二話 見えなくとも生まれつつあるもの
「出かけるか」
日曜日、学生にとっても貴重な休みであり自由な時間だ。 ここ最近は事件のことやいのりのこともあって必要以上に外に出ない生活をしていたが、籠りっきりを続けていても心は晴れて来ない…………それにちゃんとした目的もあった。
下手に外に出せないからとずっといのりは家に居させているが、そんな彼女を街に出て楽しませてあげたいと思ったのだ。
まず事実としていのりは鶴城の恩人だ。
彼女がいなければ例えあの場を生きのび太としても精神を病んでいた事だろうし、今のように一般人として何事もなく暮らすことだってできていなかったはずだ。
いのりは鶴城の望むことならばなんでもといった態度でそれを恩に着せるような様子は一切ないが、だから恩も放置しますでは人としてどうかという話である。
つまるところせめてもの恩返しに彼女を楽しませたいと考えたわけだ。
「パパ、お出かけ?」
少し寂しそうにいのりが鶴城を見る。学校やちょっとした買い物なんかに行く時もいのりは家で留守番だ。
鶴城の望むことだからと彼女は文句を言わないが、最近はそんな表情を見せるようになっていた。
「お出かけだが、いのりも一緒にどうかなと思ってる」
「ほんと!」
「ほんとうだ」
嬉しそうに笑みを浮かべるいのりに鶴城も目を細める。
この関係は鶴城にとって疑似的なものだが親の気持ちが分かるような気がした…………まあ、自分はこんなにかわいらしい子供ではなかった気がするが。
「いのりはどこか行きたいところはあるか?」
「鶴城の行きたいところ、です」
「…………あー、うん」
自意識が芽生えている感じはするものの、相変わらず根本的な部分では鶴城を優先しているのは変わらない。
出来ればそこを何とかしたいが、そもそもいのりが鶴城の願いを叶える理由もわからないので解決の糸口も見つからないのが現状だ。
「なら、そうだな」
いのり自身の願いを聞くと鶴城の願いを逆に尋ねられる。
いのりを道具扱いしないように彼女に願うことはできる限り避けていたが、ここは逆に鶴城の願いを叶えようとするそれを利用するべきだろう。
「俺はいのりが行きたいところに行きたい」
これで同じ答えを返されたら堂々巡りではあるが、考えてくれるなら自意識を育むきっかけになるだろう。
「鶴城は、いのりが行きたいところに行きたい」
いのりは無表情に呟くがそこから先は続かない。
そもそも彼女は街について知らないのだから場所が浮かばなくても無理はない。
だから別の方向性を与えてやる。
「いのりがしたいことや食べたいことでもいいぞ」
「したいこと、食べたいこと」
すると思い当たるものがあったのか僅かに表情が戻る。
「甘くて、冷たい、もの」
「アイスか?」
そういえば先日買ってきたコーンアイスをあげた覚えがある。特に反応も見せず黙々と食べた印象だったが気に入っていたのだろうか。
「アイス、食べたい」
「よし、それならアイス屋に行くか」
「うん!」
頷くその表情は見た目相応のものに戻っていた。
願わくば、それがずっと続くようになればいいと鶴城は思う。
◇
世界は狭くなったらしいがやっぱり鶴城個人としてそんな感覚はない。
一般人の生活圏などそれほど広くなくて、それが学生であればなおさらだ。
元々首都圏ということもあって主要な施設は充実しているし、旅行ができない以外に不便はない。アイスクリームの専門店だってどこへ行くかいくつもの選択肢があった。
「美味しいか?」
「甘い!」
鶴城が選んだのは昔チェーン展開していたというアイス屋だがその分味は安定している。特に今日はその店名にちなんだ日付けだったということもあり通常の値段で三段重ねという破格のボリュームだ。
フレーバーは31種もあるので好みを三つ選べるというのは迷う時間が少なく済んでありがたい。
それでいて混雑の時間は過ぎていたのかイートインスペースの着席はまばらで、親子連れが三組くらいとカップルが一組座っている程度とあまり待たされることもなかった。
「久しぶりに食べたけどやっぱり箱アイスとは違うな」
あれはあれで美味しいが店のものとは甘みも溶ける触感も別物だ。
以前来た時は確か湊と二人で十段重ねというその場のノリで馬鹿な注文をしたはずだ…………容姿のせいでストレスを溜めているせいか湊は時折馬鹿なことをやりたがる奴だった。
「…………おかわりするか?」
ふと見るといのりはすでにアイスを食べきっていた。
「…………鶴城は、そうして欲しい?」
少し迷うようにいのりは彼を見る。
「いのりが食べたいのなら食べて欲しいが」
「それじゃあ…………パパのを食べさせて?」
「俺の?」
その視線は鶴城の食べかけのアイスに向けられていた。
「うん」
「いやまあ、別にいいけど」
すっとアイスの残ったカップを差し出す。
食べかけでなくとも新しいのをいくらでも買うつもりだったが、珍しくいのりが自分の要求を素直に出してくれたのだから叶えない道理はない。
「…………」
「ん、どうした?」
なぜだかいのりは差し出されたカップに手を付けない。
怪訝に思い彼女を見るとその視線が鶴城ではなく後方の席に座るカップルに向けられていることに気づく。
ちらりとその様子を伺うと仲睦まじいカップルは互いのスプーンで相手に食べさせ合っていた。
「愛情、深め合う、儀式」
無表情に呟き、いのりが鶴城を見る。
「パパのを食べさせて?」
そして再び子供らしい笑顔で先ほどの言葉を繰り返す。
「…………」
パパと呼ぶならどうして親子連れではなくカップルを参考にするのか。
「まあ、いいか」
最初会った時の同年代の姿であったら気恥ずかしさも浮かんだだろうが、今の小学生くらいの姿だとそういう感情も湧かない。
周りからも仲のいい兄妹くらいにしか見えない事だろう…………血の繋がりもない幼女相手にあーんして喜ぶロリコンと誤解されることはないはずだ、多分。
「ほら」
「…………甘い」
差し出したスプーンをその小さな口へいのりが入れる。
そのまま自分のスプーンを使っていた事に今気づくが、食べ差しのアイスを差し出している時点でもはや関係のない話ではある。
「満足か?」
「もっと」
「そうか」
言われるがままに鶴城はアイスを掬っては差し出す。
「と、これで最後だ」
途中から雛に餌付けしている気分になったがアイスは空になった。
「愛情、深まった?」
じっといのりが鶴城を見つめる。
「ああ、うん…………深まったんじゃないかな」
少なくとも、悪感情を持っている相手にやりたいことではない。
「よかった!」
するとにっこりといのり笑う。
相変わらずの落差ではあるがそれがより自然なものになったと感じるのは鶴城の願望だろうか。
「さて、この後はどうするかな」
アイスを食べるという当初の目標は果たした。日が暮れるまでまだ時間はあるし別の場所寄るのには問題ない。
だがいのりに寄りたいところを尋ねてもまた同じ答えが返って来るだけだろう。
もちろんそれなら同じ返しをすればいいだけだが、無理に自分の考えを捻り出させているようで立て続けにはやりたくない。
かといってせっかく久しぶりに出かけたのだし、このまま帰るのももったいない。
それなら鶴城の生きたいところにいのりを付き合わせるしかないわけだが…………。
「ウィズ対策機構、か」
ふとその名前が頭に浮かぶ。湊との会話でよく名前が出たが実際にその施設や職員を鶴城は見たことがなかったし、その実情を自分で詳しく調べたこともなかった。
先日その職員が訪問して来たことで初めてウィズが働いていることも知ったのだ。
あの二人に対する鶴城の印象はまともな大人といった感じだった。
学生である彼に対しても礼儀を持って接してくれたし、無理矢理話を聞き出そうという高圧的な雰囲気も無かった。
そのおかげかウィズ対策機構に対する印象も随分変わった…………正直に申告して登録する選択肢が頭に浮かぶ程度には。
「鶴城?」
「いや、なんでもない」
しかしいのりのことを考えるとやはり躊躇われる。登録するとなったら彼だけではなくいのりのことも明かす必要が出て来る…………しかしいのりの力は破格過ぎる。
現実が固定された楔の影響化でも難無く現実を改変する力、それがどう扱われるのか想像すると簡単に結論は出せなかった。
「いのり、ちょっと行ってみたいところがあるんだがいいか?」
百聞は一見に如かず。ウィズ対策機構は此処から駅を少し乗り継いだところに支部があったはずだ。
外からその雰囲気を伺うだけでも参考にはなるだろう。
「鶴城が望むなら、どこにでも」
「…………助かる」
いざとなればいのりの力に頼る可能性があるかもしれない。
彼女を道具扱いしたくないと思いつつ、頼ることを選択肢に入れてしまうのだから情けないと鶴城は思う。
しかし躊躇したことで全てが台無しになることを考えれば考えないわけにもいかない。
「…………駄目な大人みたいだな」
思わず口にして呟く。
必要な事だからと自分をごまかして結局は甘えているだけなのではないかと思えて来る。
「いいんだよ」
けれどそんな鶴城をいのりは真っ直ぐに見据える、
「鶴城は全部私に願っても」
「いや」
迷わず、即座に鶴城は否定する。
「なんとかするさ」
彼女が娘と主張するのなら、父親として情けない姿は見せられない…………できる限り、何とかしてみせると鶴城は固く決意する。
とはいえ、何も起こらないのが一番なのではあるが。