なまえ
「ということがあったの。人の子にとって、名前とはそんなにも大切なものなの?」
「そうだな。その人を表す称号でもあるし、願いでもある」
「……ねがい?」
あぁ、と頷いた紫翠。今日はつつじちゃんは禿として芸事を見せるため、僕と紫翠だけが部屋にいる。
本来は僕らだけのはずなのに、なんだか寂しく感じるのは僕が欲張りになってしまった証拠なのか。
解体新書を書き付けるのは後回しにして、紫翠の方に体を向けた。
紫翠も近くで混ぜ合わせていた薬草のようなものと擂り鉢を一度おいてこちらを向く。
「親にとって、こうなってくれれば良いという一つの願いを込めたのが名前だ。名前は魂を縛る器となるし、自我を忘れないための一つの縋る対象でもある」
なるほど、と頷いた。でもそれなら、僕は一体なんの願いを込められたのだろうか。
どんな願いがこもっていても叶えられそうにないと、情けない小さな体を見下ろした。
俯いていると、ぽん、と頭に軽い衝撃。
「お前の結香は、きっと俺やつつじや、もっと沢山の人と、お前自身を結べるようにと願われたんだろう。だから、良かったな、一番叶えられてるよ」
そう言って紫翠は笑ってくれる。本当に紫翠は優しい、じまんの親友だ。
窓の外を見れば、雨がまだ降っている。
あの子供は大丈夫だろうかと唐突に思った。
そして、ふと思い出した。
「紫翠って、外に出ないよね。雨、嫌い?」
そう、いつも紫翠は、外に出ることもなく、遊郭の中で何かしている。外は楽しいのに勿体ない。お団子屋さんのみたらし団子はつつじちゃんも認める美味しさなのに。
「あー……いや、嫌いってー訳じゃあ……」
「お外楽しいよ! 紫翠もお使い一緒にしよ?」
お外を教えてくれた紫翠に、僕だって恩返しがしたい。ここのお外だって楽しいんだよって、この小さな窓から見える雨も、実際下にたってみれば綺麗なんだと教えたい。
「…………まぁ、じゃあ、明日な」
「やったぁ!」
「今日はもう寝ろ、明日出掛けようか」
期待を込めて紫翠を見れば、不満げだけど許可してくれた。楽しみ、楽しみ! 早く寝よう!
紫翠と出掛けられると思い早くに目をつむった僕は、一瞬だけした思い詰めたような紫翠のかおを、気のせいだと処理をしてしまった。
今でもこの選択に後悔しかない。確かに、見えていたはずなのに。
「…………明日、な」
紫翠が何か得体の知れないものに怯えてること、注意深く見ていれば解ったはずなのに。




