第6話 ヒーロー
放課後……。 ヴィーは、突然校長室に呼ばれていた。
校長室には来客用のソファーがあり、そこにはバーコードヘッドの校長と向かい合って、恰幅の良い中年男性が座り、ヴィーを睨んでいた。
「貴様かっ! 娘に暴行を働いたっていう輩はっ!」
ヴィーを指差して怒鳴るこの男が、ロレッタの父親であるドゥワンゴ商会の社長『ポットデ・ドゥワンゴ』である事を、ヴィーは瞬時に悟った。
「……なんの事かサッパリですが、娘さんが何か言ってたんですか?」
ロレッタが昨夜の件を父親に告げ口したという事は、ロレッタは約束を破り、自分の忠告を無視したという事になる。
「ああ、何もしてない娘を脅すとは! 貧乏人のクセに身の程を知れいっ!」
(……なるほど、早速親にチクったか)
ヴィーは昨夜、ロレッタには出来うる限り優しく脅したつもりだった。
もし、アンノウンの頃の自分であれば、両手両足の爪を剥ぐぐらいの事はしていたのだろうが、相手はまだ子どもで、しかも女性だからと。
(仕方ない……そっちがその気なら、予定を前倒して、こっちも遠慮なくやらせてもらうか)
「心外ですね……自分は何もしてませんよ? むしろ、娘さんはだいぶ良くない噂を聞きますけど」
「なんだとっ!? 貴様、脅すだけでは飽き足らず、更に娘を貶すつもりかっ! 校長、即刻この輩を退学にしろ!」
これには、校長も脂汗を流して焦っていた。
「いや、彼は昨日転入して来たばかりでして……」
「関係あるか! 私がどれだけこのアカデミーに寄付してると思ってるのだ! 私が動けば、こんなアカデミーなど吹いて飛ぶのだぞ!?」
ドゥワンゴ商会は帝国随一の商家であり、その影響力は貴族にも及ぶ。
確かに、その気になればこの学園の経営を脅かす存在ともいえるが、カイゼルアカデミーは国立の学校なので吹いて飛ぶ事はない。
そして、退学にしろと言われても校長は困っていた。
ヴィーは、表向きはあの勇者・シュウトが後見人となっているが、その裏では帝王・ミゲールと宰相・ディエゴの両巨頭の要望で転入して来た上に、今日はたまたま不在の理事長・アリシアが目をかけてる事は校長も知っている。
そんな謎の多い存在を、おいそれと退学になど出来る訳がなかった。
「ドゥワンゴさん、落ち着いて。 彼の処遇は我々の方でも精査し、追って報告しますので、今日の所は……」
「ぬぅ〜、いいだろう。 一日だけ待つ! それが退学以外の決定なら……覚悟しておくのだな!」
そう言うとドゥワンゴは立ち上がり、ヴィーを睨んだ。
「小僧……ワシの娘に手を出した事を一生後悔させてやるからな」
「フッ、一生? 楽しみですね……一生後悔するのはどちらなのか」
「口の減らないガキめ……貴様がワシの前で泣いて謝る姿を楽しみにしておくわ」
乱暴にドアを閉め、校長室を出て行ったドゥワンゴを見送りながら、ヴィーは頭を切り替える。
(この分だと、俺の予想以上に娘の方は全然懲りてないんだろう。 となると、まずいな……)
ヴィーは胸元から通信板を取り出すと、とある人物に連絡をとるのだった。
……久しぶりの平穏な一日を過ごし、ソフィアは、学校帰りに買い物に来ていた。
ソフィアは、今も教会で管理する孤児院に住んでおり、今日は子どもたちにご馳走を作って喜ばせたいと考えて一人で買い物に来たのだった。
「よし、今日は奮発しちゃおう! 皆喜んでくれるかな」
孤児院には、ソフィアの下に三〇人の孤児が住んでいる。
その子ども達の笑顔は、辛い時期にあったソフィアにとっても一縷の癒しだった。
ふと、ヴィーを思い浮かべて……そして、幼い頃の、家族の事を思い浮かべる。
「子どもの頃の記憶か……あまり覚えてないけど、確か……」
ふと、まだ父と母も生きていて、家族四人で食卓を囲んでいた頃を微かに思い出す。
「よし! 今日はアレを作ろう!」
メニューを決め、ソフィアは次々と目当ての食材を買い物かごに入れていくのだった。
……買い物を終え、ソフィアは足早に教会へと向かっていた。
「さてと、急いで御飯作らなきゃ」
今日一日、一切の虐めも無く、その上ヴィーやマルクと一緒に穏やかな時間を過ごしたソフィアは、鼻歌交じりに独り言を呟いていた……。
「……え?」
突然、背後からなにか布の様なものを被せられて目の前が真っ暗になり、何者かに担ぎ上げられる。
ヤバイ、と思ったが、視界同様に声帯も何らかの魔法によって制御されて、声を出す事が出来なかった。
(声が……!?)
視界を遮られ、声も出せないまま一◯分程経過した。 ふと、魔法が解けて視界が開けると、そこは薄暗い倉庫の中だった。
「うわ、マジに上玉じゃねえか」
「でも、まだ学生だろ? ホントに良いのか?」
目の前には五人の大人の男が立っていて、ソフィアを囲んでいた。
「あの、誰ですか? 私を、どうするつもりですか?」
内心は恐怖でおかしくなりそうだったが、ソフィアは勇気を振り絞って問い掛けた。
「ああん? 中々度胸のあるお嬢ちゃんだな……このまま奴隷商に連れてくのは勿体ないな」
「そうだそうだ! なんなら俺たちで味見しちゃおうぜ!」
「馬鹿野郎! 初物だと高く売れんだ、馬鹿な事言ってんじゃねえ!!」
男達の会話に、奴隷という言葉が混ざっていた。 まさか、自分が奴隷に? と頭が混乱する。
「……でもまあ……挿入さえしなきゃ、ちょっとくらい味見しても良いかもな……こんなに綺麗な肌してんだからよう」
突然男の一人が顔を近づけて来て、舌でソフィアの頬を舐めようとして来た……。
「いやっ!!」
「ぷぎっ!?」
思わず身体を背けた拍子に、ソフィアの肘が男の顎にぶつかり、男はガッチリ舌を噛んでしまった。
「うごおおおおおおおおおっ!!」
「あの……ご、ごめんなさい!」
「ひゃっひゃっひゃ、やってくれるじゃん、お嬢ちゃん! じゃあ、俺は舌噛まない様に丁寧に舐め回さなきゃな……レロレロレロレロ」
別の男が長い舌を高速に上下に動かしながら、ソフィアに忍び寄る。
「いや……いやあああああっ!!」
その光景を、少し離れた場所から眺める女がいた。
「フッフッフ、いい気味だ。 これからアンタは奴隷商に売られて、一生奴隷として生きて行くのよ、これが貧乏人の末路よ」
卑しい笑みを浮かべながら、泣き叫ぶソフィアを眺めるロレッタ。
ロレッタは、大商人である父が汚れ仕事を依頼する際に利用する裏組織にコンタクトを取り、ソフィアを奴隷商に売り飛ばしてくれと、一◯◯万ギルを払ってこの裏組織の男達に依頼したのだ。 その上、売り払った金も全額男達の好きにしていいという契約で。
(コイツらの組織は情報統制がしっかりしてるし、金払いさえ良ければ信用できるってお父様が話してるのを聞いたから、私が依頼したなんてバレやしない。 これで、目障りな小娘がいなくなるわ……ざまーみろ!)
幼い頃から、商いの為ならどんな卑劣な手段も厭わない父の背中を見て来たからだろうか? ロレッタもまた、自分の願望を押し通す為ならどんな手を使っても良いんだと思うようになっていた。
昨夜……あれだけ脅されたのに、いくら強いとはいえ、所詮は高校生だとヴィーを見くびったのだ。
それが、どんな事態を生んでしまうのかを……この瞬間の彼女には知る由もなかったのだ。
薄暗い倉庫の中、ソフィアは男達に囲まれて、絶体絶命の危機を迎えていた。
「ぐへへへっ……さあ、そのおいしそうな身体を舐め回してやるぜえええ~レロレロレロレロ」
「いやっ! 助けて……助けて、誰か……助けて、先輩!!」
「無駄無駄ぁ〜。 誰も助けになんて来ないよ〜? それレロレロレロレロぐばっ!?」
その時、男の頭が上から地面へ圧し潰され、嚙み千切られた舌が飛んだ……。
「…………せん……ぱい?」
ソフィアの目の前には、レロレロ男の頭を足下にする、漆黒のロングコートを着たヴィーが立っていた。
「ごめんな、ソフィア。 遅くなって」
怖かった。 これまでのどんな酷い虐めよりも、圧倒的な絶望感を抱いた。 それでも心の片隅でソフィアは、もしかしたらヴィーが助けに来てくれるのではないかと、本当に淡い希望を抱いていたのだ。
「先輩……」
「もう大丈夫だから。 そうだ、ちょっとだけ耳を塞いで目を瞑っていてくれないか? 終わったら肩を叩くから」
ソフィアは黙って頷く。 相手は大人で、しかも多勢に無勢だ。 でも、なんとなくヴィーならなんとかしてくれると、まるで演劇のヒーローに対する安心感を覚えていた。
ヴィーの言う通り、ソフィアは後ろを向き、目を閉じて耳を手で塞いだ。
「いい子だ……。 さて、おまえらには最後に遺言を遺す機会を与えてやる。 言いたい事があるなら三秒以内に言え」
「はあ? このガキ……舐めてんのかコラぼへっ!?」
「長い。 三秒経ったから……全員死ね」
一人目、喋ってる途中で顎にアッパーを喰らわせ、あっという間に倒してしまった。
「テメェ、何者だ!?」
「俺か? ……俺はおまえらの死神だ」
二人目は、側頭部にハイキックを炸裂させると、その男は身体が一回転した挙げ句地面に叩き付けられた。
「な、なんだってんだ一体!?」
三人目は飛び掛かって来たが、カウンターで鳩尾に三日月蹴りをめり込ませると、血反吐を吐きながら蹲った。
「んの野郎……ファイヤーボール!!」
四人目はファイヤーボールの魔法を放って来たが、これをヴィーは軽く握り潰すと、そのまま接近し、相手の顔面を鷲掴みして地面に叩きつけた。
「五人目は……最初に舌噛んで気絶してるか。 運が良かったな、おまえら。 この場にソフィアがいなかったら、本当に全員殺してた所だ」
兄として、妹の前で殺人を犯すのを自粛しつつ、ロレッタに雇われた五人の男達を、ものの数秒で全滅させたのだった。
「さて、隠れてないで出て来いよ……」
ヴィーの言葉に、隠れて様子を見ていたロレッタが焦るが……。
「気付いていたか。 貴様、何者だ?」
一人の男が物陰から姿を現した。
「何者? さっきも言っただろう、俺はおまえらにとっての死神だとな」
「死神だと? 世界最強の暗殺者が死神と呼ばれてるんだが……面白いジョークだな。 そいつらを倒した程度で、いい気になるなよ?」
この男の名は『ヌイセマーカ』。 元Bランクのハンターであり、実力は他の五人とは比べ物にならない。
元とはいえ、戦闘力だけなら騎士団の中堅クラスにも劣らないと云われるBクラスのハンター。 そんなヌイセマーカにとって、多少は強いといっても、若僧など大した敵ではなかった。
「じゃあ、死神君。 ちょっとオイタが過ぎた様だから、腕の二、三本は覚悟してもらうぞ?」
「馬鹿か? 腕は二本しかないだろうが」
「ジョークも通じないとは……これだからガキは……じゃ、死ねよ」
ヌイセマーカは毒の仕込まれた短剣を構える。 短剣を用いた素早い攻撃が、ヌイセマーカの強みだった。
「は? ジョークにジョークで返しただけだろうが」
が、次の瞬間、ヴィーはヌイセマーカの背後にいた。
「えっ?」
危機を察したヌイセマーカは、一か八かとりあえずその場を飛び退いた。
「いつの間に……」
「別に、普通に移動しただけだが?」
確かにヌイセマーカは油断はしていたが、それでも、最低限の注意は払っていた。 なのに、いきなり目の前から消えたのだ。
あまりの出来事に、理解が追いつかず、あくまで自分が油断してヴィーが移動するのを見落としたのだという結論に至った。
「今度は油断せんぞ。 死ねい!」
細心の注意を払い、再び短剣で斬りかかる。
今度は、ヴィーは一歩も動かなかった。 だが……
「あ、当たらない? 何故!?」
何度斬り掛かっても、短剣はヴィーをすり抜けてゆく。
「どうした? 俺は一歩も動いてないぞ」
まるで蜃気楼を相手にしているような、不思議な感覚がヌイセマーカを襲う。
実際は、高速かつ最小限の動きでヌイセマーカの攻撃を躱していただけなのだが、あまりのスピードに、攻撃がヴィーをすり抜けている錯覚に陥ったのだ。
「クソっ、クソおおおおっ!」
消えた。 今度は完全に、ヴィーがヌイセマーカの視界から。
そして、再び背後からの声が聞こえて来た……。
「もういい、寝とけ」
死神の呟きと同時に、ヌイセマーカの首筋に手刀が叩き付けられる。
「がっ!?」
あっという間に、元Bクラスハンターのヌイセマーカは意識を刈り取られてしまった。
「口ほどにもない。 殺されなかっただけありがたく思え」
ヌイセマーカは元とはいえ、Bクラスのハンターだった男である。
だが、そんなヌイセマーカでも、アンノウンであり死神でもあったヴィーにすれば雑魚も同然でしかなかった。
こうして、ロレッタに雇われた男達は全員ヴィーに叩きのめされてしまったのだ。
「さて、コイツらは気絶程度で済ませてやったが、警告を破ったおまえは別だぞ……ロレッタ」
ヴィーの視線が、物陰に隠れていたロレッタに向けられると、ロレッタの身体はまるで金縛りにあった様に硬直してしまった。
「ヒイッ!? な、わ、私はただ……」
昨夜とは桁違いの恐怖がロレッタを襲う。 そして気付いた。 昨日は自分が女だったから、ヴィーは手加減してくれたのだと。
ゲロリアンはこの恐怖を味わったから、もう手出しはしないと言ったのだと。
(ズルい! 私だって、コイツがこんなに恐ろしい奴だって知ってたら……)
気が付けば、いつの間にか目の前まで移動していたヴィーは、ロレッタの頭を鷲掴みにして持ち上げていた。
「ひいいいいっ!?」
「まさか、おまえがここまで馬鹿だったとは…………初めから分かっていた。 昨日おまえに手加減したのは、警告を無視するであろうおまえをとことん潰して、二度とソフィアの前に顔を出せなくしてやるつもりだったからだ」
全ては、ヴィーの想定内だった。
ゲロリアンに対しては少々厳しく脅したが、ロレッタにはまだ抵抗出来ると思わせる隙をわざと与えたのだ。
(まさか、こんなに早く父親まで利用して反撃してくるのは予想外だったが……)
ソフィアの手首に着けられたミサンガ。
このミサンガはヴィーの手首にも結ばれており、ヴィーがスキルで特殊な効果を施していて、ソフィアの居場所を把握すると共に、危機が迫るとヴィーに伝わる仕組みになっていた。
(束縛するみたいで気が引けたけど、いつでも守ってやるにはこれ位しておかないとな)
魔王を打倒し、生きる目的を失ったヴィーにとって、生きていてくれた妹の存在は何よりも大きかった。 ソフィアを守る事……それだけが、今の彼の全てだったから。
「ごめんなさい! もう、二度とソフィアを虐めないから! だから、命だけは、命だけは!!」
「ここでおまえを殺すのは簡単だ。 だが、それじゃあ面白くない。 約束通りおまえには、死よりも恐ろしい結末ってヤツを与えてやらないといけないからな」
「なら、助けてくれるの!?」
「ああ……命だけはな。 とっとと家へ帰れ。 おまえと同じ、馬鹿な親父も待ってるだろうしな」
「あ、あ、ありがとう! もう、絶対に虐めなんてしないから……」
「いいから早く消えろよ。 目障りだ」
ロレッタは、この場で殺されなかった事だけで安堵し、一目散に逃げ出した。
走るロレッタの後ろ姿を見ながら、ヴィクトーは無表情のまま呟く。
「……因果応報。 この俺の妹を虐める様な奴が、金輪際平穏な生活を送れるとは思うなよ?」
ヴィーは、これからのロレッタと、その父親であるポットーデ・ドゥワンゴ、その一族の顛末を思い浮かべて、溜息をつくのだった。




