第4話 警告
あの後、ソフィアを保健室に連れていき、昼休憩が終わった後に教室に戻って来たヴィーは、隣の席のマルクに声を掛けた。
「マルク君……あの子の噂話を聞かせてくれないか?」
トラフトが、マルクはアカデミー一の情報通だと言っていたので、早速頼る事にした。
「……そう言うと思って、もう調べておいたよ」
マルクは既にソフィアの事を調べ上げたと言う。 まだ、食堂での件から数十分しか経ってないというのに。
「彼女の名前はソフィア・ハイドローズさん。 見ての通り凄い美少女の上、成績も優秀。 入学当初は人気も凄かったみたいなんだけど……ある日を境に、一部の生徒から虐められてるみたいなんだ」
妹が……ソフィアが虐められている。 その事実に、自分がどれだけ馬鹿だったかを思い知る。
(こんな事なら、躊躇しないでもっと早く会いに行っていれば……)
「で、ソフィアさんは色んな男を誘惑してる……って噂なんだけど、絶対に嘘だよ」
「……あたりまえだ。 でも、なんで虐めを受けてるんだ?」
「多分、ソフィアさんに対する妬みだよ。 あのロレッタさんってドゥワンゴ商会っていう帝国有数の商家の娘だし、性格もキツイって話だしでさ。 ゲロリアンに関しては一度ソフィアさんに告白してフラれたらしいから、完全に腹いせさ。 まったく、頭に来るなぁ!」
何故か一人で怒ってるマルクを余所に、ヴィーは情報を頭の中で整理していた。
(ドゥワンゴ商会……確か、魔王軍と戦時中なのを良い事に、結構悪どい商売で成り上がったと帝王が言ってたな。 それにアンダードッグ伯爵家も、最終決戦を前に日和って協力的じゃなかった貴族だったハズ。 ……なるほどね、親が親なら子も子だな)
ヴィーの表情が変わる。 魔王の懐刀・アンノウンが仮面の中に秘めていた、死神がターゲットを暗殺する際の、冷酷無比な表情に……。
「もし自分の妹がそんな目に遭ったらって考えると……妹を愛する兄として、僕もゲロリアン達が許せない! 大体アイツ、二年のくせに普段から傲慢で嫌な奴なんだ! 僕で良かったら協力するから、なんでも言ってよね!」
一人、闘志を燃やすマルクだったが、既に怒りで頭が一杯のヴィーは適当に頷くのみ。
「いよう、ヴィー……いや、なんか、ごめんなさい」
ヴィーに気軽に声を掛けて来たトラフトだったが、その静かな怒りの形相に尻込みしてしまった。
「なぁ、ダイス。 多分俺らの賭け、どっちも外れるわ」
「あ、ああ……これ、今日明日には消されるな」
ヴィーの顔を見た瞬間、トラフトとダイスは互いの賭けが外れる事を悟ったのだった……。
……放課後。
「あ……」
「どうも」
ヴィーは、校門でソフィアを待っていたのだ。
「あの……さっきはありがとうございました。 ……ヴィー先輩」
「困った時はお互い様だよ。 ちょっと、見てられなかったから」
「ご、ごめんなさい! その、お見苦しい所を見せちゃって」
「? いや、違うから。 見てられなかったのは、君を虐めていたアイツらの方だよ」
あれから、マルクが集めた情報を聞いたヴィーは、ソフィアがロレッタに慢性的に虐められて、カツアゲまでされた事実を知っている。
なのに、何故ソフィアが謝らなけばならないのかと、絶対に許せないと再度心に誓った。
「あ、あの、先輩。 聞きたい事があるんですが……」
「ん? なんでも聞いていいぞ」
「あの……先輩、私と過去に会った事ってありますか?」
百戦錬磨のヴィーの背筋が凍る。 まさか、自分がヴィクトーだと、ソフィアは気付いたのかと。
「あの時、私の名前を呼びましたよね? 先輩は転校したばかりのハズだし、私とは初対面のハズなのに……」
言われて、思い出す。 そういえば、ソフィアの下に駆け付けた時、思わず名前を……しかも、呼び捨てで叫んでしまった事を。
「……いや、ソフィアさんの下に行く前に、友達のマルク君に聞いたんだよ。 あの子の名前はって。 ちょっと焦ってたから、呼び捨てにしちゃってすまなかった」
なんとか適当な言い訳で誤魔化したが、何故かソフィアは寂しげな表情を浮かべていた。
「……そうですよね? そりゃそうですよ……」
(先輩が、“にぃ〜に”な訳無いのに、馬鹿だなぁ、私)
お互い黙ったまま、微妙な空気が流れる。
(折角ソフィアと知り合えたんだ。 もっと仲良くなりたいのに、適当な話題が見つからない……俺って奴は)
どんな強敵でも負けない自信はあるが、目の前のたった一人の少女に尻込みしてしまう自分が情けなかった。
「先輩、私、こっちなので」
気が付けば、帰り道の分岐点まで歩いていたららしい。
ソフィアは今も、寮ではなく教会の孤児院に住んでいる。
成績が優秀なので希望すれば学生寮にも入れたが、孤児院でシスター達に協力して、子どもたちの世話をしているから。
「そ、そうか。 ……ソフィアさん、これから困った事があったら、いつでも俺を頼ってくれないか?」
「え? そんな……まだ会ったばかりの先輩に迷惑はかけられませんよ。 それに、今日の事でゲロリアン先輩に目を付けられちゃったかもしれませんし……あ、そっちは私がなんとかしますから心配しないで下さい。 絶対に、先輩に余計な手を出させませんから」
自分が酷い虐めに遭ってるのに、赤の他人であるヴィーを心配してくれるソフィアの姿に、ヴィーはやるせなさと同時に、良い子に育ってくれた事を喜ばしく思っていた。
「俺なら大丈夫。 それに……多分もう、ソフィアさんが虐められる事は無いと思うから」
「え? それってどういう……」
「まあ、明日になれば分かるよ。 じゃあ、俺はこっちだから」
そう言ってヴィーは名残惜しくはあるものの、ソフィアと別れる。
すると、タイミングよく通信板が鳴った。
通信板とは、離れた場所にいても会話ができる優れもので、データをインプットする事で身分証明書にもなる。
「はい。 ……了解、ありがとうな、マルク君」
通信板を胸元にしまい、足早に家に帰る。
そして、手早く服を着替えて、直ぐに家を出た。
(さて……行くか)
家を出るとフード付きのコートを羽織り、死神が夕暮れ時の街に舞い降りた……。
__貴族御用達のサロンの個室。
そこでは、ゲロリアンとその取り巻き五人が酒を飲みながらヴィーの事を喋っていた。
「平民のくせにチヤホヤされやがって……まったく生意気な奴だ」
ゲロリアンが上等なワインを飲みながらヴィーへの愚痴を零す。
ゲロリアンは伯爵家というのも去ることながら、モデルとしても活動している。
その上、学園の中でも成績は優秀な生徒である。 特に武術や剣術の成績は二学年でも上位であり、それが彼を更に増長させていた。
「なら、今回もやっちゃいますか?」
取り巻きの一人が軽い口調でヴィーを黙らせようと提案する。
「あたりまえだ。 ただ、影でこっそり黙らせるのは勿体ない。 あの野郎は平民の分際で、俺程ではないものの整った顔をしてるし、多くの奴らにあの澄ました顔が泣き顔になるのを見せつけてやらないと気が済まん」
根本的にヴィーはソフィアを助けはしたが、ゲロリアンに対して何かをした訳では無いにもかかわらず、自分を差し置いてヴィーが女子にチヤホヤされるのが気に食わないという些細な理由で、彼をシメようと考えているのだ。
「面白い話ね……私にも一枚嚙ませてよ、先輩」
するとそこへ、ロレッタとその取り巻きの二人が個室へやって来た。
「ロレッタ……今日は呼んだ覚えはなかったが……」
ゲロリアンとしては今日は男同士で、ヴィーをどうぶちのめそうかと相談するつもりだったので、ロレッタを誘った記憶はなかったのだが……。
「え? 私は先輩が呼んでるって連絡貰ったから来たんですけど?」
だが、ロレッタとしてはゲロリアンからこの場に誘われたつもりだった。
「連絡? ……まあいい。 で、一枚噛むって、君はどうしたいんだい?」
「そうね……あの人を先輩達がボコボコにしてる所を私が止めて恩を売りたいの。 あんなイケメン、ソフィアには勿体無いからさ」
「まったく……移り気な女だな。 君は元々俺に好意を持ってたんだろ? ……まあ、君の様な女とはパートナーとしては良いが、お付き合いする気にはならんがね」
「なにそれ? マジ最悪! 私だって先輩がこんなに腹黒いと分かってたら好きになんてなってませんから! 私はいつか、勇者・シュウトみたいな強くて優しいイケメンと結ばれるんだから」
「シュウト? ハハハッ、何夢見てんだ? それに、君に腹黒いと言われるとは心外だな……まあ、お互い様と云う事で良しとするか」
そう言って二人は笑みを浮かべ合う。 お互い利害が一致している事から学園でもパートナー関係を結んでるし、家同士としても伯爵家と大商家として利のある付き合いがあるからこそ手を組んでいるのだ。
「……反吐が出る話だな……」
突然、個室の中で声が響いた。 ゲロリアンとロレッタは、一体誰の言葉なのかと辺りを見渡す。
……すると、自分達二人以外の取り巻き達が意識を失ってる事に気が付いた。
「!? おい、どうしたおまえら!」
ゲロリアンとロレッタは互いの取り巻きを揺すり起こそうとするが、完全に白目を剥いて気絶している。
「安心しろ……殺しちゃいない」
またも、底冷えする声が聞こえて振り向くと、そこにはフードを被った男が立っていた。
「だ……誰だ!? どうやってこの部屋に!?」
このサロンは貴族御用達というだけあり、警備は厳重だった。 ロレッタの様な常連ならまだしも、見るからに怪しい男を客人の部屋まで招き入れる事などない。
男はゆっくりフードを脱ぐ。 それは、たった今話題にしていたヴィーだった。
ゲロリアンがよくこのサロンを利用し、今日も手下を連れて来ているとの情報を得たヴィーは、早速行動に出たのだ。
ちなみに、全ての情報源はマルクであり、ロレッタを嘘の電話で呼び出したのもマルクだ。
「貴様っ……平民の分際でぐえっ!?」
間髪入れずに、ヴィーは椅子に座ったままのゲロリアンの喉元を鷲掴みする。
「喋るな……。 おまえは黙って俺の言う事だけ聞いておけ」
そして、ヴィーの視線から放たれる殺気に圧され、ゲロリアンは黙るしかなくなってしまった。
「今後一切、ソフィアに関わるな、触れるな、近寄るな。 約束を破れば、死よりも恐ろしい結末がおまえを待ってる」
まるで蛇に睨まれた蛙……いや、竜に睨まれた蟻の様に、ゲロリアンは自分とヴィーとの力の差を理解し、大量の汗と大粒の涙、そして尿を垂れ流した。
「今回だけだ……今回だけ、これで許してやる」
そう言うと、ヴィーはゲロリアンの腹に拳をめり込ませる。
「うごっ……オロロロロロロッ」
ゲロリアンは嘔吐し、蹲ってしまった。
ヴィーは次に、ロレッタへと視線を向ける。
「ひっ!? ……え、えっと……誤解です! 私はソフィアとは友達だし、先輩の事もカッコイイな~って……ひぃっ!?」
「寝言は寝て言え。 ソフィアにした事を、自分の胸に手を当てて良く考えろ……おまえが思い浮かべた感情と行動の全てを、俺は知っている」
視線……。 たったそれだけの行為で、ロレッタは背筋が凍って動けなくなってしまった。
「女だからといって許されると思うなよ? おまえは今後一切、ソフィアを虐めるな、触れるな、話しかけるな、なんなら用もなく近寄るな。 約束を破れば、おまえにも死よりも恐ろしい結末を用意してやる」
その通告に、ロレッタはただ首を縦に振る事しか出来なかった。
ヴィーが再びフードを被る。
「これは最終通告だ……。 どちらか一方が約束を破っても、連帯責任だからな。 分かったか?」
そう言うと、ヴィーの身体は霧の様に消え、部屋の中には諸々垂れ流したゲロリアンとロレッタ、数人の気絶した取り巻き達だけが残されたのだった……。
「ああ、忘れてた。 財布出せ」
「きゃああああっ!?」
いなくなったと思いきや、突然姿を現したヴィーが、ロレッタに命じる。
「叫ぶな、うるさい。 ソフィアからカツアゲした五万ギル、とっとと返せ」
戸惑いながらも、ロレッタは大人しく財布から五万ギルを取り出し、ヴィーに手渡した。 今日の昼と過去の分も合わせてトータルで五万ギルを、ロレッタはソフィアからカツアゲしていたのだ。
「……よし。 おまえ、家が金持ちなんだからカツアゲなんかするなよ。 勿論、ソフィア以外からもな」
そう言い残すと、またもヴィーは消え、今度こそ戻って来る事はなかった……。
後に残されたロレッタは、怒りから床を叩く。
「ちょっと、先輩! こんな事されて黙ってるつもりじゃないでしょうね!?」
脅されはしたものの、直接的な危害を受けなかったロレッタには、ヴィーの警告が通じてなかった。 だが、ゲロリアンは違った。
「……よ、余計な事はするなよ、ロレッタ。 おまえが余計な事すれば、連帯責任で俺まで……」
ゲロリアンは性格はクズだが、成績は優秀な生徒だった。 相手の強さや恐ろしさを見極められる程度には。
「先輩は侯爵家でしょ? あんな貧乏人に何をビビってんのよ!?」
家の圧力を掛ければ、確かに一平民の家などひとたまりも無いだろう。
だが、ゲロリアンは悟ってしまった。 家がどうこうなど関係なく、あの男が危険なのだと。
「き、君は馬鹿なのか? あれが……ただの貧乏人だと? ……いいから余計な事はするな。 いいな、もし、今後もソフィアに手を出そうとしたら……俺も君も、必ず後悔する事になる」
ゲロリアンはヴィーに睨まれた瞬間に悟ったのだ。
死ぬ……と。 明確に自分を死に至らしめる存在が目の前にいたのだ。
そんな、まるで魂が抜けたかの様に震えるゲロリアンに、ロレッタは萎縮してしまった。
「な、なんなのよ……」
悔しさから拳を握るロレッタは、まだ釈然とせず、ソフィアに対する怒りに震えていた……。