口内炎
我が生涯の敵。
口内炎が嫌いだ。
じくじくとした痛みが何日か続くし、じっとしていればなんともないのに、口を開けると思い出したようにその存在を主張してくる。何より美味しく食事ができない。アイスもステーキも、口内炎があるだけで楽しめなくなってしまう。歯磨きのときなんて最悪だ。
私は、舌の裏側にできた口内炎を、舌を丸めて歯茎に軽く押し当てることで確認した。
いまいましい。舌を噛んだのは自分だから、何かのせいにすることもできない。
口の中で舌をゆっくりと動かし、痛みの程度を確認していると、中学時代の友人の言葉を思い出した。
口内炎用の薬があるはずだ。それを買えばいいじゃないか。
私はこのアイデアに飛びついた。すぐさま簡単な身支度をし、靴をつっかけて近くの生協に向かう。五分とかからず生協の入り口をくぐると、子供連れの家族やカップルの間を抜け、薬局のブースに入った。棚には整然と薬が並んでいる。私は棚の上部にあるプレートに目を走らせた。プレートには、頭痛や風邪と言った、用途に応じた薬の種類が書かれている。
一通り店内を見渡して、『口内炎』と書かれたプレートが無いことに私は気づいた。
あれ、口内炎ってどんな種類の薬を使うんだ?
私は薬剤師さんに口内炎の薬がどこにあるか聞こうか迷った。ちょうどすぐ近くに、製品を棚に並べている薬剤師がいた。
だけど、並べるのを邪魔されて嫌な顔されたら嫌だしなあ。
まあ、一旦自分で探してみるか、と薬が並んだ棚を一通り見ることにした。こういうのは、歩きまわってみたら案外すぐ見つかるものだ。
見つからなかった。
私は何の役にも立たなかった妙な葛藤とプライドを捨て、薬剤師に軽く手をあげながら声をかけた。
「あの、すみません。口内炎用の薬って、どこにありますか」
髪に白いものがまじり始めた白衣の女性が振り返る。
「ああ、それでしたらこちらにありますよ」
薬剤師のその女性は、きびきびとした動きで、私がいた場所から二メートルほど離れた場所へ案内してくれた。彼女が指差した棚の一画には、口内炎の薬が並んでいた。上部のプレートを見る。『皮膚のくすり』。
なるほど。言われてみればそりゃそうだ。
私は薬剤師にお礼を言い、七百八十円(税抜)する口内炎用の薬を買って家に舞い戻った。
箱から薬が入ったチューブを取り出し、使用法が書かれた紙に軽く目を通す。患部に直接塗布するタイプの薬のため、つけたあと、食べ物飲み物は控える必要があるようだ。
私は鏡の前で口を大きく開け、舌の先を上の歯茎へくっつけた。ピンク色をした肉の中に白く盛り上がった炎症部があった。チューブから、半透明の軟膏を人差し指に押し出し、患部に塗りたくる。
指を洗いながら舌を軽く動かしてみる。先程より痛みが引いているような気がした。私は小躍りしたい気分で部屋に戻り本を開いた。
しかし、二ページと読む進まぬうちに問題に突き当たった。
よだれである。
口の中は唾液が分泌されている。そのため定期的に唾液を飲み込んでいるわけだが、飲み込む際には舌の筋肉を使う。そうすると患部が唾液とあたってしまうだろう。せっかく塗った軟膏が唾液とともに流れてしまう。
口内にたまりつつあるよだれから、舌を持ち上げることで患部を守りながら私は思案した。
解決法は二つ。舌を使わずよだれを飲み込むか、よだれが出たそばから捨てていくことだ。
私は後者を選択し、洗面所へ急いだ。
洗面台の前に立ち、下を向いて口を開ける。口内の唾液が歯茎や歯を乗り越えて、唇を濡らし、重力に従ってつーっと洗面器へ落ちていく。
あれ、これ、治るまでにあと何回やればいいんだろう。
ふと視線を鏡にやると、口を半開きにし、唇の両端から唾液を垂れ流す、無様な自分の姿がそこには映っていた。