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薬師と仔狐の乱  作者: 蝸牛
第二部 雨の牢獄
14/31

はじまりはじまり

ぱちり、と目が覚めた。


……目が覚めた?


僕はそのあり得る筈の無い感覚に暫くぶりの違和感を覚えて、きょろきょろと目を動かす。

違和感があるが、どうして違和感を覚えたのかがわからない、といったところか。


……ふと、空の満点の星空が目につく。

葉桜には早い時期か。桜は美しく咲き誇り、薄紅色の花弁が宙に舞う。


あぁむかし、あんな光景を見たなぁ

のどかな場所で、手を伸ばそうとしていたのだっけ。

結局捕まえられはしなかったけれど。


『ゆいか』


「――!」


突如頭の中で再生した彼の声に、心臓がドクリと音を立てた。

薄紅の下で、初めて涙を見せた綺麗な人。

僕をひたむきに愛してくれた人。


「なんで、僕……」


あの時確かに死んだのだ。

あの時、生を願いながら、死が近づいてきたことも理解していたのだ。

また捕まらない、手を伸ばせないことを知って、涙した筈なのに。


むくりと起き上がってみる。


不思議なことに、瀕死どころか疲労すら感じられず、普通の青年くらいの体力は戻ってきている。

全盛期に比べると勿論雲泥の差だが、どうして力が戻ってきているんだ?



そうして気がつく。


「尻尾が、一本になってる」


力で満ちた濡れ羽色の大きな尻尾が、悠々と自分のお尻から生えて揺れていた。

感情に呼応して動いているようだ。

それはまるで、全盛期の九尾の一つのよう。


その瞬間、記憶が一つ甦る。


『……僕の尾になってもらうよ、叶』

『ほほう、随分と生意気な小僧だこと。

この妾を、下せるものなら下してみよ』


「か、のう……」


物言わぬ尻尾はなにも答えない。

しかし、確かにそれには、かつての仲間の力が宿っていた。


「そうか……九尾の尾」


九尾の尾は、尾を与えられる試験として世界に散らばる妖怪を下すのだ。

下した妖怪が尾となり、その妖怪の力は下した九尾に授けられる。

九尾が死亡したり、力を失えば尾に宿る力は本来の妖怪のもとへ返されるのだ。


……つまり、この尻尾は。

この尻尾は、自由になれる筈の時に、見捨ててしまえば良かったものを、僕を救って自由を捨てたのだ。


「叶、何故だ……自由になれるはずだったのに」


物言わぬ尻尾はなにも言いやしない。

ただ、記憶のどこか、世界のどこかで。



静かに彼女が、笑った気がした。



何と言う忠誠だ。

全盛期の僕は、どれだけ恵まれていたんだろう。


「叶、そうだね解ったよ」


例え望まれていなくても


「皆を、迎えにいってくるよ」


頭の中で、理性がこれは夢だと告げていたのに。

本能は、これが本物だと、抱き締めてやれと背中を押した。


「紫翠」

「ゆいか……結香!」


月が綺麗な夜だった。

上質な着物に、短い濡れ羽色の髪。大きな耳と、力に満ちた尻尾。

なにより、その強く優しい芯の通った大きな目。


記憶とは少し違うが、違いよりも同じところが目につくような、そんな親友の姿が俺の目に再び写し出された奇跡に感謝をした。

口を開くと、かれの鋭い牙がちらりと見える。

思わず、かけよって強く抱き締めた。


「よくっ……よく戻ってきた!」


例え幽霊でも、今この瞬間とり殺されたって良い。

結香がいる、結香の、少し冷たい体温が腕の中にあって、ふわふわした髪が頬を擽るような、幸せな夢が見られるのならば本望だ。


「紫翠、紫翠ぃ……怖かった、生きてたよ、生きてたんだよ僕……!」

「あぁ、あぁ解ってるさ! 良かった、生きていてくれて、本当に良かった……!」


肩を濡らす暖かい涙と、結香らしい泣き声に、あぁ俺の結香が帰ってきたとわかった。

頬についた薄紅の花弁、少し汚れて、少し強くなった彼は笑う。


「ねぇ、紫翠」

「どうした?」


抱き締めたまま聞き返せば、恐る恐ると言った風に結香の手が背中に回ってくる。


「世直しの旅に、出てみない?」



世界を救ってみたいんだと笑う結香を見て、あぁそうかと理解した。

彼は、こんな子なんだと。


「いいぞ、まずはどこから行く?」

「ええとね」


弱くて優しくて、誰よりも愚直な大事な親友。


彼の行く旅路に同行できるのならば、この薬屋紫翠、一心に彼に仕えよう。


きっとその昔、彼に仕えた妖怪も同じことを想ったのだろう。

そう思うとなぜか、誇らしいような気もした。

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