19話 ミフネ「無心の料理と風呂上がり」後編
「ん〜……掃除機も一応、かけとくかあ」
今は誰も使っていない両親の部屋。そこまで散らかっているというわけでもないが、仕事のものなど出しっぱなしになっているものはそのままにしてあって どこか窮屈に感じた。なので空いた棚やクローゼットなどに押しやるように移動させ軽く片付けてみた。物は多いが、この部屋自体がヨンマルゴ号室の中ではリビングに次いで広いので、真ん中のスペースをスッキリさせてしまえば そこまで狭苦しくはなくなった。
そして仕上げに掃除機をかけてやれば……っと。こんな感じで、うん、大丈夫だろ。
「ふうう、あとは寝るとこだけど……どうすっかな?」
両親のダブルベッド。使ったとて怒られるということもないだろうけど……そのまま客人に使わせるのはどうかと思うし。それにコンねーちゃんだって、よその親御が寝てた布団を使うのって……いや、そんなこと気にするようなひとじゃあないか。んでも、なんかなあ……。かといって、そこにベッドがあるってのに床で寝かせるのも…………。
「んん…………。ぃよし、こうしよう。とりあえず枕と掛け布団とシーツをしまって、客用の布団一式を……っと。」
こつ、こつ。
開け放していた部屋の扉を、控えめにノックする音が背後から。ああ、そういえば結構な時間が経っていたかも……と今更に気づき振り返ると、そこには…………。、。、。
「ええと、こういう時は…………お先にお風呂、いただきました……?」
そこには。
サイズが大きかったのか、少しダボついた袖と裾をくるくる巻いて丈を合わせた、上下揃いの淡い薄ピンク色をしたパジャマに身を包んだ……見た事のないコンねーちゃんの姿が。
「うお…………」
なんだ、これは。
見透かしてくるような金糸雀色の瞳の煌めきはナリを潜めて。おれのよく知るピンと立ったケモノ耳も、ゆらゆらと存在感のある長い尻尾も、どちらも今は見当たらない。そのせいか、更にひとまわり小さく感じるその姿は本当にただの人の子供みたいで。それが、なんとも素朴に可愛らしいパジャマに身を包んでいて、風呂上がりであるからなのか、ぷにりとした頬は上気したようにほんのり赤くて。普通の日本人のように、くりくりとした大きな黒目が上目がちに。
「わたしの髪、先に乾かしてもらっちゃった……今タマちゃんは、あの、……なんだっけ、ブォーって風のやつ、自分でしてて……みぃ君お台所にいなかったから、わたし つい、探しにきちゃった。んへへ……」
なんだこの、なんだ???……この胸の、心の臓を、握りつぶされてるような。いったい、これは?
「ぱじゃま……っっっ、」
パジャマ。そうか、パジャマか。ビガラグバスビ・パジャマ。なるほど、妹のパジャマ姿もバチクソかわいいが、それは単におれの妹が可愛すぎるからだと思っていた。カワイイ妹が何を着ていようとカワイイなんてのは最早まったく自明であると。しかし、それは、思い違いだったのやもしれない。
「パジャマ、だからか…………」
「み、みぃ君……?」
恐ろしい。なんということだ。あまりにも、魂に強く訴えかけてくる。この感情は……一体なんだ?
ずっと和服姿しか知らなかったコンねーちゃん。それを着こなした彼女はピシリと大人びていて、幼かった あの頃のおれには……とても綺麗に眩く見えていたものだ。
しかしこれはどうだ。この姿はどうだ?あの頃と全く変わらぬ身長は今や明らかに 妹よりも低く。そんなちんまりとした体躯が、ありふれた幼気なデザインのパジャマを纏っていて、だぼり捲った袖からは小っちゃな指先しか出ていなくて、あれは……萌え袖とか言うんだっけか………………っそんなの、そんなもの、おれはっ!!どう受け止めたらいいんだ!!!この感情は、なんなんだあ!!!?!?
「精神攻撃なのか!!!!!?!!?」
「ヒッ」
デカイ声が出てしまった。コンねーちゃんがビックリしている。なんならちょっと怯えてる。落ち着け おれ。しっかりしろ。
「フウウーっ………………いや、ごめん。今ちょうどさ、コンねーちゃんの寝るとこ準備してたんだよ」
「えっ、わたしの……。」
「このベッドの上に客用の敷き布団をこう、敷いてっ……完成。ここがとりあえずは、コンねーちゃんの寝る部屋ってことで。いちおう両親の部屋だけど、仕事の書類とかはなるべく触らず、勝手に捨てたりとかさえしないでくれれば……机とかも使っていいよ。ある程度は片付けておいたからさ。」
「そっ、そんな!?部屋なんて……!しかも、ご両親のを勝手になんて!!わたしにそこまで、おそれおおいよ申し訳ないよ!!」
「いいんだって。ゆーゆの部屋は狭いし、かと言って おれと一緒に寝る訳にもいかないでしょ」
「そっ、そうだよそれなら、みぃ君と!一緒の方が、わたし まだっ……! …………いや、それは、みぃ君には迷惑……そんなの邪魔に、なっちゃうかな……(急にションボリ)」
「じゃっ、邪魔とか迷惑とかじゃなく!…………ダメでしょそれは、なんつーか……!おれと一緒は、絶対ダメでしょ……!」
そんな感じで、思っていたより食い下がられてしまったものの、最終的には……そこまで言ってくれるのなら、と、この部屋を使う事を了承してくれた。ダブルベッドの上に1人用サイズの布団を敷くという、どこかトンチキな見てくれになってしまったがそれに関してコンねーちゃんは特に気にしていないようだ。そして、そうしているうちに……。
「お待たせしました、兄さん。ごめんなさい、気づけばとても長風呂になってしまって……」
長い髪を乾かし終えて、ゆうゆも部屋までやってきた。
「そっ、それはコンのせいでもあるから!そうだ、そうだよねっ……今更だけどお風呂、いっぱい待たせちゃって!ごめんなさい……!」
妹の言葉を受けてハッとしたように、おれに申し訳なさそうな顔を向けるコンねーちゃん。『何もそこまで大袈裟に気にする事じゃないよ』、そう言おうとしたのだが。おれが口を開く前に……、
「大袈裟ですよ。そこまで重く、捉えなくても。大丈夫です、コンコさん。」
(おっ? ゆうゆ今、名前で)
「そ、そうかな……?」
「あまり変に気を張られても、お互い気疲れしちゃいます。兄さんだって、困ってしまいますよ」
「そっか、うん…………気をつける、ね。 えへっ、ありがとうのじゃ、タマちゃんっ」
「お、おぉーー…………?」
なんだなんだ?えらく打ち解けてしまった様子じゃないか。風呂で何を話したのやら、ゆうゆのコンねーちゃんを見る表情は一転だいぶ柔らかくなっていた。そしてコンねーちゃんの方も、なんだか おれを相手に話す時よりも、妹相手の時の方が……緊張をして いないような…………。
「その私のお下がり……まだ大きかったみたいですね。もう少し小さいのを探しましょうか」
「全然いいよっ、これでいい。ゆったりしてて、きもちいいんだ……。だから、タマちゃんさえ良ければ わたしは、これがいいな。」
「そう、ですか。気に入って いただけたのなら……ええ、良かったです。しかしどのみち、ひとセットだけでは足りません。別のも探しておきますね。」
「うんっ、ありがとう!…………おさがり、かあ。タマちゃんのを今、わたしが着てる……。なんだかイイな、嬉しくて。」
「……妹がいるというのは、こんな感じなのでしょうか。私も、まあ、悪い気はしていませんね」
「んへへ……。」
「ふふっ。」
ほーのぼの。超、ほーのぼの。
……………………なんだろう、良いことだよな?でもなんだろう この……疎外感は。女子2人が仲良さげになったことで、突然おれが男ひとり少数の者となり、居た堪れなさが生まれたような…………いや気のせいだ、そんな事。別にそんな事ないよな??うん、、。。
「よっ、よぉし!! んじゃあそろそろ、ふたりとも……夕食の時間に、しようかあ!!?」
ここに己が存在を示そうとするかのごとく、上擦った大きめの声を出してしまったことにまた恥ずかしさを覚えながらも……。おれは女子ふたりに、部屋から出るよう促すのだった。




