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史的な夜話 其の十七

作者: 戸倉谷一活

よ:あのぉ。

戸:はいはい。

よ:なんか、面白い話でも有りましたか。

戸:特に面白くも無いですけど、前々回でしたか、中国大返しについて語りましたから、その続きというか、美濃大返しについて語りましょう。

よ:中国大返しに美濃大返し、大返しばっかしやん。

戸:心配せんかて、これ以上、大返しは無いから。

よ:そないでっか。

戸:主役は変わらず羽柴秀吉、舞台は中国地方から東海地方、岐阜県大垣市へと移るんよ。

よ:そないでっか。

戸:時は天正十一年四月二十日、西暦で言うと一五八三年ですが、秀吉と柴田勝家が仲違いして合戦になっとったわけですよ。

よ:最近、喧嘩の話ばっかしやないですか。

戸:前の年に信長が本能寺の変で亡くなるやないですか。

よ:そないなことも有りましたねぇ。

戸:それで、信長の跡取りとして嫡男の信忠の子、信長の孫である(さん)(ぽう)()が跡取りとして決まって、柴田勝家やら秀吉やら、他に誰やったか忘れたけど、信長配下の主な人が集まって、あれこれ決めたんが清洲城での清洲会議って言う奴なんやな。

よ:もめはせんかったんやな。

戸:昔は清洲会議って、信長の後継者は成人してる信雄か信孝のいずれかにするとか言うて、もめる会議って言う場面があってんけど、実際にはもめなかったらしいですね。

よ:そうなんや。

戸:とりあえず、秀吉は居城であった長浜城なんかを手放して、京都辺りに新しく領地を持ったりするわけですよ。

よ:うんうん、そいで。

戸:それで、秀吉と勝家、それぞれに味方を増やそうと暗躍するわけですね。秀吉は勝家とにらみ合ってる上杉景勝に手紙を送って、勝家は四国の長宗我部元親に手紙を送って、お互いにいつぶつかるかって言う状態になるんやな。

よ:それで戦争が始まるんやな。

戸:天正十年の十二月、柴田勝家は北陸の北の庄城、今の福井城に居たんやけど、雪が降って動けない状態なんやけど、その隙に秀吉が動いてまず元の居城であった長浜城を奪い返すんやな。

よ:良かったやん。

戸:この時、長浜城には勝家の養子である勝豊が城を守っててんけど、数日で降服して明け渡したとか。秀吉はそのまま岐阜城へ向かって、勝家陣営に着いとった信孝を降服させるんやな。これが十二月二十日のことや。

よ:年内に厄介なことを片付けて、お正月を迎えたんやな。

戸:年が明けて天正十一年正月、伊勢国に居た滝川一益という武将が勝家側として、秀吉に抵抗を始めます。

よ:えらいこっちゃ。

戸:京都へ戻っていた秀吉は二月に伊勢へ進撃、滝川一益一派が守る城を攻撃するんやけど、なかなか抵抗厳しく思うように進まんのですね。

よ:そう言う事もあるよねぇ。

戸:滝川一益って、結構勇将な人やったんよ。

よ:そもそも滝川さんて知らんし。

戸:並行して柴田勝家が動くんよ。積雪の中、二月末には近江国を目指して軍を動かします。合わせて毛利にも動いてほしいとか、手紙を送るんやけど、毛利側はこれを握り潰すというか、この時は無視するんよね。

よ:それ、無視してなかったら、どないなったんやろうか。

戸:秀吉が一人であっちにもこっちにも敵を迎えることになって、時代は変わっていたやもしれへんけど、でも、備中高松城を救えなかった時点で、毛利の戦力ってそこまでやったんかもしれへんよ。秀吉も姫路辺りには備えの兵を置いてて、それこそ蜂須賀正勝なんかが姫路城にいたんやなかったかな、この時。宮部継潤(けいじゆん)って言う人が居て、この人は鳥取城を秀吉から任されて、蜂須賀正勝同様、毛利に備えてはったんやな。

よ:蜂須賀正勝ってよく聞く名前やけど、宮部さんって初めて聞くような気ぃするよ。

戸:あんまし有名では無いかもしれんけど、少なくとも秀吉が後背を任せられるほどに、堅実な仕事が出来る人みたいですよ。

よ:色んな人が居るんやねぇ。

戸:有名では無くとも、歴史の中には一杯人が居ますからね。

よ:それで、話の続きは?

戸:三月に入って、柴田勝家は滋賀県の柳ヶ瀬って所に陣地を構えるんですね。Google Mapでも玄蕃尾城跡ってありますよ。

よ:なるほど、確かにありますね。

戸:そこが柴田勝家の陣地だったんですよ。

よ:そこで激戦になるんですね。

戸:その前が、有るんですよ。

よ:有るんですか。

戸:有るんですよ。秀吉は伊勢国で滝川一益さんと戦っていたんですが、勝家が来たから長浜城下の木之本まで引き上げてきて、しばらく睨み合いとなるんですよ。

よ:いわゆる膠着状態ですね。

戸:これが三月十九日のことです。

よ:それで?

戸:四月十六日に岐阜城の織田信孝が滝川一益と組んで動き出したから秀吉は岐阜城攻めに向かうんですよ。でも、大雨か何かで岐阜城手前の揖斐川と長良川が溢れとって渡れず、大垣城で待機することになるんですよ。

よ:ありゃまぁ、なんてこったい!

戸:秀吉が居なくなったと見た勝家、家臣の佐久間盛政に命じて大岩山砦を攻撃させたのが四月十九日、その日の内に砦は落ちて守ってはった中川清秀さんは戦死、佐久間盛政は続いて黒田官兵衛の陣地を攻めますが、官兵衛は死守するんよ。

よ:大岩山砦もGoogle Mapに載ってます?

戸:余呉湖の東にあるよ。

よ:あぁ、なるほど。

戸:有りましたか?

よ:有りましたよ。

戸:それで、佐久間盛政は大岩山砦の北に有った岩崎山に居た高山右近隊を攻撃、高山右近も陣地を捨てて撤退、賤ヶ岳に陣取っていた桑山重晴さんも撤退を開始したんやけど、その桑山重晴さんのところに丹羽長秀さんが合流して、佐久間盛政を追い払ってなんとか賤ヶ岳を守り切るんですよ。日付はあっと言う間に四月二十日となっていました。

よ:いつの間にか一日経っとったんやな。

戸:木之本に留まっていた秀長、秀吉の弟の秀長やけど、すぐに大垣城にいる秀吉の下へ連絡を送ってるんよ。大岩山砦が落とされて、中川清秀さんがやられたって。

よ:まぁ、そないなるわなぁ。

戸:そしたら秀吉も判断が速くて、その場で、木之本への移動を決めはるんよ。

よ:岐阜城はどないするん?

戸:完全に無視して、大移動が始まったんやな。

よ:忙しい人やなぁ、秀吉って。

戸:出発する前に、街道沿いの村々に使いを送ってさ、食料の用意と夜になったら明かりの用意を頼んでるんやな。

よ:へぇ~

戸:それから秀吉らは出発してるんやけど、出発したんが午後二時と言われとって、木之本に先頭が着いたんが午後七時と言われてるんやな。

よ:早いんかなんかわからへんがな。

戸:距離にして約五十三キロ、大垣城から関ヶ原を超えて、米原から北上して長浜市木之本へ至る道なんやろうけど、徒歩だと十二時間半とかかかる道程やな。マラソン選手やと四十二キロを二時間ちょいで走るんやろうけど、こっちは鎧兜で身を固めた人達やから、そこまでの速度は出ないやろうし、槍とか鉃炮も持ってるから、足軽やら雑兵って呼ばれる人は遅かったやろうな。

よ:秀吉なんかは馬乗っとるから早かったんやろうなぁ。

戸:途中で歩いた人も居るやろうし、途中で昼寝した人も居ったやもしれへんよ。マラソン選手みたいにランニングシャツ一枚で走れたらまた結果は変わるんやろうけど、そう言うわけにもいかんやろうし。

よ:マラソン選手、パンツも履いてはるがな。シャツは着てるけど、パンツ履いてなかったらビックリするで!

戸:無茶言うわ!パンツ履いとるんは常識やから省いとんねん。それぐらい省いてもかまへんやろうに。

よ:あんたのことやから、下半分すっぽんぽんのマラソン選手を思い浮かべてへんか、そっちが気になったんよ。

戸:無茶苦茶言うし。

よ:もうちょいボケようよ。

戸:やってられるかいっ!

よ:それで話の続きはどないなるんです?

戸:あまりの早さで秀吉が戻ってきたから、秀長はビックリするわけですよ。

よ:なんてこったぁい。

戸:それは無いと思うけど、あまりにも早い決断と、移動にはビックリして、我が兄ながら、改めて恐ろしやぁ~って思わはったんやな。

よ:大河ドラマとかやったら、いきなり兄ちゃんが部屋に入ってきて、わぁっ!って書類とか投げ出して驚きそうやな。

戸:どうなるか知らんけど、一休みして、日付変わって夜中に秀吉は本隊率いて前進するんよ。

よ:夜中に?

戸:夜中に。

よ:それで?

戸:佐久間盛政は柴田勝家の命令を無視して大岩山砦に留まって、秀吉らの動きを見とったんよ。勝家は砦を落としたら、本隊に合流しろって言うとったのに、何を考えたのか、その場に留まって、これが命取りになるんやな。

よ:そうなんや。

戸:秀吉が全力で佐久間盛政隊とぶつかって激戦となって、この時に有名な賤ヶ岳の七本槍とか言うんも出てくるんやけど、今は横に置いといて、盛政隊が崩れて勝家本隊に流れ込むわけですよ。

よ:大混乱やん。

戸:そうなんですよ。しかもこの時、柴田勝家に所属していた前田利家が戦わずして撤退を開始するわけですね。

よ:前田利家って秀吉と仲良かったですよね。

戸:信長が生きとった時から、柴田勝家が一軍の大将でその下に前田利家なんかが配置されとったんですね。秀吉は対毛利の大将でその下にはそれこそ蜂須賀小六とか、黒田官兵衛とか、さっき名前が出てきた宮部継潤とか、そう言う人達が秀吉の下で働いとったんよな。

よ:ほな、多くの人は、信長に決められたまま、秀吉やったり、勝家やったりに所属しとったわけや。

戸:そうですね。兎も角、この場合は前田利家が撤退したことで、秀吉の軍勢は勝家本隊に集中するわけですよ。

よ:前田利家を追うとか、そないなことは無かったんやな。

戸:事前に示し合わせていたのか、やる気の無い利家を追う気が無かったのか、秀吉は勝家隊を攻めるし、勝家の部隊は前田利家が逃げたことで崩れてもうて、そのまま北ノ庄目指して撤退していくんよ。

よ:北ノ庄?

戸:今の福井県福井市な。

よ:時代によって地名も変わるんやなぁ。

戸:前田利家が撤退を始めた後で、柴田勝家に所属していた不破さん、金森さんも逃げてもうて、勝家は自分の直属だけで逃げるわけよ。

よ:なんか、可哀相やなぁ、聞いてると。

戸:賤ヶ岳から福井城まで約七十三キロ、秀吉はそれこそ休むこと無く勝家を追い掛けて、二十四日には滅ぼしちゃうんよ。

よ:それこそ皆、着いて来れたんかいな。

戸:まず無理やったと思うで。途中で前田利家を味方にして、その軍勢を加えとるから、無傷の前田隊が北ノ庄城を取り囲んで、後から追い付いた足軽らが改めて囲んだとは考えられるよね。

よ:そやけど、逃げる方も大変やったやろうなぁ。

戸:個人的には、逃げる側の足軽とか雑兵って、散り散りになったんやないかって思うよ。へたに北ノ庄城へ逃げ込むより、関係無い方角へ走っていって、ほとぼり冷めた頃に家帰った方が安全やと思うで。

よ:それにしても七十キロって、本気で走ったんやろうか。敵も味方も途中でバテてそうやんか。それこそ、敵も味方もわけわからんままに、木陰で休んだり、お互いに大変やなぁって、声掛け合ってそうやんか。

戸:案外、のどかな風景やったかもしれへんよね。

よ:柴田勝家も、北ノ庄城に逃げ帰らんと、反転攻勢したらどないやってんやろうか。

戸:味方が崩れて、体勢を維持できなかったんやと思うで。冷静に指示を出したくても、指示を聞く側が逃げ出したら、どないにもならへんやん。

よ:そうなやなぁ。

戸:今の軍隊やったら、燃料さえ有ればトラックとかバスとかで、七十キロぐらいの移動やったら大したことないんやろうけど、この時代はそれこそ人間の足だけが頼りやし、秀吉ら大将格の人かて馬に乗ってるとは言え、その馬も七十キロを休むこと無く走るって言うんは多分無理やろうし、どないしたんやろうか、そこは気になるよね。

よ:予備の馬とか一緒に走っとった、とか。

戸:それでも、一緒に走っとったら、予備の馬も疲れとるで。だから、全速力で走ったと言うより、早足ぐらいの速度で北ノ庄城まで行ったんやないかって。

よ:結局、そこが気になってはるんですね。

戸:そうですねぇ、美濃大返し自体には特に謎と言える部分は無いんですけど、大垣城から長浜の木之本へ戻る時、秀吉はわざわざ道沿いの人達に食料の提供を求めて、これを命令では無くて、依頼している点が凄いなって思うんですよ。戦国武将って言うと、百姓とか住民に命令する側なのに、対価を支払うから協力して欲しいって言うのは、珍しい、な、と。

よ:そうなんや。

戸:中国大返しの時に、沼城から姫路城までの約七十キロを、走った時に食べもんの有り難みとか、夜道を走るのに松明の必要性みたいなんを秀吉が感じて、いずれどこかでこの経験を生かそうと思っていたのか、それとも大垣城でパッと思い付いたのか、そこは気になってますよ。些細なことかもしれんけど。

よ:秀吉って、天下人になるような人やから、次、長い距離走るときは食いもんと明かりが必要って考えとったやもしれへんよね。

戸:どっちにしても、来年の大河ドラマやと、秀吉や無うて、秀長が思い付いたとか、そないな設定になるんやろうか。

よ:さすがにそれは無いんちゃうけ?

戸:まぁ、でも、個人的にはもの凄い勢いで帰ってきた秀吉を見て、ビックリする秀長って言うのは見てみたいですよ。

よ:そういうのが見たいんですか?

戸:いつか忘れたけど、大河ドラマでさ、美濃大返しで驚く秀長っていう場面があったような気ぃすんねんけど、思い出せへんのよ。誰が演じとったんかが。

よ:ほな、とりあえず来年の大河ドラマ、観たら宜しいがな。

戸:観るんが面倒臭い……

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