⒈前世の記憶が蘇りました
「レティシア。君はもう少し人に対して優しさを持って接した方が良いのではないかい? 学園での君の印象が良くないことくらい、理解しているだろう?“まるで人形のようだ”“身分を笠に着る傲慢な王子妃候補”……もう少し自分の身の振り方を考えた方がいいのではないかい?」
「そのような噂が流れているのは存じておりますわ。ではどうすればいいと? わたくしは普通に過ごしているだけですわ。傲慢に見えるのも、本当でしょうか? その根拠はどこにあるのです?」
「根拠ではない。君がそう言われるほどの姿を見せているのが問題だと言っているんだよ」
「わたくしと交流のない方々の意見をどうして尊重せねばならないのでしょう。所詮、本人に直接言ってこない噂など気にするのも時間の無駄ですわ」
「はあ……。私の言いたいことが伝わらないようだね。残念だよ」
「……殿下こそ、表面上しか取り繕っていないのによくそんな戯言を――」
ボソリと言い返した。聞かせるつもりもない、ごく小さな声。
しかし、その瞬間、レティシア・ド・リュシリューは急激な頭痛に見舞われた。
思わず頭を強く押さえる。しかし、脈打つような痛みはどんどん増していく。
「なんだい? そんなに嫌そうな顔をして。事実だろう? 君は私のことを理解しようとしないじゃないか」
目の前の男性の声が頭に響く。奇しくもその言葉はレティシアと同じ内容。その言葉を言葉として理解する余裕は無い。
倒れそうなくらいに激しい頭痛を、しかし、倒れるわけにはいかないと堪える。それでも額や手のひらに冷や汗が滲んでいる。
ガンガンするような痛みを必死で堪えていると、波が引いていくように、すうっと痛みが引いていった。
波は引いたが、その置き土産と言わんばかりにレティシアにとって、全く馴染みのない情報が流れ込んでくる。
(こ、これは……。わたくし、この世界を知っている。だってこのお方は――)
本来であれば、情報量の多さにパニックに陥ってもおかしくない状況だ。しかし周りに頼ることを知らないレティシアは、荒れ狂う胸の内をおくびにも出さず、目の前の男性――ジルベール・ラ・ド・アヴリルプランタン――に言葉を返す。
「そうですわね。お互いそうでございましょう? 所詮は政略結婚に過ぎないのですから」
「……顔色が悪い。調子が悪いのか?」
痛みが引いたとはいえ、違和感が体中にあり、余裕のない返答になる。かなり冷たい突き放し方をしたはずだが、ジルベールはそれに全く意を介さず心配しているような言葉を言う。というか完全に無視だ。ある意味鋼のメンタルである。
確かに今のレティシアは先ほどまでと違う。生まれて初めて、ここまで感情が荒ぶっているのを自覚している。そこまで違うのであれば、気がついてしまうのも無理はない。だからこそ、ジルベールは気がついて、その様子を気にしたのだろう。しかしレティシアとしては、今すぐ1人になりたい。なのにそんなことを言ってくるジルベールに、理不尽にも苛立ちを感じた。
「心配していただくようなことは何もありませんわ」
そう言ったのに、ジルベールはレティシアの額に手を当てる。
何年かぶりの人の体温は、安心というより不快感を募らせた。
思わずその手を叩き落とす。驚いたジルベールの表情に、流石に気まずくなったけれど断りもなく触れてきた方も悪い。
婚約者といえども、軽々しく触れてくるのは紳士ではない。
「急に触れないでください。……今日はこれで失礼いたしますわ」
「あ……レティシア!」
そう呼ぶ声を無視して、レティシアはその場を立ち去った。
その姿は、とても16歳の少女には似つかわしく無いほどに完成された美しい姿だったのだが。
「はあああああっ……! 本物のジルベール殿下だったわ! これは夢なのかしら? なんて素敵な夢でしょう!」
先ほどまでの厳しい表情は何処へやら。恋する乙女のように、頬を染めて一人小走りで駆け抜けたのだった。
◇◇◇
屋敷に帰るとレティシアはすぐに部屋に篭った。侍女長に食事はいらないことを伝える。
そしてノートを引っ張り出して、猛然とペンを進めた。頭の中にある情報を片っ端から、書き込んでいく。
ここはアヴリルプランタン王国。一年を通して温暖な気候で、近隣国と比べてもかなりの大国だ。
近年、平民の生活も向上し貴族との差も縮まりつつあるが、王族が国を治めているので基本的には王政を採用している。しかし法が柔軟になってきており、能力が優秀な者は貴族と同等の地位を手に入れることも可能だ。
そして一番の特徴は、この国には魔法が浸透していることだ。魔力は貴族の血筋の者が多いのは事実だが、平民も魔法が使える。魔法で発展してきた国だ。
時代的にはまだまだ発展途上もいいところのはずであるが、衛生環境も、食事環境もかなり整っている。その理由は魔法の力もあるが、なにより乙女ゲームの世界ということが大きいであろう。つまるところ、ご都合主義である。
そう。ここは“イーリスの祝福”という日本でヒットした乙女ゲームの世界なのだ。
勿論、日本という国はこの世界にはない。日本というのは、前世の自分が暮らしていた国である。
レティシア・ド・リュシリューはそのイーリスの祝福で出てくる、悪役令嬢の名前だ。
先ほどの頭痛でレティシアは前世の自分を思い出したのだ。しかし憑依ということではない。今までレティシアとして生きてきた人生もしっかり憶えている。
このゲーム、実は賛否両論分かれており、ネットで大炎上したゲームである。その理由は、エンディングの後味の悪さにある。
イーリスの祝福のヒロインは、孤児院出身の平民だ。このヒロインは自立した女性で、学園に入学したのも就職先を拡げる為である。
レティシアも通うアヴリル魔法学園は魔法を学ぶ学園だ。生活に使える魔法は、基本的に生活の中で自然と覚えていく。しかしより高度な魔法は、学園で学ぶ必要がある。その為、就職先を広げるために学園に入学するのは、とても意義のあることなのだ。
この学園は平民も入学資格はあるが、学費が高いので裕福なものしか入れない。もしくは狭き門をくぐり抜けた特待生だ。
ヒロインはその狭き門をくぐり抜けた猛者である。
日々魔法の勉強に勤しむ彼女だが、攻略対象者の貴族たちとひょんなことから関わっていくことになる。徐々に距離を縮める中で邪魔してくるのが、自身が転生したレティシアなのだ。全てのルートで邪魔をしてくる、ある意味ハイスペック悪役令嬢である。
レティシアによる邪魔を乗り越え、無事結ばれる二人――というよくある話かと思いきや、実はレティシアには家族に冷遇されているという実態があり、レティシアが邪魔をしたのも、攻略対象がレティシアにとって希望の光だったからだ。その希望の光がポッと出の平民に奪われ、絶望し、暴走してしまうのだ。
そのことにヒロイン達が気がつくのは、総じて取り返しが付かなくなってから。攻略対象者とヒロインは終わることのない後悔の中で生きていく――
そんな物語なのだ。
タイトルからしてハッピーエンドであるだろうと誰しもが思うだろう。しかし実際にプレイしてみれば、ハッピーエンドは一つもない。
タイトル詐欺だと声を上げるものも少なくなかった。
レティシアの末路は処刑だったり娼館に送られたり、修道院に送られる。一番悲惨なのは自死するルートだ。
レティシアを完全悪とはいえない。むしろ被害者でもあるという、色々考えさせられるゲームで刺さる人には刺さったけれど、受け入れ難い人も多かったというのが炎上した理由である。
そんな不遇な少女に転生した、とノートに書いてペンを置いた。
ノートに書き出したおかげでだいぶ整理できた。ついでに攻略対象についても書いたので、もう外は暗くなっている。
「わたくしは、レティシア・ド・リュシリュー。公爵家の娘。この国の第一王子である、ジルベール・ラ・ド・アヴリルプランタンの婚約者。まあ、婚約者とは関係が冷え切っているのだけれど」
幼い頃からの婚約者であるにも関わらず、冷え切った関係である理由は、双方のコミュニケーション不足であることが大きい。
ジルベールは教育のせいで、感情を表情に出さないようになってしまい、すれ違ってしまっている。声のトーンも柔らかくはあるが、どうにも冷たい印象があり、深い関わりが出来ないのだ。
レティシアサイドは、主に家族が原因だ。
リュシリュー公爵家は現在、父親のバンジャマン、兄のジュスタンがいる。母親はレティシアの出産直後に流行り病に罹り、儚くなっているので記憶はほとんど無い。
その父親と兄が問題なのだ。所謂クズなのである。
まず父親は出産直後に愛する妻を亡くしたことをレティシアのせいだと思っている。実際は偶々タイミングが重なってしまっただけであり、体調も産後は順調に回復していた。それを受け入れられないバンジャマンは、妻の生き写しのようなレティシアを冷遇するのだ。
次に兄であるジュスタンは、レティシアに対して劣等感を抱いている。自分で言うのもアレだが、レティシアは優秀だ。10歳で婚約した後、16歳にしてほぼ妃教育を終えている。学園での成績も毎回次席を取っている。そんなレティシアに、ジュスタンは敵わないことをわかっていて、強烈な劣等感を抱き八つ当たりをするのだ。
余談だが、首席はジルベールである。レティシア以上のハイスペック王子だ。
そんな対応を当主と嫡男がするものだから、使用人たちにも侮られている。
身の回りの世話は最低限で、些細な嫌がらせをされることも日常茶飯事だ。そしてこの歳でつけられる筈の専属侍女もいない。いや、とても良くしてくれる侍女はいるが、基本的に世話係にはなれていない。普段は接点がないが、本当に辛かった時にそばにいてくれる存在だ。
なので基本的に伝言は侍女長に直接言っている。もちろん侍女長もレティシアを冷遇しているので、毎回小言をもらうけれど。
一番近くにいた者達に冷遇された結果、レティシアはコミュニケーション能力が欠如してしまった。いや、王子の婚約者として表面上は波風立てることなくコミュニケーションは取れる。むしろ、婚約者として参列するパーティーでは、挨拶してきた貴族の領地の名産などをスラスラ言えるくらいには優秀だ。
けれどずっとそんな幼少期を、それこそ物心つく前から過ごしてきたものだから、他人に一切心を開かなくなってしまった。
それでもほのかな希望を抱いて、必死に婚約者であるジルベールと打ち解けようとしていた昨日までのレティシア。
レティシアなりに打ち解けようとしたけれど、結局心の内を出すことができないため徐々に溝が深まってしまい、今日のように冷たいやりとりしかできなくなってしまった。
「ああっ……なんて不遇なレティシアっ……。いえ、今はわたくしがレティシアなのだけれど。しかし、これはチャンスだわ」
正にピンチはチャンス。レティシアはにやりと笑う。
何故この状態がチャンスになるのか。それは前世の自分が、この“イーリスの祝福”が大好きだったからだ。
前世のネット上ではレティシア派とヒロイン派で分かれていたけれど、自分は全員が好きだったのだ。箱推しだ。
あ、父親と兄は除く。前世でも、この2人だけはどうしても好きになれなかった。
自分がレティシアということは、近くでヒロインと攻略対象者との絡みを見るチャンスが増えるということだ。
しかも前世の記憶が蘇ったことで、愛情の渇望も消え去った。ゲームでのレティシアは、諦めの境地に入りながらも、それでも心の奥底では家族からの愛情を渇望していた。だからこそ認められたい一心で、学業やらマナーやら頑張っていたのだ。
しかし、今のレティシアはむしろこんな家族に好かれようとする労力が勿体ないと思っている。向こうにその気がないのだ。ゲームでの彼らを思い出し、軽蔑する存在になってしまったのだ。血のつながりはあれど、もはや他人より遠い他人である。
それよりもヒロインと攻略対象者との絡みを見たい。
もうレティシアの頭の中から家族は消え去っていた。
「どうしましょう……。遠くから絡みを見るのは不可能ではないけれど、果たしてわたくしが居なくて二人は結ばれるのでしょうか?」
問題はそこだ。
ある意味、悪役令嬢は二人の仲を深めるためのスパイスなのだ。
そのスパイスが居なければどうなるか。
「うーん……。最終的に結ばれることは出来るでしょうけれど……それも、遠回りすることになりそうですわ」
料理だって、隠し味や調味料がないと何か物足りないと感じるだろう。
それならば、このまま悪役令嬢としての役を全うしても良いのではないだろうか。
ゲームではリュシリュー公爵家当主、バンジャマン(父親と呼びたくない)は正にクズだった。平気で娘を虐待し、見捨てる。むしろジルベールに見捨てられた時は、嬉々としてレティシアを責めていた。兄も然り。
今のバンジャマンがどうかは知らないが、ゲームではルート次第ではあるが、数々の不正をやっていたのだ。それもあって、レティシアが破滅した時は一緒に破滅することになるルートも存在する。
「そうですね……。もうどうでも良くなっているとは言え、わたくしの16年間を許すということに繋がりませんわ。……いっそのこと、一緒に破滅へ道連れにしましょうか」




