13話 コンコ「乙女心」
「えーと……もしかして。お腹、すいてる?」
みぃ君からそう尋ねられて途端、わたしの顔はせりあがるように下から上へカッと強く熱を帯びた。これは、羞恥……? うう!は、恥ずかしい!なんとなくっ!よりにもよって、こんな空気の中で……!!?
(でも、そっか……残り最後の丸薬を飲んでから、もう何日くらい経ったんだっけ……?)
空腹。お腹は空くと、ぐうと鳴る。そうだ、以前とは違って わたしには生きた肉体がある。そして丸薬も無くなってしまった今、生きるため死なないためには、ごはんを食べなくちゃいけないんだ……!そういう基本中の基本を、今更ながらに実感。そんな最低限のことに ずっと、気付いてすらいなかったことが恐ろしい。この身体を得た時点で みぃ君に会うことしか考えられず 一も二もなく飛び出したわたしは、本当に無計画極まりなかったなあ…… と、我ながら呆れ果ててしまう。死んでしまっては元も子もないのに……。
「…………なんか色々あったし、まだ家のこと ひとつもやってなかったな……。今日は おれが食事当番の日だ。今から支度するからさ、ゆーゆ、風呂掃除してお湯沸かしといてくれよ。飯は少し時間かかるだろうし、もう先に入っといて。 そんで………………コンねーちゃんも、食ってくだろ?夕食」
「あっえっ、ゆうしょく?ごはん……? いっ、いいの……?わたしも……」
「ダメなわけがないでしょって。 …………ん? てか、そういえば……飯もだけどさ、今どこにどうやって住んでるんだっけ?帰る家か宿なんかは、あるんだよね?」
「え、お家…………? その、ええと、わたしは……」
東京を……この地を目指して、ひたすらひたむき移動してきた。疲れた時は、人気のない公園や原っぱとかで休みながら。生きた身体には、睡眠休息が必要だってことにも最初は……なかなか慣れなかったな。
「…………ない、 ん、だあ。お家とか、帰るところは……」
「はっ?え゛ええー、どういう…………?! えっ?んじゃあ、ええと、今までは……?」
「ず、ずっと みぃ君と再会する為ここに向かい続けてたから……同じ場所にとどまったりしたことはなくって。そもそも人間の家とか宿の借り方なんて、わたし全然わからないし……。あ、でも大丈夫だよ!もうお外で寝るのも慣れたから!公園の椅子とかで」
今が人の暦で何月ごろなのかは ちょっとわからなくなってる……。でも、体感そこまで極端な季節……気温じゃあない。雨の降る夜は流石に少し しんどいけれど、我慢できないほどじゃない。だから別に───
「いや大丈夫じゃあねえけどお!!!!!?」
うひゃあ。ビックリした。みぃ君が叫んだから。
「嘘でしょ ちょお待って、ずっと夜も寒空の下で野宿とかしてたってこと……?!いやホント勘弁してよ泣いちゃいそうなんだけど!!はぁ?!そんっ、なの……っア゛ーーーーーーやめてくれそういうのマジでええ゛…………っ!!」
みぃ君が……泣いちゃいそうというか、泣いちゃった。
「ごっ、ごめんなさい……?」
これは……心配、してくれてるって こと、なのかな。わたしはそもそも妖であって、1日を屋外で過ごすのは普通だったから……肉体を得て、睡眠とかが必要になったことを除けば別に、宿無しを それほど不自由だとも思わない……思えない。の は、わたしにまだ、『生き物』としての自覚が足りないせいだろうか。それは……駄目、だなあ。改めなくちゃ……。
ふと見遣ると、タマちゃんも なんだか……呆れと憐れみの入り混じったような微妙な表情で、わたしの方を見ていた。
「あの……失礼ですが。 貴女って、お風呂はどうしてるんですか。まさか…………」
「お風呂……?わたしは人みたいに、お湯のやつに入ったことはなくて……。転んで身体が汚れちゃったりした日は、川とかで洗って泥を落としたり……してた、かな?」
わたしがそう答えると、タマちゃんは更に表情を苦々しいものにして、片手で少し鼻を覆うような動作をすると共に、呟いた。
「ああ、どおりで…………」
は────。
その…………、
時の、タマちゃん の、小さな呟きと、仕草から。
わたし は。
「あ ? ……………………ぇ…………っっ」
びしり、と、固まってしまう。
気づいては。いけない。頭の中の、脳のどこか。ここのおコンコと いう『女子』に、本能的に、備わっている、繊細な何か、が。ガンガンと警鐘を鳴らしている。わたし、は……?
“それ”に 気づいては、いけない。わたしは、まさか……。
「は……ぁっ、はっ、はぁっ…………?!」
呼吸が乱れる。動悸が。震えが。駄目。気づいたら駄目。こわれてしまう。いやだ。“そんなこと”。
気づきたく、ない───!!!
(おふろ…………人は、毎日、お風呂に入る……)
今のわたしは……血の巡る、肉の身体と共に在る。この身体は、人間のそれと全く同じものという訳ではないけれど。これ以上身長が伸びたり、年老いたりもしないけど。
それでも、生き物として、代謝する。食事による栄養摂取を必要とする。水分を必要とする。汗をかく。老廃物が出ていく。動物と、ひとと、同じように。それは、それが意味することは。今の、わたしは…………!!
「タマ、ちゃん……っっっ、わたし。…………もしかして、ハァッ、ハァッ、わたしって、もしかして…………??」
壊れる。いやだそれは駄目だそれは。
わたしを、壊す。だから知りたくない、気づきたくない傷つきたくない。なのに…………!
“それ”を。“それ”か?と。まさか?と。本当に?と。確かめずには いられない。
違うよね……?“そう”じゃ、ないよね……?
「ねえっ、タマちゃん─────!!!?」
「! 、………………っ」(ふいっ)
曖昧に問われた、タマちゃんは。
それでも わたしのききたいことを、そして今の心情を……ある程度には察したようで。
目の前の 縋るような眼差しから逃げるみたいに、……気まずげに、無言のまま視線を斜め下へと逸らしてしまった。
「あ………………、」
それは。
それは、それはもう、ほとんどが。それ、自体が。
あまりにも雄弁に、『答え』そのものであったのだった。
「まって、そんな…………うそ………………?」
嘘だ? 嘘だよだって、そんなはず。わたしは。
待ってよ。先刻わたしは、いったいわたしは……何を、していた?
『わたし、こうしてあげたかった……。こうやって、ちゃんと 直接ふれて。きっと、きみがそんな顔をしてた時は、いつだって。』
だいすきな、恋してる、大切な、最愛の ひと と。
触れ合う距離で。包み込むように、その人を。
これ以上ない、すぐそばに。わたしは、わたしの、想い人が……?
わたしは……そんな、わたしは…………!!?
「言って、嘘だ…………教えて、ちゃんと!!違うって……!?」
よせばいいのに、わたしは。
認めたくない一心で? はっきりさせたい事実の為に?
「ねえ お願い……っ。ちゃんと言ってっ、わ、わ、わたし………………って。もしかして、いま、くっ、く、くく…………っ、はぁっ、ッ! わたし?!?ぃい今わたしっ、く、く、 っ臭────」
一度は言い淀んでくれたタマちゃんに向けて、再び。震えの止まらない唇で。絞り出す、最後の、とどめの、確認を。
そして…………タマちゃんが、観念した様に口を開いた。
「………………獣的な、と、言いますか……なんだか、そう、…………動物園にいるときのような。 ……におい が」
言われて。お腹が鳴った時なんかとは比べ物にもならない火力の羞恥が爆発し、一瞬で噴き上がって頭のてっぺんを貫いた。しかし顔は熱くなるどころか、逆に青ざめ血の気の引いてく感じがした。最後まで直接的な表現を避けさせ気を遣わせてしまったことが、なんだか余計に みじめだった。
「あああ………………」
先刻から、ずっと『そっち』を見ることができなかった。ひたすらタマちゃんに向けて視野を狭くして、意識の外に追いやろうとしていた。現実逃避というやつだ。『あなた』は……ずっと、『あなた』も、ずっと?わたしのこと……本当は?
「コラゆうゆ!その言い方はなんかマジに臭いみたいになっちゃうだろ!いや大丈夫だってコンねーちゃん!確かにこう、ちょーっとだけ、かおり高いかな?とは思ったけどさ!でもさ別にさ全然そんな……アレな感じじゃないぞ!?例えるならそう、あれだ!ボス(むかし飼ってた犬の名前)が寝てる時に口から薫ってくる、あの何とも言えない香ばしいニオイをこう、ギュウッと濃縮したようなクセになる感じでホント、おれ全然イヤじゃなかったっていうか!!!!」
意識の外に追いやったはずの、最愛の人からの最悪な擁護がダメ押しとばかり飛んできて、鼓膜と心をブチ抜いて。わたしの正気の糸は断たれた。
「いやあああああああああああああああああああ!!???!!!!!!!!(尻尾フルスイング)」
「( ドぱ パ ァ ン !!)目ァあ!?!!?!?!??!!!」
言い訳させてください。それはほんとに無意識でした。
真っ直ぐ見てくる きみの姿から、突きつけられた現実から、文字通り目を背ける様に全身を捩り、妖姿のまま出しっぱなしにしていた二尾の尻尾が捻った腰に引っ張られ、ブオンと真一文字に勢いよく振り抜かれて。
その軌道はもう美しいほど見事に みぃ君の両目を捉えて、鞭のように鋭くしなやかに横薙ぎ2連の打撃を叩き込んだ。とても景気の良さげな音が続けざまに響いた。
「目がぁ、目があアア!!!!!!」
「にっ兄さんっっ!!? 」
「ふぐ……ぅっ、…………ぶえええええええん!!!!ひっ、う゛ぅえええええええええええええん!!!!あ゛ああああああああああああああああああん!!!!!!」
わたしの中にも存在した、いわゆる乙女心と呼ばれる複雑回路。それはもはや完全にブッ壊れてしまい、思考も感情も行動も、制御が全然きかなくなって。その場にしゃがみ込んで背中を丸め、あとは ただただ赤子の様に大声で泣き散らかすしかできなくなった。
「あぁあ、目がぁああ………………!!!」
「直に兄さんに危害を……!!やはり、信用ならないっ……!!」
「わ゛あ゛あああああああああああああああああーーーーーーーーーん!!!!!!!!!」
苦悶、憤懣、啼泣。三者三様に平静を失い、その場はまさしく混沌の様相。なんていうか もう、めちゃくちゃだった。




