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「大丈夫、これくらいの傷、何ともないさ」

作者: 仁

ロメロの『ゾンビ』はやはり大傑作だ。こんな風に現実にゾンビが闊歩する世の中になってみると、つくづく思う。

だってあの映画は、ゾンビパニックを描いた映画、というのとは、少し違う。「ゾンビ」という大災害が起こった後、既存の文明が崩れてその残り香だけがある移行後の世界の、暮らしの在り様を描いているのだ…という評価が正しいと思う。ゾンビ達の挙動は主に背景、舞台効果の様なものでしかなくて、そういう中でも何とかかんとか生活を続ける人間達、というものに主眼を置いて描かれたドラマだ。

いずれ終わる事が論理的に言って明らかな我々の生活。それでも、今終わす覚悟がない限りは続けていく事になる生活。

その様を描いているから、非日常であるにも関わらず、どこか我々の一般の人生という物の核心が、現実そのもの以上に濃い色合いで抽出される。そこが画期的だったし、今でも変わらず新しい点だ。

そしてそのエンディングは、旧時代の支配者たる人間達が居なくなった、ゾンビ達の生活の様子で終わる。ある種、あれほど不思議に癒される映像もないと、俺は思う。…ゾンビパニックが現実になり、あの映画のディレクターズカット版の中盤のくだりとそっくりの生活を送る今でさえそう思う。


だから俺は、ゾンビに食われる事を恐れながら、奇妙に親しみを持ってゾンビ達の在り様を今日も眺める。天井裏から首だけ出してゾンビ達の暮らしぶりを眺めていると、つくづく記憶の中のその映画の素晴らしさが思い出されてたまらなくなる。ああ、俺に勇気があれば、このショッピングセンターを出て、あの映画のDVDを探しに行くのだけれど。俺にはその勇気がない。このゾンビ化現象が伝染を広げながら人類の文明を破壊していく災害が起こり出してから、俺は自分の記憶の中にある映画『ゾンビ』のストーリーを辿る様に、このショッピングセンターの安全地帯に辿り着いた。食い物が無くなる迄、俺はここを動く事はないだろう。

そして…今の世の中で生きているのは、勇気のないもの達だけなのではないか?思う。勇気の有る者達は、動物らしく、移動の本能に従った。移動権…かつての人間達の社会では、多くの国家で基本的な人権の一つと考えられていたその権利。そうして、その基本的な自由に従った人間達はどうなったろう?かつての社会でも、例えばこのショッピングセンターが立っている日本という国では、少子化が長年続いて深刻になったにも関わらず、都市への人口の集中は年々酷くなっていく、という矛盾を引き起こして止まなかった。このゾンビの天下ではどうだろう?移動の自由は、死以外の道を選択し得るだろうか?この天井裏の世界に引き籠っている俺には、どうもその事が信じられない。確かにこの自分も、移動の自由を行使する事でここに着いたわけではあるのだが…。

きっと、他所で生きている者達が居ても、ゾンビの登れない天井裏に隠れて過ごしている者達だけだろうと、俺は確信する。まあ無意味な確信だ。居ない神を信じ仰ぐのと同じ程度の信条だ。そんな事を一人呟いて暮らさねばならない位には、この世界はゾンビだらけになってしまった。


そして、その映画と深刻に違う点がある。俺は一人ぼっちだ、という事。

だから生き残れたのかも知れないが、だから死ぬほど退屈で、そして寂しかった。そして天井裏から首だけ出して、人間の居ない所でゾンビ達が「暮らし」らしい事をたしなんでいるのを、こうして眺めている。不思議な事だが、これだけが一番孤独と、そして緩慢な破局が仄めかす絶望に効く唯一の癒しになっていた。

初めの内は、もう少し具合が違ったのだ。それは一種の自暴自棄な挑発から始まった。

「お前達が噛みつきたがっている人間の俺はここにいるぞ。だが梯子も上れないお前らには俺にはどうやっても手が届くまい。俺はお前達の牙には掛からず、ここで病死か餓死するのを待ってやる」という様な類の、遠くの大人にアカンベーをする子供の様な、他愛もない冒険だった。

初めはゾンビ達も寂しい俺の遊びに付き合って、如何にも物欲しそうに、天に向かって手を伸ばす仕草を、飽きもせず日がな一日続けてくれたものだった。けれど、ゾンビにだって僅かな学習能力というのはあるらしく、その内手を伸ばす事を辞めてしまった。やがて、声を掛けたり空き缶を投げつけたりしても、誰一人見向きもしてくれなくなった。俺はまた独りぼっちに戻った。


いや学習能力というのはしっくりこない。ゾンビは死体だ、学習しない。だが馴れはするのだ、と考える。だがもしかしたら、学習という事と、馴れるという事の間には、何の差も無いのかもしれない。今となっては、その二つを区別する必要すら生じないけれど。俺一人、天井からぶら下がっているだけだから。ゾンビ達の、或る意味では平和の極致の様な暮らしを眺めながら。


そして俺は、一人の個性的なゾンビを見付けた。いつも何事かを呟いている、男のゾンビ。俺はずっとそいつが何をぶつくさ言っているのかが気になって仕方がなかったから、ショッピングモールの二階の天井裏を三週間も追い掛け回しながら、何と言っているのか聞き取ろうとした。

そして、やっと分かった。

「大丈夫、これくらいの傷、何ともないさ」

とそのゾンビは言っているのだった。繰返し。十秒に一回くらい言う時もあれば、一時間待ってやっと聴ける時もある。だが、何度でも言う。子煩悩な父親の、幼い子供に見せつけようとする、強がりみたいに。そういう理想の父親を模した玩具みたいに。ゆらゆら揺れながら。うつろな表情。定まらあない眼差し。死んだまま動く体。そして「大丈夫、これくらいの傷、何ともないさ」。

そうだ、確かにそう呟いているのだ。あ、今度もまた言った。分かってから聞いてみると、割とはっきりとそう言っている。

それはたまらなく滑稽だと思った。だってそいつは傷だらけの死体なんだ。臓物ははみ出て、足は捩れて外側に曲がっている。だけど父親然とした服装で、まるで後ろに見えない子供の幽霊が付き従って歩いているみたいに言っているんだ。「大丈夫、何ともないさ」。俺は滑稽な奴が大好きだった。独りぼっちになってからは、尚更だった。


ゾンビたちは、恐らくだが、生前に拘っていた事とか、或いは習慣になっていた事だとかを続けようとしているらしい。と、俺はずっと彼らを眺め続けてきて、その様に結論していた。彼らが人間の肉を追い掛けていない時間は、彼らなりの生活がある。そしてその生活とは、「死ぬ前にやっていた暮らしの真似をずっとし続けている」という事なんだ。下手糞な、不完全な、滑稽な、生きていた事の真似。それをし続けている。死んだ後の永い時間の中で、ずっと続けている。

俺には、そうとしか考えられなかった。そういった考え方は勿論、ロメロがあの映画でゾンビをその様に描いていた事に影響されているのかも知れないが。


平和なゾンビたちの社会にも、喧嘩に似た事が起きる。本当に時々だが、共食いめいた事が起こるのだ。その日も天井からぶら下がって彼らの社会を見回していると、人だかりならぬ、ゾンビだかりが出来ている場所に気付いた。

天井裏を伝ってその現場へいくと、ゾンビたちが緩慢ながら誰かをリンチしていた。尤も、人間の激情を想起させる「リンチ」という言い方が適当かは分からない。若干違和感がある。だが集団で、形が無くなる迄、誰か一人を喰らい続ける、という出来事。しかし生きている人間が取り囲まれて噛まれる時より、ずっと静かなもので、何か宗教儀式めいた厳粛ささえ感じられるのだった。ゾンビは、人間みたいに痛みを感じたり、自分を消滅させないでくれ、などと泣いて訴えたりはしないのだから、リンチと言っても静かなものだ。まるで「ああ、俺の番がきたのか」という位の反応しか、輪の中心に居る骨の一欠けらまで無くなっていく個体は示さないのだから。

俺が知っている限りでは、ゾンビたちの社会の、ゾンビ達なりの死がこれだった。だから、ゾンビ達が赤ん坊を生まない事を考えると、緩慢だが、誰も居なくなるという無に向かっているのだ、という事が推察される。それは比率からして限りなく緩慢な現象であり、かつての世界人口を鑑みると、もしかしたら災害や何かで彼ら全員が動けなくなる日の方が先に訪れてしまうかもしれないが。


そして、その輪の中心には、珍しく声を発する者の首があった。それははっきりと言葉を発する、あの個体だった。彼はもう殆ど胸から上だけになっていて、後は食われたかどこかに持ち去られたらしい。

彼は、その時でも殊更穏やかな目の色を保ったまま、か細くなってしまったけど、比較的確かなあの発音で、まだ呟いているのだった。「だいい、じよおうぶ、これくらいい、何ともおぉ…」と、繰返し。あのゾンビだった。父親の抜け殻の様なゾンビ。

そいつが無になっていく様を見ていると、俺は何だか泣けきてたまらなかった。俺の人生が既に終わってしまっている、という事に、生きながらにして気付いたみたいだった。

俺はその時になって初めて、その「大丈夫」のゾンビが、今の自分よりずっと人間らしい、と思っていた事に気付いた。ああ俺はこいつに憧れていたんだ、彼は俺より生きているゾンビなんだと。

涙が一滴、そいつの顔に落ちた。その時、生きている者の存在を思い出した様に、本当に久しぶりにゾンビ達が天井の俺の顔を見上げた。

だけどそれは一瞬の事で、また、皆が食事に戻った。それは本当の無に向かう食事だった。

「これくらいの傷…何ともないさ…」。その一人のゾンビの首は涙で歪み、穏やかに笑ってる様にさえ見えた。俺は、このゾンビが自分の父親だったような、そんな気がしていた。壊れた玩具の様に、親が子に少しでも尊敬されたくて強がる、そんな印象の台詞を繰り返し続けるそのゾンビ。そいつだけが今、俺にとって生きている人間の形だった。ゾンビ達は歩くけれど生きていない。そして、そのゾンビ達眺め続けて暮らしている俺も生きてない。この世界に生きている者は誰も居ない。俺を含めて、誰も居ない。

生きているって何なんだ。それは、そんな風に、感じた事と逆の事を習慣みたいに言い続ける事だったんじゃないか?逆の事を言い続けて、逆の事が本当だった様に誰かが信じる、その日まで。そいつだけ、彼だけが生きている人間だ。

それが今、過去に、思い出の中だけの存在に還っていく。俺は「いかないで、寂しいよ。父さん」と泣いた。もう誰一人、俺を振り返る事はなかった。


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