秋
最近少し寒くなってきたなぁと結香は笑う。
気温変化に弱い、というか体温調節のできなくなったこの体だと紫翠を待つのは少し辛い。
夏よりもころんとねっころがる回数が増えている。
眠らないように気を付けているが、どうにも、どうしても体は弱っているらしい。
一緒にいられるのは、一体何時までなのだろう。
「結香、寝てるのか、結香」
「ん……」
物思いをしていた内に結香は寝てしまったらしく、紫翠が来たときにはもうすやすやと寝息をたてていた。
顔は出会ったときよりも青白く、体もどんどん細くなっていっている。
夏でだって、汗1つかかず涼しい顔をしていたが、本当に涼しいわけもなく体温調節が効かなくなっているのだろう。
出会ったときも弱っちかったが、会いに来る度に死にそうになっていると、紫翠も堪える。
だが辛いのは結香の方だ。どうにもならない体にどうしようもなく悲しくて、理不尽に泣くのを我慢しているのを知っている。
「どうして俺は、友達になにもしてやれないんだろうな。どうして、こんなに無力なんだろうな」
紫翠の呟きは、誰も拾うことなく溶けて消えた。
握った手は少し冷たく、紫翠は静かに、涙を流す。
パキン
なにかが割れるような音がした。
何の音だろうか、と紫翠は不思議に思って辺りを見渡す。
パキン
パキン
パキンパキン
氷を割るような音だ。だんだん大きくなっている。
紫翠は結香を守るため結香に向き直り。
――――絶句した。
「結香……?なんだ、それ」
返事はない。当たり前だ寝ているのだから。
しかし紫翠の動揺も仕方がない。何故なら。
「どうして、彼岸花がこんなとこにあんだよ」
結香を中心に、赤く淡く発光する彼岸花が咲き誇っているのだ。
彼岸花、死を象徴する、あの世の花。
ソレが、結香を囲むように吐き気がするほど沢山咲いていた。
まるで、もう渡さないとでも言いたげに。
紫翠は直感で理解した。
此が結香の不調の正体だと。
結香が弱るごとに、結香の世界から命が、尊さが、美しさが、全てが奪い去られていくごとに誇らしく美しく咲き誇るのだろうと。
それに囲まれた結香は確かに、どうしようもなく、言い訳しようもなく美しい。
きっと結香が死んだ日には、世界をおおうほど大量の花が咲き乱れて、さぞ壮観なのだろうと、紫翠は涙をポロポロこぼしながら理解した。
紫翠の掌から、思草がするりとこぼれ落ちた。
秋とはさよならの季節だと誰かが言った。
本当にそうだなぁとぼんやりと結香は考える。
最近、立つことすらままならない。
立てた日があるとしても数時間程度。己を蝕む病の進行が思ってたよりも早く、立とうとしても立つことは出来ない。
それでも結香は縁側に居続ける。
紫翠がこちらに来る限り。
「おそい、な」
呟いた声は空虚に吸い込まれた。
結香は最近、紫翠が来ることを期待しなくなっていた。
紫翠にお客ができたからだ。
確かなんと言ったか。水城、といったか。
その男に付きっきりで薬を作っているから、紫翠は最近こちらに来ない。
その水城という男も男で、随分と苦労をしているようである。
紫翠は結核の進行が早いのだと言ったけれど。
あの男、奇っ怪な縁にとり憑かれている。
人がどうこうしたところでもうどうにもならないだろう。仕方がない。あれは妖怪でも恐怖する、縁を結ぶ選定者に愛されてしまった証だ。
紫翠が纏ってきた水城とやらの残滓ですらそう思わせたのだ。今世は残念でしたと言う他ない。
さて、そう靄々と考えている内にも時間は過ぎていく。
一切の考えも纏まらないまま結香は空を見上げる。
誰の思いを表したのか、重苦しい曇天だ。
これだったら折角ここから見える紅葉が台無しだなと残念に思う。
別に、関係ないから良いのだけれど。
見に行けるわけもない、庭も歩き回れない。
それならばもう、無いのと同じだ。
人も、自然も、見えなくて会えなければ無いのと同じ。
結香は目をつむり、横に倒れこんだ。
パキン
パキン
死が迫る音を聴きながら。
目が覚めると、雨が降っていた。
暖かい雨だ。結香の好きな水だ。
「秋時雨」
縁側の外が濡れている。しとしとと降る秋時雨が屋根を伝い石を穿つ。
雨の匂いが薄く香った。
紫翠は大丈夫だろうかと結香は思う。雨に当たっていないか、体が冷えていないか。
ちなみに全く同時期に紫翠も結香に対し同じことを思っているから世話がない。
秋の葉が濡れていくのを見ているのに夢中になっていたから、結香は己の変化に気が付かなかった。
結香はもう、足に力が入れられなかった。
秋はさよならの季節。
様々なものを失って、代わりになにかを抱えていく。それでも、結香は失うばかりだ。