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プロローグ(3)

 上凪鶴城は先ほど控えめに言って地獄を体験した。

 それは目の前のあらゆるものが溶けて混ざり合い、その中に自分自身も飲み込まれて行くという地獄だった。

 

 謎の少女が現れて全てが元通りになったことで気が紛れていたが…………その記憶は確かに残っている。


「お前に聞いてるんだよ…………楔を壊したのは自分だって口にしたよな?」

 

 そしてその原因が目の前に現れた時に鶴城に湧き上がったのは…………堪えようのない怒りだった。他の何を差し置いてでもその感情を目の前のそいつにぶつけずにはいられない。


「はい、確かにワタクシが破壊しましたが…………それがなにか?」


 それがなんてことのない質問であるように男は鶴城の方を見て答える。


「おや、あなたはウィズですね? でしたらここで何があったのかワタクシに御教え願えませんか? 我らは同じ神の恩寵を受けて選ばれし者なのですから」

「…………」


 まるで自分と鶴城が同志であるかのような言葉に虫唾が走る。

 男には確認したいことがいくらでもあったがそんなことはどうでもよくなった…………やはりこの感情のままただボコろうと鶴城は心に決めた。


「これから俺はお前を心ゆくまでぶん殴ろうと思う」

「はて、それはワタクシの質問に答えてはおりませんが」


 とぼけたように男が首を傾げる。


「安心しろ、お前は確かにこの場に地獄を作った」


 だからその報いを受けるだけの話だ。


「地獄とは異なることを…………全ては神の思し召し。ですがそれで理解できました。あなたは今しがた恩寵を受けウィズとなったのですね…………ですが一度この地に恩寵が持たされたのにそれがどうして覆されたのかワタクシに御教え願えませんか?」

「いやだね」


 答える代わりに鶴城は拳を構える。


「愚かしい、神の恩寵を賜ることができた身でそのような暴力に訴えようとは…………無知とは何て哀れな事でしょう」


 嘆くように男は両手を胸の前で繋ぎ合わせる。


「ではせめてワタクシがウィズとは何たるかを教えて差し上げましょう…………この、神より授かりし天罰の雷によって」


 言葉と共に男の身体を電気らしきものが走り始める。それが男のウィズとしての力なのだろう。

 それを言葉通り雷のレベルまで発生させられるならとんでもないし、そうでなくとも電気は容易く人の命を奪えるものである。


「そうかい」


 だが構わずに鶴城は距離を縮めて拳を振りかぶる…………それはいかにも素人といったようないわゆるテレフォンパンチ。

 振りかぶった拳が到達する前に男にはいくらでも対処する時間があった。


「天罰覿面」


 男が呟く…………そして何も起こらなかった。


「は?」


 その顔が呆ける。


「へぐぅっ!?」


 そこに鶴城の拳がまっすぐに叩き込まれた。


「なっ、なぜ!?」


 いつの間にか体に纏った電気すら消えていた。


「お前、体は鍛えてるか?」


 驚愕する男に鶴城は尋ねる。


「俺は鍛えてない」


 そして今度は男の腹へと拳をめり込ませる。鍛えていないという言葉は嘘ではないが、その拳は明らかに重く男の腹へと突き刺さっている。

 なぜなら今の鶴城はただの人間ではなくウィズとなっているからだ。

 

 ウィズ、というと誰もが様々な改変能力を頭に浮かべる。しかしウィズが最初に改変するのは己自身だ。現実濃度が低下した状況に適応できる強固な存在へと自己をまず再定義しているのだ。それゆえにウィズの肉体は一般人に比べると遥かに強固で身体能力も高い。


 その身体能力を存分に使って鶴城は男を一方的に殴りつけている。


「なぜ力が……うぼぁっ!?」


 答える義務はないので鶴城はそのまま殴る、殴る、殴る。

 彼は今まで殴り合いの喧嘩などしたことは無かったが、男を一方的に痛めつけることに何の良心の呵責も覚えなかった。


 それくらいのことをこいつはしたのだと微塵の迷いなく殴り続ける。


「…………ふう」


 男が意識を失って倒れたところで鶴城は手を止めた。

 殺してやりたいと思う気持ちはもちろんあるが、流石に躊躇なく人を殺せるほど彼も達観してはいない。


 もちろん手加減して殴ったわけじゃないから放置すれば死ぬくらいの怪我をしている可能性はある…………だがそこまでは知ったことじゃなかった。


「鶴城は、この人に死んで欲しいのですか?」

「!?」


 不意に声を掛けられて少女の存在を思い出す。

 その顔は相変わらず彼の望むことを実行する事だけを考えているようで、鶴城が肯定すれば即座に彼女が男を殺す姿が想像できた。


「いや、そこまでは思ってない」


 もちろんそれは嘘で、自分で手を下すのでなければ死ねとは思っている。

 しかしそれを目の前の少女にさせるのはそれこそ最低の行為であることくらい鶴城もわかる。


「ほっときゃ後は警察がどうにかしてくれるだろ」


 あれだけ殴ってやったのだから当分意識は取り戻さないはずだ。


「しかし結局こいつは何だったんだ?」


 怒りのあまり特に情報を引き出すことなく叩きのめしてしまったので、ウィズであったこと以外に素性はさっぱりだ。


「水波忠雄。二四歳。宗教系テロ組織万理の海所属のウィズです」

「ああうん、なるほど」


 さらりと答えをくれる少女に鶴城の気が抜ける。


「万理の海、万理の海ね…………」


 ここ最近テロが起きるたびに聞く名前だった覚えがある。


「って、今はそれより湊の安否確認だった!」


 いきなりテロの犯人が現れたせいで再び優先順位がずれていた。


「御子柴湊なら、鶴城の後ろにいます」

「えっ!?」


 少女の指摘に鶴城は慌てて振り返る。すると確かに少し離れたところに立っている湊の姿見えた…………だが何か違和感を彼は覚える。


 鶴城と同じ制服を着たその姿は確かに湊に間違いないと思うのだが、体の線がより細くなった気がするし胸元が膨らんでいるようにも見えた。


「湊、だよな?」

「うん、そうだよ」


 尋ねると肯定の答えが返って来たが、それゆえに鶴城は戸惑った。湊の発したその声は明らかに普段のものより高くまるで女の声のように聞こえたからだ。


「それとも鶴城には他の誰かに見える?」

「…………実は妹がいたわけじゃないよな?」

「あはは、いないよ」


 湊は苦笑して答える。


「女に、なりたかったのか?」


 遠回りに聞かずに直接尋ねるしかないかと鶴城は口にする。

 彼の知る限り湊は女に間違えられることをひどく嫌っていた。そしてそれは単純に自分が男であるというはっきりとした自覚を持っているからだと鶴城は思っていたのだ。


 だからこそ目の前の湊の状況は意外でしかない。


「ちょっと違うかな」


 その鶴城の所見を肯定するように湊は首を振る。


「僕はね、はっきりさせたかっただけだよ…………僕自身は僕が男だと思ってるのに周りはそう見てくれない。鶴城も知ってると思うけど僕を女だと思い込んだ男に告白されたことも一度や二度じゃない…………それを何とかしたくて体を鍛えても筋肉は付かないし、声変りはどこへ行ったのか声も低くなってくれなかった」

「それでウィズになろうと思ったのか?」

「うん、それくらいしかもう自分を変える手段はないと思ってたからね…………でもまあ、本気でウィズになるしかないなんて思い悩んでたわけでもないんだよ」


 湊の今日の行動は突発的なものだった。偶々日頃抱えていた悩みを解決する手段が目の前に現れた…………それにリスクを考えずその勢いで飛び込んでしまっただけ。


 考える時間が救い無かったのもそれを助長していた…………もしも考える時間が充分にあれば湊はきっとそんな選択肢は取らなかっただろう。


 もしも今回のようなテロに遭遇しなければ湊は悩みを抱えたまま生きたか、どこかでそれに折り合いをつけていたはずだ。

 冷静に考えれば自分の悩みがウィズになるリスクに見合わないことくらい湊にもわかっているのだから。


「それはわかったが…………結局女になってるよな」


 今の話からすれば別に女になりたかったわけでもないはずなのに。


「うん、だから僕はどっちでもよかったんだよ」

「どういう意味だよ」

「だからね、見た目相応に女になっても本来の性別相応に男になっても僕が何者かははっきりする…………僕が望んでたのはそれだけなんだ」


 その結果として見た目相応に湊は女になったということらしい。


「まあ、うん…………理解はした」


 受け入れられるかは別として友人の現状はよくわかった。


「それで、お前はこれからどうするつもりなんだ?」


 ウィズになった者には国へ登録する義務がある。

 もちろん申告せずに隠すという手もあるだろうが今の湊の姿を考えれば隠すのは無理がある…………それならば素直に登録するのかそれとも逃げるのか、といったような身の振り方を鶴城は尋ねたつもりだった。


「そうだね、さっきまでは鶴城を殺すつもりだったけど」

「…………は?」


 しっかりと聞こえはしたが、聞き間違いかと鶴城は湊を見た。


「俺は、そんなにお前に嫌われてたか?」

「親友だと思ってるよ?」


 それに噓偽りはないというように湊は見返した。


「ならなんで」

「鶴城のウィズとしての能力」


 それは冷たい声で湊は返答する。


「それがどういう働き方なのかはわからないけど、相手のウィズの力による改変を無効化するものだよね」

「…………ああ」


 鶴城は隠すことなく認める。自身がウィズであると自覚すると同時にその力の使い方も理解できた。

 そして理解してしまえばそれは手足を動かすのと同じようなもので、鶴城は完全に力を使いこなしてあの男を叩きのめしたのだ。


 自分だけウィズとして強化された状態で、相手は普通の人間の状態に戻っていたのだから負ける理由が無い。


「鶴城がその力を得たことを不思議には思わないよ。あれは無事ウィズになれた僕にとっても地獄みたいな光景だったしね…………でも、その力は許容できない。ようやく解決した問題を全て元に戻してしまう力だから」


 そう言うと湊は右手を顔の近くまで持ち上げる…………僅かにその手が発光したかと思うと鋭く長い爪を持った化け物のような腕へと変化する。それがウィズとしての湊の改変能力なのだろう。


「それで俺を殺すって?」

「さっきまではね」


 湊は軽く右手を振るとその形を元に戻した。


「でも近づけばこんなもの無効化されるだけだろうし、何よりも元に戻されるかと思うと近寄りたくなんてないよ…………それに話したらやっぱり友達だし、殺そうなんて気持ちは失せちゃった」


 ウィズになったからといって精神的に大きく変わるわけではない。もちろんその改変能力の元となった願望に引っ張られはするが、いきなり親しい人間を平気で殺せるようになったりはしないのだ。


「でも、一緒にいるとまた殺したくなるかもしれない」


 その感情は友人関係とはまた別のもの。湊にしてみれば隣でずっと拳銃を持たれているようなもので、例え友人であっても不安は必ず残る。


 そして拳銃なら取り上げれば済むがウィズの能力ではそうはいかない…………発作的に鶴城を殺したくなる可能性はゼロじゃないだろう。


「だから鶴城、僕らはここでさよならだ」

「…………わかった」


 納得できたわけではないが受け入れるしかないこともある。無理に一緒にいてもしも湊に魔が差したら鶴城は自身の力で抵抗するだろう…………そうなれば、二人の関係は確定的に破綻する。


 そんな結末よりも離れても友人同士のままの方が多分いい。


「その女の子のこととか話したいことはまだ残ってるけど…………いい加減警察とかが来てもおかしくないしね。僕は行くけど鶴城もちゃんと身の振り方を考えなよ?」


 そういうと背を向けて湊は去っていく。

 後姿が僅かに発光して見えたから、恐らくは姿を変えてこの場を逃げるつもりなのだろう。


「身の振り方…………」


 呟きながら鶴城は傍らに佇む少女を見る。

 彼女が何者なのか未だにわかっていないがまともな存在でない事だけは確かだった…………そして自分はウィズになった。


 それらは平穏な日常を望む彼にとって障害以外の何物でもない。


「さて、どうしたものだろうか」


 難題は山積み…………残り時間はそう多くない。

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