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薬師と仔狐の乱  作者: 蝸牛
第二部 雨の牢獄
24/31

天獄

の日。ことことと鍋で味噌汁を煮る。煮立つか煮立たないかと云う時分に厳選した味噌を入れ、一気に強く煮立たせた。

ちょっとの間に出来上がってしまうので、寅の刻に研いでおいた包丁でとんとんと野菜を切っていく。



ふわりふわりといい匂いが炊事場に漂い、遊女の皆さま方が起きてきた。昨日、見世に居なかった人達ばかりだ。見世に居た人達は、やっぱりまだ眠いのだろう。


「おはようございます、今日はちょっと贅沢して、おひたしも作りましたよ!」

「あら、今日も美味しそう……」

「毎日変わらない笑顔……元気が出るわね」


お膳を各々持っていってもらう。この量を一人では無理がある。

本来は飯炊きの仕事なのだが、遊女の素質がある禿が多すぎて、飯炊きが今居ないのだ。

それに、僕が作る料理は人気らしい。嬉しいことだ。


あぁそういえば、香織さまの分を作っておかないと。いつも余分に一つ作らされていたから前は何かと思っていたけど、香織さまのだったのか。


高級な漆のお茶碗にご飯をたっぷり乗せていると、

ドタドタドタドタドタ……スパーッン!


「結香お兄ちゃんどう云うこと!?」

「つ、つつじちゃんっ?」


息を切らしたつつじちゃんが、襖を思いきり開けて詰め寄ってきた。何やら焦っているみたい。思い当たることと言えば昨日の無礼だが……やっぱり怒られちゃうかなぁ。


「あの、つつじちゃんすみませ」

「香織さまに! 気に入られたの!?」


……へ?

大声で言い放たれたその言葉に、周りでお喋りしていた皆さんの声も止まる。集まった視線が突き刺さってくるようだ。

困惑している僕に、少し落ち着いたつつじちゃんが話してくれる。


「人に拘らないあの香織さまが、結香お兄ちゃんを指名して食事を運んでくるように言ったの! その上、食事もあちらでとるようにって! どういうこと!?」


僕が聞きたい。楽しませることも出来なかったし、大したこともしてない筈。息を切らしたつつじちゃんに早く行くようにとお膳二つ持たされて背中を押される。こ、こぼれるからまってぇ!


とたとたとた、音をさせて階段を上がる。昔屋敷にこもっていた頃は辛かっただろうけれど、現在は体力が少しだけ戻ってきているのでそこまで疲労は感じない。自由に動かせる体って良いなぁ。


感慨に耽っていると直ぐに昨日見た襖に辿り着いた。


「……失礼します、食事をお届けに参りました」


今日は入って、と返事があったので、一声かけてスッと襖をひいた。


「やぁ、昨日ぶりだね結香くん」


香織さまとお話ししたことはあんまり大層なことではなかった。昨日の事を咎めるでもなく、ただの世間話のようなもの。


「聞いたよ。君、禿じゃなくて芸者だったんだね」


そう言って頭を撫でられる。最初は目が笑っていなかったけれど、何だか今のはほんわりとした感情だった。安心して身を任せてしまう。

しかし芸者でもないのだが……まぁいいか。

いたずらに困惑させるのはよくない。


「禿という年齢でもないですが……」

「そうかい? 大名にとても気に入られているらしいから、引き込み禿かと思ったんだけど」


引き込み禿……振り袖新造見習いか。紫翠や尼子様から用語だけ教えてもらった。紫翠は尼子様と関わるのを余り良しと思っていないらしいけれど、人脈は作っておいて損はないと言ってつつじちゃんが引き合わせてくれる。


「とってくれる花魁様がいらっしゃらないので……」

「へぇ、なんなら世話をしようか」


しかし確か香織さまにはもう三人ほど振り袖新造がついていた筈。振り袖新造のお金のお世話は花魁かやらなければいけないと聞いている。香織さまにとても負担がかかるだろう。

それに僕には別の目的がある。


「いえ、今は力を付けることに専念しようかと」


力?と首をかしげられたが、長々と説明する気は無い。したとしても混乱してしまうだろうし。それほど、僕と紫翠は奇妙な縁で結ばれ共に旅をしている。


それを誇りと思うこともあるし、縁の怖さを知っているからこそ紫翠を守らなければと糧に決意をする事だってある。ただ一つ共通するのは、


「紫翠や、皆様と出逢ったことを、感謝こそすれど恨むことはないような人生にするための力が必要なのです」


その時、眇められた瞳が何だか淋しそうだったのが印象に残っている。それを見ていながら、なにも云うことのなかった自分が不思議だった。


ご馳走さまでしたと手を合わせ、一歩引いて食べ終わるまで待つ。


「そうか。……結香くんは、強いね」


しみじみと言われたその内容が、何だか香織さまにとっては他人事なのだろうと思えた。近づけたはずなのに、遠ざかった気分だ。


お膳を回収して部屋から出るとき、あんなにも広いと思った場所が、香織さまを閉じ込めておくには狭すぎるような気もした。不思議だ。


ここからでは、雨の降り続くここでは、美しい景色も見られないのだろうな。


紫翠がここを地獄だと云った意味が、漸くわかったような気がした。


あぁ確かに、ここはまるで地獄のような場所だ。

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