七話 父と娘
夏奈火率いるウィズグループである「気ままな風」は再開発が遅れている地域にある古い小さな工場をアジトにしていた。その工場は周囲を古いビルに囲まれており人が殆どよりつかないらしい。
「ビルの方も普通の入居者なんてほとんどいないから好き勝手やれてるわ。そっちにもいくらか部屋は確保してるしね…………とりあえず二人にはビルの方に行ってもらうつもりよ」
そう言って夏奈火は二人をビルの一つへと案内する。工場の方にも居住スペースは余っているらしいがまずは様子見ということらしい。
彼女のグループは比較的軽い集まりだが、それでも改変を無効化する鶴城の力に対して反発はないとは言えないからだ。
「それにあんたもまだうちに入るって決めたわけじゃないしね」
「それは、はい」
入ってしまった方が安心なのはわかっているが、まだ元の生活に戻れないと決まったわけでもない…………それに彼女のグループには湊がいるので正直顔を合わせるのも気まずいというのもある。
「とりあえず皆には私の方から話して様子を見るから二人はちょっと休むといいわ」
「そうですね」
ちらりと自分の裾を掴むいのりを確認する。彼女には疲労しているような雰囲気はないがどこか表情が暗い。
鶴城自身も疲労を感じているし夏奈火の提案はありがたかった。
「じゃ、これ鍵ね。303号室だから」
ビルの入り口まで二人を案内すると夏奈火はそう告げて鶴城に鍵を渡す。
「冷蔵庫に飲み物は入ってるし、カップラーメンとか保存食は置いてあるはずだから好きに食べていいわ」
そして相変わらずの面倒見の良さを見せてから夏奈火は工場の方へと歩いて行く。
「行くか」
「うん」
頷くいのりと共に鶴城は古びたコンクリートの中へと足を踏み入れる。
◇
部屋はビルの外見から想像するよりは綺麗だった。キッチンとトイレがちゃんと個別で付いておりフローリングの居間と畳の敷かれた和室が一つ。それほど大きくないが浴槽の付いた風呂場も設置されいた。
「綺麗にしてるな」
家具は最低限で使用された形跡もなく生活感はない。けれど定期的に手入れはしているようで埃などが積もっている様子もなかった。
とりあえず腰を落ち着けようと鶴城は和室に入り、重なった座布団から二つ取って一つを自分の尻に敷いた。
「ほら」
「うん、パパ」
もう一つを敷いてやるといのりはその上にちょこんと正座する。
「楽にしていいんだぞ?」
その姿は可愛らしいが、鶴城が思うに正座は休む姿勢ではない。足を崩すかいっそ座布団を枕しにして寝転んでもいいくらいだ。
「…………疲れた」
とはいえ自分も足を崩すくらいにおさめて鶴城は大きく息を吐く。駅の時もそうだったが急転直下な状況の変化は小市民にはつらい。
もちろんあのまま放り出されるより今の状況はマシではあるが、鶴城の望んでいる平穏な生活はどこかへ行ってしまった。
「これからどうするかな」
理想を言えば何事もなく家に帰りたい…………だがそれにはウィズ対策機構に鶴城の情報が漏れてない必要もあるし、レイルズ達の再度の襲撃の可能性も考慮しなくてはならない。
いくら楽観的に考えようとしても無理なことくらいは彼にもわかる。
「鶴城」
気分が沈みかけたところで無機質な声が彼を呼ぶ。
「鶴城は元の生活に戻ることを望む?」
いつかと同じようにいのりは彼に尋ねる。
「それはいのりに影響なく実現可能か?」
その時に事をもちろん鶴城は覚えている。
「不可能」
「ならいい」
だから答えは変わらない。
「俺はそれを望まない」
「なんで!」
すると感情のこもった声でいのりが叫ぶ。
「なんで望んでくれないの!?」
そして懇願するように彼を見た。それはどこか怯えにも似た表情…………そしてその表情はここに来るまでにも見せていたことを鶴城は覚えている。
その時は殺し合いに巻き込まれた跡なのだからと思っていたが、今のいのりを見るに違ったのだろう。
「俺は、いのりが傷つくことを望まないからだよ」
何に怯えているのか鶴城にはわからない、だから努めて優しく彼は答える。
「なんで!?」
けれどその答えにいのりは納得しなかった。
「全部、全部…………パパがこんな状況になっちゃったのはいのりのせいなのに!」
「っ!?」
その独白に鶴城はいのりの怯えの正体を悟る。
レイルズの話が真実ならば今回鶴城たちが襲われた原因は確かにいのりにあるし、彼女がいる限りレイルズたちからは追われ続けるだろう…………だから、それが原因で彼に見放されることにいのりは怯えているのだ。
「馬鹿だな、いのりは」
柔らかい表情で鶴城はいのりを見る。
「そもそもいのりがいなかったら俺はあの時点で終わってたよ」
もちろん鶴城はウィズになれたので死にはしなかっただろう…………けれど絶対に心はまともではいられなかったはずだ。
下手をすればあの水波という万理の海の信徒に言い包められて入団していた可能性もあるし、そうでなくともウィズ対策機構に確保されていたかもしれない。
「それを考えれば迷惑どころか貰いすぎなくらいだよ」
傍から見れば鶴城はむしろ恵まれ過ぎた人間だろう。
「それにな」
近くによってその頭にポンと手を置く。
「いのりは俺の娘なんだろ?」
「…………うん」
「だったら、娘を迷惑に思う父親なんていないさ」
根本が例えレイルズたちの手によるものだったとしても、鶴城の願いがいのりを生み出したことに間違いはなく…………これまでに育んだ二人の絆は偽物ではない。
確かに鶴城は平穏な生活を望むが、同時にいのりを幸せにすることも望んでいる。
「パパ!」
思わずといったようにいのりが鶴城に抱き着く。
「ああこら…………少しだけだぞ」
夏奈火辺りに見られたら誤解されそうではあるが今は仕方ない。しかしいのりも本当に随分子供らしくなったというか…………鶴城も父性を刺激される。
もちろん本当の意味で父親なわけではないが父親の気分とはこういうものかと想像できた。
「いずれいのりが嫁に行くことになったら俺も泣くのかねえ」
今の時点でもいのりがいなくなったら大きく凹みそうではある。
少なくとも彼女が傍に居なくなった生活は想像できないくらいに情が湧いてしまっているのだ。
「いのりはパパから離れてどこかには行かないよ?」
「いずれの話だよ、いずれ」
成長し、親離れして、愛する相手をいのりが見つけてからの話だ。
「ううん、それならいのりはパパのお嫁さんになる!」
「おおぅ」
父親が娘から言われたい言葉の上位であろうセリフに激しく心が揺さぶられる。もちろん大抵の娘は成長するにつれそんな話は忘れるし、父親を疎むことも少なくない。
だが今この瞬間は幸せな気分に浸れるのは間違いない。
「いのりは大きくなっても気持ちは変わらないよ?」
「はっはっは、お父さんと娘は結婚できないんだぞ?」
「いのりとパパは血が繋がってないから大丈夫!」
「…………そこは都合いいように使うんだな」
父親気分がちょっとどこかへ失せていった。
「まあ、元気になったのならいいさ」
重要なのはその一点だ…………未来のことは未来の自分に任せよう。
「問題はむしろ今のことだよな」
これからどうするべきかという考えにやはり戻って来る。一番簡単なのは夏奈火の提案通りこのまま彼女のグループに参加することだ。
短い付き合いではあるが夏奈火は信用できる人間だと思うし、その彼女が選んだメンバーならそうそう悪い連中でもないだろう。
ただ、その選択肢を選べば鶴城は本格的にウィズとして生きていくことになる。対策機構からは追われる身となり、元の平凡な日常に戻ることは叶わないだろう。
「かといってなあ…………」
このまま家に戻る、というのも先ほど考えた通りやはり危険だろう。ウィズ対策機構にまだ情報が漏れておらずともレイルズたちが襲撃してくる可能性はあり…………そうなったった時に犠牲になるのは一般人である自分の両親の可能性が高い。
現時点で多大な親不孝をしていることは間違いないが、それでも二人の命が奪われるようなことにはなって欲しくない。
「いっそあいつらを潰すってのも選択肢か」
鶴城のことがウィズ対策機構に前提であればそれで問題は解決する。彼個人と人としてはわざわざ争いに行くなんてことはしたくないが…………放っておいても向こうは来る。
それならば事前に危険を取り除くのは悪い考えではないように思えた。
「…………なあ、いのり」
「何ですか、鶴城」
抱き着いたままのいのりに声を掛けると、無機質な声が返る。鶴城の願いに対しては相変わらず反応が早い。
「俺といのりの情報が対策機構に漏れたかどうかはわかるか? もちろんお前に負担がかかるようならやらなくていい」
「問題ありません、鶴城」
「なら頼むよ」
「はい」
頷いていのりは目を瞑る…………抱き着くのをやめたりはしないらしい。
「情報は漏れていないようです、鶴城」
そしてそんな答えを出した。
「そうか、なら本格的に選択肢に入るな」
問題は向こうが集団でありまとめて潰す事が難しそうな点だ…………しかし組織と言うものは頂点を潰せば大抵は瓦解する。夏奈火に協力を頼みレイルズとその幹部連中のみに絞れば不可能でもないのではないだろうか。
ただ問題があるとすれば…………その場合はいのりにこれまで以上の負担を懸けることになることだろうか。
「大丈夫だよ、パパ」
そんな彼の心中を察するようにいのりが鶴城を見る。
「いのりは大丈夫だから」
そしてにっこりと微笑む。それが逆に鶴城の心を絞めつけた。
「仲、良さそうだね」
そこに冷たい言葉が響く。
「えっ!?」
慌てて声の方に振り向くとそこには湊が立っていた…………抱き合う鶴城といのりを見るその表情は冷え切っているように思えた。
「な、なんで!?」
「一応チャイム鳴らしたんだけどね」
答えながら湊は手にした合鍵を見せる。グループで管理している部屋だから鍵は複数あったのだろう。
「こ、これは違う…………」
「何が違うのさ」
咄嗟に言い訳しようとするが返る声は冷たい。
「いのりはパパのお嫁さんになるの!」
そして何を思ったのかそんなことを叫びならがいのりはより鶴城に抱き着いた。
「へー、お嫁さん」
その視線の温度が、わかるくらいに下がっていくのが鶴城には見えるようだった。




