四話 万理の海
夏奈火が歩いて行った先には三人の人影があった。
一人は歳の頃三十くらいに見える男性であり、水波が来ていたのと同じローブを着ている。その蒼い瞳と短く整えられた金髪を見るにアメリカかヨーロッパの血筋だろう。
あちらの国も一部は残っているらしいが移動は難しく、日本に居た大半の外国人はそのまま帰化している。
残りの二人はまだ若い日本人の男女だ。
二人ともまだ高校生くらいだろうか、男性に付き従うようにやや後ろに立って控えている。
「あんたが万理の海のリーダーのレイルズ、だっけ?」
「おや、私のことをご存じとはどなたでしょうか」
真正面に立って声を掛けた夏奈火へ驚く様子を見せず、レイルズと呼ばれた男は穏やかな声を返す。
「私は高内夏奈火。気ままな風っていうウィズのグループのリーダーをやってるわ」
「ほう、あなたがあの気ままな風の」
その名前を知っていたのか今度は少しだけ驚いた表情をレイルズは浮かべた。
「それでその夏奈火さんが私に何の用でしょう。我々の崇高な目的に賛同して万理の海に参加したいとおっしゃるのでしたらもちろん歓迎ですが」
「…………」
その言葉に思わず夏奈火は顔をしかめるが、感情を抑えてすぐに戻す。
「生憎と、私たちは目的からも自由でいたいのよ」
「それは残念」
言葉ほどに残念ではなさそうにレイルズが肩を竦める。
「私の用件はあんた達の目的についてよ」
「ほう」
興味深げにレイルズの瞼が大きく開く。
「単刀直入に言うわ、あの少年からは手を引きなさい。彼の行為は正当防衛以外の何ものでもないのだし、仲間がやられたのは自業自得だわ。そもそもあんた達がこんなところで騒ぎを起こすなんて自分から捕まりに行くようなものよ。それともそのリスクを負ってまで報復する価値がそいつにはあったわけ?」
「ふむ」
夏奈火の話を聞き終えてレイルズは少し首を傾ける。
「なにやら話がわかりませんな」
「どういう意味よ」
とぼけるつもりかと夏奈火が眉間を険しくする。
「あなたがなにやら勘違いをしているのではということですよ…………報復などと、我々の目的を何か別物と思い違いしてるのでは?」
ごまかす、というような様子でもレイルズはない。それに夏奈火が困惑しているとレイルズの後ろに控えていた少女が彼の肩を叩く。
「なにか?」
「彼女が言っているのは水波のことではないでしょうか?」
「ああ、我々の目的の為の尊い礎となられた信徒ですか」
納得したようにレイルズは頷く。
「つまりあなたは先日の我々が行った儀式の際に信徒の一人を失う要因となった少年を庇っているということでしょうか」
「…………そうよ」
もったいぶった言い回しではあるがようやく話が通じたと夏奈火は息を吐く。
「では我々の目的はその少年ではない…………と、言いたいところですが無関係とも思えない話ですね。いえ、もしかしたらその少年こそが我々の目的か、もしくは我々の成果を奪った大罪人という可能性もあります」
ぎょろり、そんな擬音が聞こえそうな視線の動きでレイルズが夏奈火を見据えた。
「そこをどいて頂けますか」
「あんた、私の話を聞いてたの?」
「聞いておりましたが?」
とぼけるように返すレイルズに夏奈火は眉間に皺を寄せる。
「私は、手を引けと言ったのよ」
「我々にそれを受け入れる義務はないと思いますが?」
「まあ、そうね」
それは夏奈火も認める。レイルズと彼女は知り合いでもないし、自身の率いるグループ同士が同盟を結んでいるわけでもない。
つまるところ夏奈火の要求は見知らぬ他人からの一方的なものであってレイルズが従う理由はどこにもない。
「じゃ、こうしましょう…………従わないならあんた達をボコってウィズ対策機構の前にでも捨ててやるわ」
「ははは、面白い冗談ですね」
レイルズは笑うが夏奈火の顔は全く笑っていなかった。
「あんたらなまっちょろい体してるわね」
淡々と告げながら夏奈火は腰を僅かに落とし両手を顔のやや下に構える。
その構えは堂に入っていて素人目にも何かしらの武術を身に付けているとわかるようだった。
「ウィズの力無しならあんたらボコるのに五分も掛からないわ」
「なるほど」
しかしレイルズは怯むでもなく頷くのみ。
「ではこちらも手札を晒すしかないようですね」
そしてその右手をさっと上げる。すると控えていた男女の二人が彼の前に出て懐から黒い塊を取り出して構える…………拳銃だ。
「物騒なもの持ってんのね」
「ええ、できれば使いたくはありませんでしたが」
にこやかにレイルズは答える。
「まだ私達を阻みますか?」
「…………」
夏奈火は答えない。状況を確認するように自身に拳銃を向ける若い男女へ視線を巡らせる。
このまま時間を引き延ばしても状況は好転するどころか、遠巻きに周囲を囲んでいるレイルズの仲間が増える可能性が出て来るだけだろう。
「何が目的なの?」
「探しもの…………いえ、捜し人をしているのです。本来なら先日お迎えできるはずだったのですが予想外のアクシデントがありましてね」
「その捜し人をあの少年が連れてると?」
「それはなんとも。我々はその気配を追ってやって来ただけですし…………もしかしたらあなたの言う少年こそが我々の捜し人の可能性もありますね」
「…………」
「ではこうしましょう」
考える様子を見せる夏奈火に手を広げてレイルズは提案する。
「もしもその少年が我々の捜し人であればもちろん丁重にお迎えしますし、仮にそうでなく我々の捜し人を連れているのだとしても穏便に引き渡して頂けるなら乱暴な真似はしないと誓います。本来であればその罪は許しがたいものですが、あなたに免じてその罪を問わないこととしましょう」
レイルズは微笑んで夏奈火を見つめる。
「あなたも同じウィズ、神に選ばれた者同士としてできれば争いたくありません」
「…………」
正直に言えば危険を冒してまで鶴城たちを助ける義理は夏奈火にはない。
仲間となった湊の頼みだから伝言くらい引き受けたが、ウィズの集団の中でもとびきりのイカれ相手に事を構えるのはリスクが大きすぎる。
それならそもそも代わりに話を付けようとしたことが間違いだが、少し話せば多少の情は湧くし…………あんな小さい子を連れてる相手を見捨てるのは後味が悪い。
そして話して分かったがこのイカれ共の目的はあのいのりという少女のようだった。
「せっかくの提案だけど、断るわ」
「おや」
意外というようにレイルズが夏奈火を見る。
「その少年はそれほどあなたにとって大事な相手なのですか?」
「そうでもないわ」
それは本心だった。
彼が忠告も無視して単独でウィズ対策機構に行こうとしたならば夏奈火は止めもしなかっただろう。
「ではなぜ?」
「単純な話よ」
そう、実に単純な話だ。
「私はね、あんた達が死ぬほど嫌いなの」
それだけでレイルズたちの邪魔をして鶴城を助ける理由になる。というか夏奈火に限らずまともなウィズでレイルズたち万理の海を嫌ってない者はいない…………ウィズが偏見の目で見られる現状は彼らが見境もなくテロを起こしまくったせいなのだ。
ウィズとして平穏に生きたいだけの者にとって彼らの行動は迷惑以外の何ものでもない。
「機会があったらぶん殴ってやろうと思ってたからちょうどいいわ」
「残念です」
レイルズは僅かに目を細め。自身の前に立つ二人へと声を掛ける。
「撃ちなさい。あれは我らの敵です」
そして銃声が鳴り響いた。
◇
話を付けて来ると言った夏奈火が三人組と対峙するのを鶴城は遠目に伺っていた。
それなりに距離があるせいで会話の内容は伺えなかったが、何となく交渉がうまくいっていないことはその雰囲気で分かった。
「…………」
自分も行くべきかと鶴城は迷う。
しかし夏奈火はじっとしているように言っていたし、せっかく義理もないのに交渉を買って出てくれたのに邪魔をするのも悪い。
だが自分のせいであったばかりの人間に面倒をかけているというのも心苦しく感じた。
「っ!?」
そこに聞こえて来た乾いた音。それが銃声なのだと気づくのには僅かな思考の間を必要とした。
ゲームや映画などで聞くことはあっても現実でそれを聞くことはありえないと思っていたからだ。
「いのり、俺の後ろから離れるなよ」
「はい、鶴城」
迷いつつも立ち上がると、いのりを連れて鶴城は夏奈火の元へと走り出す。
流石に無関係な人間を危険な目に合わせてじっとなどしていられない。
「夏奈火さんっ!」
「あー、なんで来ちゃうかな」
夏奈火は呆れつつもその表情はまんざらでもなかった。
彼を助けるのはほとんど彼女の私情だが、それでも助ける相手が好ましいことにこしたことはない。
「ほう、その少年が」
レイルズが鶴城に視線を向ける。
「ふむ」
そしてそれはすぐに彼の後ろへと向けられた。
「おお、我らの新しき神!」
その顔が歓喜に包まれ、同時に鶴城への憎悪が浮かぶ。
「信徒たちよ、罪人に断罪を」
「させるかっての」
「っ!」
自身に向けられた拳銃に咄嗟に鶴城はいのりを庇って身を固めるが、乾いた銃声の後には何も起こらなかった。自身に痛みもなく当然いのりも無事…………銃弾は外れたのだ。
「楔の影響化でもね、そんな豆鉄砲逸らすくらいわけないのよ」
鶴城たちの前に仁王立ちして夏奈火は言い放つ。
どうやら彼女の改変能力で助けてもらったのだと鶴城は悟った。
「助かりました」
「気にしなくてもいいわよ、好きでやってるだけだから」
その返しに男前すぎるだろうと鶴城は思う。
「でも流石に攻め手に欠けるわね。流石に私でも楔の影響下じゃ防御に集中しないとこんな真似できないし」
しかし遠距離の攻撃手段を持っているのは相手だけなのだ。
「あんまり頼りたくないけど、そっちの小さい子がどうにかできたりしない?」
「…………」
尋ねられて鶴城は答えに詰まる。その答えは是ではあるがいのりの力をここで使わせるのは躊躇われる。
湊がリーダーと受け入れただけあって夏奈火は人格者だが、それでもどう反応するかわからないくらいにはいのりの力は破格だ。
「いやはや素晴らしいですね」
鶴城が判断に迷っているとレイルズが称賛の声を上げる。
「楔の影響下にありながら見事な力の冴えです。我々信徒の中にもあなたと同じ真似ができる人間は数人といない事でしょう」
「こっちはあんた達とは鍛え方が違うのよ」
楔を破壊するレイルズたちと違って夏奈火たちは一般人に迷惑をかけないように苦慮している。
必然的に現実濃度があまり低下していない状態で力を使う機会が多く、楔で固定された現実を僅かなりとも改変する術に長けていった。
「ですが多勢に無勢ではありませんか?」
「っ!?」
指摘するレイルズの後ろから新たに数人の仲間らしき集団が現れる。さらに夏奈火の感覚は背後からも三人ほど退路を断つように詰めてきているのを確認する。
「それほどの力を持つウィズを殺すのは残念ですが、我々の崇高なる目的の前には排除するしかありません…………その前にできれば降伏していただきたい」
「待て」
そこに鶴城が割りこむ。
「おや、罪人がなにか御用ですか?」
「その目的ってのはなんだ」
鶴城は万理の海とかいう集団がテロ組織であることは知っているが、その目的については知らない。
夏奈火たちのようにウィズとしての力を振るいたいだけなら楔をいくつも破壊する必要はないのだ。
「ふむ、まあいいでしょう。罪人に悔い改めるチャンスを与えるのも神の意思と言うもの」
レイルズは頷き手の仕草で仲間たちに抑えるように指示をする。
「我らの目的、それは!」
その素晴らしさを表現するように彼は両手を広げて天を仰ぐ。
「新たな世界を創造する事です!」