バロン毛異戸の演説代行
競兎場へ出かけたきり帰ってこないバロン毛異戸を探すべきか? 私は思慮に少々の時間を費やした。それでも妥当な判断を下せなかったので、転生人の賢者に訊いてみると、この男は素っ気無い口調で、こう言った。
「誰ですか? ああ、けいと。ふん、あの男爵様は放っておけば良いと思いますよ」
正直な男だ、と私は腹の中で笑った。賢者はバロン毛異戸を快く思っていない。話題に上ることすら厭う。嫌悪感が強まると大きな傷跡の残る頬がヒクヒク痙攣するから、すぐ分かる。
それでも賢者は、バロン毛異戸のことなど眼中にないことを見せようと、努力はしていた。窓辺の机に向かい戯曲の台本を書く振りをしている。魔王を斃した我々の冒険を芝居にする話が持ち上がったので、賢者は書き記していた日記を基に芝居の脚本を書き進めていたが、私がバロン毛異戸の話を持ち出すと、筆が止まった。落ち着きがなくなり、突然ペン回しを始め、呼び鈴を鳴らして召使にハーブティーを持って来させ、香りを嗅いでから飲んでむせ、ハンカチーフで鼻をかんで立ち上がり、膝の屈伸と背伸びをしながら窓の外に見て、通りを進んでいた牛車の歩みに文句をつける。
「あんな遅い乗り物に乗るのが貴族の特権というのは、私のような転生人には理解しがたいですね」
貴族になったパーティー仲間に対する嫉妬が、唐突な牛車批判になったようだ。国王陛下は魔王を退治した我々の冒険を聞き、パーティー全員に褒美を与えたが、その中でも毛異戸の勲功を高く評価し、男爵の爵位を与えた。国王の御厚意は、それだけにとどまらない。異世界に通じる戸を開けて当地に現れる者は多いが毛むくじゃらの獣に変身して戦う戦士は稀であると驚きを隠さずに言い、以後ケイトのいう名を書き表す際は<毛異戸>という文字を使うよう恩着せがましく命じた(それまで私と賢者はケイトを獣人と呼んでいたが、気安く呼べなくなった)。おまけに国王自慢の姫とダンスを躍らせる栄誉を与えた。才色兼備と評判のプリンセスとのダンスである。まさに一世一代の晴れ舞台と言えよう。面白くないのは賢者である。剛毛ケイトあらためバロン毛異戸に与えられた何もかもが賢者の嫉妬心を煽ったのだ。
「私なら、あんな乗り物には絶対に乗りませんね」
しつこく同じことを言っているのは、今朝の光景を思い出しているからだろう。バロン毛異戸は国王ご一家が私たちの泊まる宿へ迎えに寄越した牛車に乗って競兎場へ出かけた。賢者にとって、それは憤激の光景だった。競兎場では件の姫君が待っているというのも、賢者の頭を沸騰させたに違いない。牛車が宿を出発後しばらくの間、照準器を調整すると称して、魔王を消滅させた絶対根絶オミクロン熱線銃を空に向けて撃ち、雲や大気を蒸発させていた。
賢者が愚かしい振る舞いをしている間、私は何をしていたか? 今宵、冒険者ギルド本部で開かれる魔王滅亡記念のための特別臨時総会の準備、つまりバロン毛異戸による演説の草稿を書いていた。要するにスピーチライターの仕事をしていたのだ。大体のところは完成したので、バロン毛異戸に原稿を読ませ細部の手直しをしようと思っていたが、約束した時間になっても御大は宿へ戻って来ない。ここで練習せず競兎場から直接ギルド本部へ行くつもりなのだろうか? 滑舌の悪さがコンプレックスのくせに。
恥を掻くのはバロン毛異戸であって私ではない、賢者の言うように放っておけば良い――と言いたいところだが、ここは威厳を示すべき場面だった。冒険者ギルドの構成員の中に、我々のパーティーに対し強い反感を持つグループがいた。自分たちが狩るべき獲物である魔王を始末したのが気に入らない、というのである。それだけなら単なる負け犬の遠吠え、無視して構わない。厄介なのは、その主張が排外主義に結び付いた点にある。冒険者ギルドの構成員のうち過半数を占めるのが、この世界で生まれた人間、つまり地元の衆だ。残りが別の世界から来た人間及び人間以外の生物(生きていない者と人間ではない動植物も含まれる)だ。例えば賢者は、元の世界で死んで、この世界に生まれ変わっている。高度な科学文明が発達していた前世で生きたときの記憶を有する賢者は、この世界では開発されていない未来の武器や便利な発明品を使って魔王の手下どもを数多く屠った。バロン毛異戸は別の世界から転移してきた獣人だ。人間離れした身体能力を駆使して怪物たちと戦い、最後は魔王と一騎打ちまでやってのけた。いずれも、この世界で生まれ育った無能で非力な地元衆には出来ない芸当だ。それを見て憧れ称賛する者がいれば、その逆に妬み嫉み誹謗中傷する輩が現れるものらしい。それが異世界からの転入者に対する排外主義と直結すると面倒な事態が起こるのだ。その種の小人物は単体では恐るるに足りない。けれど、民主的に多数決で物事を動かす冒険者ギルドにおいては、群れになると厄介な存在に昇格する。そういった烏合の衆に痛打を与え、ギルド内に及ぼす影響力を激減させようという狙いが、今回の演説にある。
そんな大切な舞台を前にして、バロン毛異戸は何処で油を売っているのか。憂慮すべき状態なのは分かっているだろうに。自分が差別される立場でありながら差別されていることへの反発心に乏しいのは、半身が獣だからか?
それを言ったらおしまいだ。
私は網膜にディスプレイを投射した。競兎場内に設置された秘密カメラの映像を確認する。同時に非視覚中枢スクリーンに映写された不可視光線データもダブルチェックしたが、バロン毛異戸らしき人物は見当たらなかった。
秘密カメラの人物自動認識機能による捜索を継続する一方、競兎場内にいる地元の人間を何十人か操作してバロン毛異戸探しを始めた。操作されている人間は、自分が操られていることに気が付かない。常識のある正常な人間は「自分が何者かに乗っ取られている」なんて思いもしないものだ。それにコントロールされているのは短時間なので「今ちょっとぼんやりしていたな」で終わる。そんなボンヤリさんたちを操って洗面所の個室、レストランの調理場、出走を待つバニーガールの控室と、一通り見て回ったが見つからない。
場内にはいないということか、それならば奴は何処だ? 私は窓の外に目をやった。この街の何処かにいるということか? 空を見上げて、舌打ちする。一つ目の月が、もう天空に昇っていた。ギルドの会合は四つ目の月が北天の頂きに達した時刻に始まる予定になっている。喋りが苦手なバロン毛異戸をキケロそこのけの弁士に変えるために残された時間は、もうほとんど残されていないと考えねばならないだろう。
全市内の秘密カメラを自動運転させて、バロン毛異戸の位置情報を検索すべきなのか? 気力と体力を消耗するので正直やりたくないが、魔王を滅ぼした今となっては魔物が突然この部屋に現れ襲い掛かってくる危険は無いと思うので、神経が多少すり減っても構わない。私は作業を開始した。並行して地元衆を操り人の眼による捜索も忘れない。
これだけやっても見つからないとは、一体どういうことなのか?
この世界の主である私に見つけられないとは、納得いかない!
こんな役立たずの監視システムを構築した奴は誰なんだ、文句を言ってやる……あ、それは私だった。
この世界も、この役に立たない監視システムも、創造したのは私である。要するに私は、ここの創造主なのだ。だが、万能の神ではない。傷ついた自分の心を癒す箱庭を創ろうとして、私は失敗した。争いの無い平和で豊かな社会を目指したのに、少しでも豊かになりたいという地元民の欲望から生じた競争に目を瞑り、心の安らぎを求めるがゆえの愛をめぐる争いは自然のこととて放置し、生老病死の苦しみは悟りを開くための礎と見て見ぬふりをして、世界に不幸の種をばらまき続けた。人心に根を張った悪い種子が芽吹き妖しい花を咲かせ毒の実を結んだというのに、私は何も気付かなかった。その実を食べ邪悪に目覚めた人間を、私には責める資格が無い。この過ちだらけの楽園から追放する権利も持っていない。私が創った世界の秩序を乱すようになった悪人どもを、私は自由自在に操れなくなったからだ。修復不可能な重大なエラーである。そうなると、もう始末に負えなくなる。悪に染まった者たちの中から一点の曇りも無い悪が生まれてくるのは時間の問題だった。そんな事態を防ぐには、世界を停止させ、制御不能なエラー人間を全排除するしかない。それは大変な手間のかかる作業だった。悪の数が多すぎたのだ。増殖を続ける悪者の中から、最凶最悪の存在が生じるのは絶対確実だと予想できたのに、私は手をこまねいて見ていることだけしか出来なかった。そう、私は魔王という悪の発生を防ぐことが出来なかったのだ。力が足りないために、自分一人で魔王を排除することも出来なかった。この世界の住人を結集して魔王を滅ぼすことも無理だった。このファンシーな世界に生きる大半の人間は優しい心を持ち平和を愛しているのだ。急に戦えと言われても、戦えるわけがない。<毒を以て毒を制す>の金言に従い、地元衆の中から暴力に目覚めた者を動員して冒険者ギルドを立ち上げさせ、魔王退治に向かわせるのが関の山だった。だが、それでも魔王は斃せない。この世界の出身者だけでは力不足であることを悟った私は異世界との扉を開放し、別の世界の住人を冒険者として招き入れて、やっと魔王を斃すことに成功した。異分子を自分の領域に加えることは大いなる不安を私の中に呼び起こしたが、結果オーライである。
それでも不便と言えば不便だ。この世界に元からいる住人は全身の細胞内にビーコンが埋め込まれているので位置を把握できるが、異世界出身者は不可能だ(そのせいで、こんな苦労をしている)。先程から行っているように、地元で生まれた良識のある正常な人間は短時間なら自由に操れる。私を裏切り悪の道へ走った輩と同じく、バロン毛異戸のような外の世界の人間には、そんな手段は使えない。この世界の創造主であっても万能の神ではないとは、そういう意味だ。
バロン毛異戸が私の被造物だったならば、キング牧師をして顔色なからしむる雄弁家になっていたかもしれないのに。親と神と生まれる世界を選べないのは不運なことだと、つくづく思う。せめてもの親ではなく神心で、緊張すると吃音になる癖を何とかしてやりたいと思ったが、そのための練習時間は無くなった。三つ目の月が上がった今となっては、現地でぶっつけ本番の演説になりそうだ。
いや、待てよ。演説するのが嫌で、会場に現れないかもしれないぞ。誰よりも勇敢に魔王と戦ったのはバロン毛異戸であるのは間違いないが、目立つのは苦手な性格で、国王から爵位を与えられたときも若干、挙動不審になっていた。その様子を自分でも恥ずかしく感じていたみたいだから、今回は会合を欠席しようとするかもしれない。
その場合、バロン毛異戸の代理スピーチは私か賢者が務めることになる。
賢者に演説をさせるわけにはいかなかった。賢者は冒険者ギルドの改革を目論んでいた。能力に基づく階級制度の導入を唱えているのだ。大部分を占める無能な冒険者を最底辺、ごく少数の有能なエリート層を頂点とする階級ピラミッドを作りたくて、もうたまらないのだ。
トップに君臨するのは勿論、自分である――と賢者は明言しないけれど、私には分かる。賢者は自己顕示欲とか承認欲求とかいう煩わしい性質の塊だ。何を主張しようが人の勝手だが、それをやるなら自分の生国でお願いしたい。ここは私の世界であり、賢者は異邦人なのだ。<郷に入っては郷に従え>の言葉もある。魔王が滅んだので、賢者は用済みでもあることだし、嫌なら出て行って欲しい。
それに、この世界には既に身分制度が確立されている。国王、貴族、平民。この三つの区分以外に階級制度を並立させると社会全体の混乱を招きかねない。魔王を滅ぼした今は、元の平和な状態に戻すことが優先課題だ。戦争は終わった、次は復興なのだ。争いを引き起こしかねない無用な変革は慎むのが神の務めだと私は信じる。
そもそも冒険者ギルドに今さらランキング制度を導入して意味があるのか疑問だ。魔王は、もういない。残ったのは雑魚だけだ。闘っても面白くない相手である。大物不在の狩猟ゲームに熱狂する酔狂な者は真正のサイコパスであり、こいつらはやがては魔物と同じような存在に堕落して、昔の自分みたいな冒険者に狩られて死ぬ。狩ったハンターもいずれは魔物となり、元の自分みたいな狩人に殺される。これを繰り返す結果が冒険者ランキングになるとすれば、それは殺人鬼の順位表と変わりない。
真の冒険者つまり、強い相手とのスリリングな果たし合いを求める勇者は、別世界へ旅立つはずだ。かつてのバロン毛異戸や賢者のように。辿り着いた新世界に冒険者ランキングがあれば上位を目指せば良い。無ければ創れば良いだろう、ただし私の世界には要らない、それだけだ。
賢者に余計なことを言わせないために、私が演説することを決意した。それが最善の選択だろう。けれど、迷いはある。創造主の直接介入が、その被造物にとって幸いなのか、疑問に思うからだ。私が他の神に創られた存在だとして、その神の好きなように操られているとしたら、気分は良くない。お前は神の奴隷であり、その命令には絶対服従だ! と頭ごなしに言われたら反発する。それは、この世界の人間だって同じだろう。神に逆らったら殺されると怯え平伏する群衆を睥睨して悦に入るために、私は世界を創ったのではない。誰もが幸せとなる平和で明るい優しい世界を創りたかったのだ。その気持ちは今も変わらない。だからこそ私は排外主義者に反対するし差別主義者とも戦う。この世界の創造主が創造主であり続けるために戦うのだ。
とまあ、そんな具合のアジ演説をヒトラー、ケネディそして宝塚歌劇団風に鏡の前でスピーチしてみた。どれもピンと来なかったが、ヒトラーと宝塚のミックス的な身振り手振りを交えたスタイルは冒険者ギルドの馬鹿たちにウケそうな感じがする。次に決めポーズの選定だ。月に代わってナンチャラカンチャラってのがあったよな~と考えつつ、窓から空を見上げる。三つ目の月が先程と同じ位置に浮かんでいた。あれから時間が経過しているので、三つ目の月は動いているはずだし、空には続いて四つ目の月が浮かぶはずだ。それが、この世界の設定なのだ。そんな風に創ったのは私だから間違いない。
それならば、なぜ? と首を捻りながら網膜にディスプレイを投射し、そこに世界設定パネルを開く。天体の運行に異常は認められない。世界は法則に従って動いているのだ。そうだとしたら、何が問題なのか? ふと思いついて窓から外へ手を伸ばす。指先が透明な幕に触れた。幕の正体を脳内分析器で調べ、その表面を摘まんで引っ張る。甲高い音と青黒い粒子の粉を放射しながら幕が剥がれ落ちた。分析結果が出た。電磁系魔法の一種、張り付き映写幕のようだった。何処からか自動的に飛んできて壁やガラスに張り付き、幕の表面に画像を映す。今回は偽の天空を映して私に見せたようだ。幕が取れた後の窓の外には四つ目の月が浮かんでいた。北天の頂きは、もう過ぎている。あかん、冒険者ギルドの会合が始まっとるやないか。私は指笛を吹いた。宿の軒下で休眠していた人面犬サイトキリトが目を覚ます。私は窓から身を躍らせた。四階からだが構いはしない。飛び降りたって平気なのは、窓の下に駆け寄ってきたサイトキリトがトランポリンの変身して私を受け止めてくれるからだ、ぼよんぼよん。空中でバウンドしながらサイトキリトに指示を出す。私の命令で極超音速ロケット鳥ロプロス二世に変形したサイトキリトは、冒険者ギルド本部へまっしぐらに飛行した。音速の壁を突破する際に生じる凄まじい衝撃波から街を守るためにロプロス二世が放射する極彩色の鱗粉が住民にクシャミ、鼻水、鼻詰まり等の健康被害を引き起こしていたが、それはこの際どうでもよい。小賢しいトリックで私を騙し会場入りを遅らせようとした人間に、神の怒りを思い知らせてやる。
私はロプロス二世をギルド本部前に着陸させた。エネルギーを短時間に消費したため、ロプロス二世は本部前広場で動けなくなった。再び人面犬サイトキリトとなって惰眠を貪り始める。このバカ犬め。私はただ一人ギルド本部に乗り込んだ。警備員が立ち塞がり、通行証を見せろと命じる。証明書を宿に忘れてきた私は顔パスで通ろうとしたが、警備員は「お前なんか知らん」とにべもない。押し問答にブチ切れた私は、この警備員をマインドコントロールしようとして、失敗した。私のコントロールが効かないとしたら、この警備員は悪に染まっている恐れがある。ならば、情け容赦は要らない。神の拳でノックアウトして会場へ乗り込む。
会合が開かれている大広間は大騒ぎだった。会場を埋め尽くす冒険者ギルドの加入者たちは、演壇に立つ賢者に激しいブーイングを浴びせている。集中砲火を食らっている賢者は顔を真っ赤にして叫んでいた。
「お前たちみたいな無能な無生産者は、賢者である私に従っていれば良いのだ! 食べるものが無いなら上流階級が食べ残す残飯を食え! それが嫌なら貧乏人同士で共食いでもしろ! とにかくお前らは社会の屑なのだから、我々エリートの邪魔をするな!」
どうやら賢者は、こういう挑発行為をやりたいがために、変な小細工をして私に足止めを食らわせたようだ。これじゃ賢者ではなく愚者だろ。
激高した聴衆が怒りの形相で演壇に迫る。賢者は口から臭い息を吐いて暴徒を牽制した。暴徒は慌てて引き下がったが、敵意は衰えない。間合いを取って飛び道具で賢者を攻撃する。無数の投石、投槍、弓矢が演壇に向かって放たれた。賢者が片手を顔の高さに上げた。半透明の防護障壁を正面の半円に張る動作だ。障壁が働き、飛び道具が空中で制止し、そのまま落ちる。賢者は嘲笑った。
「お前たちモブは何人いたって駄目だ。何の役にも立たない。無意味すぎる」
冒険者たちは接近戦を選んだ。矛や槍や刀を握り締めて賢者に突進する。賢者はオミクロン熱線銃を構えた。今度はモブどもを殺す気らしい。バカなモブとはいえ、私我が子同然の連中を、黙って殺させるわけにはいかない。私もオミクロン熱線銃を抜いた。自慢じゃないが、私は賢者より早撃ちが得意だ。出力を絞って発射した熱線が賢者の銃を破壊する。手に獲物を持った冒険者が武器を失った賢者に肉薄した。賢者は虚ろな目で何かをブツブツ唱え始めた。ピンチで気が動転しすぎるあまり、自分の世界にドップリはまり込んでしまった! というのではない。地下のマグマを引き寄せ自分の周囲に破局的噴火を起こす地学系磁気魔法を起動させようとしているのだ。そんなことをやられたら、この街はおろか世界が崩壊する。賢者に対抗し、マグマの動きを止めようとして、失敗する。私の世界設定コントロールパネル接続ラインを、賢者が遮断しているようだ。どうやったんだが分からないが、現実を受け止めよう。残念ながら賢者の方が私より私の世界を使いこなせているようだ。やむを得ない、それならば実力行使だ!
オミクロン熱線銃を構え直したところで大地震が来た。あと一歩で賢者の首を叩き斬れるところまで近づいていた冒険者たちは一斉に倒れた。人が倒れるならまだ良い。この調子なら、ギルド本部が倒壊しかねない。私は叫んだ。
「全員伏せたままでいろ、絶対に立つなよ!」
狙いを付けようとしても、床が波打つ程の揺れで照準を合わせられない。このまま撃っても当たらないかもしれないし、最悪の場合、周囲で慌てふためいている冒険者たちを巻き添えにしてしまう。オミクロン熱線銃を構えて硬直する私に、賢者が笑顔で話しかけてきた。
「お前、神様なんだろう? 神の力で何とかしたらどうだ? 奇跡を起こせよ」
世界設定コントロールパネル接続ラインを遮断されたと分かった時から嫌な感じはしていたのだが……驚愕が顔に出てしまっている自覚があった。そんな私を見て賢者は高笑いした。
「はっはっはッ! 気付かれていないとでも思っていたのか? 間抜けな神様がいたもんだな!」
私が神であることに、どうして気付いたのか? いや、それより今の危機的な状態を何とかすることに考えを集中すべきだ。賢者を射殺するしかあるまい。人を殺すのは嫌だが止むを得ん。無辜の冒険者十数名を巻き添えに殺してしまうリスクを冒してでも、オミクロン熱線銃を撃つのだ。意識を集中しろ。早く撃つのだ!
床の揺れと心の動揺で銃を撃てずにいた私に代わって、亜音速で大広間を駆け抜けたバロン毛異戸が賢者を叩きのめした。空中で一回転し、賢者の背中を取ったバロン毛異戸の背後からの一撃で賢者は気絶した。その直後、地震は停まった。やれやれ、である。
私はバロン毛異戸に声を掛けようとして、停まった。自分の意志で停まったのではない。体が動かなくなったのだ。
バロン毛異戸の背後から高そうなドレスを着た奇麗な娘が姿を現した。国王自慢の姫君だった。彼女は演説を始めた。
「魔王を滅ぼした我々が次に滅ぼさなければいけないものを、皆さんはお分かりですか? それは邪悪な神です。この世界を創造した邪神です」
姫君の演説は突拍子もない内容だと私には思われた。それでも冒険者ギルドの連中は姫の美貌と名調子に惑わされ、演説を聞き入っている。
姫君は話し続けた。
「人々の心に不和の種を蒔き、争いの元を芽生えさせた疫病神が、この場にいます。その人物は、我々を好きなように操り、世界に不幸を撒き散らし続けています。魔王の存在も、その暗黒神が造り上げたものだったのです」
当たらずとも遠からずではあるけれど、積極的に魔王を作り出してしまったのではない。掃除をサボっていたらカビが生えた、という程度のことだ。
「その破壊神にとって、この世界は自分の欲望を満たすための遊び場に過ぎません。我々が悲しみ苦しむ様を見て喜ぶ、歪んだ箱庭なのです」
それは違う。私は不幸な人々を見て喜ぶ卑劣漢ではない。この世界が災厄で満ちているのは私の能力不足が原因で、私の性格に難があるのではない……と考えるに至って、思い当たった。無能な神を頂点に頂くことより不幸はあるまい、と。
「魔王を斃した三人のうち一人は我々の味方です」
姫君はそう言ってバロン毛異戸に微笑んだ。次に、ぶっ倒れている賢者を冷たく見下ろす。
「この男は魔王に成り代わり、この世界を支配しようとした悪人です。ですが、役に立った部分もあります。この男は、我々の世界を不完全な状態のままで創造し、半ば放置プレイをしていた無責任な神の正体を密かに探っていました。自分が新しい神になろうとしていたので、古い神が邪魔だったのです」
体は動かないけれど、目はわずかに動いた。姫と目が合った。
「賢者は神の力に制限を掛ける方法を発見しました。私はバロン毛異戸と協力し、賢者から神に関連する情報を盗みました。得られた情報を詳細に分析し、愚かなる神の正体と、その男を我々の世界から永遠に追放する方法を見出しました」
彼女は私を指さした。
「この勇者は、この世界の創造主だと自分では思っていますが、実際はつまらない小者です。元の世界では取るに足らない存在なのです。誰からも愛されず、誰からも必要とされないので、逃げ場が欲しくてこの世界を創りました」
指を下ろして姫は言った。
「そして今、この不要な神は、我々の世界から消えます。この世界とつながるための装置に私が不可逆な変更を加えたためです。この人物の能力では、変更された箇所を直すことは勿論、発見することも出来ないでしょう」
動けなくなっただけではないようだ。次第に目が見えなくなってきたし、耳も聞こえなくなってきた。この世界との接続が切れかけているからだろう。姫の言葉が事実なら、私はこことは永遠におさらばすることになる。
それは嫌だ。しかし……自分の被造物に拒否されるのを避けられないとしたら、その運命を受容するしかない。
いや、理不尽な運命に抗うべきだ、とも思う。人間とは、そういう生き物だからだ。悲しい宿命に泣くのではなく、戦うからこそ人間は人間なのだ。
自分の創った世界に拒否されることを受け入れるか否か、自分に問いかけているうちに、この世界は私の前から消えた。元通りにするために悪戦苦闘を続けているけれど、我が被造物の姫君が宣告した通り、復旧の目処はまったく立っていない。