーンで相手を不快にさせるのがどう言うのか、分かりますもの)
そうは思いつつも、オデットといるとストレスが溜まるのも事実である。
「レティシアさまぁ。お聞きになりましてぇ? ロベーヌ伯爵家の次男が、平民に熱をあげているそうですのぉ」
「まあ、あのロベーヌ家の者がですか?」
「ええ。何でもその平民は、ナミュール侯爵家の三男も手玉に取っているらしいですわぁ。やはり平民は殿方に取り入るのがお上手ですのねぇ」
「平民の中には、そういったことで日銭を稼いでいるものもいると聞きますわね」
「ええ! きっとその平民もそうに違いありませんわぁ。これはこの学園に相応しくないと思いませんかぁ」
「それが事実であるならば、そうですわね」
今、コレットはドミニクとマルセルに護られているようだ。ゲームではルート以外の攻略対象者と多少の関わりはあるものの、2人に護られることはなかったので、ゲームの通りに進むという事ではないとレティシアは考えている。
そしてオデットは手玉が云々言っているが、それは曲解だろう。本人の性格も考えて。
仮にコレットが逆ハーレムを目指すと言うのであれば、それは大問題であろう。
しかし、コレットは絶対にそんなことはしない。
何故なら、コレットは不貞が理由で両親を失っているからだ。その事件のせいで、コレットは不貞を何よりも嫌う。
そしてこの学園に入学する時も、婚約者のいる男性貴族をあらかじめ調べて極力関わらないようにしているのだ。
ちなみにイーリスの祝福ではジルベール以外婚約者はいない。それに対して色々と考察はあったが、公式ではそう言った情報は出ていなかった。
なのでレティシアはオデットの言葉を、とんでもない偏屈な目で見ているのだなとしか思えなかった。
それでも否定しないのは、先ほどから刺さる視線のせいだ。
(……何故、殿下とドミニク様はわたくしを見ているのかしら)
そう、レティシアがいるのは教室の自分の席だ。オデットは前の席に座り、ピーチクパーチクお喋りしている。
そしてジルベールとドミニクは、なぜか教室の外からレティシアを見ているのだ。
ドミニクはクラスが違うので分からなくもないが、ジルベールが外から見ているのが何か企んでそうで怖い。
そしてお喋りに夢中になっているオデットは、ジルベール達に気がついていない。
(それでも顔が険しくなっていますわ。きっとオデット様の話を真に受けているわたくしを、不快に思ってくれているでしょう)
そんな風に思いながらオデットの話を聞き流していると、ジルベールはようやく教室に入ってきた。ドミニクは離れるのを見る限り、自分の教室に向かったのだろう。
ここでようやくオデットは、ジルベールが入ってきたことに気がついたらしい。
先ほどまでの話は無かったように、ジルベールを目で追っている。
(この人も、見た目はとても良いのに残念ですわねぇ。プラチナブロンドの髪と瞳。豊かな体型は美しいのに、中身が惜しいですわ。せめて話し方だけでも変われば良いのに)
なんて随分失礼な事を考えながら、レティシアは授業の準備をした。
◇◇◇
そのように過ごすこと数日。レティシアは遂にコレットに対して行動を起こすことを決意した。
と言うのも、コレットへの虐めがまた始まったという噂を耳にしたからだ。
オデットはレティシアに話すだけで満足するような人間ではなかった。
オデットが話してくる内容からも、コレットを虐めるように囃し立てているのも分かった。それも1人ででは無く、オデットの取り巻きと共にすることでよりオデットの思うようにレティシアを動かそうとしている。
(わたくしの役目は、コレット様への虐めを無くす事。けれどオデット様がいる限り、マルセルルートの様になってしまいますわ。当初の予定通り、わたくしが虐めることで周りに手出しをさせないようにしなければ)
目下の問題は、オデットをどの様に扱うかである。
オデットの性格を熟知し、上手く利用してみせる。
そのためもあり、ここ数日一緒にいたのだ。
「レティシアさまぁ、それであの平民なのですけどぉ」
「何でしょうか?」
「ついにジルベール殿下にも、手を出すようになったそうですよぉ」
「まあ……」
レティシアが少し低い声で言うと、オデットはにんまりと嗤う。
これは想定内だ。何故ならこの数日、オデットが周りの令嬢を使いコレットとジルベールが鉢合うようにしていたのを知っているからだ。
これでレティシアが嫉妬に駆られ、暴走する事を望んでいる。
(彼女がそんな風に頭が回るとは、意外でしたわ。しかし、マルセルルートの彼女はわたくしが首謀者だと見えるように、周りの令嬢を使って噂を流していたのですわ。ゲームのわたくしはまんまとそれに引っかかってしまったのですけれど。そう言うことは、頭の回転が良いのでしょう)
けれど今のレティシアは、オデットの考えていることを理解している。
ジルベールとレティシアの仲が冷えていることも考え、きっと暴走するだろう思っているのだ。
それは前のレティシアであれば、正解である。
だからこそ、レティシアはオデットの望む行動に沿って見せよう。
「レティシアさまぁ。身の程知らずな平民に、きちんと教えて差し上げなくてはぁ」
「……教える……」
「そうですわぁ。言葉だけではあの平民は分からないようですしぃ、貴族に歯向かうことの恐ろしさをちゃあんと教えて差し上げるのが良いと思いますのぉ」
「確かに、婚約者がいる殿方に近づくのは感心しませんね」
「そうでしょう! あの平民は今、食堂にいるそうですよぉ」
どうやら、公衆の面前でレティシアの評価を落とすことも視野に入れているらしい。
レティシアとしては、そこまでオデットの思惑に乗るのはまだ早いかと考える。
様々な方法を頭に思い浮かべながら、レティシアはオデット達と共に食堂に向かう。
オデットは嬉々として、レティシアをコレットのいるところに案内した。
そこにはマルセルとコレットがいた。レティシアはマルセルルートに入ったのだろうかと思ったが、見える範囲にジルベールとドミニクもいることを確認し、まだ確定するのは早いかと判断する。
と言うのも、ジルベール達は基本的に食堂では食事をしないからだ。
学園では身分が関係ないとはいえ、第一王子が食堂にいると周りは萎縮してしまうのだ。
気を遣うのも遣われるのも、どちらも疲れてしまうので基本的にジルベール達は別室にいる。
それこそ食堂にいるのは、コレットのためと言える。
「あら、マルセル様。珍しいですわね」
「レティシア様も……珍しいですね」
恐らくオデットと一緒にいることを指摘しているのだろう。
それには答えず、話を続ける。
「それにしても、マルセル様に婚約者が出来たなんて存じ上げませんでしたわ」
「え、あ、いや。これは」
「わ、私はそんな、違います!」
レティシアの言葉にマルセルは言葉に詰まり、コレットが慌てたように腰を上げた。
すぐにレティシアはコレットを睨みつける。
「今わたくしはマルセル様とお話ししているのです」
「す、すいません」
「レティシア様、その言い方は――」
「マルセル様、今学園ではあなた達の事で噂が広まっておりますわ。どう言う理由にせよ、もう少し身の振り方を考えた方がよろしいかと思います」
「!」
レティシアの言葉に、マルセルの表情が強張る。
キツい言い方をしているとは言え、レティシアの言うことは事実だ。マルセルはコレットを護るために、そばにいる時間が長くなっている。
これはマルセルルートでコレットへの虐めが悪化してしまった理由の一つでもあるのだ。
無闇にそばにいて護ることが、必ずしも護ることには繋がらない。
その事に気がついて欲しかったのだ。少し離れたところにいるジルベールとドミニクにも、その言葉が届くように声も張って。
言い方をキツくすることで、オデットからしたら嫉妬を滲ませているように見えるだろう。
(流石に公衆の面前で、公爵令嬢たるわたくしが醜聞を晒すなど出来ませんわ。これが追放直前なら考えましたが、まだ準備は整っていませんし)
「そうですね。確かにレティシア様の言う通りです」
「お分かりいただけたようで何よりですわ。では失礼いたします」
思ったよりレティシアの意見を聞き入れたマルセルに、少し意外に思うレティシア。
マルセルは騎士団の家系も相まって、かなり真面目な人間だ。
逆に言えば柔軟な考えは苦手な傾向ではあるので、何か一言反論してくるのかと思っていた。
実際、イーリスの祝福ではレティシアの意見に、反対することもあったのだから。
とにかく納得してくれるに越した事はない。レティシアの言いたいことは言えたので、立ち去ることにした。
「レティシアさまぁ。もっと厳しくした方が良いですよぉ」
「ええ。これでお分かりいただけない様でしたら、また対応も変えなければなりませんわね」
オデットは修羅場になることを期待していただろう。もっと暴走しろという声が聞こえてくるようだ。
とはいえ、オデットの言いなりになるつもりもないし、このくらいが妥協点だろう。
レティシアの言葉に、渋々納得したようにオデットはレティシアについてくる。
少し後ろを歩くオデットの表情は見えないが、きっと爪でも噛んでいるのかもしれないと思うと、少し胸がスッとするレティシアだった。
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