八話 距離感
「…………」
「…………」
和室で黙って彼を見つめる湊と鶴城は向かい合っていた。正座である。湊の視線を受けている内に自然と鶴城は正座になり背筋を伸ばしていた。
元は仲がいい男友達とは言え今の湊は完全に女性の姿であり、異性からの冷たい視線というのは実に心に刺さる。
「あー、湊?」
沈黙に耐えきれず先に口を開いたのは鶴城だった。
「それで、結局…………何のため来たんだ?」
「少なくとも友人の隠された性的嗜好を見に来たわけではないよ」
「…………それは誤解だ」
誤解なのだ。
「へえ、血の繋がりの無い小さな子にパパって呼ばせて抱き着かれるのが?」
「…………」
「パパのお嫁さんになるって言ってたのに?」
「…………ゴカイデス」
だからその冷たい視線は止めて欲しい。
「ふふ、なんてね」
けれど不意に湊は表情を崩す。
「冗談だよ、冗談…………どうせ鶴城のことだから流されるままにちゃんと父親役してるんでしょ? それくらい長い付き合いだからわかってるよ」
「…………お前なあ」
「ごめんごめん、反応が面白かったからつい悪ノリしちゃった」
恨みがましい視線を送る鶴城にからからと湊は笑う。そういえば弱点を見つけた相手をからかうのが好きというかこういう一面もあったなと鶴城は思い出す。
正直怒鳴ってやってもいいくらいだとは思うが、冗談とわかって安堵してしまったせいでそんな気にもなれない。
「そもそも鶴城は昔から貧乳よりも巨乳派だったしね」
そう言いながら湊は自身の胸を両手で挟んで強調して見せる…………大きい。だがそれが喜ばしいかというかと言うとまた別の話でもある。
「すまんがその、前の湊を知ってるだけにすごく反応に困る」
「うーん、僕は気にしないんだけどね」
「順応高すぎだろ」
女になりたかったわけではないと言っていた癖に。
「僕は湊になら胸くらい揉ませてあげてもいいんだけど」
「…………」
本気なのか冗談なのかわからない表情で湊は言う…………その視線が挑発するようにいのりへ向けられてるように見えるのは気のせいだろうか。
「ま、横道にそれるのはこれくらいにして僕が来た理由だっけ」
「そうだよ。お互いもう会わない方がいいって感じで別れたはずだろ」
まさか湊の方からやって来るとは思わなかった。
「それに関しては僕の方が文句を言う権利はあると思うけどね…………わざわざ僕の入ったグループにやって来たのは鶴城の方じゃないか」
「それはまあ…………そうだけど」
だがそれは不可抗力だし、そもそも湊が夏奈火に伝言を頼んだせいとも言える…………しかしまあ、そんなことを言い出せばきりがないので鶴城は反論しなかった。
「それで僕が来たのはリーダーからの気遣いだよ…………まあ、僕自身も鶴城と話したかったしね」
「あの人は本当に面倒見がいいな」
「良すぎて心配になるよね」
「ああ」
本人は気にしてないようだがそれで損もしているはずだ。
「けどまあ、そんな気遣い無碍にするようだけど僕としては旧交を温めるより他のグループに行くつもりはないかって話をしに来たんだよね…………その前に結局旧交温めちゃったけど」
相容れない事情があるとはいえ元々親友なのだから自然なことではある。
「やっぱ嫌か?」
「嫌か嫌じゃないかって言われたら嫌じゃないよ」
湊は首を振る。
「さっきも言ったように僕は鶴城になら胸を揉まれて良いと思うくらいには好きだし」
「…………」
それは友人としてかそれとも違う意味でなのか判断しづらく鶴城は黙する。
「でもだからこそ一緒居たくないとも思う」
ウィズの力の無効化に対する嫌悪。それだけはどうしようもないから、親友を嫌いにならないために距離を取る…………駅で別れた時もそれが理由だ。
「それにやっぱり鶴城が心配だし」
「心配って?」
「ほら君、流されやすいじゃない」
「…………そうか?」
「リーダーから聞いてるよ、ウィズ対策機構に行こうとしてたんだって?」
「…………」
目を逸らす鶴城に皆とは大きく溜息を吐く。
「どうせ対策機構の人間と話でもしたんだろうけどさ、相手のいう事を疑わずに鵜呑みにしちゃうところは相変わらずどうかと思うよ」
「誰でも信用してるわけじゃない」
「わかりやすく悪人じゃなくて権威付けがあったら大抵信じるよね」
「…………」
小市民なんだから仕方ないだろうと鶴城は思う。
「で、そんな鶴城だから流されてうちのグループには入っちゃうんじゃないかって」
「それは…………」
ないとは言えない。実際選択肢としては高いところにあった。
「あー、その、グループに入るっているか共闘できないかって案もあるんだが」
見栄、ではないが流されるだけと思われるのも癪なので先ほど浮かんだ案を鶴城は口にする。
「それって内のグループと組んで万理の海を潰せないかって話?」
「そうそう、あいつら嫌ってるやつは多いんだろ?」
「そりゃね」
湊は同意したが表情自体はあまり芳しくなかった。
「ただうちのグループってあんまり好戦的じゃないっていうか…………悪く言えば仲良しグループって感じなんだよね。ウィズとしてほどほどに生きていければいいやって人達だからわざわざ戦いに行くってのはあんまり想像できない」
「う」
その気持ちは鶴城もよくわかるので何とも言えなかった。
「それにそもそも戦力としての話もあるしね…………うちはリーダーがああだから他のグループから爪弾きにされたり自衛が難しいようなウィズも保護したりしてるし」
ぶっちゃけ戦いに向いているウィズの数は多くないのだと湊は明かす。それでもグループが維持できているのは夏奈火の人柄もあって敵が少ないことと、夏奈火を含めた一部の戦闘向きのメンバーが屈指の実力者であるからだという。
「…………そうなると万理の海を排除して安全確保って手は無理か」
鶴城からすればそれが一番理想に近い選択肢ではあったのだが。
「無理、とも言い切れないんだけどね」
言葉を濁すように湊が続ける。
「その、いのりちゃんだっけ? その子が絡むなら可能性はあるかも」
「いのりが?」
「僕が鶴城と話に来たのもその子が理由なんだよ」
そう言いながら湊はちらりといのりを見る。彼女は湊がやって来てからずっと鶴城の背中に張り付いて時折横から様子を伺っていた…………視線が合う。
それがどういう意味合いのものかまではわからないが、少なくとも好意的なものではない。
「その子の力はリーダーから聞いたよ…………確かに神様って呼べるようなものかもしれない」
ウィズの能力はいのりのように何でもありではないし、固定された現実を改変が可能なように解すような真似も出来ない。
「もちろん世界の再編成なんて眉唾ものだけど、周囲に害が出ないように現実濃度を調整できるなんてウィズにとって垂涎ものの能力だよ」
それを知れば誰もが便利な道具として彼女を求めると湊は続けた。
「そんなことはさせない」
「うん、鶴城はそう言うだろうね」
わかっているというように湊は優しく目を細める。
「でもね、そうじゃない人間の方が多いんだよ…………特にウィズはね」
ウィズにとってその願望からなる力を振るうことは本能だ。それを満たす為であれば本来許容していなかったことでも許容してしまう…………そうでなかったら大人しくウィズとして国に登録されて暮らしているだろう。
「夏奈火さんも、か?」
「あの人はまあ、ある意味特別だよね」
彼女の願望は風のように自由であることらしい。そのせいかウィズの本能からも自由であるらしく、同時に誰かの自由が奪われることを嫌う。
「でもね、そんな彼女でもその子は簡単には諦められない存在なんだよ」
それだけウィズとして自由にあれるいのりの力は魅力的なのだ。
「俺からいのりを引き離そうとするってことか?」
「まだそこまではいってないよ」
湊は首を振る。
「ただ信用できるメンバーの数人にその子の力のことを明かして鶴城をグループに加えるメリットを提示してる」
「それなら仕方ない範囲じゃないか?」
鶴城のウィズとして後からは同じウィズからは好まれない。その印象を打ち消すためにいのりのことを明かすのは交渉材料としてはしょうがない範囲に思える…………どのみち鶴城といのりはセットなのだし彼女のことを説明する必要もある。
「普段の彼女ならその子の力のことは胸に秘めておくよ」
信用できるメンバーと言ってもいのりの力を知ればどう転ぶかわからない。なんでもできる彼女の力であればいくらでも能力の偽装は出来るのだから、少女の自由を考えるならば全て明かす必要はない…………そうしなかったのは夏奈火にもいのりを確保したいという欲があるからだと湊は言った。
「だから、グループに一度は入ったらいのりを連れては抜けられないと思った方がいい」
その警告をしに湊はやって来たのだ。
「もちろん鶴城とその子の力があれば逃げるのは簡単かもしれないけどね…………そうなったら敵が増えるよ。そうなったら僕としてもグルールの居心地は悪くなるしね」
それどころか下手をすれば鶴城を逃がすのに協力したのではと疑われる可能性もある。
「なあ、湊」
「なに?」
「お前の言う通りに他のグループに行ったとしてさ…………結局同じことにならないか?」
いのりの力が知れればどこも彼女を逃がそうとはしないだろう。それならまだ信用できる友人の湊と人となりが知れた夏奈火がリーダーである気ままな風にいる方がマシな生活が送れる気がする。
「確かに言われてみるとその通りだね…………流石に鶴城にその子と二人でサバイバルしろとも言えないし」
ばつが悪そうに湊は少し視線を逸らす。鶴城と距離をとることを優先していたせいでその先をあまり気にしていなかったことに今更気づいたのだ。
「そうなると……うーん、やっぱりうちのグループに入るのが無難なのかなあ」
「俺としては万理の海を潰せればそれが一番なんだが」
それが出来れば鶴城はいのりと気兼ねなく家に戻れる。
「二人がグループに入ればその子を護るって名目で戦力を出す可能性はあるけどね」
「それだとグループからは逃がしてもらえないか」
脅威は消えるが元の日常に帰ることは叶わない。
「ところで、仮に俺が入ったとして無事にやっていけると思うか?」
親友の湊ですら発作的に殺意を覚えたのだから、それが見知らぬウィズであれば正直不安ではある。
「基本的には気のいい人たちだよ。さっきも言った通り戦闘向きの人は少ないし」
戦闘向きでないということはその願望も好戦的な方向性ではないということだ。
「だからあからさまに危害を加えられたりはしないだろうけど…………無視されたりはするかもね」
つまりは静かにハブられる可能性はあるらしい。
「…………」
「まあ、第一印象がマイナスでも仲良くなれないわけじゃないから」
暗い気分になる鶴城を慰めるように湊は付け加える。
「明日には皆に直接紹介するらしいからその時の反応次第で決めてもいいんじゃない?」
「…………そうだな」
実際の反応は話していてわかるものでもない。それで反応が最悪だったならいのりのこともあるしさっさと出ていく方がいいだろう…………正直その先どうすればいいか不安しかないが。
「いのりがいるよ」
そんな彼の内心を読んだようにいのりが口を開いて鶴城の裾を掴む。こちらを見上げるその表情は自分に頼って欲しいという気持ちが現れていて、こんな不安に負けてはいられないなと思わせてくれる。
「ああ、そうだな」
頷いて、自然と鶴城の表情も柔らかくなる。
「鶴城、本当に手を出してないんだよね?」
「いきなり何言い出しやがる」
ほっこりした気分が一気に吹き飛んだ。
「友人が道を踏み外さないか心配なだけだよ」
「踏み外さねえよ!」
一体湊は自分をどういう目で見ているのかと鶴城は思いたくなる。
「踏み外して、いいよ?」
そんな彼の裾を引っ張っていのりが言う。
「いのり…………? いきなり何を……」
「ふーん」
冷たい目で湊が鶴城を見やる。
再び戻って来た友人からのその視線に、今度は冗談ではなさそうだと鶴城は暗い気分になった。




