冬
縁側に座る子狐が、虚空に焦点をあわせながらひたすらに友人の訪れを待つ間。
薬師の子供は重い病気を持つ患者に付きっきりだった。
結香は別にそれでも良い。紫翠がそうやって結香のもとにいない限りは、彼の中の結香の世界は色付いているのだから。
そう、可哀想な子狐はもう、色彩を認識することができなくなっていたのだ。
ある日突然、と言うわけではない。
時たま完全に白黒の世界を見て、戻って。
だんだんと見えるはずの色が褪せていって、とうとう色が分からなくなっていた。
本来は同情されるべきことだが、結香はどこまでも他人事のままだった。
今目の前に見えている晴天とそれに舞う雪も、色とりどりのあやかし達も、一面に降り積もった雪の絨毯も、子狐は認識できていない。
もうこれ以上色づくことのない結香の世界の中では、ただ一人紫翠だけが鮮やかだ。
はぁと吐いた息に、白が混じらなくなったのはいつからだったか。
手が震え、体が震えるが寒さを感じなくなったのはいつからか。
あなたと共にいられるのは、いつまでなのか。
「し、すい……」
かすれた声で愛しい友人の名前を呼ぶ。
勿論来るわけがない。紫翠はこんな病気の狐なんかより何十倍も皆に頼りにされていて、忙しいのだから。
パキン
パキンパキン
パキン
目の端に赤く淡く光る花を捉えた。
美しいなぁ。
ぼんやりと思いながら、結香は深い眠りへ落ちていった。
もう中々起きれなくなると結香は知っていた。
知った上でその死に身を委ねたのだ。
その花は、紫翠が最初に見つけたよりも赤く美しく、沢山咲くようになっていた。
――この病を、現代では"彼岸妖力中毒症"と言う。
あやかしや一部の妖力を持つ人の子がかかる病で、眠るときに彼岸花がまわりに咲く病だ。
その彼岸花はかかったものの生命力や能力を吸いとっていく。
感染率は非常に高く、妖力持ちであればその彼岸花にさわっただけで感染するため、結香は人の世に一匹隔離されていたのだ。
現在は治療法が解っているが、結香の時代は誰も知らなかった。
治療法は彼岸花を枯らすほど大きな妖力を纏うこと。
結香にもう、希望はないのと同じ意味だ。
紫翠は身を刺すような寒さに震えながら懸命に水城の世話をしていた。
秋の頃からついている彼の命はいつも消えかけていて、寧ろここまでもったのが奇跡と言えるほどだった。
ここまでか……
何度もその言葉が頭をよぎる。それはそうだ。こんなにも早い結核など、季節を越すことすら不可能だと言われているのだから。
いや、事実そうだ。ここまでもったのが本当に奇跡である
「先生……、もう大丈夫です。水城は神様に気に入られたのです」
「それでもだ」
やつれた水城の母親からもういいと言われるが、紫翠は決して受けいれなかった。
母親としてその言葉を言うのはどれだけ辛かったのだろうか。人の良いこの母親の事だからきっと血を吐くような思いで言ったに違いない。
紫翠だって諦めたい。子供の紫翠にとって感染の可能性のある結核、しかも治る見込みのないものなんて遠慮したい。
だが、譲れないものがある。
パキン、と耳の奥で音がなったような気がした。
水城の青白い肌が、紫翠の親友といっても過言ではない子供に重なる。
あの子は今どんな気持ちであそこにいるのだろうか。
自分を待ってやしないだろうか。
きちんと暖かくしているだろうか。
あぁもしかしたらまた症状が進行しているのかも。
「せ、んせい……」
弱々しい声に紫翠の意識が現実に戻る。ちらりと見れば先程まで血のような赤色をしていた空が深い紺と混ざってきていた。
意識を一瞬でも離した自分に自己嫌悪しながら、短くなんだと返す
「おれ、もう……だめ、です……」
「……」
紫翠は否定を返さない。己の矜持にかけて肯定もしないが、紫翠だってもうもたない事はよくわかっているからだ。
水城は己に死期が近付いてきていることが解っていた。ずっと繰り返しているからだ。
……そう、水城は死を繰り返していた。
一柱の神に、気に入られてしまったばかりに。
「なぁ水城」
現実を理解し絶望したような声で紫翠は水城にポツリと語りかける。
外はもう暗く、はらはらと雪が降ってきていた。
水城は薬師の少年のいる方を向く。
己の死が近付き、苦しみ死に続けた記憶が戻ってもう何月か。
「はい、先生」
水城は己を救おうと尽くした少年の容姿を知らない
「気分は、どうだ?」
しかしそれが最後の問いと知っている
紫翠は解っていた。もう救えないと。それでも、可哀想な、優しくて気弱な親友と重なったから、助けたくなったのだ
だけど、駄目だった。
自分には助けられなかったのだ。
「そうですね、―――」