第1話 死神、学生になる
……九ヶ月後。
魔王・ハーデスが勇者・シュウトのパーティー率いる連合軍に倒され、人類に平和が訪れてから九ヶ月が経った。
その陰で、一人の男が暗躍していた事は秘蔵されたまま……。
勇者・シュウトは人類にとって英雄として讃えられ、凱旋後はシルマーリ帝国の騎士団長となり、帝国の剣として絶大な支持を得ている。
闘神・リョウは、自国のジヴァング皇国・皇国武士隊の総隊長として、こちらも絶大な支持を得ていた。
大魔導師・マサートは、高齢のため隠居生活を送りたいと願っていたのだが、世界がそれを許さず、魔法国家グリルドールにて魔法関連の様々な役職を押し付けられて困っているようだ。
そして……勇者パーティーの紅一点でもあった聖女・ルミーナは、その美貌から圧倒的人気を誇り、聖女として教会での公務に追われながらも学園へと通っていた。
そして、勇者パーティーの裏で暗躍し、魔王打倒の立役者ともいえる男……魔王軍最強・アンノウンとして、世界最強の暗殺者・死神として、幼少の頃から帝王・ミゲールに育てられた秘蔵っ子・ヴィーは、国立カイゼルアカデミーに三年生として編入し、学生としての新生活を迎えていた。
あの日……ルミーナとの面会を経て、全ての記憶を取り戻したヴィーは、その足で帝王の下を訪れ、旅に出るのを止め、国に留まりたいと告げた。
そして、唯一の肉親である妹と、幼馴染のルミーナを見守るため、アカデミーに入学すべく猛勉強を開始したのだ。
結果、学力は半年で最低ラインを超えたが、今度は騎士団関連の任務を手伝った事で、新学期からの編入ではなく、中途半端な六月という時期の編入となったのだった。
心機一転、カイゼルアカデミーの門の前に立ち、ヴィーは少しだけ緊張していた。
(ここがアカデミーか……。 つーか、人が多過ぎる)
カイゼルアカデミーは一年生から三年生までの三学年で、生徒数は五◯◯名を超える。
基本的に授業の種類は三つ。
先ずは基本的な知識を学ぶ普通授業。
主に武力や体力を磨く武術授業。
最後に魔法を学ぶ魔法授業。
当然ヴィーはこれまで学園に通った事などないし、同年代と一緒に過ごした事もないのだから、緊張するのもあたりまえだろう。
その後、広大な校舎の中を迷子にならないように注意しながらヴィーがやって来たのは、このアカデミーの理事長室。
ヴィーは、カイゼルアカデミーの理事長室にて、自分を鍛え上げ、そして母親代わりとして面倒を見てくれた恩人と向かい合っていた。
「今日から宜しく、アリシアさん」
「ええ、短い期間だけど、精一杯青春を楽しんでね、ヴィー」
二人とも笑顔を浮かべているが、再会の時はこうはいかなかった……。
……九ヶ月前。
潜入任務から帰って来た報告と、カイゼルアカデミー入学のお願いも兼ねて、ヴィーはアリシアの家を訪れた。
「久しぶり……アリシアさん」
昔を懐かしむ様に、穏やかな表情で語りかけるヴィーだったが、アリシアは背を向けた状態で自分の椅子に座ったまま、肩を震わせていた。
ヴィーがアリシアに会うのは、魔王軍にスパイとして潜入すべく旅立った日以来だったのだ。
「アリシアさん……俺、ずっと会って話がしたいと思ってたんだ」
ヴィーは素直な気持ちを言葉にする。 それだけアリシアに感謝し、本当に母親だと思って接して来たから。
だが、やはりアリシアは背を向けたまま。
アリシアは、ヴィーが魔王軍へのスパイになるのを最後まで反対していた。 あまりにも危険だと、ヴィーを死地に追いやるつもりかと、上司であり師でもあるミゲールにすら噛み付いたのだ。
結局、最後はヴィー自身がスパイになると決断したのだが、それでもアリシアは認めなかった。
その影響でアリシアは、長年師として尊敬していたミゲールとも距離を置き、騎士団も辞めたのだ。
そんなアリシアの心境を、ヴィーも感じ取ってはいた。
「アリシアさん、あの時は勝手に潜入を決めちゃって本当にごめん。 でも、今だから言える……あの任務は俺にしか出来なかったし、今の世界の安寧に一役買った自負はある。 その過程で、随分酷いこともしたから……褒めてくれとは言わないが、せめて認めてくれないか? 俺が、スパイになった事を……」
「私が怒ってるのはそういう事じゃないのよ!」
アリシアは突然振り返り、声を荒げる。 その顔は、涙で濡れていた。
「あなたは……凄い素質を持っていた。 あの時点で、既に私を超える程に。 でも、あなたは私にとって、本当の息子も同然の存在になっていた。 なのに私は、そんな貴方が死地へ赴くのを止められなかった……」
そう言って悔しがるアリシアを、ヴィーは優しく抱きしめた。
「正直、辛かったよ。 それこそ、アリシアさんが心配した通りだったし、任務を終えたら全てを投げ捨てて旅に出ようと考えてた。 でも、今は違う。 記憶が戻って新たな目的もできたんだ。 だから……俺をカイゼルアカデミーに入学させてくれないかな?」
…………
「……それにしても、よく勉強を頑張ったわね。 でも、安心しないでね? あくまで貴方の学力は、アカデミーでは最低ラインなんだから」
「肝に免じますよ。 ところで、俺のクラスってルミーナもいるんですよね?」
全ての事情を知ったアリシアは、わざわざ気を利かせてヴィーをルミーナと同じクラスに編入させたのだ。
「そうよ。 でも、聖女は今公務で休学中だけどね」
ルミーナは一七歳、国立カイゼルアカデミーの三年生だった。
幼くして神託を受け、聖女として歳上とばかり過ごしてきたルミーナにとって、同年代と過ごせる学園での生活は新鮮だった。
勿論、ルミーナは誰もが知っている有名人でもあるので常に護衛が付いてるものの、それでも学生として過ごす日々に満足しているようだ。
そんなルミーナだったが、どうしても外せない公務などがあると、学園を休まなければならなくなり、場合によっては長期間アカデミーを休む事があった。
今回は、入学式に出席した次の日から長期の公務のため、既にに二ヶ月も休学となっている。
あれから、ヴィーはルミーナと会う事は無かった。
片や教会のシンボルとして公務に追われる聖女、片や猛勉強しながらの騎士団臨時講師として、互いが多忙だったし、幼馴染という関係を隠しているのだから、わざわざ会う程の接点など無かったから。
「それじゃあ改めて、ようこそカイゼルアカデミーへ! 『ヴィー・シュナイダー』君」
ヴィー・シュナイダー。
それが、改めてヴィーに与えられた名前だ。
自分がヴィクトー・ハイドローズだと妹やルミーナに知られたくないヴィーに、ミゲールが与えた名前だ。
「ハイ。 精一杯、学生生活を謳歌させて頂きます!」
ヴィーの表情には、もう暗い影は差していない。
この九ヶ月の間に、彼の心を蝕んでいた罪の意識の大部分が薄れ、元の本来の自分を取り戻していたから。
結果、ヴィーは妹とルミーナを見守るという目的は当然として、自分も学生としての生活を楽しみたいとまで考えたいたのだった。
……その日、カイゼル・イースト学園三年A組の、主に女子生徒は色目気立っていた。
「ヴィー・シュナイダーです。 宜しく」
学生としての生活を楽しむ……という意気込みとは裏腹に、ヴィーは慣れない同世代との接触に緊張してしまい、肝心な最初の挨拶が無愛想なものになってしまった。
でも、それが女子にはかえってクールに見えて、評価を上げていた。
ヴィーはモデルかと見紛う外見と、同世代とは思えない大人びた雰囲気を兼ね備えていたから。
転校生に女子生徒達は好奇心を抱き、男子は当然面白くない表情を浮かべている。
「それじゃヴィー君は後ろの空いてる席に座ってくれ」
「ハイ」
担任に促され、ヴィーは最後方の窓際の席に向かって歩き出すと、彼の存在を面白く思わない男子生徒が、彼を転ばせようと足を出して来た。
男子生徒の名は『トラフト・エンゼル』といい、赤髪で小柄な体躯だが優れた身体能力を誇り、このクラスの中ではスクールカーストの上位に位置する。
スクールカーストとは別次元の存在であるルミーナが休学中の為、トラフトは現状では親友の『ダイス・クロウリー』と共にこのクラスのトップといえた。
「よろしくな〜、転校生」
足を出し、更に皮肉を込めた挨拶をしたトラフトだったが……。
「……ああ、よろしく」
ヴィーは普通に挨拶を返し、足を跨いで促された空席へと座った。
トラフトは心の中で、ヴィーに苛立ちを覚えた。
(……あの野郎、何食わぬ顔で返事しおってしくれよった。 生意気な野郎やなぁ)
ヴィーとしてはそんなつもりはなかったのだが、トラフトはヴィーが敢えて平然とした態度をしたと認識したのだ。
同じくダイスも、そんなヴィーの態度が気に食わなかったらしく、軽く舌打ちをしていた。
窓際の席に座り、ヴィーは窓の外の風景を眺める。
(アカデミーか……。 やっぱり戦場と比べれば平和だな……)
幾多の命のやり取りを経験してきたヴィクトーにとって、トラフトやダイスの悪意など子どもの遊びでしかなく、全く動揺する事などなかった。
その後……。
「ねえねえ、ヴィー君って彼女いるの?」
「どこから引っ越して来たの?」
ホームルーム終了後、ヴィーの席を取り囲んだ女子生徒たちによる質問攻めに、激しく動揺していた。
(そ、そんなに一度に質問されても答えられない……)
ヴィーはこれまでの人生で、恋愛感情を全面に圧し出してくる異性との交流に対する免疫が皆無だったのだ。
それでも、感情を表に出さない術を身に付けている為、内心では激しく動揺しているのだが一貫して無表情を貫く。 勿論、一言も発する事無く。
本来であれば、同年代とも明るく接しようと考えていたのだが、無理して無表情を作ってしまい、よりクールな印象を女子に、いけすかない印象を男子に与えてしまっていた。
そして授業が始まると、早速入学した事を少しだけ後悔してしまった。
(……む、難しい)
一時限目は文学、二時限目は数学の授業だったのだが、猛勉強を経た今でも、その内容はヴィーにとっては難しいものだった。
そもそも、事前に配布された教科書を開いた時点で嫌な予感がしていたのだ。 書いてある内容が難し過ぎたのだから。
その上、合間の休憩時間に予習をしたくても、女子達の猛アタックに遭ってそれも叶わず。
(くそっ……勉強なんて嫌いだ!)
こうして、学業の壁にぶつかってチンプンカンプンのまま他の授業も無心で過ごしてると、あっという間に昼休憩の時間となったのだった……。