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プロローグ(1)

 ある日突然に世界そのものの均衡が崩れた。

 とある科学者はそれを現実濃度の低下と表現した。

 現実濃度が低下した世界ではあらゆる物理法則が揺らいで意味をなさなくなり、

 生物を含むあらゆる物質は固定された存在ではなくなって形を失い溶けていってしまう。


 その現象は世界中で起こった。


 瞬く間に世界そのものが溶けていき、何もかもが混ざり合った異形の海と化した。

 残ったのはほんの僅かな国々。

 全てが滅びる前に現実濃度を固定する楔と呼ばれる装置が完成し、本当に僅かな人類だけが生き延びた。


 世界のほとんどは溶けて混ざり合い…………それでも人類はまだ生きている。


                ◇


 日本という国は東京と後は隣接するいくつかの県しか残っていないらしい。東京湾には大きな壁が聳え立っていて、その向こうには何もかもが溶け合った混沌の海が広がっている…………人の生きていける世界は随分と狭くなったのだと。


「実感なんてないけどな」


 そんな国よりもさらに狭い駅のホームを眺めながら上凪鶴城かみなぎつるぎは小さく呟く。

 世界中の現実濃度が下がり始めた頃の鶴城は小さな子供だった。そんな子供の狭い世界からすれば残された国土でも充分に広く、高校生になった今でも世界が狭くなったという感覚は覚えていない。


 世界人口も大きく減ったらしいが、今彼のいる駅のホームは通勤客で溢れていてそんなイメージを全く連想させない。


「鶴城、今何か言った?」


 そんな彼の呟きを拾ったらしく、一緒に通学していた友人が聞き返してくる。

 御子柴湊みこしばみなと。一見すると女性かと見間違うような美少年だ。もっとも本人は男らしく見られたいらしく筋肉をつけようと努力している…………が、体質なのかあまりうまくいってないようだ。


「んー、平和だなって」


 その辺りに触れると機嫌を悪くするので鶴城はもちろん触らない。


「今のご時世によくそんな能天気な事を言えるね、鶴城は」

「実際平和じゃないか」

「先週もウィズによるテロがあったばかりじゃないか」

「あー」


 言われて思い出したというように鶴城は口を空ける。確かに能天気と言われてもしょうがないし、聞く人によっては気分を害したかもしれない。


「ウィズ、か」


 現実濃度の低下に適応できた人間。現実濃度が低下した状態でもく自己を保ち、さらに世界を自身の望む形に作り替えることのできる力を得た現代の魔法使い。一時期は現実改変能力者などと呼ばれることもあったが、結局はわかりやすくウィザードの略称でウィズと呼ばれるようになった。


 そんな彼らの存在が問題になっているのは、ウィズとして才能に目覚めた者のことごとくが犯罪者となっているせいだ。


 ウィズは例えるなら改変能力という凶器を所持している人間であり、才能が目覚めた者は政府の定めた法に従って登録の義務がある。しかし管理されることを嫌うウィズはほとんどが登録を拒否して逃亡し、さらには自身の改変能力を使いたいがために楔を破壊するテロを頻発させている。


 楔は現実を固定しその濃度が低下することを防ぐ装置だ。それがあるからこそ人類は僅かながらに生存圏を確立させているのであり、それが破壊されれば一般人は現実濃度の低下に耐えきれず溶けてしまう…………先日のテロも楔が破壊された区画では何十人もの犠牲者を出していた。


「どうせならいいことに使えばいいのにな」


 誰しも子供の頃に一度くらいは魔法使いには憧れる。その時に思い描くのは誰かに迷惑が掛かるようなことじゃないはずなのに、なぜだか現実にその力を手に入れたウィズたちは自分勝手に力を使って犠牲者を出している。


「ウィズの能力って基本的に願望を反映したものらしいから、鶴城が考えるようになんでも出来る力ってわけじゃないみたいだよ」

「それなら一層嘆かわしいな」


 誰かを助けたい、そういう願望を抱いているウィズはいなかったわけだから。


「みんな自分のことで手一杯なんだよ」


 擁護するように湊が言う。


「普通に暮らしてればそんなことないと思うがなあ」


 湊の言うようなことの実感は鶴城にはない。確かに現在この地球において人類の生存圏は1%にも満たないという過酷な状況ではある…………しかしその1%未満の生存圏が不自由に満ちているかというとそうでもない。


 その中ではかつてと変わらないように人々は毎日を送っているし、娯楽に現を抜かす抜かす余裕だってきちんとある。管理されたディストピアは今でも娯楽小説の中にしか存在しないのだ。


 もちろんテロが頻発する状態は平和とは言い難い…………だが逆に言えばウィズがちゃんと政府の管理下に置かれて犯罪に走りさえしなければ平和はやってくる。


「普通に暮らせないんだよ、ウィズは」

「ウィズであることをちゃんと登録すれば一定の監視はされるけど普通の生活は送れるって話じゃなかったか?」


 その監視というのも確か三ヶ月に一度政府によるウィズ管理組織に顔を出す程度のものだったはずだ…………もちろんそれが気分のいいものでないことは鶴城も理解している。だがそれが今の日常を捨てて犯罪に走るほどひどいものであるとは彼には思えなかった。


「政府が公表している情報が確かなら、だけどね」

「…………お前の方こそ発言に気を付けたほうがいいんじゃないのか?」


 ちらりと周囲を見回して鶴城は苦言を口にする。言論統制されているわけではないがこのご時世に政府批判はあまり好ましくない。少なくともテロ組織の協力者や隠れウィズではないかと疑われる要因にはなる。


「わかってるよ、でも鶴城があんまりにも能天気だからさ…………ちょっとは情報を鵜呑みにしないで疑う癖をつけたほうがいいよ」

「疑ってどうするんだよ」


 相手は胡散臭い情報を拡散する見知らぬ誰かではなく、自分達が住む国を動かす政府なのだ。一般市民でしかない自分の身の上を考えれば信じて従う他はない。


「この辺り、鶴城とはいつも意見が合わないよね」

「まあな」


 鶴城は今の生活が続けばいいと思っていて、けれど湊はそうじゃない。その差が現状を作っている政府に対する信用の差になっているのだろう…………とはいえ別に二人が仲を違えるようなことでもないのだ。


 湊も別に政府への不信が先にあるわけではなく、ウィズへの興味があるからこそ政府への不信に繋がっているような感じだろう。


「ま、それはそれとして学校に行かないとな」

「そうだね」


 構内放送が電車は間もなく到着することを告げていた。それに乗り過ごせば高校に遅刻することになってしまう…………結局は、二人にとってそれで中断される程度の会話だったということでもある。


「緊急放送、緊急放送。楔の停止が確認されました。当該区画の現実濃度の低下が始まります、至急区画外に退避してください。繰り返します……」


 しかしその直後にアラートが鳴り響き緊急事態を知らせる放送が掛かった。楔の停止による現実濃度の低下…………それはつまり間もなく二人のいる区画の何もかもが溶け始めることを示していた。


「湊! 電車だ!」


 ちょうど到着予定だった電車がホームへと入って来るのが鶴城は見えた。楔は区画分けされた一定範囲ごとに設置されているが、その効果範囲は五百メートル。走って抜けるには少しばかり距離があるが、電車に乗れば僅かな時間で抜けられる範囲だ。


「湊?」


 周りの人達も鶴城と同じ結論を出したのか、逃げずに電車の到着を待ちわびている。

 けれど湊はその場から動かず、何か迷うような表情を浮かべていた。


「僕は乗らない」


 そしてそう鶴城に言い放つ。


「何言ってるんだよ!?」


 電車に乗らずその場からも動かない、それはつまり現実濃度が低下するこの場に残るということに他ならない。


「鶴城は逃げなよ」

「お前、まさかウィズになる気か!?」


 それ以外に考えられなかった。


「これはチャンス…………そう、チャンスなんだよ」


 ウィズになるには現実濃度が低下した状態に身を晒さなければならない。しかし生活圏は当然ながら楔によって現実を固定されているし、それを停止しようにも警備は厳重だ。

 それに自分がウィズになるために多くの人々を犠牲にする覚悟は湊にもなかった。


 だが偶然にも今、湊のいる駅がテロの標的になった。それは自身の手を汚す必要なくウィズになるチャンスが目の前にやって来たとも言える。


「馬鹿、成功するはずないだろ!」


 そんなに簡単にウィズになれるなら皆もうなっている。現実濃度の低下に適応しウィズになれる人間が僅かだからこそ、楔によって現実を固定して生存圏を確保しているのだ。残ったところでドロドロに溶けてしまう以外の結果はないはずなのだ。


「…………でも、そのチャンスに僕は賭ける」

「湊っ!」


 憤るように鶴城は叫ぶが、問答の間に電車は到着してその扉が開く。そして動かない二人をよそになだれ込むように人々が電車へと駆け込んでいく。


「まもなく扉が閉まります」


 さらに通常より早いペースでアナウンスが掛かる。余裕はもはやない。無理矢理にでも湊を電車に乗せるしかないと決断した鶴城だったが、それよりも早く湊が彼を突き飛ばした。


「なっ!?」

 突き飛ばされたその先には電車になだれ込む人の波、それに飲み込まれて鶴城は抵抗も出来ないまま電車の中へと流されていく…………戻ることは出来なかった。混乱した人々のひしめき合う満員電車は、身動きできないどころか押し潰されそうな恐怖すら感じる。


「馬鹿野郎ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 叫ぶこと、それだけが最後に鶴城にできた唯一の抵抗だった。

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