散歩と猫
坂を下って二個信号を渡ったところに公園がある。グラウンドと池、ちょっとした遊歩道と小川がある公園で、私はよく、ぶらぶらと散歩をする。春になれば梅や桜が花開くし、夏には小川でアメンボが泳ぐ。秋の夕暮れにはどんぐりがツヤツヤと暁を映している。雲がない日、特に寒椿が咲く頃には、星もいくつか見える。白い息の向こうにある星々の光は、街中にあっても、自然の持つなにか大きなもの、ただそこにいるだけで存在を許容されているような感覚を呼び起こさせる。
その日は軽い運動も兼ねて、ランニングしながら公園に行った。普段の運動不足がたたってすぐに息は上がり、足が重くなる。汗がぷつぷつと皮膚のそこからにじみ出てきた。
速度を緩めて、桜がすでに散り暖かな日差しに満ちた公園を歩く。遊具で遊ぶ子供の歓声から離れるように、私は土手を降りて小川に向かった。
小川と行っても水深は10センチやそこいらだろう、用水路のようなものである。底に敷き詰められた石がいくつもの波を生み、太陽の光を受けて、細やかな波は一瞬ごとに煌めきながら形を変えていくのだ。その光景が好きで、息を整えるまでの間、ぼうっと眺めていた。
深呼吸をして大きく伸びをすると、こちらを見つめる視線に気づいた。
猫である。
白の割合が多い三毛猫。首輪をしているからどこか近くの家の飼い猫なのかもしれない。
じっとうずくまりながら、まあるい目で私を見ている。
私も猫を見る。猫も私も見る。
試しに視線をそらしてみた。
今日はいい天気だなあ。
視線を戻す。
まだ私を見ている。
少し面白くなってきて、私は一歩、二歩と近づいた。猫のしっぽがピクリと動き、足に力はいるような動きがある。
逃げる気か? そこで逃げたらお前の負けだぞ? という気持ちでもう一歩近づく。
しかし猫はそこから微動だにせず、私を見つめていた。
しばらく見つめ合う。
すると不思議なことに、『今日のところは負けといてやろう』という気持ちが私の中に芽生えてくる。そもそも勝負でもなんでもない遊びみたいなものなので、猫側の気持ちを無視した一方的で上から目線の押し付けがましい敗北宣言なのだが、とにかくそんな気持ちが湧いてきたのだ。
なので私は猫に背を向け、ゆっくりと土手を上がっていった。振り向いて猫の様子を伺うと、猫はまだ私の方を見ていた。私はそのことにひどく満足し、そして家に帰ったのだった。