第22話 熱い涙
……翌日の放課後。
マルクを除いて、ヴィー、トラフト、ダイスは、アリシアのいる理事長室を訪れていた。
理事長のアリシアは、まだヴィーから具体的な話は何も聞かされていなかった。
昨日のうちに、この時間に用事があるから、理事長室にいてくれと言われていただけ。
「……さて、これから一体何が始まるのか……期待しても良いのかしら?」
「勿論。 ただ、場合によっては、理事長を困らせてしまうかもしれませんが」
表情を変えず、淡々と話すヴィー。
「そう、それは怖いわね。 それで、早速本題に入ってもらおうかしら? 実はこの後、帝都教育委員会の会議があるのよ」
アリシアは本当に時間が無い中で、ヴィーの要望に応えていた。
「では早速……カインという生徒をご存知ですよね? カインは既に退学届を出してるそうなんですが、理事長は受理してないとか」
「……ええ。 彼には個人的に思う所もあるのでね」
ヴィーは思わず、アリシアに少しだけ文句を言ってしまいそうになる衝動を抑える。
個人的に思う所があるのならば、もっと早くカインに救いの手を差し伸べてあげても良かったのではないか、と。
「……今日、カインをこの場に呼んでいます。 本当に退学するのなら、自分で退学の意を理事長に伝えろと言っておきましたので、後は理事長様が判断して下さい」
「今日? そうですか……。 それではやはり、彼の意志は変わらなかったのですか?」
意志が変わらなかった……という事は、アリシアも既にカインと話をしていたのかもしれない。
「中々頑固でしてね。 もう自分の描いた将来は実現出来ないと決め付けてるのもありますが、それよりも家柄で見下してくる生徒や教師に不信感を抱いてる様にも見えました」
生徒のみならず、教師にも不信感を抱いている……。 それは、理事長としては非常に耳の痛い言葉だった。
すると、ドアをノックする音が聞こえる。
「失礼します。 理事長〜、お呼びとの事でしたが、どの様なご要件ですか?」
現れたのは、ヤイーミだった。
ヴィーから見て、ヤイーミからは理事長であるアリシアに対して敬う素振りが見えなかった。 むしろ、どこか見下している雰囲気すら感じる。
アリシアは、ヤイーミを呼んだ記憶はなかった。 だとすると……
「ヴィー、これはどういう事ですか?」
「折角なので、当事者を集めて話でもした方が良いんじゃないかと思いましてね」
淡々と話すヴィー。 感情が抑えられずヤイーミを睨みつけるトラフトとダイス。
……ヤイーミは状況が読めず、不満を漏らす。
「どういう事ですか? 理事長は私を呼んでいないと? ……まいりましたね、私は暇ではないんですよ?」
アリシアにも舐めた態度をとるヤイーミを、今直ぐぶん殴りたくなる衝動を抑えつつ、ヴィーは話を進めた。
「ヤイーミ先生。 実はカイン君の事で先生にお聞きしたい事がありましてね、不躾ながら俺が先生をお呼びしたんですよ」
ヴィーの口からカインの名を聞いた瞬間、ヤイーミの表情が曇る。
「カイン? あの貧乏人ですか……。 私としては、全て諦めて退学する道をオススメしたのに、理事長が贔屓して停学で済ませたみたいですがね」
ヤイーミの家は男爵家。 爵位としては然程高くないのだが、彼は異常な階級至上主義だった。
だからこそ、基本的に平民であれば、自分より役職が上の者を見下す傾向にあった。
「テメッ……」
「待てトラフト。 我慢しろ」
ヤイーミの言動にキレそうになったトラフトを、ダイスが止める。
すると、タイミングを見計らったかの様に、またも扉をノックする音が。
「失礼します……」
現れたのは、緊張した面持ちのカインだった。
「来たか、カイン」
「ヴィー……。 トラフト、ダイス、昨日はすまなかった。 折角おまえらが俺の事を想って来てくれたのに……」
「もうええ。 ちゃんと来てくれたやんか」
「そうだな。 それで、気持ちは変わらないのか?」
昨日は気まずい別れ方をしてしまったが、トラフトは全く気にする素振りを見せず、そしてダインがカインの肩に手を置く。
カインも少しだけホッとしたが、ヤイーミの存在に気が付き、顔を歪めた。
「これはこれは〜カイン君。 随分長い停学だったみたいだが、お元気でしたか?」
ヤイーミがあからさまな嫌味を言うと、カインは舌打ちをしつつ、理事長の下へ。
「スミマセン、理事長。 やっぱり俺はアカデミーを辞めます。 もう、ここにいても仕方ないので」
そう言って頭を下げるカインを、ヤイーミはそれ見た事かとほくそ笑む。
「だから言ったではないですか、理事長。 退学にしてあげた方が、彼の為になると」
勝ち誇るヤイーミの態度にも表情を変えずに、アリシアはカインを見つめる。
「貴方の処罰は停学で済んでます。 将来の為にも、まだこのアカデミーで学ぶ事はいっぱいあると思いますよ?」
優しく諭すアリシアだったが、やはりカインの意志は変わらない。
「……いえ、このままアカデミー通っても……いや、そもそも通えるだけの学費を納める事も出来ませんので」
カインの言葉に、ヤイーミが瞬時に反応する。
「理事長は残酷ですねぇ。 貧乏人にとって、このアカデミーの月の学費の支払いは厳しいんですよ? 成績優秀者への学費免除を失った今、彼にアカデミーに残れなんて……拷問と同じでしょう?」
「……学費の事なら、貴方の努力次第では、まだ特待生になるチャンスはあります。 もう一度、頑張ってみませんか?」
アリシアは、カインさえ頑張れば、特待生に復帰できるだろうと明言した。
ただそれが、カインにはひどく軽く聞こえた。
自分が特待生を維持するために、どれだけの努力をしていたか?
カイゼルアカデミーで成績上位をキープしながら、家族も養わなければならない過酷さを、理事長は全然分かってくれていないのだなと。
「頑張れば? ……どれだけ頑張れば良いんですか? また、特待生になるまで、俺は自分の学費だけじゃなく、家族も養わなければならないんですよ?」
カインは辛うじて声を荒げるのは我慢したが、心の中では今にも感情が爆発しそうになっていた。
母が倒れてから、死に物狂いで勉強し、漸くギリギリで特待生を維持していたのに、担任のヤイーミは正当な評価もしてくれず嫌味ばかりだったし、上級生のスヴェンからの嫌がらせにもほとほと困らせられた。
結局、理事長も生徒の気持ちなど分からないんだと、諦めていた。
「理事長、問題行動を一度でも起こした者は、特待生になる資格を永久的に失うのが校則でしょう? なのに、問題児を特待生に復帰させるつもりだとは……職権乱用ではありませんか?」
「いえ、人間誰しも失敗はあります。 たった一度の失敗で、将来有望な生徒の未来を塞いでしまうのは、この国にとっても損失となるとは思いませんか? ヤイーミ先生」
アリシアの言葉に反論出来ず、ヤイーミは論点を変える。
「……それで? 理事長の独断で、カイン君が特待生になれたとしても、停学になってからこれまでの月謝は払ってもらわなければなりませんよね? たった三ヶ月程ですが、貧乏人には厳しいと思うのですが……」
今のカインに、三ヶ月分の月謝を払う余力はない。
しかも、この三ヶ月で大分学力も低下しているだろうし、直ぐに特待生に復帰出来るとは限らないのだ。
だからこそ、カインは復学するつもりは無いと言っているのだ。
「だから、俺はもう辞めるって言ってるじゃないですか!?」
カインとしても、しつこく退学を認めないアリシアのせいで、無駄にヤイーミに嫌味を言われるのはもう嫌だった。
思えば、ヤイーミはずっとカインを目の敵にしていた。 どんなにカインが良い成績を残しても、貧乏人風情がと見下し、最終的に卒業生との乱闘の件では、勝手にカインに非があったと判断して自分を貶めたのだから。
本当なら一発ぶん殴りたくもなった。 それでも、カインにはそう出来ない理由があったのだ。 また、なんだかんだと示談金を払わされる未来が分かっていたから。
「もう辞めさせましょうよ〜理事長。 所詮貧乏人にはこのアカデミーは相応しくないのですから! 最上級の教育は、最上級の生徒にこそ与えられる特権なのですから!」
ここでヤイーミは、勝ち誇ったかの様に声を張り上げる。 どんなにアリシアがカインを説得しようとも、当の本人にその気がないのだからと。
「大体君は、先輩であり貴族の生徒に暴力を振るうなんて身の程を知らな過ぎなんですよ! 平民は大人しく貴族に従ってなさい! ……いや、平民ならともかく、貧乏人には近付いてすらほしくはないですね……アハハハはがっ!?」
ヤイーミの頬に、ダイスの拳がめり込むと……ヤイーミはふっ飛ばされて壁に激突した。
「……黙って聞いてりゃ、ピーチクパーチクうるせぇんだよ、この嫌味野郎が!」
トラフトではなく、普段は控え目なダイスが、教師であるヤイーミを殴ったのだ。
「あっがっ……き、君ぃっ! こ、この私を殴るとばはっ!?」
今度はトラフトが、起き上がろうとするヤイーミの胸倉を掴む。
「やかましい! カインは俺らの友達や! それを、よりにもよって俺らの前で侮辱しよって! ぶっ殺したるわ!」
教師に暴行を振るったのだ。 トラフトもダイスも、停学どころか退学になるかもしれない。
「や、やめろよ! 何やってんだおまえら!」
カインはこの二人を巻き込みたくなかったのだ。 スヴェンに呼び出された卒業式の日も、敢えて一人で向かい、停学中も二人には助けを求めなかった。
全ての事情を知れば、トラフトとダイスなら、自分を庇って無茶をしそうだったから。 だから、敢えて距離を置いていたのだ。
「気にすんな! こんなヤツ、教師やない! カイン、昨日も言うたやろ? 死なばもろとも、退学になるんなら、このまま俺らもおまえと一緒にハンターになるだけや」
昨夜のトラフトの言葉が嘘ではなかった事が、カインには単純に嬉しかった。
だが、それ以上に申し訳ない気持ちと、取り返しのつかない行動を友達にとらせてしまった事を悔いる。
「何やってんだよ……馬鹿野郎、アカデミーを辞めるのは俺一人で良かったのに」
「俺たちは自分で決めて行動してんだ。 いつか今日の行動を後悔する日が来るかは分からないが、それ以上に、友達を侮辱されても黙って何も出来なかったら必ず後悔するだろう」
「おまえら……」
カインの心の中が、色んな感情がごちゃ混ぜになる。
それでも、流れてくる涙は悲しみよりも、友達への感謝の意味合いが強い、熱い涙だった……。




