20話 コンコ「カレーライス」
「そうですね、ではコンコさんの席は…………ここで。兄さんの隣になりますが どうでしょう。……それとも、私の隣がいいですか?」
「えっあっ、それは……エト……」
「ふふ、冗談です。どうぞおかけ下さい。」
一般的にリビングと呼ばれるであろう、ここの中でも1番広い空間……そこに鎮座する、長方形の食卓。タマちゃんから案内されたその一席の椅子を引き、おっかなびっくり腰掛ける。わたしが、ここに座っていいのだろうかと……こうも歓迎されていて、いいのだろうかと不安な気持ちが どうしても。わたしが座るこの席だって、本来ならばご両親がかけるはずの場所であろうことは想像に難くない。
(さっき、お部屋で……流れで訊いておけばよかったのに。みぃ君たちの、ご両親のこと……)
なぜ今、ここに居ないのだろうか。これまでのやり取りから考えて、ただ帰りが遅いとかの話じゃないのは間違いない。でなければ、わたしに部屋を貸すことなんて出来ないはずだ。
(難しい事情があるのかもしれないし……それを、そういうのを……迂闊に訊いちゃうの、は、こわいんだ……)
タマちゃんを怒らせてしまった、例の会話での やらかしの印象がまだ強いせいか、どうにも慎重に……というか、臆病になってしまってる、わたし。
だってもしも万一、その……おふたりとも、実は、もう。……とか だったら…………?
いや、やめよう。わからないことを悪い方に考えちゃうのは……今は。
「コンねーちゃんって、カラいの平気ーーー?」
「へっ?? あっ、わ、わかんない……!」
台所の方から みぃ君に声をかけられて、意識がこっち、『今』に向く。
着席したわたしの正面、机の上には食器がすでに並んでる。これらは……お箸と、お匙。それくらいなら知っている。でも おハシ使うのって難しいんだっけ?大丈夫かなあ……?この手で実際に使ったことは無いから……。そもそもちゃんとした食事が初めてなので、自分の味覚のこともよくわかっていない。辛いって、どんな感じなのかな。
「んじゃまずは、コンねーちゃんのぶん。カレーライス、お待ちどお!」
コトン。
ひらべったいお皿に盛られた、わたしの分を みぃ君が持ってきてくれた。これが……カレーライス。ちゃんと見たことあるやつだ。ヒトの色んなご家庭で、わたしもちょくちょく見かけたやつだ。
「んでこっちは、おれの分。」
コトン。
わたしのとなりの席のスペースにも、同じ大きさ同じ形のお皿に盛られた、同じようなカレーライスが。うっ、うわあ……!なんだか、なんだろう、どきどきしてきた。同じだ、隣だ、みぃ君と。
本当にこれから……一緒に、ごはんを────、
「よっ、と……最後に、ゆーゆの分」
どすん!!!(クソデカどんぶり白米のみ)
「えっ」
「ほい、カレーも」
ごとん!!!(クソデカどんぶりカレーのみ)
「………………????????」
わたしの頭が脳内が、一気に疑問符で埋まってしまった。
「もうお腹ぺこぺこです。早く食べましょう、兄さん」
「待て待て落ち着け妹よ。サラダも用意してるから、もうちょい待てだ……ん?あれれ?ミニトマトはぁ……どこいった?」
「え…………っえええ……???」
みぃ君もタマちゃんも平然としている。これは……わたしがおかしいのだろうか。いや、わたしがおかしいのだろう多分きっと。……だよね?
目を白黒させて、自分の前に置かれたものと、タマちゃんの前に置かれたものを見比べる。そして、それとタマちゃんを見比べる。
既にお匙を片手に持ち、そわそわと みぃ君の用意を待つタマちゃん。そんな彼女の身体は先の入浴時にも見た通り、それはもうとても細く痩せていて。ついつい わたしは(ちゃんと食べているのかな)、なんて心配も したほどに……。
そんな彼女の前に今、彼女の頭部より大きなどんぶりがふたつ並んでる。盛られた白米は、当たり前みたいな顔してどんぶりの上で巨大な山を形作っている。あれが……ちょもらんま……?もう片方のどんぶりも、カレーソースが表面張力でタプタプしてる。なんだか怖くなってきた。
「いやーお待たせっと。これ、コンねーちゃんのサラダね。」
コトン。(直径12センチ)
「これは、おれのー。」
コトン。(直径12センチ)
「ほい、ゆーゆ。」
ずしん!!!(直径30センチあふれ盛り)
もう考えないようにしよう。わたしにはちょっと難易度が高いみたい。まだ人間界の初心者だから……。
「んじゃあ、食べますか。」
わたしの隣に座った みぃ君がそう言うと、待っていましたとばかりタマちゃんがお匙を指に挟んだまま両手を合わせる。
「はいっ。それでは……『ありがとうの、いただきます。』」
「……?」
今、なんて……?
いただきます、の挨拶は知ってる。でも……なんだか少し、わたしの知ってるものとは違った?
「ん。ありがとーの、いただきますっと。」
みぃ君もまた、同じように続いた。『ありがとう』……?
どうしよう、とりあえず真似したらいいかな……?
「ん?……ああ、コンねーちゃんは混乱するよね」
わたしの困惑を察して、みぃ君が声をかけてくれる。でも混乱というのなら、さっきの方が強かったです(盛りの件)。
「普通は『いただきます』だけでいいんだけどね。これは……ゆーゆの拘りというか何というか。」
「タマちゃんの?」
向かいに座るタマちゃんに目を向けた。白米で作られた巨大な山の高さが3分の1くらいになっている。サラダの入ったお皿は野菜クズひとつ残らず真っさら綺麗に空いていた。 は???
「…………(もぐもぐ)」
みぃ君とわたしの視線を受けて、口の中のカレーライスをしっかり全て嚥下し終えたのち、タマちゃんが口を開く。
「……いただきます、という言葉そのものに……感謝はきちんと込められている。そう思います。でも……それでも、わたしは…………こうして食事ができること、食事ができる、健康な体があること。また、たくさんの人の仕事によって、美味しい食材が存在すること。自分に、自分のために、美味しく調理してくれる人がいるということ。それらを思うと、あらためて…………感謝をせずには、いられないので。」
「感謝…………。」
「まあ、そーゆー事らしくってさ。だから おれも、気づいたら真似するようになってたっていうか。」
感謝、かあ。それは、うん、素敵なことだ。だから、わたしも。……ぺちり、しっかり両手を合わせて。
「……ありがとうの、いただきますっ!」
感謝と共に、いただくとしよう。うまれて初めての、ひととしての食事を!
「……ごくり。」
お匙でカレーライスをひとすくい。持ち上げて顔に近づけると、その独特な香りがひときわ強く鼻腔を刺激する。実はさっきからとてもすごいと思っていたのだ。この匂い……すごい。なんだかもう、たまらないって感じがする。目の前にして、あらためて実感。これが、料理のにおい。これがカレーの匂いなんだ。
「…………(どきどき、チラッチラッ)」
いざ初めてゴハンを前にした わたしの視界の狭さたるや……ま隣で みぃ君が、自分の食器に手も付けずコチラの様子をソワソワと窺っていることにすら気付けないほどに。
食べる……食べるっ。
「はぷ…………」
匙に乗せた、湯気がゆらめくカレーライスを。丸ごとひとくち、頬張って。
咀嚼、を────。
「っっっっっっっ!!!!!?!」
くちのなかが。なに、なに、まって。
「あっ、あふ……?!!」
「うおっ、まだ熱かった!?少しフーフーした方が……ってか、もしかしてやっぱ、カラかった!?」
隣で慌てている みぃ君。だけどわたしは、それどころじゃなかった。
口の中の、情報量が。
(熱い……!?痛い!?これ、味……っ!?色んな刺激が、舌の上を、すごい、これ、そしてこっちは、こっちのが……お米あじ?じーん、が、フワッて。すごい。お米すごい。でもカレーだ、カレーがすごい。しっ、しびれる……?わけわかんなくなる!あたまの中っ、てっぺん先まで、びりびりする!!!これ……!!!)
「大丈夫か、コンねーちゃ……ん?」
「ごくんっ。ふ……っ、」
頭で何か意識する前に、手は再び匙でカレーライスを掬っていた。今度は間髪入れず、ふたくち目をぱくり頬張った。恥ずかしい話だけどもう、カレーライスしか見えてなかった。
「……ははっ、何だ。やっぱお腹減ってたんだなあ。」
「(もくもく、こくん。)兄さん、カレーとご飯のおかわり貰いますね。」
「おお、一応まだ結構あるけど……せっかくだしさ、コンねーちゃんのおかわり分は、残しておいてやってくんない?」
「ふふっ、そうですね……。この様子でしたら。」
「はぷっ、はふ……!」
なにこれ、なにこれ。すごい。すごい。ごはんすごい。食事ってすごい。カレーライスは、すごいっっ!!!
「もぐぅ、むぐ…………っ」
『美味しい』。これって、そうだ。おいしいんだ。口の中の、舌の上の、たくさんの刺激が、強い香りと一緒くたに、あたまバカになるみたいに喜ばせてくる。あつい?からい?びりびりする。にく?やさい?きのこ?食べたことのない色んな全部が、噛むたびそれぞれ主張をしてくる。すごい、すごいよ……!!もっと食べたい、食べさせて。お腹がそう言ってるのわかる。食べて、食べて、お腹、どんどん満たされてく。おいしい……。はじめての、美味しいって感覚。おいしいって、凄いなあ。おいしいって、嬉しいな。おいしいって、幸せだ。こんなにも、わたしって……っっ。
「は─────あっ、ふ…………、っ」
ぼろり。目尻から熱いものがこぼれた。
「ふう……っ、う、ううっ。はぷ……!ぐすっ」
美味しい。美味しい。カレーライスうれしい。
「もぐ、もぐく、ふンん……っ!ひぐっ、ごくん!!ううううう、ふうううう゛…………っっっ!!!」
お匙を持つ手が止まらない。すくう、すくう、カレーをすくう。
涙が、なみだが、止まらない。おちる、おちる、雫がおちる。
食べ方も、頭の中も、ぐっちゃぐっちゃのめちゃめちゃだ。
「コン、ねーちゃん?」
わたし、頑張ってきた。いっぱい、いっぱい、頑張ったんだ。
「あむ……っ!!むぐ、はぁぐ、もむ、ごくんっ……あ゛あああああ………………っっっ」
これまでの日々が。長かった日々が。
走馬灯みたいに、次から次へと頭の中を駆け抜ける。
だいすきな人に背を向けて、歩むと決めた道のりの、途方もなく不明瞭な行き先が。
変えられないかもしれない。肉体を得られる根拠なんて無かった。
忘れられるかもしれない。今までのように、記憶から消えてしまっていてもおかしくなかった。
できないかもしれない。ちっぽけなこの身には、とても過ぎた願いだった。
間に合わないかもしれない。人の寿命という無慈悲な残り時間は、刻一刻とその針を進め続けていった。
長かった。つらかった。大変だった。……ほんとはすごく、こわかったんだ。
『たどり、着いたっ。うぁ……! やっとっ、見つけた……!』
だけど。がむしゃらに走り続けたわたしは気づけば、彼の目の前にいた。逢いたかった、だいすきな男の子。
『走るから、着いてきて!』
また、わたしを見てくれた。忘れないまま、いてくれた。かたくて大きな手が、わたしの手を強く包んだ。あなたがわたしに触れていた。その感触は、確かにわたしが“変えた”という証だった。
『コンねーちゃんも、食ってくだろ?夕食』
そして、今。わたしは食事ができている。肉体を手に入れたから。だいすきな人が、作ってくれた……人間の料理を食べている。こんなにも美味しい。こんなにも嬉しい。こんなにも わたし、幸福で………。
『それらを思うと、あらためて…………感謝をせずには、いられないので。』
ありがとう。感謝の気持ち。すべてがあって、いまがある。
涙がぜんぜん止まらない。いつの間にか、お皿のカレーライスは綺麗さっぱり無くなっていた。ぼたりぼたりと、空いたお皿に雫が落ちる。
よかった。わたし、よかった。がんばって、よかったんだ……。
「……まったく、思い出すなぁ…………な、ゆーゆ?」
「はい……。きっと、私と同じです。兄さんの作る手料理が、世界いち美味しすぎるせい。」
「いや嬉しいけど、そういう話ではないだろ……」
「いえ、そういう話ですよ。きもち、すごく、わかるから……。」
「…………なんかやっぱり、えらく仲良くなったよな?」
「そう、見えますか?ふふ。…………ですね、仲良く、なれそうです。」
なぜか井成野兄妹に、妙にあたたかな目線で見守られていた事にも気付けないほど。あふれるほどに、こぼれるほどに、ぜんぶが いっぱいいっぱいで。
お匙を右手に握りしめたまま、わたしは…………延々と、えんえん と、泣きじゃくり続けた。




