prologue.4 蘇った記憶
あの後ヴィーはミゲールに、暗殺者が現れたが、問題なく処理した事を報告をした。
そして、ルミーナとの面会が終わり旅立つその時までは、ミゲールの身辺介護を引き受けたのだった。
結局、ヴィーは嫌々帝王の客人として城の離れにある豪邸に招かれ、豪華な客室を与えられたのだが……あまりの好待遇に驚き、気が引けてしまった。
朝昼晩の三食はまるで一流レストランのコースメニューの様に豪華だったし、多忙で滅多に家族と食事を共にする事が無い帝王・ミゲール自らが、楽しそうに食事を共にした。
更に、身の回りの世話係として三名の専属メイドが、風呂から夜枷の世話までするというのだから。
……勿論、速攻で風呂と夜枷は辞退させてもらったが。
なにより、突然客人として招かれた上に、護衛のため常にミゲールの傍を離れないヴィーに対する好奇の視線が気になって仕方がなかった。
中でも、帝王の隠し子では? という噂が独り歩きし、それは離れの屋敷の使用人の間であっという間に暗黙の事実として浸透してしまったのだ。
これらの事情から、ヴィーはミゲールに頼み込んで、結局離れの屋敷を出たのだった。
そして現在、ヴィーが仮住まいの場所に選んだのは、記憶を失って七年間を過ごした、王都の外れにある木造の一軒家だった。
家は街から少し離れており、木々に囲まれていて人の出入りは皆無。
この家で、ヴィーはミゲールとディエゴ、アリシアから戦闘の英才教育を受けたのだ。
「……変わってないな、この家は」
三年前に住んでいた頃と一切変わってない我が家を懐かしむ。 ヴィーがいない間も掃除が行き届いていた様で、ベットのシーツも綺麗だった。
……懐かしさから昼寝をしたヴィーは、起きて庭に出ると、厳しい訓練を思い出した。 それすらも、今の彼にはいい思い出だったが。
すると、木々の隙間の僅かな歩道から人の気配がした。
「おお! 久しいな、ヴィーよ!」
現れたのは、現・帝国宰相のディエゴだった。
ディエゴは今回の決戦では、帝国騎士団を代表して連合軍の総指揮官として帯同していた。 つまり、勇者パーティーも漸く国へ帰還したのだ。
英雄達の帰還を祝うため、街のメインストリートは勇者パーティーと連合軍の戦士達の凱旋パレードで盛大に盛り上がっていたが、ヴィーはパレードには興味も持たず、静かなこの場所で過ごそうと決めていたのだ。
「ディエゴさん……久しぶりだね。 ……見ない間に、随分老けたね」
「大きなお世話だ。 最近は魔族との最終決戦にかかり切りだったからな、帝王の代理として全責任を負う場面もあって気苦労が多かったのは事実……それでも、おまえの苦労に比べれば泣き言など言ってられんかった。 本当にご苦労だった」
最終決戦の際、ディエゴは宰相としてよりも、騎士団の名誉顧問として前線に赴く事が多かった。 帝国のトップとして、他国や他種族との連携の全責任を負う立場でもあったのだ。
それでも、単身で魔王軍に潜入し、三年間であらゆる任務を遂行し、遂には魔王打倒の影の立役者となったヴィーには頭が上がらなかった。
ディエゴは目を潤ませて労いの言葉をかけながら、ヴィーを強く抱きしめた。
「ハハハ、まさかこの歳でオッサンに抱きしめられるとはね」
「……くふふ、家族を抱きしめて何が悪い?」
ヴィーにとって、ミゲールとディエゴは絶対的な存在だった。
拾われてから七年間、本当に過酷な訓練を、二人はヴィーに課した。 その上、三年もの間魔王軍への潜入という任務まで与えたのだ。
本来であれば、ヴィーが二人を恨んでいてもおかしくはなかっただろう。
でも、そうならなかったのは、厳しいながらも二人がヴィーに対して愛情を以って接してくれたからだ。 本当の家族の様な愛情を。
……その後、二人は庭の椅子に座りながら、ヴィーの王城での出来事や愚痴などの話題で盛り上がっていた。
「……くはははっ、それで城を出たのか?」
「ああ、団長……帝王にも家族がいるんだし、俺が隠し子だなんて事になったら面倒だろ?」
「そうだな、この国の宰相としても御家騒動に発展しそうな案件は勘弁してもらいたいが、おまえなら帝王も文句は言わないハズだぞ。 それこそ、本当に隠し子として認めてくれただろう」
「勘弁してくれ、俺は王族になんてなりたくない。 それに……」
「話は聞いておる。 記憶が戻ったそうじゃないか……良かったな、ヴィー」
ディエゴはミゲールから、今のヴィーの心情は聞いていた。
まるで、いつ死んでもいいと考える程に、心が荒んでしまっている事を。 そして、そう思わせてしまったのが自分達である事も。
幼少より魔王打倒の切り札として鍛え、更にはスパイとして魔王軍に潜入させた。 三年間、魔族として過ごしたヴィーが、定期報告で送ってくる文章の中ですら、感情が無くなって行くのを見て来たのだから。
だからこそ、二人はせめてもの罪滅ぼしとして、魔王打倒後はヴィーの望む事ならどんな事でも叶えてあげようと誓っていたのだ。
「……さて、名残惜しいが時間だな。 そろそろ帝王が約束の場を設けている頃だ。 一緒に城へ向かおう」
約束の場……つまり、聖女との面会の場だ。
「……分かった。 じゃあ、行こうか」
ルミーナとの再会が終われば、もう此処に来る事は無いだろう。 そう、七年間を過ごした家に哀愁を抱きながら、ヴィーはディエゴと共に馬車に乗ったのだった。
王城の中庭。
世界中の様々な花が咲き誇り、中央の噴水の前に休憩用の椅子とテーブルがあった。
そこに聖女である『ルミーナ・フレドリクス』が、紅茶を嗜みながら座っていた。
この場には、ルミーナとヴィーの二人しかいない。 本来であれば聖女には聖騎士団の護衛が着くのだが、ミゲールが全責任を以て人払いをしたからだ。
ルミーナの下に、ゆっくりと歩きながらヴィーが近付く。
「……貴方が、ミゲール様の言っていた?」
「……ええ。 お会いできて光栄です、聖女・ルミーナ様」
ミゲールがルミーナにヴィーの事をどう伝えたかは分からなかったが、少なくとも自分が幼馴染だとは知らないルミーナの様子を見て、ヴィーは少しだけホッとした。
「それで、私に聞きたい事があると伺ったのですが……とりあえず、座って紅茶でも」
促されるままルミーナの対面に座る。 そして無言で淹れてもらった紅茶を啜った。
……その紅茶は味がしなかった。 柄にもなく緊張していたから。
「物静かな方ですね。 私と同年代かしら? なのに、ミゲール様に最も信頼する人物だと言われるなんて、ちょっと興味が沸きました」
そう言って笑顔を浮かべるルミーナには、あの最終決戦での険しい雰囲気は感じられない。
年相応の、美しい少女だった。
「僕など、大した人物ではありません。 本来なら、こうして貴女の前にいる資格さえ無いのですから」
死神として多くの命を奪い、しかもルミーナとはアンノウンとして命の取り合いをした間柄だ。
ヴィーの正体を知れば、ルミーナは激昂し、自分に敵意を向けるだろう事は容易に想像できた。
「ひとつ……お聞きしたかったのです。 僕は、事故の影響で幼少期の記憶がありません。 だから、普通の男の子がどういう暮らしをしているのか、どんな風に育つのかを知りません。 こんな事をルミーナ様に聞くのはお門違いなのかもしれませんが、ルミーナ様の知り合いに同年代の男の子がいらっしゃったのならば、その子がどんな子どもだったのかをお聞きしたくて」
本来の自分が知りたいが、幼馴染だという事は知られたくないヴィーにとって、これが精一杯考えた質問の内容だった。
確かにルミーナも、なんで自分にそんな事を聞くのだろうと不思議に思ったが、すぐに脳裏に浮かんだ少年を思い出した。
「唐突ですね……でも、ひとりだけ、幼馴染がいました。 彼の事で良ければお話ししますが……」
「ええ、是非お聞きしたいです」
「そうですか。 なら……」
……ルミーナとその少年が出会ったのは三歳の時、シルマーリ帝国の最北端・マムーロ村だった。
マムーロ村は人口一〇〇人程度の小さな村で、子どもの数も多くなく、ルミーナの同じ歳はその少年だけだった。
ルミーナは、幼い頃から周りの目を引く美少女だったが、引っ込み思案な事もあり歳上の子どもからよく揶揄われていたそうだ。
そんなルミーナをいつも守ってくれたのが、その少年だったのだ。
少年は明るく冒険心があり、ルミーナにいつも新しい発見を与えてくれた。
毎日二人は一緒にいたから、またそれを歳上から揶揄われていた。
少年はそれに反抗していたが、ルミーナも恥ずかしがりながらも嬉しかったのだそうだ。
それが、ルミーナの初恋だったから。
でも、二人が七歳の時、少年は両親の仕事に着いて行き、そのまま戻って来なかった……。
「……という訳なんですが、いやだ私ったら、なんでこんな事まで話しちゃったんだろう?」
ルミーナの話は、同年代の少年の話というより、自分の幼馴染がどんなにカッコよくて、どんなに好きだったかを物語っていたので、ヴィーも少しだけ照れてしまった。
「そうですか……その少年は、何故いなくなったのですか?」
魔族に襲撃されたから……。 ヴィーは既にその事実を知っていたが、改めてルミーナに聞いてみた。
彼女が、その後の自分をどう思っているかが気になったから。
「……分かりません。 何らかのトラブルに巻き込まれたのかも知れませんし、家族で引っ越したのかとも考えましたが、それはあり得ないですし」
「ありえない事もなかったのでは? 多分、親子で別の町に引っ越して、元気に暮らしてるのかもしれませんよ?」
魔族に襲撃され両親は命を落とし、本人は記憶を失っていたと告げる訳にもいかず、話の落とし所を決めようとしていたヴィーだったが、次にルミーナから語られた言葉で、頭の中が真っ白になった。
「いえ、それはないハズなんです。 だって、“娘……少年からすると妹”を一人、村に残したままだったのですから」
妹……。
急に、ヴィーの脳裏に幼い女の子の声が鳴り響く。
……“にぃーに、にぃーに”と、自分の名を呼ぶ女の子の声が。
「ぐぅっ……ぐああっ!」
「ど、どうしました!? 大丈夫ですか!?」
あの時、ルミーナがヴィクトーの名を呟いた時と同じ様に、猛烈な頭痛がヴィーを襲った。
(そうだ……思い出した……全てを)
ヴィーは完全に記憶を取り戻した。
自分の名前、父と母、そして……妹の存在。
「しっかりして下さい、今ヒールをかけますから」
心配そうなルミーナを見つめ、幼い頃の感情を思い出す。 ヴィー……『ヴィクトー』もまた、幼馴染のルミーナの事が初恋の相手だったのを。
「だ、大丈夫です。 もう、治りましたから」
心配するルミーナを安心させるために、無理に微笑んだヴィーだったが、その表情はルミーナを更に不安にさせた。
「……泣いてるのですか?」
自分でも気付かなかったが、ヴィーの瞳からは一筋の涙が流れていた。
生きるために強くなり、スパイとして魔王軍に潜入し、いつしか感情が薄れて枯れてしまった涙が。
「……その、妹さんは今、元気なんですか?」
「え? あ、はい。 彼女はあれから村の教会に引き取られました。 はじめは両親とお兄さんが突然いなくなってしまったので心を閉ざしてしまいましたが、なんとか立ち直ってくれました。 来春からはこの帝都・カイゼルの名門校、カイゼルアカデミーに入学するんですよ」
……ヴィーの心の中に、全ての記憶を取り戻した事で無くしていた感情が蘇っていた。
それは、自分の新たな生きる意味。
あてもなく世界を旅して、どこかで野垂れ死のうと思っていた。
でも、自分にはまだ、死ねない理由が出来たから。
自分には、守るべき存在がいると。 それも、二人も。
「ありがとうございました、ルミーナ様。 貴女の話を参考に、これからも少し頑張って生きてみます」
そう言って一礼し、ヴィーは足早にその場を去っていった。
……残されたルミーナは、去っていくヴィーの後ろ姿を、不思議な感情に包まれながら見ていた。
(まさか……いえ、ありえない。 ヴィクトーは黒髪だったし、あんな落ち着いた雰囲気じゃなかったし……でも……)
ルミーナがヴィーをヴィクトーだと気付かなかった大きな要因が、髪の色の違い。
明確な理由は分からないが、ヴィーは魔族に襲われたショックから、黒髪から銀髪に変わっていたのだ。
そして、ルミーナの記憶の中のヴィクトーは明るく活発な少年で、物静かで達観した雰囲気のヴィーからはかけ離れた印象だったからというのもあった。
それでも、ヴィーの後ろ姿にヴィクトーの影を見たルミーナは、暫くの間ヴィーが去って行った方から目が離せなかった。